ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は5月14日、新閣僚を任命する大統領令に署名し、5期目を迎えたプーチン政権が本格的に始動した。
前産業貿易相として産業・貿易政策を担当していたデニス・マントゥロフ氏が第一副首相に、元産業貿易省貿易規制局長で前カリーニングラード州知事として同地域の産業経済の発展に取り組んできたアントン・アリハノフ氏は産業貿易相に任命された。また、前国防相のセルゲイ・ショイグ氏は安全保障会議書記に就任。軍需産業を含む軍事技術分野の国家政策を検討する軍事産業委員会や、国防省から移管された外国との軍事技術協力の分野で管理を担当する軍事技術協力局を監督していくこととなる。
注目されるのは、経済畑の官僚が軍の主要部門に転出したことだ。元経済発展相で第一副首相として経済政策を担当していたアンドレイ・ベロウソフ氏は国防相に就き、国防次官(国防相首席補佐官)は元経済開発省次官で連邦会計検査院監査役のオレグ・サベリエフ元経済発展省次官が任命された(図1)。プーチン大統領は、なぜ軍事部門に経済官僚出身者を配置したのか。
【図1】通算5期目のプーチン政権閣僚人事
かりそめの経済成長
軍事部門に経済畑の閣僚が就任する背景として考えられるのは、膨らむ国防費に対して、経済的な合理性を取り入れることだ。
ロシアの2024年連邦予算では、国防費が前年比で約70%増、治安維持関係費等を含めると支出全体の約40%に達した。3月19日付のロシア・ビジネス紙「ロスビジネスコンサルティング(RBC)」によると、23年投資額の前年比は、国防分野への投資が37%増えたのに対し、国民生活に係る分野への投資は減少している(図2)。
【図2】国防関連費の増大が他の分野に与えている影響
一方で、戦時特需がロシア経済を支えている面もある。ウクライナ戦争が長期化する中にあっても、ロシアの実質GDP成長率は好調を維持している。ウクライナ侵攻の翌月に当たる2022年3月以降、西側諸国の経済制裁を受けてロシアの実質GDPは前年同月比マイナスで推移していたが、23年4月以降にプラス成長に転じた。主因は、軍需産業を中心とした製造業の成長だ(図3)。
【図3】製造業がけん引するロシア実質GDP
ただ、この経済成長は表向きのものだ。莫大な予算と労働力を軍需産業に集中させるため、民需産業を圧迫し、供給不足が発生してインフレ圧力を高める。ロシア銀行が発表するインフレ率(前年同月比)は、2022年4月に17.8%と急上昇した後にいったん落ち着きを見せ、23年4月に同2.3%と直近のボトムを付けたが、その後再び上昇して24年6月は同8.6%と高止まりしている。
このようなロシアの戦時経済について、EUのジョセップ・ボレル外務・安全保障政策上級代表は今年4月4日、「2023年にロシアで記録された経済成長は、1930年代にドイツで見られた『軍事ケインズ主義』政策の典型的な結果だった」と述べた。
「軍事ケインズ主義」とは、英国の経済学者ジョン・メイナード・ケインズが唱えた「財政支出が経済成長のけん引力になる」という理論を軍事面に応用し、軍事支出によって経済成長を図ることだ。だが、軍需企業が生産する武器や弾薬は戦場で消費されるので、民需の拡大には結び付かず、持続可能な成長戦略とは言い難い。ボレル外務・安全保障政策上級代表は、「軍需産業に予算と労働力を集中したことによる民需産業への圧迫、それによる民需製品の物価高騰など、ロシアで『軍事ケインズ主義』の負の側面が現出しつつある」と指摘している。
戦時経済に関するプーチンの真意は
このような状況について最も危機感を抱いているのは、ほかならぬプーチン大統領ではないだろうか。
今回の人事の狙いは、国防省の予算執行権限を抑制し、軍事予算の適正な管理を行うことにあると思われる。これまで大統領直轄であった国防省は、予算に関して政府を介在させずに独自に執行していた。軍事予算の管理が甘いため、政府の財政収支を悪化させ、幹部が収賄容疑で相次いで逮捕されるといった事態も生じている。今後は、マントゥロフ第一副首相を中心として、経済に明るいベロウソフ国防相とアリハノフ産業貿易相が、軍需・民需の配分を調整する形になる(図4)。
【図4】新人事による戦時経済の改革イメージ
プーチン政権は、軍・民双方の予算管理の適正化を図りつつ、軍需産業の多角化により軍民共用技術の開発・生産を促進するとみられる。この改革が軌道に乗れば、今後、軍需が減少する事態が生じても生産ラインを民生用に転換したり、軍需品の生産が削減されて失業した人を民間企業が吸収したりすることが容易になる。つまり、プーチン大統領は、「戦後」を意識して経済構造の段階的な修正を図っている可能性がある。
一方で、軍需と民需の均衡をとった経済構造を確立できれば、ロシアの継戦能力が高まるという見方もできる。筆者が以前指摘したように、ロシアは西側諸国から経済制裁を課されているにもかかわらず、中国など「非西側」との貿易を通じた原油収入などによって継戦能力を維持している。ロシアという資源大国がその気になって一部の国とつながれば、国力を保ちながら戦争を続けることも不可能ではない。これを本気で目指そうとしているのであれば、プーチンはウクライナと戦う意思を弱めていない。
プーチン大統領の思惑が、「戦後」を見据えた経済構造の構築にあるのか、「長期戦」に耐えられる戦時経済の改革にあるのか。今後の言動に注目していく必要がある。
写真:代表撮影/AP/アフロ
地経学の視点
苦戦が続くウクライナだが、4月に米議会が同国関連予算を承認し、米国によるウクライナ支援が再開された。米国が、供与した武器をロシア領内への攻撃に用いることを容認したことで、ウクライナは前線の劣勢をやや挽回したと伝えられる。自国領土の被害が拡大すれば、ロシア国民もプーチン政権への不満を募らせるだろう。
結局のところ、「軍事ケインズ主義」は目先の成長でしかない。「銃(軍需)とバター(民需)」の均衡のとれた経済を回復しなければ、国力はじり貧だ。ウクライナ戦争を自国有利な形で終結させるか、経済の構造改革を進めるか。5期目を迎えたプーチン政権に、課題は重くのしかかっている。(編集部)