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2023.08.18 経済金融

欧州「e-fuel容認」は、「内燃エンジン車容認」にあらず

丸田 昭輝

 昨年11月の筆者コラム、日本の「お家芸」、エンジン技術は欧州グリーン政策に太刀打ちできるかでは、欧州連合の「乗用車・小型商用車の二酸化炭素排出基準規則」を巡る状況を分析し、エンジン技術の生き残りには、「水素エンジン車」の開発か、「DAC(Direct Air Capture)由来e-fuel(合成燃料)+PHEV(プラグインハイブリッド車)」の展開が必要と予想した。ところが3月、土壇場で本規則にe-fuelが認められたと報道され、e-fuelに期待するとか、欧州の電動化への流れが止まったといった声が聞かれる。だが、e-fuel容認の背景を分析すれば、それらは憶測に過ぎないことが分かる。筆者は、依然としてエンジン技術の生き残りの道は、「水素エンジン車」か「DAC由来e-fuel(合成燃料)+PHEV」しかないと考える。

 「e-fuel」とは、CO2(二酸化炭素)と水素を合成して製造される燃料だ。原料となるCO2は、発電所や工場などから排出されたCO2を利用したり、大気中のCO2を直接分離・回収する「DAC」を使ったりしてCO2を再利用することが想定されている。e-fuelは既存車両の燃料としても使えるため、日本でも、産業の裾野が広い内燃エンジン技術の生き残り策としての期待がある。

 他方、欧州では、EV(電気自動車)推進と「内燃エンジンゼロ」に向けた動きが強まり、e-fuelにとって厳しい情勢となっていた。欧州連合は2022年10月、「乗用車・小型商用車の二酸化炭素排出基準規則」(以下、本規則)において、欧州委員会(EC)、欧州議会、閣僚理事会の三者が「2035年のゼロエミッション化=内燃エンジン禁止」に合意(ただし26年の規則見直し条項を含む)。あとは欧州議会と閣僚理事会がこの合意に基づき形式的な承認をするだけであった。

 この形式承認に土壇場で反発したのがドイツである。ドイツは2月の閣僚理事会で「e-fuelの位置付けが明確にならない限り賛同しない」と宣言し、採択否決の条件である「EU人口の65%以上の国」を集めるべくイタリア、ポーランド、チェコ、ルーマニア、ハンガリー、スロバキアにも反対を呼びかけた。

ちゃぶ台返しの仕掛人は…

 前例のないドイツの「土壇場のちゃぶ台返し」の後ろにいたのは、欧州最大の自動車メーカーVW(フォルクスワーゲン)である。VWでは2022年9月に、CEOがEV(電気自動車)推進派のヘルベルト・ディース氏から、e-fuel推進派のオリバー・ブルーム氏に代わった。

 ブルーム氏はVWの子会社であるポルシェ会長であった人で、チリのe-fuel製造プロジェクト「Haru Oni」を主導してきた人物である。ブルーム氏はクリスティアン・リントナー財務相(ドイツ連立政権の一角である自由民主党(FDP)の党首)と連携し、「EUにe-fuelを認めさせる」ように働きかけを行った。FDPは直近の国内の地方選挙で劣勢であったことから、産業界の意向をより重視する姿勢をとっている。

 このちゃぶ台返しの後、EC(欧州委員会)はドイツと交渉を重ね、3月25日にはティメルマンス上級副委員長(欧州グリーンディール担当)がTwitter(現・X)で、「将来使用する自動車燃料についてドイツと合意に達した」と報告し、「e-fuel容認」につながった。

 ただし、「e-fuel容認」は、政治的妥協である以上に、その位置付けも曖昧であり、決して「e-fuel展開の道」が開けたと見なすべきではない。

 3月末に多くのメディアが「e-fuel容認」を大きく報道したのは、3月28日に閣僚理事会がプレスリリースを行い、下記のようにウェブサイトで明示的にe-fuelに言及したからである。

同規則にはe-fuelが言及されており、欧州委員会は、利害関係者との協議を行い、2035年以降にCO2ニュートラル燃料のみで走行する車両を、EU法に適合し、フリート基準(乗用車排ガス基準)の適用範囲外であり、EUの気候中立目標(温室効果ガス排出実質ゼロ目標)に適合する車両としてEU登録するための提案を行う予定である。

 しかしこれは、次に掲げる本規則の最終文書(4月19日公表)「前文11」を引用したに過ぎず、その表現はドイツのちゃぶ台返し前後でほとんど変わっていない。さらに本規則においてe-fuelに言及しているのは「前文11」のみで、本文にはe-fuelに関わる条項はない(前文は規則の背景を述べたもので、強制力はない)。

前文11:
欧州委員会は、利害関係者との協議を行い、2035年以降にCO2ニュートラル燃料のみで走行する車両を、EU法に適合し、フリート基準の適用範囲外であり、EUの気候中立目標に適合する車両としてEU登録するための提案を行う。

 つまり、メディアは「EUがe-fuel容認」と報道したが、規則文書からは「e-fuel容認に舵を切った」ことの証拠がないのである。これは確実に政治的妥協であり、規則をできるだけ変えたくないEC・閣僚理事会と、自国産業向けに「e-fuelが容認された」ことを政治的にPRしたいドイツ(特にFDP)のドタバタ劇だったのである(なお、ECとドイツが何らかの取引をした可能性はある)。

恩恵を受けるメーカーはごく一部?

 茶番劇の背景にいたのがVWであったとして、他の自動車メーカーの立場はどうか。

 まず、米フォードとスウェーデンのボルボはe-fuelに反対している。ドイツがe-fuelを巡ってちゃぶ台返しを演じていた3月20日、世界的なEV推進の国際イニシアティブ「EV100」は、ドイツの動きに懸念を示し、2035年までの内燃エンジン車両の廃止の方針を維持することを求める書簡を送った。「EV100」には、自動車メーカーとしてはフォード、ボルボが名を連ねている。

 独メルセデスベンツのCEOオラ・ケレニウスは、新聞(フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング)のインタビュー(4月4日)に答え、「メルセデスはe-drive(電動化)戦略を有し、e-fuel容認によってこの方針を変えることはない。2025年以降はすべての新車はe-driveのみになる」と答えている。

 仏ルノーグループのCEOルカ・デメオは3月20日、米国の政治メディアPoliticoのEV関連イベントに出席し、「欧州で新規のエンジンを開発している人はいないと思う。すべての開発資金は電気や水素技術に使用されている」と述べている。なお、このデメオ氏はこの1月から欧州自動車工業会(ACEA)の会長でもある。

 イタリアはドイツのちゃぶ台返しに呼応した国の一つであるが、伊フィアットの流れをくむステランティス(フィアット・クライスラー・オートモービルズとグループPSAが経営統合した会社)は、既存28車種について早速e-fuelの適用性を試験している。ただし同社は、2030年までに欧州の新車はすべてバッテリーEV(BEV)に、米国での新車も半分をBEVにすると発表している。欧州に関しては、e-fuelは既存車両対策とみられる。

 米GMは2021年1月に、35年までにLDV(小型トラック)の新車をすべてゼロエミッション(CO2排出量ゼロ)車にすると発表しているが、その技術は特定していない。BEV、FCV(燃料電池自動車)に加え、e-fuelも視野に入れている可能性はあるが、GMの主戦場である米国でe-fuelがガソリンスタンドで供給されるかどうかにかかっているといえる。

 以上のように、明確にWVが新車で「e-fuel+内燃エンジン車」を志向する一方、多くの欧米の主要自動車メーカーはe-fuelには否定的だ。ステランティスでさえ、e-fuelは既存車両対策と考えている。欧米の自動車メーカーでは、ドイツのちゃぶ台返しを喜んでいるのはVWだけといってよい。

 一方、日本のメーカーはどうか。

 トヨタ自動車は、地域に応じた最適パワートレーンを目指す「マルチパスウェイ」戦略を掲げており、この一環で合成燃料にも取り組んでいる。例えば同社のオウンドメディア、トヨタイムズの エンジンで脱炭素!? EVだけじゃない もう一つの選択肢では、「課題も残るが環境価値に加えて国内での量産や備蓄ができるなどの有力な選択肢になりえる合成燃料」と述べている。

 ホンダは、2040年までにEV・FCV比率を100%にする方針を掲げている。e-fuel製造技術の研究も行っているが、それはジェット機や船舶用の燃料と位置付けている(ホンダは小型ジェットの販売で世界一である)。日産自動車では、30年代早期より主要市場に投入する新型車をすべて電動車両とすることを宣言し、現状e-fuelに対するコメントはない。

 このように、日本メーカーではホンダと日産が脱エンジン路線を堅持している。トヨタはe-fuelも選択肢に残しているが、これは多分に自動車業界全体を勘案しての方針とみられる。

欧州もe-fuel普及の義務は負わず

 e-fuel普及の課題は多い。e-fuelを巡っては、EC、閣僚理事会、欧州議会、ドイツ(FDPやVW、ドイツ産業界)がドタバタ劇を演じたが、共通していた認識は、「燃料の合成に必要なCO2は、空気中から直接回収(DAC)したもののみが妥当する」ということである。

 e-fuel はCO2と水素を合成して製造されるが、原料の「脱炭素度」には幅がある。欧州では、e-fuelといえば「DAC+再エネ水素」で合成する燃料だ。一方、日本で期待されているカーボンリサイクル燃料(化石燃料由来のCO2から合成した液体燃料)は、「脱炭素度」が低く、欧州のe-fuelの定義には該当しない(日本の「お家芸」、エンジン技術は欧州グリーン政策に太刀打ちできるか参照)。

 VW/ポルシェがチリで製造しているe-fuelもDACを用いている。e-fuelは手軽な燃料ではなく、完全なカーボンニュートラル性を確保するための高価で手間のかかる燃料なのだ(トヨタ自動車もe-fuelの開発に関しては、当面は産業部門からのCO2を活用するが、将来的にはDACを活用するとしている)。

 また、ガソリン自動車の標準的な燃料タンク容量である50リットルのe-fuelを合成するには、水素が約320Nm3(ノルマルリューベ)必要であり、それはトヨタのFCV「MIRAI」5台を満タンにする量である。よって「e-fuel+内燃エンジン車」は「水素+FCV」の5分の1の燃料効率に過ぎない。

 技術的課題もある。DAC由来のe-fuelが首尾よく供給できたとしても、それを車載する車両は、e-fuelと既存燃料を区別できる機構を設置し、既存燃料ではエンジンがかからないようにすることが期待されている(そうしないと既存燃料の生き残りに寄与するだけになる)。これは正式発表ではないが、いくつかの報道がリーク的にこのような機構の必要性を紹介している。

 ドイツ勢(VW/ポルシェ)にしても、e-fuelを全面的に普及させるつもりはない。ポルシェがe-fuelを開発するのは、旗艦ブランド「911」をエンジン車として生き残らせるためであり、乗用車一般ではない。

 そもそも欧州全土でe-fuelを普及させるつもりなら、同時期に欧州で議論されていた「Alternative Fuel Infrastructure Regulation(代替燃料インフラ規則)」で供給インフラ整備を規定しておかなければならない。この規則は4月14日に基本合意されているが、ここには充填スタンドや水素ステーションの設置規則はあるものの、e-fuelは記載されていない。よって、現状も将来も、e-fuelを供給する責任は、だれも有していないのである。

 ステランティスの例を挙げたように、すでに市場にある既存車両の脱炭素化にはe-fuelは有望とも考えられる。ただしこの場合、将来のエンジン技術の育成には寄与しない。その一方で、e-fuelの供給見込みは非常に少ない。ポルシェの「Haru Oni」プロジェクトは2025年に5.5億リットル/年のe-fuelを製造するが、このほとんどがポルシェの車両(911)のために使用される。

 欧州でもe-fuelの供給義務がないので、自動車・エネルギー業界の自発的な取り組みのみが頼りである。しかし産業界は「脱エンジン」の流れにあり、わざわざ10〜30年のうちに市場から退出する見込みの既存車両のためにe-fuelを供給するインセンティブはないと言える。

棚からぼたもちの「水素エンジン車」

 このように、「e-fuel容認」イコール「内燃エンジン車の生き残り」とは言えない。

 一方で、e-fuel容認の流れで併せて容認確実になったのが、既存のガソリンエンジンをベースに、水素を燃やすことで動力を得る「水素エンジン車」である。実は2022年10月のEC・欧州議会・閣僚理事会の三者合意の段階では、水素エンジン車が認められる可能性はなかった。三者合意が強調するゼロエミッションは、CO2だけでなくNOx(窒素酸化物)等も含めたゼロエミッションだったからである。しかし、今回「e-fuel」を認めたことで、NOx等のエミッションも許容せざるを得なくなり、NOxを排出する水素エンジン車の許容につながった。水素エンジン車の量産化を目指すトヨタにとっては朗報だ。

 また欧州規則の最終文書でも、PHEV(小型の内燃エンジンを搭載したBEV)を念頭に、2026年の規制見直し条項が含まれている。筆者は「e-fuel+PHEV」が認められる可能性はあると考えており、今回e-fuelが容認されたことで、この可能性は高まっている。

 エンジン技術を生き残らせるには、日本の自動車メーカーだけでなく、欧米の自動車メーカーやエネルギー会社も巻き込んだ議論が必要である。今、重要なのはむしろ、高く、普及の政策的インセンティブもないe-fuelを一般車両向けに供給することを計画するエネルギー会社がいるかどうか、である。筆者は決して楽観視していない。

写真:ロイター/アフロ

地経学の視点

 自動車のCO2排出を巡っては、ライフサイクル全体で考えるべきだという議論がある。EVは走行時にはCO2を排出しないが、バッテリー製造時や廃棄時におけるCO2排出や、日本のように電源構成が火力発電中心であることなどを勘案すると、現状、必ずしも内燃エンジン車に比べてクリーンとは言えない。とはいえ、将来的な技術発展や電源構成の変化を織り込めば、EVは自動車の脱炭素化に向けた強力なソリューションだと言える。
 
 他方、経済安全保障の観点では違った景色が見えてくる。EVに欠かせない蓄電池の原料であるリチウムの生産量や精錬工程では、中国が大きなシェアを握る。中国のEVメーカーは価格競争力も含めて急速に力をつけてきている。中国依存脱却に向け、米国ではEVの税優遇の条件として、米国内やFTA(自由貿易協定)の締結国で行うことを定めた。
 
 筆者は、今回のe-fuel容認の動きを冷静に分析しつつ、産業の裾野が広いエンジン技術を生き残らせるには、「日本の自動車メーカーだけでなく、欧米の自動車メーカーやエネルギー会社も巻き込んだ議論が必要である」と主張する。これは環境問題や雇用対策といった面だけでなく、自動車産業の覇権争いにおいて日本がどう行動すべきか、という問いでもある。(編集部)

丸田 昭輝

株式会社テクノバ 研究部 研究第3グループ 上級主席研究員
過去25年間水素・燃料電池分野の調査や実証、政策分析を手がける。特に海外政策動向に詳しい。慶應義塾大学大学院理工学研究科修士、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科国際関係学修士、米ハーバード大学ケネディ行政大学院MPA、東京大学博士(環境学)。

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