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2022.10.20 安全保障

動員令で市民感情に変化…ロシア国民が疑問視し始めた「プーチンの奇妙な歴史観」とは

木村 康張

 2月24日、突如としてロシアのウクライナ軍事侵攻が始まった。その直前、ロシアのプーチン大統領はロシア国営テレビをつうじて緊急演説を行い、「私たちと隣接する『歴史的領土』に敵対的な『反ロシア』が作られようとしている。ドンバス(ウクライナ東部のドネツク州とルガンスク州)が助けを求めてきたため、特別な軍事作戦を実施する」と宣言した。今回、注目したいのはプーチン氏の言う「歴史的領土」についてだ。

国籍は関係ない!ロシア語文化を持っていれば「ロシア世界の人」

 まず、プーチン氏の歴史観はどこからきているのだろうか。時は2000年に遡る。当時、第2代ロシア大統領に就任したプーチン氏は7月の年次教書演説で「ロシアにとって唯一の現実的な選択は、強い国家の道を選ぶことだ」と述べた。これをきっかけにプーチン氏はロシアの歴史的な人物や出来事を現在おかれている状況に重ね合わせ、独自の歴史観を採り入れた政策思想を確立していく。

 2007年4月に行われた年次教書演説では「ソ連邦の崩壊後、新しいディアスポラ(国家や民族の居住地を離れて暮らす民族の集団)が形成された。誰がどこの国民かは重要でなく、誰がロシア出身でロシア語を話すかが重要。ロシア語を話す文化、祖国への関心を示す人々は、『ロシア世界』に属している」と述べ、旧ソ連邦構成国の独立を機にロシア民族が新たな独立諸国家に分断されたことを嘆きながらも、ロシアが長年にわたって培ってきた道徳的・倫理的な価値観に立脚した政策を国民に訴えている。

プーチンが言及する「ロシア世界」の概念とは?

 プーチン氏が冒頭の演説で述べた「歴史的領土」は、この「ロシア世界」を示している。ロシア世界とは、共通するロシア文化的伝統や宗教によって結ばれた超国家社会のことで、文化的、地政学的、宗教的な概念だ。

 2009年にモスクワで行われた全ロシア科学会議の資料によると、「ロシア世界」という概念は9世紀に成立したリューリク朝が現在のロシア西部やベラルーシ、ウクライナを統一していく過程で、古ロシア語圏の経済的繋がりを広め、ロシア正教を布教したことによって誕生した。これ以後、この概念はロマノフ朝時代のロシア帝国を経て、1917年の十月革命により誕生したソビエト連邦へ引き継がれ、ソ連邦崩壊後の現在に至っている。

 プーチン氏は2021年に発表した論文で、「ロシア人もウクライナ人もベラルーシ人も、ヨーロッパ最大の国家であった古代ルーシ(リューリク朝)の継承者だ。西部ロシアの共通国家への統合は、共通の宗教と文化的伝統に基づいて果たされた。(しかし、)1991年(のソ連崩壊で)、これらの領域に住んでいた人々が相次いで境界の外に置かれ、歴史的な祖国から引き離された」と述べているが、この「歴史的な祖国」がロシア世界のことだ。

 ウクライナ戦争においても、「ウクライナに離散するロシア人のディアスポラであるドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の住民を、ゼレンスキー政権というネオナチ(極右民族主義)によるジェノサイド(大量虐殺)から解放するために特別軍事作戦を実施する」と、自己の歴史観である「ロシア世界」に基づいて侵攻の正当性を主張している。

国民の8割以上がプーチンに共感していた

 侵攻当時、8割以上のロシア国民がプーチン氏の主張するウクライナ戦争の正当性に共感していたことがわかっている。ロシア独立系世論調査機関レバダ・センターによると、2021年時点では64.5%と低迷していたプーチン氏支持率は、ウクライナ侵攻後の3月には83%と、19%も増加しているからだ。また、侵攻開始から9月上旬までの戦況の変化と、プーチン氏と政府への支持率の推移を併せて見ると、戦況に関わりなくプーチン氏支持率は83%、政府支持率は68%前後で推移している。

 この背景には、支持者の多くが政府のプロパガンダ(宣伝活動)を伝える国営放送を唯一の情報源としている高齢者や地方在住者であることや、ナチズムやファシズムなどの言葉による批判がロシア社会をまとめるうえで効果的であること、ロシア政府による情報統制がなされていること、第二次世界大戦で2000万人以上もの犠牲者を出した記憶を国民が持っていることなどがあると見られている。

情報統制に出始めた「ほころび」

 ウクライナ侵攻後、ロシア政府は国民がフェイスブックなどのSNSに接続することを規制し、独立系メディアも閉鎖や放送禁止に追い込んだ。3月には「偽情報」の拡散を最高15年の実刑で処罰するという改正刑法を成立させ、海外主要メディアはロシア国内での活動中止を余儀なくされた。しかし、政府による情報統制にもほころびが出始めた。それは身近で近親者の「戦死」が伝えられることが増え、9月21日に予備役の部分的動員令が出された頃だ。

 レバダ・センターが行った部分的動員発令後のロシア国民の世代別意識変化調査によると、「ウクライナでのロシアの軍事行動を支持するか」という問いに「支持する」と答えた人は全体の72%と、前回までのプーチン氏や政府への支持率と同様の傾向となった。しかし、世代別で見てみると、「支持する」人の割合が50歳以上では81%と高かったのに対し、18歳から24歳では55%と低かった。動員の対象となりうる若い世代の懸念が高まっていることがわかる。

図1:ウクライナにおけるロシアの軍事作戦を支持するか

 「戦争継続がよいか、和平交渉か」という問いに関しては、18歳から24歳で「戦争継続」と答えた人は26%だったのに対し、「和平交渉」と答えた人は65%にものぼった。

図2:ウクライナにおけるロシアの軍事作戦の継続か

 「部分的動員令に対しどう感じるか」という問いについて、18歳から24歳で「誇り・喜び」など肯定的な回答をした人が11%だったのに対し、「不安・恐怖・怒り・衝撃」と否定的な回答をした人は79%と多かった。

 このような若者たちの意識の変化を証明するように、部分的動員の発令後に招集を逃れるため国外に脱出したロシア国民は70万人にも及んでいる。脱出者すべてを動員対象者と仮定した場合、予備役約2,500万人の約3%にも達することになる。ロシアの若者たちは今、ウクライナ戦争を、プーチン氏の歴史観を根拠とした「正義の戦い」から「我が身に迫る戦争」と意識を転換しつつあるのだ。

戦地に送り込まれる少数民族

 戦地には多くの少数民族も送り込まれている。英国BBCが公表したロシアの各自治体の発表を基に算出した戦死者958人の出身地別の比率を見ると、アグル人などの少数民族が86%以上を占めるダゲスタン共和国や、チェチェン人が93%以上を占めるチェチェン共和国など、少数民族で構成される地域出身者が戦死者全体の96%を占めていることがわかった。全人口の80.9%をロシア人が占めるロシア連邦であるが、激戦地にいかに少数民族が投入されているかがわかる。

 さらに、侵攻開始から数週間後にシベリア地域のブリヤート共和国出身の兵士100人は戦闘を拒否して帰国。3月には南部のタゲスタン共和国出身の兵士300人が命令を拒否してドネツク州の陣地から故郷へ帰国するという事例も発生している。

 部分的動員が発令された翌日の9月22日には、ブリヤート共和国の人口約5,500人の村で、住民の約13%にあたる男性約700人が招集され、訓練施設に向かったとみられ、クリミア共和国で発出された約5000枚の召集令状の約9割が、人口のわずか12%であるクリミア・タタール民族に渡されたという。同月25日、ウクライナ侵攻で300人以上の戦死者を出しているダゲスタン共和国では、部分的動員に抗議する民衆が暴徒化。100人以上が逮捕された。

大都市と地方でも現れた「動員格差」

 大都市と地方でも動員格差が明白だ。10月5日時点で約21万3,000人の予備役が招集されているが、そのうちモスクワでの招集者が0.8%に相当する1,700人であるのに対し、東シベリアのクラスノヤルスク地方では5.5%に相当する約2万8,000人となっている。

ロシア政権内に意見の相違も

 ウクライナでの戦況は現在、ロシアにとって非常に厳しいものとなっている。ウクライナのゼレンスキー大統領は10月上旬、国民に向けたビデオ演説で「南部ヘルソン州でロシア軍の支配地域の奪還が進んでいる。東部のハリコフ、ドネツク、ルハンスクの3州でも反攻が進み今週だけで数十集落が解放された。東部だけでも計2434平方キロメートルの領土と96の村落をロシア軍から解放した」と発表した。前日には、米国防総省のセレステウォランダー次官補(国際安全保障問題担当)が「ウクライナ軍は東部ハリコフとドネツクでのこのところの成功に加え、南部ヘルソンでも成果を収めつつある」と発言している。

図3:ウクライナの地図

 さらに、英国防情報局は10月5日、「戦争の長期化、補給と兵力不足、占領地内での抵抗などにより、ロシア軍の士気は大幅に下がり、降伏と脱走が続出している」と発表し、指揮官の交代だけで戦況を変えるのは難しいという見方を示している。また、米紙ワシントン・ポストは10月7日、「プーチン氏に対し、側近の一人がウクライナ侵略の進め方について直接異議を唱えた」と報道。ロシアのペスコフ大統領報道官は報道内容を否定したが、「政権内に見解の相違がある」ことは認めた。

選択を迫られるプーチン

 現在ロシアでは、反体制派も動き始めている。反体制派の指導者で現在収監されているナワリヌイ氏の支持者たちは10月4日、活動停止に追い込まれていた支援組織の活動再開を宣言し、「どこにいて、何ができるかは重要でない。情報の拡散やビラの作成、政府のサイトや徴兵事務所の業務の妨害ができる」と国民に活動への参加を呼びかけた。10月7日には、ソ連時代から大粛清や政治弾圧に関する歴史や記憶を編纂し公開するなど政治弾圧の調査・告発で知られ、プーチン氏の強権体制に批判的で解散させられた人権団体「メモリアル」がノーベル平和賞に選ばれた。しかし、現時点でロシア国内にプーチン政権を倒すほどの市民運動が起こる兆候はみられない。

 国際社会での孤立を深めるプーチン氏は、国内の反戦運動や抗議活動の弾圧による鎮静化に躍起になっている。しかし、ロシアではウクライナ侵攻の正当性に疑問を持つ国民が増え、若者たちの共感も薄れつつあるのが実情だ。さらなる強行策を打って戦況を打開し国民からの信頼を回復させるか。国民が納得できる妥協策により事態を収拾させるか。プーチン氏は究極の選択を迫られている。

写真:代表撮影/ロイター/アフロ

木村 康張

実業之日本フォーラム 編集委員
第29期航空学生として海上自衛隊に入隊。航空隊勤務、P-3C固定翼哨戒機機長、米国派遣訓練指揮官、派遣海賊対処行動航空隊司令(ジブチ共和国)、教育航空隊司令を歴任、2015年、第2航空隊(青森県八戸)司令で退官。退官後、IT関連システム開発を業務とする会社の安全保障研究所主席研究員として勤務。2022年から現職。

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