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2024.04.24 安全保障

西側を脅かす中露、その価値観の理解と冷静な判断が必要な理由
河野元統合幕僚長が語る「日本の安全保障」(1)

実業之日本フォーラム編集部

 世界の安全保障上のホットスポットはウクライナ、パレスチナ自治区ガザ地区、台湾の3カ所にある。ウクライナ戦争は「ロシアが侵攻するはずがない」という西側の損得に基づく判断が裏目となり、民主主義的価値観を否定して現状変更を図る勢力が台頭する。
 ガザ地区ではイスラム組織ハマスとイスラエルとの衝突が激化。ハマスと関係の深いイエメンの親イラン武装組織フーシ派が紅海で商舶を攻撃したことに米英軍が報復する事態に発展し、周辺地域への拡散リスクが高まる。
 経済成長を遂げ大陸国家から海洋国家に変貌した習近平体制の中国は、海洋上に対米国防ラインを引き内側の聖域化を目指す。そのために喫緊の課題となるのが台湾統一だ。
 レアルポリティークの時代が再来する中、日本の安全保障のあり方も問われている。第5代統合幕僚長を務めた河野克俊氏に緊迫する国際情勢や今後の展望について聞いた。

※本記事は、2024年3月13日開催の「地経学サロン」 の講演内容をもとに構成したものである。(構成:一戸潔=実業之日本フォーラム副編集長)

 日本の安全保障体制について触れる前に、今の国際情勢について確認したいと思います。まず、ウクライナ戦争は、戦争自体の影響もさることながら、国際秩序に対するインパクトという意味でも極めて大きい出来事です。

 国連総会のロシア侵攻を非難する決議案は、侵攻直後の2022年には141カ国が賛成、5カ国が反対、35カ国が棄権。翌23年にも141カ国が賛成、7カ国が反対、32カ国が棄権となり、圧倒的多数で採択されました。

 しかし、侵攻から丸2年経過した今年2月には、決議案の提出すら見送られてしまいました。そもそも国連は、「国際関係における武力行使禁止」という国連憲章に違反する常任理事国・ロシアの行動を止められなかった。

 英国「エコノミスト」誌の調査部門が世界の民主主義指数を発表していますが、ロシア避難決議案に棄権した国の大半は、民主主義国家ではなく、おおむね「グローバルサウス」に区分される国々です。民主主義的価値観が必ずしも国際社会で共有されているわけではないと言えるでしょう。

民主主義の押しつけに反発

 今、世界を俯瞰すると、3つの“ホットスポット”があります。ウクライナ、イスラエルとハマスが交戦するガザ地区、潜在的に有事の要素がある台湾です。中でも、ウクライナ戦争を通じて、漠然としていた世界の対決構図が徐々にはっきりしてきました。西側にいると「自由民主主義が良くて専制主義は悪い」と思いがちですが、冷静な判断に支障をきたすので私は次のように分類しています。

 まず、米国や日本、欧州、豪州といった西側諸国は、今の国際秩序は正しいと考え、武力による現状変更に反対するグループ。一方、ロシアや中国、北朝鮮、イランなどは西側諸国が是とする国際秩序を否定し、新たな秩序の必要性を訴えるグループです。この両者の敵対関係が強まっています。

 われわれ西側諸国では、ウクライナ戦争の前まで、ロシアが同国を「侵攻するはずがない」という見方が大勢でした。もし侵攻すれば、西側はロシアに対し、ドル決済システムからの締め出しや石油の輸入禁止といった強烈な経済制裁を行い、ロシアは大きな痛手を受けることになるからです。

 ところが、ロシアや中国、イラン、北朝鮮などのグループは、経済上の損得を超えるイデオロギーや理念を持っているので、たとえ経済制裁を受けても「断固としてやる」と考えるわけです。こうした価値観を持つ国々があることを認識する必要があります。

 民主主義や自由主義はある程度安定した国には非常によいシステムですが、混乱状態にある国に適用するのは難しい。米国は、民主主義や自由主義を最高の価値観としてグローバルサウスに押しつけ、反感を買っている面があります。一方、ロシアや中国は自分たちの価値観を前面に出すのではなく、利害も交えてグローバルサウスに接近しています。こうした点を西側諸国はよく考えるべきです。

米中が対峙する「第1列島線」

 もう一つのホットスポットである台湾の有事を考える前に、中国にとって台湾がどのような存在であったかを確認する必要があります。毛沢東から鄧小平が指導していた時代の中国は純粋な大陸国家で、かつ、中国にとって最大の脅威であり、敵は、長い国境線を接する旧ソ連でした。当時は米国や日本と組んでソ連に対処していたのです。ところが、鄧小平が改革・開放政策で海外の資本や技術を取り込み、一気に経済成長を遂げると、中国は大陸から海洋進出を図るようになります。

 経済成長には、豊富な海洋資源、貿易路が必要であり、これは全て海にあります。現在の習近平体制の中国は、大陸国家から海洋国家に変貌しており、彼ら自身も「海洋強国を目指す」と言っています。それが故に、中国は米国と対決せざるを得なくなり、その舞台も太平洋、東シナ海、南シナ海などの海洋になるわけです。

 日本列島から南西諸島、台湾の外側を通り、フィリピン、南シナ海に抜ける海洋上に「第1列島線」という中国が独自設定した軍事的防衛ラインがあります。中国はこれより内側(西側)を聖域化すると述べています。A2/AD(Anti-Access/Area Denial)と言われ、「接近阻止・領域拒否」を意味します。中国が米国と対決する場合、第1列島線を守ることが前提になります。

 中国が第1列島線の内側を統制するには、「香港」「台湾」「尖閣」がカギとなります。このうち香港は、英国からの返還後50年間は独自性の維持を認めるとした一国二制度が形骸化し、国家安全維持法で完全に抑えつけられています。

 残る台湾と尖閣が今の中国にとって、米国と対決する上で中長期的に解決すべき課題です。とりわけ台湾については、習近平政権の第3期目が終わる2027年までに両岸(中国・台湾)統一に係る成果を上げておかないと4期目を目指すのは難しいと考えるでしょう。われわれは、台湾統一に向けた現状変更を中国にさせないよう努力しなくてはなりません。

他国軍と違うポジリスト方式

 地理的な近さと良好な関係から、台湾は、有事対応において、日本に大きな期待をかけています。ただ、台湾の人々は、自衛隊に課せられた独特の制約について十分に理解していないと思います。自衛隊は、世界各国の軍隊と違って基本的に警察の延長線上にあり、警察予備隊あるいは海上保安庁が分離・独立してできた歴史があります。

 そのため、日本の防衛法制は警察予備隊が採用していた「ポジティブリスト方式」を踏襲し、やっていいことだけが書かれています。逆に言うと、書かれていないことはできない。つまり、台湾有事の際も、自衛隊法に記載されていないことはできないということです。他国の軍隊では、やってはいけないことだけが規定され、残りは全て認められる「ネガティブリスト方式」が普通です。

 台湾有事において自衛隊ができることは3つしかありません。第一に、政府が日本の安全保障に重要な影響を及ぼす「重要影響事態」と認定すれば、自衛隊は米国に、補給や整備などさまざまな後方支援ができます。ただし、この場合は米国が台湾有事に軍事介入することが前提です。

 第二に、日本の平和と独立が根底から覆される明白な危険がある「存立危機事態」と認められる時は、攻撃を受けていなくても防衛出動が可能です。第三に、実際に日本にミサイルが撃ち込まれると、これは明らかに攻撃されたことになるので防衛出動となるわけです。

 いずれも米国の後方支援もしくは日本を守るための行動に限られます。よって、台湾本土に乗り込んで台湾軍と一緒に戦うことは法律的な根拠がないのでできません。ただし、日本を守るために行動することで、もし中国軍と戦うことになれば、間接的に台湾の防衛に寄与することはあり得ると思います。

 また、日本の防衛装備移転3原則上、紛争当事国への武器提供は認められません。日本が直接台湾に対して攻撃兵器や武器弾薬を提供することができませんので、この点についても議論をしていただきたい。

ウクライナに一銭も出さない

 台湾有事のみならず、民主主義陣営のリスクという意味では、11月の米大統領選挙も懸念材料です。ドナルド・トランプ前大統領が有力候補になっていますね。トランプ氏の基本姿勢は「アメリカファースト」。ただ、前回の1期目は、ビジネスの世界からいきなり政界に進出したため、外交や防衛について未経験でした。それでも当時は経験豊かな安倍晋三元総理大臣(2022年7月死去)がいましたので、安倍氏に教えを請う形で、日米が歩調を合わせることができたし、国際社会への動揺も小さく済みました。

 しかし、安倍氏亡き後、トランプ氏が再選して2期目となれば、今度は自分がキャリアを積んだ大統領となりますので、アメリカファーストにさらに磨きをかけるはずです。NATO(北大西洋条約機構)からの離脱もあり得ますし、日米同盟や米韓同盟の行方にも注意する必要があると思います。

 ハンガリーのビクトル・オルバン首相が3月にトランプ前大統領と会談した内容によると、トランプ氏は大統領選で再選されれば「ウクライナには一銭も出さない」と言ったそうです。恐らくそういうスタンスで行くでしょう。

 では、台湾に対してトランプ氏はどういう姿勢で臨むのか。中国に強硬な態度をとっていたので、「台湾に手を出せば必ずトランプが介入するはず」との見方を示す人もいます。実は、私が統合幕僚長のときの米大統領がトランプ氏でした。私の見立てでは、彼は理念の人ではなく、利害の人です。それを一番認識したのが2018年6月の非核化を巡る米朝交渉のときでした。北朝鮮の金正恩委員長が求めた話し合いにトランプ大統領は即座に応じ、シンガポールやベトナムのハノイで米朝初の首脳会談を行いました。

 残念ながら交渉は決裂し、北朝鮮に1発のミサイルも、1発の核も放棄させることはできませんでした。トランプ大統領が軍事プレッシャーをかけ続け、ようやく相手が話し合いに乗ってきたわけです。それが決裂したのであれば、軍事プレッシャーに戻るのが普通であり、常套手段と思うわけです。

 ところが、トランプ大統領は米朝交渉が決裂した瞬間、北朝鮮への興味を急速に失い、半島有事を牽制する役割を担う米韓演習の費用負担をやめようとしました。また、北朝鮮が日本海に変速軌道の弾道ミサイルを撃ち出すと、トランプ大統領は「あれぐらいのことはどこの国でもやっているので問題ない」と放置しました。それで北朝鮮がさらにエスカレートしたというのが実情です。

 トランプ氏には、そういうところがあります。米国から見て遠い小さな島国のために、なぜ米国人が血を流し、莫大な予算をつぎ込む必要があるのかと考え、「これは日本の話」と言いかねない。そこは非常に注意を払わなくてはなりません。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領や中国の習近平総書記はトランプ大統領時代の1期目を見て、それなりに情報収集し、分析していると思います。トランプ氏が再選した場合、習総書記は台湾に侵攻したとしても米国は出てこないと判断する可能性があります。

(第2回に続く)


河野 克俊:川崎重工業株式会社 顧問
1977年に防衛大学校機械工学科卒業後、海上自衛隊入隊。第三護衛隊群司令、佐世保地方総監部幕僚長などを経て、海将に昇任し護衛艦隊司令官、統合幕僚副長、自衛艦隊司令官、海上幕僚長を歴任。2014年、第五代統合幕僚長に就任。3度の定年延長を重ね、在任は異例の4年半にわたった。2019年4月退官。川崎重工業株式会社顧問。筑波大学国際学修士。著書に『統合幕僚長 我がリーダーの心得』(ワック出版局)がある。

実業之日本フォーラム編集部

実業之日本フォーラムは地政学、安全保障、戦略策定を主たるテーマとして2022年5月に本格オープンしたメディアサイトです。実業之日本社が運営し、編集顧問を船橋洋一、編集長を池田信太朗が務めます。

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