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2024.02.01 安全保障

「守るために戦う」 神父も銃をとるウクライナ
ジャーナリストが肌で感じたウクライナ(1)

岡野 直

 2022年2月24日、十数万人規模のロシア軍侵攻で始まったウクライナ戦争。プーチン大統領は本格侵攻開始時、「脱ナチス化(ウクライナの『ネオナチ』の排除)」を表明した。侵攻は短期間で終わり、ゼレンスキー政権は崩壊すると考えた。
 しかし、プーチンの思惑に反し、ウクライナ人は激しい抵抗戦争を続ける。果たして「ネオナチ」は存在するのか。クレムリンの作り上げた虚構ではないのか。元朝日新聞記者でロシア語通訳の資格をもつ岡野直氏が、実際に現地を歩き、市民の声を聞いた。豊富な取材写真と共に、ウクライナの現実を2回にわたって報告する。

※本記事は、2023年11月15日開催の「地経学サロン」の講演内容をもとに構成したものである。(構成:鈴木英介=実業之日本フォーラム副編集長)

 私は、2022年11月から12月にかけ、約1カ月半ウクライナに滞在した。

 ウクライナは日本から8000キロ離れた国で、平らな形をしている。面積にして日本の1.6倍、東西の距離は1300キロ。東の端を東京とすると、西の端は、九州と沖縄の間、奄美大島ぐらいの距離感だ。国旗は、上が青空、下が小麦を表す。かつて「ヨーロッパのパンかご」と言われ、戦争前までは世界第5位の小麦輸出国だった。

 その輸出が今、滞っている。農地を含めウクライナ全土の30%に地雷が埋められているからだ。

 2022年2月の本格侵攻当初、ロシア軍は、ロシアの同盟国である隣国ベラルーシを経由して、ウクライナ北部の首都キーウ(キエフ)を狙った。北部だけでなく、侵攻以前からロシアが支配する東部のドンバス地方からも侵攻し、南部からはロシアが14年に一方的に併合したクリミア半島から北上した。3方向から10数万の兵力がなだれ込み、ウクライナにおけるロシア軍の支配・侵攻エリアは一時、全土の約27%に及んだ。

 その後、北部はウクライナ軍が2022年4月までにロシア軍を退け、北東部ハルキウ州も同年秋に撃退した。クリミア半島の北部ヘルソン州は、州都へルソンを含め、北西部のみウクライナ軍が解放した。私のウクライナ取材の焦点は3つ。(1)これら解放された地域で何が行われていたのか、(2)ウクライナ市民の生活がどのように破壊され、どのようにこの戦争に関わっているのか。そして、(3)停戦はあり得るのか、である。

 飛行機でポーランドのワルシャワに降り立ち、そこから夜行列車に乗り換えキーウに向かった。キーウでアパートを一室借り、そこを拠点に国内を移動した。戦争中なので国内便は飛んでおらず、夜行列車や車で8、9カ所を見て回った。本稿では、ロシアとの国境に近いハルキウ、州の7割がいまだロシアの占領下にあるザポリージャ、知り合いの記者がいるへルソンでの取材内容を中心に報告する。

ハルキウの「地下小学校」

 ハルキウ市ではボランティアと知り合った。市の職員に市内を案内してもらい、主に教育施設を回った。黄色い服を着たのはボランティアの方の娘(写真1)で、手の先を見ると、教室の床からパイプが突き出している。机が焼け、机を固定していたものだけが残った。

 別の学校では、ミサイルが貫通し、天井に大きな穴が開いていた。市の職員は穴の大きさを見て、「これは●●というミサイルだ」と識別できる。それぐらいおなじみの状況だ。ハルキウという街はロシアとの国境から40キロしかなく、学校は全て閉鎖されている。教育は全てオンライン、もしくは地下鉄駅の中にいくつか教室があり、1000人ぐらいの小学生が地下鉄駅の中で授業を受けている。

ロシア軍の攻撃でまる焼けになったハルキウ市の教育施設の写真
【写真1】ロシア軍の攻撃でまる焼けになった教室=ハルキウ市

 避難のためにかなり人口が流出しているが、もともとハルキウは200万人規模の大都市だ。ウクライナの大都市には一戸建てがほとんどなく、団地が多いが、ハルキウもそうだった。

 冷戦の名残か、ウクライナの団地には、ほぼ必ず地下壕(ごう)がある。案内してくれた50代の女性は、普段は団地の上の階に住んでいるが、空襲警報が鳴ると地下に避難し、「団地の住民で地下壕を分け合って使っている」。地下壕自体は非常に広く、20室ぐらいある。そのうち写真2は、2畳ほどの狭い部屋だ。案内役の女性は、そこにマットを敷き「孫はマットに寝かせます」と話した。自分と両親は手前のスペースで座ったまま寝るのだという。

ハルキウの団地にある地下壕の写真
【写真2】「孫をここに寝かせます」と地下壕で話す女性=ハルキウ市

 写真3に写っているのは当時35歳の母親で、8歳の一人息子がいる。彼女は地下に小学校を作った。Wi-Fiも備え、朝になると児童数人が集まり、彼女が中心になってスマートフォンで授業を行うという。彼女は非常に熱心なクリスチャンで、「神様が必ず悪い人を罰してくれる。だから待ちなさい」と息子に言った。すると息子は「僕が悪いから、ミサイルが降ってくるの?」と母親に尋ねた。母親は「悪い人」はプーチンで、神が彼を罰してくれると言ったつもりだったが、「子どもは自分が罰せられていると感じてしまう」と語りながら、私の目の前で泣き崩れた。

ハルキウの住民らが地下壕に作った即席の教室の写真
【写真3】住民らが地下壕に作った小学校の「教室」=ハルキウ市

神父も前線に

 東部ハルキウの取材を終えていったんキーウの拠点に戻り、南部ザポリージャ州に夜行列車で向かった。人口は30万人ぐらいで、やはり団地の多い町だ。写真4は、二つの建物に見えるが、元は9階建ての1棟の建物で、中央部が崩れたものだ。2022年10月にミサイルが命中し、1階から7階までは瞬時に崩れ落ちた。残る8、9階部分も数時間後に崩れ落ち、二つの建物のようになった。このとき63人が死傷した。

 現場に近づこうとしたが、警察官が警戒線を張っていて中に入れない。案内役のウクライナ人女性が「この男性(私)は日本から来て、ウクライナの状況を取材しに来た」と説明したところ、警官の態度が変わって中に入れてくれた。警官の1人が「写真を撮ろうじゃないか」と言ってくれ、一緒に写真に収まった。現場に近づくと、子どものおもちゃやカバンなどが散乱し、ペットボトルなど生活の跡も残っていた。

ロシアのミサイル攻撃で中央部が崩壊した団地の写真
【写真4】ミサイル攻撃を受けて崩れた団地を警備する警官と筆者(右端)=ザポリージャ市

 前線で戦っている兵士とも話がしたいと思い、キーウの喫茶店に腰をすえ、スマートフォンで前線にいる兵士にインタビューした。そのうちの1人が写真5の男性で、これは前線からスマホで私に送信してくれた。場所は南部ヘルソンで、ドローンを操縦している場面だという。

 私がスマホで「あなたの戦う動機は何か」と聞くと、「質問の意味が分からない。ウクライナ人に戦争したいという動機はない」とかなり強い口調で言われた。質問を変え、「戦いを継続している理由は何か」と聞くと、「自分の家族や身近な人を守りたい。そのためにロシアを撤退させるしかない」と答えた。彼はもともとヘルソン州の農村の小さな教会で神父を務めている。神父も参加している戦争なのだ。

南部へルソンでドローンを操縦するウクライナ兵の写真
【写真5】南部戦線でドローンを操縦する兵士

プーチンの言う「ネオナチズム」は見当たらず

 プーチンは「ネオナチズムがウクライナを覆っているので、それを駆逐するために戦争しなければならない」と主張した。それが本当なら、街中に極端な民族主義をあおるようなビラやポスターがあるはずだ。しかし、戦意高揚のポスターですら1枚も見かけなかった。

 街中で唯一見た戦争関係のポスターが写真6だ。地下鉄駅のエレベーターに貼られていたもので、ウクライナ語で「市民生活でどんな職業だった兵士であっても、すぐそばで応援しています」と記されている。左端に事務作業を行う人が描かれており、その隣に軍服を着た人が同じようにデスクワークをしている。コックだった人が防弾チョッキを着て前線にいる絵もある。つまり、公務員や会社員だった人が軍服に着替えて前線にいて、そういう市民兵士たちを「後方にいる私たちは応援しています」と励ますポスターだ。ウクライナ人にとってこの戦争は、侵略者を撃退する純粋な防衛戦争であり、あえて「戦おう」というスローガンは必要ないということだ。

ウクライナの地下鉄駅構内に貼られた、市民兵士を応援するポスターの写真
【写真6】地下鉄駅構内に貼られた、市民兵士を応援するポスター=キーウ市

 市民参加でもう一つ重要なのはボランティアだ。あるボランティアの夫婦は、自家用車に物資を積んで週1回、ザポリージャ市から前線までの片道30キロを往復している。前線には、「老い先短いので、ここで死にたい」と、その場に留まる高齢者も多く、そういう人たちの生活物資もボランティアが届けている。ザポリージャでは前線近くでミサイル攻撃を受けて亡くなったボランティアもいる。

(第2回に続く)

岡野 直

ジャーナリスト
1960年、北海道生まれ。東京外国語大学ロシア語学科卒業。85年朝日新聞社入社。プーシキンロシア語大学(モスクワ)に留学後、朝日新聞西部本社社会部を経て、東京社会部で基地問題や自衛隊・米軍を取材。シンガポール特派員の経験もあり、ルワンダ虐殺、東チモール紛争、アフガニスタン戦争など、紛争地取材の経験も多い。2021年からフリー。全国通訳士(ロシア語)。主な関心はウクライナ、ロシア、観光、文学。著書に『戦時下のウクライナを歩く』2023年7月(光文社新書)、『自衛隊―知られざる変容』(共著)2005年5月(朝日新聞社)がある。