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2024.04.01 安全保障

長年にわたる恨みは攻撃へと向かわせた―3つの顔を持つ組織「ハマス」
イスラエルを襲ったテロリストの「正体」(1)

実業之日本フォーラム編集部

 昨年10月にイスラエルを急襲したイスラム組織ハマス。ガザ情勢の緊迫化に伴って周辺国の過激派組織も活発化し、原油の9割以上を中東からの輸入に依存する日本にとっても、重大な地経学リスクとなっている。
 今回の襲撃は、あたかもパレスチナ自治区ガザを実効支配する過激派が、前触れなく大規模攻撃をしかけたように見える。しかし、その背景を読み解くと、イスラエルによる強硬なガザ封鎖と国際社会の無関心がハマスをテロに走らせた、という構図が見えてくる。中東専門家の鈴木啓之氏(東京大学大学院総合文化研究科特任准教授)に聞いた。
※本記事は、2024年2月7日開催の「地経学サロン」の講演内容をもとに構成したものである。(聞き手:鈴木英介=実業之日本フォーラム副編集長、構成:山下大輔=実業之日本フォーラム編集部)

社会福祉団体として始まった「ハマス」

――ハマスは昨年10月、イスラエルを越境攻撃し、イスラエル側では外国人を含めて約1200人が殺害されました。背景にあるのは、パレスチナとイスラエルの争いです。まず、ハマスとはどのような組織なのでしょうか。

鈴木 まず、「ハマス」という名の由来から説明しましょう。ハマスは、「イスラム抵抗運動」の略称です。そこから分かることは、運動、ムーブメントであるということ。そして「イスラム」というものにもこだわっていて、「抵抗」を掲げています。

 ハマスが創設されたのは1987年12月で、「インティファーダ」というパレスチナ住民による民衆蜂起が始まった時期に当たります。イスラエル占領下のヨルダン川西岸地区とガザ地区に住むパレスチナ人たちが、「イスラエルの支配はもうこりごりだ」と石を投げて抵抗運動を始めます。その時、「自分たちもその抵抗に参加します」と宣言して設立されたのがハマスです。

 設立を宣言したのは、さまざまな属性を持つ人々です。一つは、50代から60代ぐらいのベテランの社会福祉家、活動家。1970年代ぐらいからガザ地区の難民キャンプで、幼稚園や若者向けのスポーツ施設などを運営していたグループです。アフマド・ヤーシーンというハマスの最初の指導者がいるのですが、彼はそのグループ出身です。車椅子に乗った白髪の老人ですが、2000年代に暗殺されました。もう一つ、ハマスを創設時に学生活動家が合流したと言われています。当時、ガザ地区やヨルダン川西岸地区には、パレスチナ人の大学が設立されていました。

 ヨルダン川西岸地区とガザ地区は、当時も今もパレスチナ人の独立国家ではありません(現在も自治政府という位置づけ)。第3次中東戦争を経て、1967年にイスラエルが管理下に置いた「占領地」でした。占領地で、イスラエルは保健や教育といった行政サービスをパレスチナ人に提供しなかった。そのため、パレスチナ人自らNGOのような形でクリニック、学校、学童保育、幼稚園などの行政サービスを担うことになりました。実は、ハマスの源流も、NGO的な社会福祉団体として活動していました。現在に至るまでハマスは社会福祉部門を持っており、パンを提供したり、学術用品を配ったりしています。こうした団体が、1987年に抵抗運動に関わると言い始めたわけです。

ハマスは3つの「顔」を持つ

――行政インフラを担っていた「NGO」が抵抗運動に加わる、というのは飛躍があるように感じるのですが。

鈴木 パレスチナでは、行政機能の不全や貧困など、占領されているが故に起きるさまざまな社会的な問題があるわけですが、それを解決するためには、そもそも占領に立ち向かう必要があるというのがハマスの論理です。そのためNGO的だったハマスの前身は、1987年の正式な設立を契機に、後の軍事部門につながる実力行使部隊としての姿を現し始めます。つまりハマスは、創設の段階で福祉団体としての「顔」と、抵抗運動組織・武装組織としての「顔」を持った。

 ここに2000年代に入ると3つ目の「顔」が加わります。ハマスは政党を結成し、2005年のパレスチナ地方議会選挙に参加しました。翌06年の第2回自治評議会選挙(国政選挙に相当)では過半数の議席を獲得し、与党になった。つまり、ハマスには福祉団体、武装組織、そして政党という「3つの顔」があります。「どれが正しいハマスなんでしょうか」という質問は、ナンセンスだと思います。3つ全てがハマスという運動体を形成しているのです。

 組織体としては、各地域から選別された代表で構成される「シューラー会議」から15人ほどの執行部が選ばれると言われています。彼らがハマスの「幹部」、あるいは「ハマス指導者」と一般に呼ばれている人たちです。その指揮下に、武装部門もあれば、福祉部門も政党もあるわけです。

10月7日の「急襲」は、天候が良かったから

――ハマスが政党としての側面があり、しかも与党でもあるなら、なぜ民間人も巻き込むような凄惨な殺戮を行ったのでしょうか。軍事部門の統制が取れていなかったということでしょうか。

鈴木 まだ、この点については分からないことが多いのです。今回の件に関してハマスから犯行声明のようなものが出ていますが、初めに発信したのは軍事部門の最高司令官でした。現在、政治部門の指導者たちは大半がカタールやトルコなど、ガザの域外にいます。域外にいるとみられる政治部門のトップたちが、今回の攻撃についてどこまで事前に把握していたのかについては慎重に判断する必要があります。

 攻撃があった10月7日、軍事部門最高司令官のムハンマド・ダイフの音声だとされる声明がハマスの軍事部門から公表されました。しかしその内容は実態とやや異なっており、事前収録だと思われます。例えば声明では、「イスラエルに向けてロケット弾を5000発撃った」と主張しています。イスラエル側の発表によると、パレスチナのロケット弾をイスラエルは3000発程度と確認しているので、大きな差があります。

 それから、「攻撃したのは入植地、キブツ、イスラエル軍の駐屯地が主で、兵士たちを多数捕虜にした」と言っている。しかし実際には、「捕虜」、つまり人質の内訳を見ると、女性、子どもを含めて民間人がたくさん含まれています。恐らく最高司令官の声明は計画段階のもので、本来はこういう形で作戦を展開しようとしていたんだということを表しているのだと思います。

 ただ、注目すべきは、声明の中で動機に言及していることです。攻撃を行う主な理由について、エルサレムが危機にあること、そして、ガザ地区の封鎖・占領が続いていることを挙げていました。エルサレムは、地理的にも政治的にも宗教的にもイスラエルとパレスチナの狭間にあります。ここには1キロ四方の壁に囲まれた旧市街という地区があって、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の聖地があります。このイスラム教の聖域がイスラエルによって取られてしまう。あるいは、その敷地を壊してしまうのではないかという危機感を抱いているということです。

 実際、彼らにそうした危惧を抱かせるような事件がありました。日本ではあまり報じられませんでしたが、2023年1月に、イスラエルの閣僚がエルサレムにあるイスラム教とユダヤ教双方の聖地「神殿の丘」を訪問し、ここは私たちのものだという趣旨の発言をしました。政治的パフォーマンスですが、パレスチナ側は猛反発しました。同じ閣僚による「神殿の丘」訪問は、その後も繰り返されました。

 もう一つは、ガザ地区の封鎖です。これは、ハマスがガザ地区の実効支配を始めた2007年から特に厳しくなったと言われています。イスラエルが、ガザ地区に入る人やモノを厳しく制限した。食料品、水など最低限のものは入りますが、建築資材などは不足していました。電気の供給不足も深刻で、通電するのは1日4時間程度と慢性的な電力不足になりました。電力がなくなると、生活排水を処理できなくなります。トイレやキッチンなどから出た生活排水は、無処理のまま海に流すか、住宅地の外側に作った池にためるといった形で対応してきました。ガザでは、こうした状態が10年ぐらい続いてきました。

 その結果、ガザ地区周辺の海が大腸菌などで汚れてしまう。ガザ地区の井戸水も汚染され、安全に飲める水がなくなってきている。ガザの人々は、この封鎖が続く以上、生きていけないという状態にまで追い詰められていた。10月7日の越境攻撃は、そうした背景がありました。

 10月7日はユダヤ教の安息日に当たるため、イスラエルの隙を狙ったのだろうという見方もあるようですが、私は日付自体には意味がないものと考えています。犯行声明には第2弾があり、アブー・ウバイダという軍事部門の報道官が発信しました。ハマスが撃ったロケット弾や越境した戦闘員の数にも触れていますが、最初の声明とは違ってかなり正確だと感じます。攻撃後の情報をしっかり収集した上で話したのでしょう。

 そのアブー・ウバイダ報道官は、「2022年上旬から攻撃の準備をしていた」、「昨年10月7日を決行日に選んだ理由は『地理的・気象的条件』の結果だ」と述べています。奇襲のためにパラグライダーなども飛ばす計画だったので、気候が穏やかな日を選んだということです。

――つまり、ハマスは突然越境攻撃したのではなく、周到な準備の上で奇襲を行ったということでしょうか。

鈴木 当初メディアなどが使っていた「突然」という表現は、ガザへの関心の薄さが背景にあるように思います。ガザの状況は本当に悲惨で、以前から国連などから人道危機に関する警告が出ていました。2012年に国連は「2020年にガザには人が住めるのか」というタイトルのリポートを出し、「電力不足が深刻で人が住めるような世界ではなくなる」と結論づけています。12年の段階で、ガザ地区内に供給される電力は約240メガワットでしたが、当時すでに電力需要は360メガワットに達していた。そして人口増加に伴って20年の電力需要は500メガワットを超えるだろうとリポートは予測していました。先ほどお話したように、電力が足りないと汚水の処理ができず、飲料水も確保できない。クリニック、病床、学校の教室も人口に対して全然足りていない。

 イスラエルはハマスを殲滅するためとしてガザを空爆していますが、それによってガザの住民3万人超が亡くなり(2月29日時点)、その半数以上は女性、子どもだと言われています。あえて子どもを狙っているわけではありません。ガザ地区は人口構成上、子どもが非常に多く、18歳以下の人口が全体人口の半分を占めています。同じ確率で爆弾が当たるのであれば、当然、子どもたちの犠牲が多くなるわけです。

「共犯者」が潜むUNRWAへの支援停止は適切か

――今回の件で気になるのが、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)という組織です。一部職員がイスラエル攻撃に関与したとされ、日本も含めた西側のいくつかの国がUNRWAへの支援拠出金をストップさせています。

鈴木 UNRWAは、国連が発足してかなり初期のころにつくられたパレスチナ難民支援の枠組みです。UNRWAの特徴は2つあります。1つは、市民行政を担っていること。難民は無国籍状態で、周辺国や国ではない地域に放り出されてしまう。そこでUNRWAは、子どもやお年寄りなど、教育や医療が必要なパレスチナ難民に行政サービスを提供してきました。

 もう一つの特徴は、パレスチナ難民を大量に雇用していることです。UNRWAは、食料や現金の配布といった支援だけではなく、職業訓練の意味も込めて難民たちを積極的に雇い入れ、教師や看護師、事務職員などの職に就かせています。そのため、ほかの国連機関に比べると人件費の割合が大きい。

 そうして雇われたパレスチナ人が数万人単位でいますが、その中に、ハマスの越境攻撃に参加した可能性がある職員が12人いると一部で報じられました。UNRWAに資金を拠出してきた米国や日本やドイツなどは、資金がハマスの不法な活動に流用されている恐れがあるとして、拠出を一時止めました。これらの国の合計拠出額は、UNRWAの資金源の約7割に達します。

 数万人いる職員のうち、12名の疑惑を理由に資金源の大半を絶ち、いわばパレスチナの市役所や学校の機能をシャットダウンさせることが正しい行為かというと、私は疑問です。イスラエルへの攻撃に関わった職員がいればその人物の責任は問うべきだと思いますが、UNRWAの活動を止めれば、ガザ地区以外の支援にも影響が出てきます。例えば、ヨルダン川西岸地区やレバノン、シリア、ヨルダンなどでもUNRWAは活動しています。12人の疑惑を理由に、パレスチナ難民500万人に対する行政サービスを止めることは、非常に深刻な事態です。

 米国に追随した面はあるでしょうが、日本の拠出停止は悪目立ちしてしまいました。昨年は、日本がUNRWAに拠出金を出し始めてから70周年の節目でした。ガザ地区から難民の子ども3名を日本に招待したり、閣僚経験者が出席する記念シンポジウムなどが日本で開かれたりしました。UNRWA支援を通じて、パレスチナ社会に「日本はこれだけ長い間皆さんに寄り添ってきました」とアピールした矢先だったからです。

(第2回に続く)


鈴木 啓之:東京大学大学院総合文化研究科 特任准教授。2010年3月に東京外国語大学外国語学部卒業、2015年5月に東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学の後、日本学術振興会特別研究員PD(日本女子大学)、同海外特別研究員を経て、2019年9月から現職。博士(学術)

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