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2023.07.11 経済金融

人民元の「サラミ戦術」と新興国の金シフト…ドルの地位は盤石か

長谷川 克之

 「なぜ全ての国が米ドル建てで貿易を行わなければならないのか、毎晩自問しているのです」「なぜ自分たちの通貨で貿易を行うことができないのでしょうか」

 今年4月、上海で開催された国際会議でそう語ったのはブラジルのルラ大統領である。大統領の発言は拍手喝采を浴びたという。

 世界貿易に占める米国のウェイトは10%強だが、米ドル建て取引のウェイトは50%程度に及ぶ。IMF(国際通貨基金)の調査によれば、ブラジルなど新興国の輸出に占める米ドル建て取引のウェイトは約75%にも達する。ルラ大統領が疑問に思うのも不思議ではない。

 もちろん、大統領の疑問に対する一義的な回答は「ドルが基軸通貨だから」ということになる。基軸通貨とは、国際通貨の中で支配的な役割を担い、国際経済・金融システムの中心的な位置付けにある通貨を指す。世界の政治、軍事、経済において支配的な地位にある、いわゆる覇権国の通貨が基軸通貨となり、第2次世界大戦後80年弱にわたり、米ドルが基軸通貨として君臨してきた。ルラ大統領の発言は、その基軸通貨としての米ドルの地位に疑問を投げかけたものだ。

 それでは、ドルの基軸通貨としての地位は揺らいでいるのか。答えはイエスであり、ノーでもある。ドルの地位が緩やかに低下しつつあることは否めないが、米ドルの優位性が大きく脅かされ、他の通貨によって代替されることは当面考えづらいからだ。

 一般的に、国際通貨には「交換手段」「価値貯蔵」「計算単位」の3つの機能があるとされる(図1)。以下では、そのうち交換手段と価値貯蔵の観点から、国際通貨の現状を確認する。

民間取引公的取引
交換手段決済通貨
取引通貨
媒介通貨
介入通貨
公的決済通貨
価値貯蔵資産通貨介入通貨
公的決済通貨
交換手段表示通貨
契約通貨
公的基準通貨
(出所)筆者作成

交換手段としての役割に著変はないが・・・

 まず「交換手段」、すなわち、取引通貨、決済通貨、媒介通貨としてのドルの優位性には大きな変化は見られない。

 BIS(国際決済銀行)によれば、世界の外国為替市場での取引は一日平均7.5兆ドル(2022年4月調査)にも及ぶが、取引ペア(二つの異なる通貨の組み合わせ)に占めるドルのウェイトは約44%であり、安定して推移している。  

 世界には約180の通貨があるとされ、仮に180全ての通貨間で直接取引が行われると、1万6110通り(180×179÷2)の組み合わせが存在するが、単純化すればドルがハブとなり媒介通貨として機能することによって、179(180-1)の取引市場の存在で事が足りる。世界の外国為替市場は、基本的にドルを「ハブ」、各国通貨を「スポーク」として成り立っている。ドルを介さない、いわゆるクロス取引(例えば、ユーロと円の直接取引)のウェイトは僅少であり、媒介通貨としてのドルの地位は揺らいでいない。

 SWIFT(国際銀行間通信協会)の国際決済に占める主要通貨のウェイト(図2)を見ても、米ドルは40%前後で安定している。なお、決済通貨としてはユーロのウェイトが比較的高いことも特徴的である。

【図2】SWIFT国際決済に占める通貨ウェイト

じわじわと進む人民元の国際化

 交換手段としての人民元は徐々にウェイトが高まりつつあるが、いまだ限界的な通貨と言えそうだ。人民元のウェイトは外国為替市場での取引ペアとしては3%、SWIFTの決済通貨としては2.5%に過ぎない。ただし、貿易金融に係わる決済通貨としては5%弱と、1年前から2.5倍と大幅に拡大していることは注目に値する。

 中国人民銀行(中央銀行)が2015年に創設した人民元建ての国際送金・決済システムである「CIPS」の取引量も急拡大している。年間取扱額は22年に前年から+21%拡大、23年も直近5月までの月次データでも拡大が続いていることが確認できる。

 ロシア大手行のSWIFTからの排除は、対ロシア経済制裁としての「最終兵器」とも言われたが、実際には、中国とのCIPSによる人民元建ての取引が拡大する形で制裁効果が減殺され、同時に人民元の国際化を促進させている可能性がある。

 中国は、戦略的に決済通貨としての人民元の地位向上を進めているものとみられ、今後の人民元決済の広がりについては注視が必要だ。ルラ大統領の自問発言も米ドル決済への依存度を低減させたいという中国・ブラジルの両国の意向を映じたものと考えられる。実際に、中国がブラジルからの資源、農産物の輸入において従来の米ドルではなく、人民元建てでの決済を拡大させていることが報じられている。

 今後のカギを握る国の一つはサウジアラビアだろう。2022年12月に中国・習近平国家主席がサウジを訪問し、サウジアラビアをはじめとしたアラブ諸国に対して石油・ガスの輸入における人民元建て取引の推進を迫った。サウジアラビアにとって中国は世界最大の原油輸入国である。中国の要請を無視することは難しく、サウジアラビアが対中原油輸出での人民元決済を一定程度認めることになるのではないか。

 人民元建ての原油、いわゆる「オイル人民元」取引は既にロシア、イラク、ベネズエラなどがいくつかの産油国で実施されているものとみられ、中東の盟主でもあるサウジアラビアの動向次第では、オイル人民元の拡大が加速する可能性がある。また、2023年3月に中国は、16年から断交していたサウジアラビアとイランの和解を仲介し、政治面でも中東での影響力を強めている。

 ドルが決済通貨として広く利用され、基軸通貨としての地位を維持してきたことの一因に、「オイルダラー」、すなわち、国際的な原油取引でのドル決済があるだけに、オイル人民元の拡大はドルの基軸通貨の行方をも左右しかねない。中国は、サラミを薄く切るような「サラミスライス戦略」で、徐々にドルの力を削ごうとしているように見える。

外貨準備のドル離れが鮮明に

 次に、「価値貯蔵機能」としてのドルの地位を、世界の外貨準備資産に占めるウェイトから見てみよう(図3)。ドル資産のウェイトは2000年代初頭には70%を超えていたが、昨年末には60%割れまで低下している。ドル相場が歴史的な高値圏にあることに鑑みれば、ドルの実質的なシェアはさらに落ち込んでいるものとみられ、ドルの準備通貨としての価値貯蔵機能が低下しつつあることがうかがえる。

 もっとも、ドルの受け皿となる明確な国際通貨があるわけではなく、シェア第2のユーロについても、ならしてみれば20%前後の横ばいで推移している。

【図3】外貨準備(除く金)の通貨構成ウェイト推移

 他方で、人民元のシェアは低水準ながらも上昇しつつある。経験則では、国際通貨は取引・決済通貨として活用されるようになってから、準備通貨としての地位が高まっていく傾向があり、取引・決済通貨としての地位と準備通貨としての地位は表裏一体とも言える。

 ECB(欧州中央銀行)の調査によれば、中国との貿易取引のウェイトが大きい国ほど準備資産として人民元を保有する傾向があるという。世界では、中国を最大の貿易相手国とする国が61カ国もあり、米国の30カ国の倍にも達するという(米CNBC調査)。

 中国の市場には、資本規制の緩和、政策の予見可能性や市場の流動性・透明性の向上など課題も多い。現時点では懐の深い米国の市場と比べるべくもない。ただし、人民元の潜在力をあなどることは危険だろう。ブラジルやサウジアラビアなどが最大の貿易相手国である中国向け輸出の決済通貨を、部分的にせよ米ドルから人民元に変更すれば、人民元として受け取った輸出代金が結果として中国国債などの人民元建て投資に振り向けられ、中国市場の発展と人民元の国際化促進につながることになるからだ。

 もちろん、現時点でドルの基軸通貨としての地位が大きく揺らいでいるわけでない。しかし、だからと言って、ドルの地位は決して盤石とは言えない。ロシアに対する経済制裁、なかんずくドル資産の凍結は中国、そして多くの「グローバルサウス」に属する新興国にとって、ドル一辺倒のリスクを分散させることの重要性を意識させるものであったに違いない。

 中国経済の存在感の高まり、国際秩序の変質に直面する中で「新興国のドル離れ」が加速度的に進む恐れもある。米国が内向き志向を強め、今春の連邦政府債務上限問題のように市場を人質に取り政争の具とするような状況ではなおさらである。

新興国では「金」シフトも

 そうした中で注目されるのは、中央銀行による金保有の拡大の動きである。ワールド・ゴールド・カウンシル(WGC)によれば、中央銀行の金購入は2022年に前年比+152%、23年1〜3月期も前年同期比+176%と急拡大が続いている。

 世界57の中央銀行に対して実施したWGC調査(2023年5月発表)によれば、「今後1年間に金保有を増やす」と回答した中央銀行の割合は71%にも達している。また、「5年後の外貨準備(金を含む)に占めるドルの保有割合」として「40〜50%」との回答が50%にも達している。現状から最大10%ポイントほどのさらなる低下が予想されており、「ドル離れ」の傾向は新興国ほど強くなっている(図4)。その背景として、アンケートでは金の価格上昇期待、インフレヘッジ機能、ポートフォリオ分散機能、地政学リスクに対する備え、経済制裁への懸念などが挙げられている。

【図4】5年後の外貨準備(含む金)に占めるドルの保有割合予想

 日本はどうするべきか。「円の国際化」はもはや死語となった感があるが、円にはユーロとともにドルの「ジュニア・パートナー」として国際金融市場の安定化に向けた責務を負っていることを忘れてはいけない。人民元が基軸通貨となる時代は当面は想定できないが、ドルの地位が低下する中では、ユーロや円がドルの役割を補完する準基軸通貨となることが望まれる。

 円がグローバルマネーの受け皿となるためには、節度ある財政・金融政策によって通貨価値の安定を維持することが必須であることは言うまでもない。世界が歴史的なインフレに見舞われている中で、国内での潜在的なインフレリスクに対して無防備でいること、一方的な円の下落を放任すること、財源の十分な手当なく歳出拡大ありきの議論を進めることはいずれも通貨価値をおとしめかねないものだ。金融センターとしての東京の地盤沈下を止め、市場活性化に向けた整備を進めることも急務だろう。ドルの地位が低下する中で、円の通貨戦略が問われていることを再認識するべきだ。

写真:代表撮影/ロイター/アフロ

長谷川 克之

東京女子大学 特任教授
88年上智大学法学部卒業、97年ロンドン大学経営大学院(LBS)修了。日本興業銀行(現みずほ銀行)入行。国際金融調査部、ロンドン支店、調査部を経て、みずほ総合研究所(出向)。 市場調査部長、チーフエコノミスト等を経て、22年から現職。著書に『サブプライム金融危機』『ソブリン・クライシス』『激震 原油安経済』『中国発世界連鎖不況』(いずれも共著、日本経済新聞出版社)。

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