実業之日本フォーラム 実業之日本フォーラム
2022.03.03 コラム

世界のワクチン輸送を支えたのは「日本の冷蔵配送技術」だった!今求められる「健康危機に即応するための備え」とは
一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)主任研究員 相良祥之

相良 祥之

「母子手帳」は日本発祥だった

グローバルヘルス(国際保健)は地球規模の課題であるとともに、人々の「人間の安全保障」の課題として考えられてきた。1960年代から国民皆保険を実施してきた日本は、すべての人が適切な健康・医療サービスにアクセスできるユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)の旗振り役として、国際的なUHC主流化をリードしてきた。

世界でよく知られているのが、日本の母子保健である。日本は戦後、母子保健を劇的に改善させ、妊産婦死亡率は途上国の約100分の1、5歳未満児死亡率は約20分の1となり、世界でも最高水準の母子保健サービスを提供している。日本では当たり前の母子健康手帳は、母子保健の分野では画期的なイノベーションであった。その経験はODA(政府開発援助)を通じて新興国、途上国へ広がってきた。また持続可能な開発目標(SDGs)では、日本が提唱してきた「人間の安全保障」やUHCの概念が存分に取り入れられた。

しかし新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、グローバルヘルスをめぐる状況を一変させた。新型コロナは発症前や無症候であってもステルスで感染が拡大する。グローバルな人の移動とともに世界中に拡散し、収束したかと思えば、新たな変異株が出現する。途上国の問題だと思われてきた感染症は、先進国、なかでも人が「密」な都市で猛威を振るっている。

新型コロナは、主権国家が国民の命と健康を守れるかという安全保障の問題であり、また、ワクチンを筆頭に医薬品をめぐる経済安全保障の問題でもある。医療提供体制の強化とともに経済社会活動へのダメージを抑制するため巨額の財政出動がなされており、財務・保健当局が連携して持続可能な保健財政制度の在り方についても議論が進んでいる。

これからのグローバルヘルスにおいて、日本が目指すべき方向性は何だろうか。

 

「期限切れワクチン」は、日々大量廃棄されている…

第一に、グローバルな医薬品のサプライチェーン強靭化である。医薬品(ワクチン、治療薬、検査試薬等)を、東南アジアと連携し国際共同治験を進め、安全性が確認されたメイド・イン・ジャパンの医薬品を、安定して世界中に供給する。日本ならではの貢献となる。

途上国、特にアフリカで新型コロナのワクチン接種が進んでいない。その背景にあるのはワクチンの在庫不足ではない。ワクチンの製造能力は世界中で大幅に強化された。いま生じていることはワクチン在庫の膨大な不均衡である。使用期限切れのワクチンが日々、世界中で大量に廃棄されている。アフリカの主要空港までは届くが、その時点で使用期限が迫っており、そのまま配布されず廃棄されるケースも頻発している。

問題は、ワクチン等を生産し、輸送し、人の腕に打つまでのサプライチェーンの断絶である。超冷凍保存が必要なmRNAワクチンについては、冷凍・冷蔵・保管・輸送するコールドチェーンも必要不可欠である。

2月14日、ブリンケン米国務長官の主催で、新型コロナ対策に関する外相会合が開催された。日本からは林芳正外務大臣が出席した。ここでブリンケン国務長官は2022年中に新型コロナを収束させ、将来のパンデミックへの備えを強化することを目的とした「グローバル行動計画」(GAP: Global Action Plan for Enhanced Engagement)を発表した。

GAPでは6つの柱が掲げられた。その第一の柱が「ワクチンを腕まで」(Get Shots in Arms)であり、世界の少なくとも70%の人々が高品質で安全で有効なワクチンを接種完了できるよう、接種を推進する。そして第二の柱が「サプライチェーン強靭性の強化」(Bolster Supply Chain Resilience)であり、サプライチェーンのボトルネックを特定し、解消を目指す。

日本は、このGAPにおける、もっとも大きな二つの柱で世界を主導する立場にある。メイド・イン・ジャパンのアストラゼネカ社ワクチンを台湾、東南アジア、太平洋島嶼国などに約4,000万回分以上、現物供与してきた。日本は世界有数のワクチン供与大国なのだ。さらにCOVAXファシリティ(COVID-19ワクチンを、いくつかの国で共同購入し、公平に分配するグローバルな取り組み)には10億ドル規模の財政貢献を積み重ねてきた。

 

ワクチン輸送を支える「日本の保冷配送技術」

特筆すべきは、ワクチンコールドチェーンの整備など接種能力強化のため、日本がこれまで約60か国で実施してきた「ラスト・ワン・マイル支援」である。日本はワクチンの国際共同治験に参加できず、さらに国会の要請により国内での治験が求められたため、OECD諸国のなかでも接種開始が遅れた。その遅れは3回目接種の遅れにもつながっている。それでも菅義偉政権は1日100万回、最大170万回ほどのペースで急速にワクチン接種を進めた。

効率的なコールドチェーンを支えたのは、日本が世界に誇るお家芸、保冷配送の技術である。小口保冷配送では「クール宅急便」のヤマト運輸が先駆者として知られている。同社は日本政府とともに小口保冷輸送の国際標準化を目指した。2020年、国際標準化機構(ISO)において、日本政府が主導する形で、小口保冷配送サービスはISO 23412として国際規格になっている。日本の技術をもとに官民連携でルールメイキングが進んだ好事例である。

そして、日本の効率的なワクチン接種オペレーションの代表例が「豊田市モデル」である。愛知県豊田市は2021年4月から、医師会、トヨタ自動車、ヤマト運輸とともに、接種会場の効率的な運営やワクチンの安全な輸送を実現する「豊田市モデル」を実施してきた(参照:トヨタイムズ、2021年6月16日『「一人でも多く、一日でも早く」接種改善に込めた想い』)。

オペレーションの設計では、トヨタ生産方式(TPS)で知られる、人や物、情報を停滞なく、負担なく、スムーズに流す秒単位のプロセス管理手法が、存分に活用された。そして輸送では、ヤマト運輸が超低温の「氷」と専用の保冷ボックスを活用した。その超低温氷をつくるため、マイナス120度まで冷やせる電気式冷凍庫が投入された。

この超低温冷凍庫を開発したのは静岡県沼津市に本社を構えるエイディーディー(ADD)である。熟練の作業者の手作業が必要不可欠なADD社の超低温冷凍庫。トヨタはその生産性向上も支援した。こうして豊田市では、超低温冷凍庫から、超低温の氷、保冷配送、そして日々カイゼンされるトヨタ式の効率的オペレーションにのって、地元の医師会や産業医、看護師など医療従事者が効率的なワクチン接種を進めた。

ワクチン接種の豊田市モデルを、国際協力機構(JICA)の国内研修センターでプログラム化したうえで、世界各国の保健当局などを招へいし、研修を実施することは一案であろう。ラスト・ワン・マイル支援は、ワクチンに留まらず、安全で、確実な配送が求められる医薬品のサプライチェーン強靭化にも貢献するはずである。

 

政府は、グローバルヘルス人材を管理せよ

日本が目指すべき第二の方向性は、世界と日本の健康危機に即応できるグローバルヘルス分野の人材育成である。感染症の現場はこれまで途上国が多かった。こうした公衆衛生危機の現場で修羅場を経験してきた多くの人材が、日本のコロナ対策で活躍している。健康危機管理の専門家の層を厚くしていくことは、グローバルヘルスに貢献できるのみならず、我が国の有事における対応力を強靭なものにすることにもつながる。

過去30年間だけでも世界各国はさまざまな感染症危機を経験してきた。高病原性鳥インフルエンザH5N1、SARS、H1N1新型インフルエンザ、H7N9鳥インフルエンザ、エボラ出血熱、デング熱、MERS、ジカウイルス感染症、エボラ出血熱、そして新型コロナウイルス感染症。

しかし忘れてはならないのは、結核、マラリア、HIV/AIDSだけで毎年250万人以上の人々が亡くなってきたという事実である。感染症による死と隣り合わせの日常が続いている途上国は、まだまだ多い。イエメンのような紛争国では、治療薬やワクチンを届けるために紛争当事者との交渉が必要となり、人々に届く前に略奪されるリスクもある。また感染症によっては東南アジア、西アフリカなど、発生地が限定されたエピデミックに留まる場合も多い。

こうしたさまざまな感染症を、すべて経験してきたのが、WHOである。日本のコロナ対応では、WHOで感染症対策を経験した医師が奮闘を続けてきた。政府のコロナ分科会メンバーでは、SARS制圧をWHO西太平洋地域事務局(WPRO)事務局長として指揮した尾身茂・地域医療機能推進機構理事長に加え、感染症地域アドバイザーとしてSARS対策特別チームの責任者を務めていた押谷仁・東北大学大学院教授らがWPROで活躍していた。また岡部信彦・川崎市健康安全研究所長(内閣官房参与)も1990年代前半にWPROで伝染性疾患予防対策課課長を務めていた。

他にも、政府コロナ分科会や厚労省アドバイザリーボード、厚労省、国立感染症研究所(感染研)などで、以前にWHO職員やJICA専門家としてアフリカやアジアなど途上国で感染症危機に対峙してきた専門家が奔走を続けている。

国連をはじめとする国際機関や開発援助機関の現場は、途上国である。紛争、クーデター、暴動、テロ、津波、タイフーン、飢餓、そして感染症。こうした危機において、自らの専門性を発揮して対峙するのが、国際機関職員の仕事である。人の命にかかわる修羅場を経験する。こうした経験と、そこで培った人脈が、日本の危機管理でも活かされている。

最近では厚生労働省や地方自治体において、健康危機管理の実践的な研修プログラムを通じて、少しずつだが専門家の層が厚くなってきている。代表的なプログラムは実地疫学専門家養成コース(FETP)と感染症危機管理専門家(IDES)養成プログラムである。国内では感染研、国立国際医療研究センター(NCGM)や感染症指定医療機関、そして海外ではWHO、米国保健福祉省(HHS)やCDC、英国健康安全保障庁(UKHSA、旧PHE)、欧州疾病予防管理センター(ECDC)などで現場経験を積む。新型コロナ対応でも、こうした諸機関で働く邦人職員のネットワークが、情報収集や分析、政策立案においてフル活用されている。

こうしたグローバルヘルス分野の人材のロスター(名簿)を政府が管理しておくことが、いざ海外、あるいは我が国で健康危機が発生した場合、即応するための備えとなる。母子保健などUHCの伝統を持つ日本のグローバルヘルスの貢献は、すでに世界中でよく知られている。それを日本の健康危機管理と結びつける仕組みが必要である。

グローバルヘルスと、日本で今後ふたたび起こりえるパンデミックなど健康危機。この二つは相互に関連している。医薬品サプライチェーン強靭化と健康危機管理専門家の育成は、日本、そして世界の人々の命と健康を救うとともに、新たな時代の「人間の安全保障」の柱である保護(protection)、能力強化(empowerment)、そして連帯(solidarity)、これらすべての強力な推進力となるはずである。

相良 祥之

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API) 主任研究員
1983年生まれ。国連・外務省を経て現職。これまで外務省 北東アジア第二課(北朝鮮に関する外交政策)、国連事務局 政策・調停部、国際移住機関IOMスーダン、JICA本部、DeNAで勤務。2020年前半の日本のコロナ対応を検証した「コロナ民間臨調」で事務局をつとめ、報告書では国境管理(水際対策)、官邸、治療薬・ワクチンに関する章で共著者。慶應義塾大学法学部卒、東京大学公共政策大学院修了。

著者の記事