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2022.09.15 安全保障

『ロシア連邦海洋ドクトリン』2度目の改訂、海軍活動の世界的拡大を企図 

木村 康張

 2022年 7 月 31 日、ロシア第二の都市サンクトペテルブルクで開催された「海軍記念日」記念式典に参加したプーチン大統領は、海洋戦略に関する重要文書『ロシア連邦海洋ドクトリン』の改訂(法令第 512号)を承認する大統領令に署名した。

 ロシアにおける戦略文書の体系は、まず『国家安全保障戦略』を策定し、同戦略を受けて国家安全保障を確保する分野における国家政策=ドクトリンを策定するという形でまとめられる。これらの戦略文書はおおむね6年ごとに見直される。今回のドクトリン改訂は、2021年7月に改訂された国家安全保障戦略が改訂されたことを受けたものだ。同戦略の改訂版では、「ロシア国境付近におけるNATO(北大西洋条約機構)の軍事施設の増強、諜報活動の強化」、「ヨーロッパとアジア太平洋地域における米国の中距離・短距離ミサイルの配備」が盛り込まれ、従来と比較して具体的脅威が記述されている。

 ロシア連邦海洋ドクトリンは、プーチンが第2代ロシア大統領に就任した翌年の2001年7月に制定され、海洋活動と海軍活動に関わる公式な国家の政策原則を初めて公表することとなった。その後、2015年7月に改訂され、今回が2度目の改訂となる。2015年版ドクトリンは6章構成であったが、今回の改訂で10章構成とし、文量も約1.3倍に増え、詳細かつ具体的な内容となった。そこで本稿では、「脅威」、「国家海洋政策の地域的関心」、「重視する軍事協力関係」、「海外活動の支援拠点」に焦点を絞って2015年版と今回のドクトリンを比較し、ロシアの海洋政策の変化と注目すべき点を見ていきたい。

西側諸国によるロシアへの圧力を強く意識

 2015年版は、ロシアにとっての脅威を、①海洋方向からの国家安全保障に対する脅威、②国境の不可侵性に対する脅威、③資源に対する潜在的な脅威――と、抽象的に表現していた。

 これに対し2022年版は、①海洋方向からの国家安全保障に対する脅威の具体的項目として、「世界の海洋を支配する米国の戦略方針」、「同盟国の海軍能力向上という米国の願望」、「ロシアの海洋へのアクセスを制限する米国の願望」、「国境地域でのNATOの部隊や軍事施設の展開」、「隣接海域でのNATO統合部隊の演習数の増加」の5点を挙げた。米国と同盟国による海洋支配と、NATOの東方拡大を脅威と見なし、詳述している。

 項目自体が変更された箇所もある。②国境の不可侵性に対する脅威は、「沿岸・島嶼に関連するロシアに対する領土請求」に変更された。ロシアに対し領土返還要求を行っている国には日本が含まれており、北方領土返還に係る日露交渉の道を完全に閉ざす規定とみることができる。③資源に対する潜在的な脅威も、「北極圏における外国海軍のプレゼンスの増強」に変わった。北極海の排他的経済水域や大陸棚の資源に対する脅威が顕在化しているとの認識を示したものと思われる。

 さらに、新たな項目として、「ロシアに対する経済的・政治的・軍事的な圧力」と「国際海峡の既存の法制度を変更しようとする試み」が加わった。このうち前者は、ロシアのウクライナ侵攻による国際社会からの経済制裁やウクライナへの軍事支援を示していることは明白である。後者は、2022年2月に生起した米国潜水艦によるウルップ島領海内潜没航行事案に起因するものと思われる。

 ウルップ島の事案は、ロシア太平洋艦隊がオホーツク海で演習を開始した翌日の2022年2月11日、ロシアのIL‐38対潜哨戒機が千島列島にあるウルップ島の領海内で潜没航行する潜水艦を探知したため、ロシア海軍のウダロイ級駆逐艦が同潜水艦に浮上要求し、発音弾による警告を実施したものである(図1)。ロシア海軍は、潜水艦が米海軍ヴァージニア級潜水艦と判断し追尾を継続、探知から3時間後に同潜水艦は太平洋へ離脱したと主張している。

【図1】米国潜水艦によるウルップ島領海内潜没航行事案
(資料)タス通信などロシア側報道記事(2022年2月12日~14日)を基に筆者作成

 ロシア政府は、外交ルートで米国政府に抗議した。国連海洋法条約第20条の「潜水船その他の水中航行機器は、領海においては、海面上を航行し、かつ、その旗を掲げなければならない」と定められていることに、米海軍潜水艦が違反したとの抗議であった。これに対し、米インド太平洋軍報道官は、「われわれの潜水艦は国際航行に使用される海峡を航行した」と反論した。

 本事案の実態は不明だ。ロシアによる自作自演の「偽旗作戦」なのか、米国が主張するウルップ北東海域における「通過通行権」の行使なのかは判断できない。ただ、いずれにしてもロシアは、「米海軍が千島列島のロシア領海で構成される海峡を『国際航行に使用されている海峡』と主張し、通過通航権の行使として潜水艦を潜没航行で通峡させる」ことを脅威と認識していると思われる。

オホーツク海は「聖域」…進む千島列島の武装化

 今回の改訂は「記載順序の変更」も注目される。2015年版ドクトリンでは、国家海洋政策の地域的関心を、大西洋、北極海、太平洋、カスピ海、インド洋、南極海の順で記述していた。これが2022年版では北極海、太平洋、大西洋、カスピ海、インド洋、南極海となり、大西洋が後順位に下がった。記載順が重要度を示しているのかどうか不明だが、わざわざ変更することには何らかの意図があろう。ロシアは、大西洋への関心が薄れたというより、「国益」の観点から北極海と太平洋への地域的関心を高めたものと推定される。

 また、「国家海洋政策上の重要な海域」という項目も2022年版ドクトリンで新設され、「国益を確保するための重要な海域」と「戦略的に重大な影響を及ぼす海域」に分けて記述されている。前者の「国益を確保するための重要な海域」としては、ロシアの内水・領海と排他的経済水域、大陸棚に加え、ロシア沿岸の北極盆地、オホーツク海、カスピ海を挙げている。これらの海域の石油・天然ガスなどの海洋資源を確保することが国益に直結することを示したものと思われる。後者の「戦略的に重大な影響を及ぼす海域」としては、アゾフ海、地中海東部、黒海の海峡、バルト海の海峡、千島列島の海峡を挙げた。

 このうち、日本の安全保障に関わるのは千島列島である。千島列島の海峡は太平洋とオホーツク海を結び、海峡幅が広く公海で構成され水深の深いブッソ-ル海峡・クルーゼンシュテルン海峡と、海峡幅が狭くロシア領海で構成される海峡を合わせて26 海峡から成る。

 オホーツク海は、ロシアの弾道ミサイル搭載原子力潜水艦が展開する戦略的要衝地である。そのため、ロシアは千島列島の要塞化を着々と進めてきた(図2)。2016年11月に択捉島と国後島に、2017年2月にはカムチャッカ半島の潜水艦基地近傍に長射程対艦ミサイルが配備された。さらに2018年8月、択捉島に多用途戦闘機SU-35が配備され、2020年12月には択捉島と国後島、2021年3月には樺太南部とカムチャッカ半島に長射程対空ミサイルが配備されている。また、千島列島の中央部に位置するマトゥア島にも2021年12月に長射程対艦ミサイルが配備された。同島では長射程対空ミサイルの配備と艦艇基地の建設が進められ、オホーツク海の「聖域化」が着実に進展している。

【図2】ロシアによる千島列島の「要塞化」
(資料)ロシア通信社ノーボスチなどロシア側報道記事(2016年3月~2021年12月)を基に筆者作成

他国との軍事協力関係を見直し

 次に、軍事協力関係について見てみよう。2015年版ドクトリンでは、重視する軍事協力関係は、「北極諸国との積極的な協力」、「中国との友好関係の発展」、「アジア太平洋諸国との協力を強化」、「インドとの友好関係の発展」、「カスピ海諸国との協力の発展」とされていた。このうち、本稿の趣旨と関連が薄いカスピ海関係以外について確認していく。

 2022年版では、北極諸国との関係は「積極的な協力」から「北極海航路の海域における外国の海軍活動の統制」に変更された。北極海は、協力を進める海域ではなく、ロシアの影響力を高める海域と位置付けたことになる。太平洋諸国との関係については、「中国との友好関係の発展」を削除、「アジア太平洋諸国との協力を強化」は、「ASEAN諸国との善隣関係および互恵的な協力」に変更された。中国とは一定の距離を置き、ASEAN諸国への接近を示した。インドとの関係は、「インドとの友好関係の発展」から「戦略的パートナーシップと海軍協力の発展」に替えられ、より緊密な軍事協力関係を目指している。

海外活動の支援拠点はソ連時代から大幅縮小

 2022年版ドクトリンで新たに加わった項目としては、前述したもののほか、「海外活動の支援拠点」がある。具体的には、艦隊間の艦艇の移動を支援するため「アジア太平洋地域における後方支援拠点の確保」、地中海におけるプレゼンスを恒久的に確保するため「シリア以外の地中海における後方支援拠点の確保」、ペルシャ湾でのプレゼンス維持を目的とした「紅海・インド洋における後方支援拠点の確保」が挙げられている。

 冷戦期のソ連海軍は、海外の各地に後方支援拠点を置いていた(図3)。太平洋方面にはベトナムのカムラン湾、地中海方面にはシリアのタルトゥース、エジプトのポートサイド、アルバニアのヴロラ(バロナ)、インド洋方面にはイエメンのアデン、ソマリアのベルベラ、セーシェル諸島、大西洋方面にはキューバ、ギアナ、アンゴラ――に海外活動拠点を確保していた。現在、ロシア海軍が有する海外の後方支援拠点は、シリアのタルトゥース基地のみであり、世界規模での海軍部隊の展開に不可欠な海外の後方支援拠点の確保を目指している。

【図3】ソ連時代と現在のロシア海軍の海外後方支援拠点
(資料)世界週報臨時増刊号『米国防衛省報告書ソ連軍事力1986』(時事通信社、1986年6月1日)102~103ページを基に筆者作成

「大陸国家」「海洋大国」双方で力の拡大目指す

 2022年版ドクトリンの結語では、「ロシア連邦は、強力な海軍なしでは存在し得ない」とし、「世界最大の領土と海上国境の長さ、資源の広大な埋蔵量、人口は、偉大な大陸と海洋大国としての21世紀の存在と発展を決定付けている」としている。

 今回の改訂を見ると、ロシアは次のような海洋戦略を目指していると読み取れる。

  • ・「国益」として「領土の一体性の確保」を明記して日本やウクライナの領土返還要求を拒否し、
  • ・「ロシアに対する脅威」となる米国の海洋支配やNATOの東方拡大を退けるため、
  • ・「地域的関心」として「北極海」を最重要視して国益の確保に努め、
  • ・「戦略的に重大な影響を及ぼす海域」において海軍プレゼンスを発揮することを目指し、
  • ・「重視する協力関係国」を築き上げ、
  • ・「海外活動の支援拠点」を確保することにより、世界規模での海軍活動を確立する。

  

 ロシアは、強大な陸軍に支えられた大陸国家であるとともに、強力な海軍に支えられた海洋大国としての存在と発展を目指しているといえよう。

 ウクライナ侵攻によってロシアは国際社会からの非難と制裁を受け、国際的な孤立を深めている。もちろんロシアと協力関係にある国家はあるが、海洋戦略に直接関われない内陸国家が多い。例えば、ロシアとの共同作戦計画の策定を規定した『連合国の軍事ドクトリン(2021年11月)』を採択した唯一の国、ベラルーシは内陸国だ。また、旧ソ連の構成共和国が軍事分野における協力について規定した「集団安全保障条約機構(CSTO:Collective Security Treaty Organization)」の加盟国であるアルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、タジキスタンも内陸国家であり、海洋政策や海軍活動に関する協力は期待できない。

 他方、「国境地区における軍事分野の信頼強化に関する協定」の調印を目的に2001年6月に創設された「上海協力機構(SCO:Shanghai Cooperation Organization)」には、中国、インドとパキスタン(2015年7月加盟)、イラン(2021年9月加盟)といった海軍保有国が加盟しており、ロシアはSCO加盟国と海軍の共同訓練を積極的に行っている。

 今後、これらの共同訓練が、「信頼醸成措置」から「軍事協力」、さらに「軍事同盟」に発展するか否かが着目される。9月1日から開始されたロシア東部軍管区「ボストーク2022演習」にはCSTO加盟国に加えインド、ラオス、モンゴルなど計14カ国が参加している。

 海軍では、ロシア太平洋艦隊と中国海軍との共同訓練が計画されているが、重要なのはその内容である。陸上における訓練に加え、海軍演習に参加する3隻の中国海軍艦艇が、演習シナリオの中で太平洋艦隊の作戦部隊の一部として編成され、共同作戦行動を行うようなら中露軍事関係の緊密度は高まっているといえる。他方、従来の中露海軍共同訓練のように、演習全体の流れからは独立したイベントとして訓練を行えば両国の関係は「横ばい」だ。訓練内容に注目したい。

写真:ロイター/アフロ

木村 康張

実業之日本フォーラム 編集委員
第29期航空学生として海上自衛隊に入隊。航空隊勤務、P-3C固定翼哨戒機機長、米国派遣訓練指揮官、派遣海賊対処行動航空隊司令(ジブチ共和国)、教育航空隊司令を歴任、2015年、第2航空隊(青森県八戸)司令で退官。退官後、IT関連システム開発を業務とする会社の安全保障研究所主席研究員として勤務。2022年から現職。

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