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2022.05.17 コラム

強まるロシアへの経済制裁に「核保有国・北朝鮮」が密かに注目するワケ
一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)主任研究員 相良祥之

相良 祥之

5月16日配信<いつまで持つ?強力な経済制裁の中でも攻撃を続ける「プーチンの限界」>の続き

 ロシアのウクライナ侵略が始まって間もなく3ヶ月。アメリカ、欧州、日本を含む西側諸国は、ウクライナへの軍事的、政治的、人道的支援を行うとともに、強力な経済制裁をロシアに科した。果たしてロシアは経済制裁にどこまで耐え得られるのだろうか。経済制裁の有効性を、ロシアと同じく核兵器を保有する北朝鮮を例として見てみよう。

世界で最も苛烈な経済制裁を科されている「核保有国・北朝鮮」

 今回、ロシアに対する経済制裁の一環としてロシアの円建て外貨準備約3.8兆円を凍結した日本だが、経済制裁を実施するのはこれがはじめてではない。なかでも北朝鮮に対しては、万景峰号の入港禁止をはじめ、これまで数多くの措置を実施してきた。

 北朝鮮へのこれまでの経済制裁において、もっともインパクトが大きかった措置のひとつは2005年9月、バンコ・デルタ・アジア(BDA)の北朝鮮資金に関する制裁であろう。

 米財務省がBDAをマネーロンダリングの懸念がある主要銀行と認定したことがトリガーとなり、マカオ政府はBDAが保有する52の北朝鮮関連口座に預けられていた約2500万ドルを凍結した。当時、米国家安全保障会議(NSC)アジア部長であったヴィクター・チャによれば、その後1年間、北朝鮮側が主張していたのは「我々の2500万ドルを返せ」という、ほぼ一点に尽きたということである。

北朝鮮はまだ「核を捨てる気がない」

 BDAへの制裁から約1年後、2006年10月、北朝鮮は初の核実験に踏み切った。当時、日本は国連安保理の非常任理事国であり、核実験が実施された10月は安保理の議長国であった。日本は米国などと緊密に連携し、安保理決議1718号が採択された。

 その後、北朝鮮の核・ミサイル開発のエスカレーションに対して経済制裁は段階的に強化されていった。日本は米国、英国、フランス、豪州、韓国など同志国と連携しつつ、また中国、ロシアを始めとする国際社会ともひろく協力しながら、制裁の抜け穴を埋めるべく瀬取り対策など、対北朝鮮措置を続けてきた。

 それでも、北朝鮮はいまだに核兵器という「宝剣」を捨てるつもりはないようである。北朝鮮は体制を維持するうえでの「宝剣」、「核戦争抑止力」として核開発を推進してきた。長い経済制裁に苦しめられてきたリビアのカダフィ政権が核開発をみずから放棄し、無残な最期を遂げたことを、北朝鮮は教訓にしている。

 またウクライナはソ連崩壊後、領域内に残存していた核兵器を手放したが、安全保証の確約が得られなかった。ロシアに侵略されたウクライナは、アメリカをはじめ国連安保理常任理事国やトルコなど近隣国に対し、実効的な安全の保証(security guarantees)を求めている。北朝鮮はウクライナ情勢を注意深く見ているはずだ。

烈度を高める「弾道ミサイル」

 北朝鮮による弾道ミサイル発射は烈度を高めてきており、今年2月には、ついに2017年以来となるICBM級弾道ミサイルの発射を再開した。これは、北朝鮮にとって経済制裁の痛みが強く、瀬戸際外交を進めているものと見るべきだろう。

 北朝鮮の年間の輸出総額は2011年から2016年まで30億ドル(約3,500億円)を超えていたが、度重なる核実験と弾道ミサイル発射に対して強力な経済政策が科され2017年には18億ドル、2018年には2.5億ドルまで減った。

 2016年までと比較すると輸出による年間収入が10分の1まで激減したのである。さらに新型コロナ感染症の影響により中国やロシアとのモノと人の流れを厳しく制限していたため、2020年の輸出総額は1億ドル程度まで減った。石油や食料は外から輸入する必要があり、2020年は実に7億ドルもの貿易赤字が生じていたと見られている。

サイバー攻撃で外貨を搾取してきたが…

 世界でもっとも苛烈な経済制裁を科されている北朝鮮は、サイバー攻撃によって外貨や暗号資産を詐取してきた。

 米国政府が2020年に発表した「サイバー脅威に関するガイドライン」によれば、2016年、北朝鮮のサイバー攻撃者がSWIFTを悪用した不正取引を仕掛け、バングラデシュ銀行から8,100万ドルを盗んだと言われている。

 さらに、安保理北朝鮮制裁委員会専門家パネルは、サイバーセキュリティ企業Chainalysisの分析を引用する形で、北朝鮮のサイバー攻撃者が2021年に4億ドル相当の暗号資産を盗んだと報告している。

 北朝鮮はこうした違法取引で、制裁による経済的な痛みをやわらげようとしている。しかし経済封鎖にも近い強烈な制裁の痛みは引くどころか、ますます強まっているのが現実だろう。貿易統計にあらわれている数字を見るだけでも、2016年までと比較して90〜95%もの輸出収入減が5年以上も続いているのである。

「違法取引」で経済制裁の穴は埋められない

 違法取引だけで、その穴を埋めるのは容易なことではない。サイバー攻撃によって詐取した暗号資産は、使い勝手が悪い。暗号資産は投機的に価格が大きく変動するため、食料や石油など通常の貿易の決済ではそのまま使えない。マネーロンダリングによって現金化しなければ、支払で使うことすら容易ではない。

 経済制裁は、軍事力や外交交渉とともに対外政策における手段のひとつである。重要なことは、経済制裁を他の政策手段と組み合わせ、どのように相手国の政策を変更させるかというメカニズムを考えることである。

 北朝鮮にとって経済的な痛みは相当なものだろう。それでは、その痛みを受けた金正恩委員長をはじめ現在の体制は、どれほど政治的な目標(ends)や立場(position)を修正するだろうか。瀬戸際外交を進める北朝鮮を対話に引き出すために、いつ、どのような手を打つべきか。

 これはバイデン政権や韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)新政権の今後、米中対立やウクライナ情勢など政治情勢に加え、北朝鮮の内政も含めて分析する必要がある。つまり北朝鮮に対する勝利の方程式(theory of victory)を念頭に置きつつ、その戦略のなかで経済制裁をどう使うか、を考えなければならない。

日本は「経済制裁の使い方」を熟考すべき

 日本は世界第三位の経済力を武器に、経済制裁という名刀を持っている。よく切れる名刀はむやみに振り回すべきではない。刃がこぼれ、あるいは自分の体に傷をつけることになるかもしれない。経済制裁という刀の振り方に、日本はより熟達する必要がある。

 ウクライナ侵略について楽観的なシナリオは、ウクライナの頑強な抵抗とロシアの軍の損耗がかさみ、膠着状態が続き、経済制裁がもたらす経済的による痛みに耐えられず、ロシアが交渉による和平合意を求めてくるものである。これは経済制裁が戦争終結に向け有効に機能したケースとなり得る。経済制裁という手段が戦争終結につながるか、その政策手段としての成否を占う正念場でもある。

 はたして日本において、経済制裁という手段はどこまで真剣にとらえられてきただろうか。日本は経済を武器化し、経済制裁という措置を実施してきたことの重みを、改めて見つめなおすときである。

相良 祥之

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API) 主任研究員
1983年生まれ。国連・外務省を経て現職。これまで外務省 北東アジア第二課(北朝鮮に関する外交政策)、国連事務局 政策・調停部、国際移住機関IOMスーダン、JICA本部、DeNAで勤務。2020年前半の日本のコロナ対応を検証した「コロナ民間臨調」で事務局をつとめ、報告書では国境管理(水際対策)、官邸、治療薬・ワクチンに関する章で共著者。慶應義塾大学法学部卒、東京大学公共政策大学院修了。

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