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2023.02.08 安全保障

島一つの水没が日米共同のネックに…国のパワーバランスをも左右する「気候安全保障」

小野 圭司

 2022年12月16日、「国家安全保障戦略」が国家安全保障会議および閣議で決定された。そこには「気候変動」の語が頻繁に表れている。13年12月に決定された「国家安全保障戦略」にも気候変動への言及はあるが、当時は地球規模でのリスクの一つという漠然とした認識だった。しかし新しい「国家安全保障戦略」では、気候変動対策は日米同盟の強化や軍備管理、国際テロ対策などと並んで、「我が国が優先する戦略的なアプローチ」における「外交を中心とした取組」に取り上げられている。

 気候変動への対応は全地球的な課題であり、軍事・安全保障とは大きく二つの方向で関わっている。一つは安全保障の環境変化で、具体的には北極海の海氷減退が引き起こす地政学的影響、海水面上昇による領海・EEZ(排他的経済水域)の変化、水産資源を巡る争いなどが該当する。もう一つは軍の運用に関することであり、増大する自然災害への対応やそのための外国軍隊への能力構築支援がある。本稿では気候変動問題に対して、軍事・安全保障の観点から概説する。

北極海の海氷減退は軍事活発化の契機にも

 地球温暖化・気候変動に関連する地政学上の大きな問題に、北極海での夏期海氷減退を背景とする経済権益を巡る争いがある。具体的には、北極海航路の開拓と北極海およびその沿岸に賦存(ふぞん。潜在的に存在する様子)するエネルギー・鉱物資源の開発だ。例えば地球上にある未発見の石油の13%、天然ガス資源の30%が北極圏に存在し、そのほとんどが採掘の容易な浅海域に賦存するとみられている。北極海沿岸では最大規模の石油・液化天然ガス田を抱えるヤマル半島での開発計画には、日本企業も出資している。

 北極海の海氷減退とそれに伴う航路の開拓は、経済活動だけではなく、軍事活動も容易になることを意味する。ロシアから見ると、北極海を挟んで米国やカナダと対峙し、北欧諸国や英国とも向き合っており、新航路によって北方からの脅威が増すことになる。

 ただ、ロシアにとっての北側からの脅威は海氷減退によって顕在化したものではなく、第二次世界大戦中に地政学の論陣を張ったニコラス・スパイクマンが、80年前に『米国を巡る地政学と戦略:スパイクマンの勢力均衡論』の中で既に指摘している。

 ロシアのプーチン大統領は2007年8月、冷戦後に停止されていた戦略爆撃機による北極圏の哨戒飛行再開を命じた。12年にはフィンランドとノルウェーに接するコラ半島で大規模軍事演習を行い、その後は同半島に極地戦旅団を配置したほか、北極圏での航空基地建設、レーダーや地対艦ミサイルの配備などを行っている。軍政面でも21年には、コラ半島の付け根にあるムルマンスク軍港に司令部を置く北方艦隊が北部軍管区に昇格し、極地で陸海空の3軍を統合運用する体制が整備された。

 これに対し、米国も2018年には27年ぶりに空母を北極圏に派遣し、NATO(北大西洋条約機構)による大規模演習に参加した。この演習にはNATO非加盟国のスェーデンとフィンランドも参加している。22年2月のロシアによるウクライナ侵攻でNATO加盟を申請した両国だが、北極圏でのロシアの軍備増強に対しては既にNATOと歩調を合わせていた。また、17年には米海軍がアイスランドに哨戒機を配置し、21年からは米空軍がB—1爆撃機をノルウェーに配備してコラ半島北側のバレンツ海で哨戒飛行を行っている。

 北極圏に関する軍事・安全保障の対話枠組みとして、ロシア、ノルウェー、デンマーク、カナダ、米国、スウェーデン、フィンランド、アイスランドの8カ国による参謀総長級のASFR(北極軍事安全保障軍事会議)があったが、ロシアがクリミア半島に侵攻した14年以降開催されていない。この度のウクライナ侵攻で、ASFRの再開はさらに難しくなっていると考えられ、北極海を巡る安全保障環境の安定化にロシアを関与させることは当面困難な状況にある。幸いこの会議は、西側諸国中心の構成となっている。ロシアの孤立化は決して望ましいことではなく、西側の価値観に立脚する枠組みに引き入れると当時に、参謀総長級だけではなく、外務・防衛・経済を包含する会議の構築も一考に値しよう。

水没迫る沖ノ鳥島は日米同盟の要

 2000年前後には、地球温暖化による海面上昇で、南太平洋にある島嶼(とうしょ)国ツバルの水没危機が喧伝された。これは日本にとっても他人事ではない。日本では沖ノ鳥島などが水没の危険にさらされており、これは地政学上の問題とも絡んでいる。

 東京から南へ約1700km、沖ノ鳥島は日本最南端に位置している。同島が擁するEZZは42万km2に及び、これは日本の陸地面積(38万km2)を上回る。この海域はカツオやマグロなどの回遊魚の産卵場で、海底にはエネルギー源としての期待も高いメタンハイドレートやマンガンその他の鉱物資源の存在も確認されている。

 軍事的観点では、沖ノ鳥島は米軍の主要基地が集まるグアム島と、台湾や沖縄とのほぼ中間に位置する。また、沖ノ鳥島は深い海底から突き出る形となっており、島の周辺は水深4000~7000mである。この海域で中国が潜水艦を展開すると、グアムから台湾や沖縄に航行する米軍の艦艇にとって大きな脅威となる。台湾周辺や東シナ海で緊張が高まった場合、グアムを拠点とする米軍はこの海域を通って派遣される。そのためには、沖ノ鳥島が「同盟国・日本の領土」として存在することは極めて大きな意味を持つ。

 ただし、中国や韓国などは、沖ノ鳥島が「国際海洋法条約」に定める「島」としての要件を満たしていないと主張する。「島」として認められない場合、日本はこの海域の領海とEEZを喪失するが、国連大陸棚限界委員会は2012年4月、沖ノ鳥島を起点とする大陸棚を認定した。つまり沖ノ鳥島は現状では、「国連海洋法条約」上の「島」であるとされている。しかし中韓は主張を変えていない。

 2020年7月、中国の海洋調査船がわが国に無断で、沖ノ鳥島北方のEEZ内において海洋調査と思われる活動を行っていたことが海上保安庁によって確認された。仮に沖ノ鳥島が水没して国際的に「島」と認められなくなると、中国はより積極的に「海洋調査」を推し進めるだろう。「海洋調査」で得られる海流・水温・塩分濃度などは海中での音響伝播に影響を与えることから、そのデータは潜水艦の運用・探知にとって重要な情報だ。日本としてはこれからも沖ノ鳥島の護岸が侵食されないよう注意を払うとともに、同島周辺のEEZ内での外国船舶の活動には毅然とした対応をとることが求められる。

海水温上昇で激化する水産資源の争奪

 日本は水産大国であり、周辺海域は良好な漁場に恵まれている。また、世界中にある約320万隻の漁船のうち、半数以上が南シナ海と東シナ海で操業している。しかし、南シナ海と東シナ海での漁獲高は、世界の2割以下に過ぎない。このことが示すように日本の周辺では水産資源を巡り過当競争状態にあり、近年の海産物需要の高まりは乱獲も引き起こす。加えて、海水温上昇も漁業資源を減少させる要因として懸念されている。

 香港にあるADMキャピタル財団の調べ(2016年)によると、現状のまま地球温暖化対策を施さない場合、南シナ海での漁業資源はほぼ全種類で減少する。その減少幅は2045年までにカニ、イワシ、マグロなどで20%前後、エビ、ズズキ、タイでは30%以上に及ぶ。温暖化・海水温上昇で漁場は北上し、世界の半数以上の漁船もそれを追って南シナ海・東シナ海から北上してくるだろう。

 これは二つの点で安全保障上の問題を生起する。第一は中国漁船のさらなる活動だ。1995年にレスター・ブラウンが『だれが中国を養うのか? ――迫りくる食糧危機の時代』を著し、生活水準が向上した中国による肉食の増加、それに伴う飼料穀物市場への影響について警鐘を鳴らした。ところが、21世紀も4分の1が過ぎようとしている現在、中国の旺盛な食欲は海産物へと広がっている。2020年の中国の漁獲高は世界の15%を占めており、これは日本の3倍を超える。西太平洋に限ると、17年時点でこの差は5倍に拡大した。

警棒と放水銃での漁業取り締まり

 第二の問題は、海水温上昇による漁場の北上だ。日本のEEZ内にある大和堆(やまとたい)や世界の三大漁場にも数えられる三陸沖の良好な漁場は、海水温が上昇すると漁場そのものが北上し、日本のEEZからはみ出る。将来的にはロシアが主張するEEZに入る可能性も否定できない。

 この海域では、現在でも外国漁船による違法操業が横行している。日本で漁業取り締まりを所管する水産庁が保有する漁業取締船は9隻で、民間から借り上げた「用船」を含めても46隻に過ぎない(水産庁漁業取締本部「令和4年度漁業取締方針」)。この勢力で、オホーツク海から小笠原諸島や南西諸島に至る、世界で6番目に広いEEZでの漁業取り締まりを行っている。

 違法漁船の中には火器を持っていたり、海上民兵が紛れたりしている危険もある。米国や韓国では、漁業取り締まりは沿岸警備隊・海洋警察庁が担当し、船艇は重火器を装備している。中国での漁業取り締まりは中央軍事委員会指揮下の武装警察部隊・中国海警局が行い、フランスでも同様の組織である海上憲兵隊は海軍の指揮を受ける。ノルウェーで漁業取り締まりを担当する沿岸警備隊は海軍に所属し、英国ではそれは海軍の所掌となっている。戦前の日本もそうで、小林多喜二の『蟹工船』にはカムチャッカ半島沖のオホーツク海で漁業取り締まりを行う海軍の駆逐艦が登場する。これらに対し、水産庁の漁業取締船が有している装備は放水銃や警棒のみである。

 長期的に懸念されるのが、海賊の違法漁業への進出だ。現代の海賊は、船荷の強奪や船員誘拐による身代金獲得を主な収入としている。その活動は2000年前後からマラッカ海峡、ソマリア沖、インド洋、西アフリカで見られたが、国際的な取り組みも奏功して近年では大きく数が減少している。彼らの多くは生来の海賊ではなく、困窮した漁民が生活の糧を得る手段として「海賊を選んだ」。つまり、海賊で収入が得られなくなると漁業に戻る可能性は高く、昨今の海産物需要に鑑みると、海賊たちが違法漁業に手を広げることも考えられる。

異常気象の多発で災害派遣の負荷が増大

 地球温暖化・気候変動は、軍や自衛隊の運用にも影響を与えている。まず異常気象の多発による災害派遣がある。自衛隊の災害派遣人員数は、2011年の東日本大震災時の1074万人は別格として、18、19年は豪雨や台風で100万人を超えており、近年は緩やかながら増える傾向にある。

 東日本大震災がそうであったように、大規模災害に際して外国の軍隊が被災国へ救援部隊を派遣することがあるが、これは派遣する側にとって大きな負担だ。異常気象による災害の増加傾向を踏まえると、現地軍の災害対処能力を向上させることが望ましい。自衛隊も外国の軍隊に対して人道支援・災害救援(HA/DR)の能力構築支援を行っているが、広い意味で気候変動に向けた対応である。

 自衛隊ではこれまでに、東ティモール、ベトナム、ミャンマー、パプアニューギニア、フィリピン、マレーシア、インドネシア、ブルネイ、ラオス、モンゴル、それにASEAN(東南アジア諸国連合)にHA/DRの能力構築支援を行っている。またウズベキスタン、カザフスタン、スリランカ、フィジーには衛生に関する能力構築支援を実施しているが、これは災害時における軍の民生支援能力を向上させる効果が期待される。

「災害多様国」ならではの能力構築支援

 HA/DRの能力構築支援に関しては、その件数も2012年1カ国、17年には4カ国だったのが、22年には8カ国と増加傾向にある。自衛隊は災害派遣において、地震や火山噴火の他に熱帯性の台風から寒冷地の豪雪まで、あらゆる災害に対処してきた経験を誇る。このことからもHA/DRの能力構築支援は、自衛隊が優位性を発揮できる分野である。

 ただ、他国の軍に対してHA/DRの能力構築支援を行う場合、支援提供を行う「ドナー国」の間で争いを引き起こすこともあり得る。特に開発途上国の場合、治安維持を担う軍は政権幹部と属人的なつながりを有しており、軍への接近はその国との関係強化の手段となる。既にインド太平洋・アフリカでの開発援助で見られるように、西側諸国と中露などとの間で、HA/DRの能力構築支援における「提供競争」も現実味を帯びてくる。

 実際にフィジーなどの島嶼国では、中国が経済支援と合わせ軍事的な影響力を高めている。なお、2022年に実施されたフィジーへの衛生分野の能力構築支援は、日本との防衛協力を深めているオーストラリアとの共同で行われた。

環境性能証明が防衛装備品に求められる日も

 最近は気候変動と安全保障の関係で、新しい動きが観察される。EU(欧州連合)の「デジタル製品パスポート(DPP)」構想だ。原材料の採掘や加工・製造の経歴、製造から利用・廃棄に至る期間での温室効果ガス総排出量、再生材の利用比率、再利用の可能性などの情報を製品ごとにデータベースとして管理・公表することを目指している。現在は蓄電池についてDPPの導入が準備中で、順次対象分野は拡大される見込みである。

 このことは防衛装備品の分野で、わが国の安全保障に関わってくる。冒頭で挙げた「国家安全保障戦略」を含むいわゆる防衛3文書のいずれにも「防衛装備移転の推進」の項目があり、なかでも「国家防衛戦略」では、英仏独伊などと防衛装備・技術協力を実施すると記されている。

 わが国は、英仏独伊やスウェーデンなどと「防衛装備品・技術移転協定」を締結するなど、同盟国の米国に加え、EU加盟国や英国とも装備品の研究開発を拡大しつつある。既に英国とは空対空ミサイル・化学/生物防護技術・RFセンサ(電子戦に対応する電磁波センサ)などの、フランスとは機雷探知システムの共同研究を始めている。さらに2035年度までに開発完了を目指している次期主力戦闘機は、英国・イタリアとの共同開発計画となっている。

 しかし近い将来、EUや英国は防衛装備品の移転などに際して域外国にDPPの提示を求めることも考えられる。DPPに対応していない、あるいは対応していても内容がEUの基準を満たさない国や企業は、防衛装備品の移転はおろか、共同研究・開発の段階で排除される恐れがある。
 
 気候変動への対応においても、軍が直面する課題は地政学的戦略環境の変化から能力構築支援、装備品の共同研究開発まで幅広い。そして気候変動への対応については、西欧諸国に一日の長がある。これまで日本の安全保障政策は、米国との同盟関係を軸に構築されてきたが、気候変動への対応を包含する安全保障においては、価値観を同じくする西欧諸国やアジア各国との連携も深めることが求められよう。

小野 圭司

防衛省防衛研究所 特別研究官
1988年3月京都大学経済学部卒、住友銀行(現・三井住友銀行)を経て、1997年1月防衛庁防衛研究所に入所、社会・経済研究室長などを経て2020年4月より現職。著書に『日本 戦争経済史』(日本経済新聞出版、2021年)など。

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