ウクライナを巡る米露の「チキンゲーム」
別々の車に乗った2人のプレイヤーが、同時に海に向かって走り、先にハンドルを切った方を「チキン(臆病者)」と揶揄するゲームは「チキンゲーム」と称されている。このゲームでは、双方が最後まで「強気」を維持すれば、両者とも海に落ちる結果となる。あるいは、ハンドルを切るタイミングが遅ければ、同じ結果となる。
現在ウクライナを巡り繰り広げられている状況は、アメリカを含むNATOとロシアがまさに「チキンゲーム」を繰り広げている状況と言えよう。
昨年末「疑心暗鬼の代償-ウクライナ情勢―」[hs1]の記事を投稿した。その際、プーチン大統領の「強いロシアへのこだわり」という不確定要素はあるものの、ウクライナへの軍事侵攻の可能性は低いと見積もっていた。しかしながら、10万人とされるロシア軍のウクライナ周辺への展開は2か月を超える長期間となっている。このチキンゲームの今後を占ってみたい。
ロシアは2014年3月に、住民投票、独立宣言、併合要求決議を経てクリミアをロシアに併合した。その際ロシアがウクライナに対し行った軍事的方法は、「ハイブリット戦争」と呼称されている。ロシアは、正規の軍事力を行使するのではなく、ウクライナ国内の親露派に働きかけ、反政府活動を起こさせるとともに、義勇軍を展開し、影響力を拡大することをつうじて戦争目的を達成した。
しかしながら、クリミア併合はアメリカを含む西欧諸国の認めるところではなく、2015年2月に、ウクライナ、ロシア、フランス及びドイツ間で締結された「ミンスク合意」は、単に東部ウクライナにおける停戦を合意したのみであった。
二度目の「ハイブリット戦争」勃発か
ロシア大統領府は、2021年7月、プーチン大統領のウクライナに関する論文を公表した。プーチン大統領は、その中で、「ウクライナとロシアは何世紀にもわたり、精神的、文化的に結びついている、ウクライナの真の主権はロシアとのパートナーシップがあってこそ維持できる」、と両国の特殊な関係を強調した。
また2021年11月以降、約10万人と見られるロシア軍をウクライナ東部国境付近とクリミアに展開し、自らの主張を力で担保する姿勢を明らかにした。
更に、同年12月には、アメリカ及びNATOに対し、NATOの東方不拡大や、ウクライナ及び同周辺への軍事力の展開や軍事演習を行わないという具体的なロシアの要求を書面で突き付けた。
アメリカに対する要求に含まれている、「中距離ミサイルや核兵器を自国の外に配備しない」という事や、NATOに対する、「欧州での軍事配備はNATO東方拡大前の1997年の状態に戻す」という条件は極めて高いハードルであり、米国やNATOには受け入れがたいものである。そのため、今年に入って行われた「米ロ戦略対話」や、「NATO・ロシア理事会」での進展は見られていない。
ロシアは、強硬姿勢を更に強めつつある。ロシアと強い結びつきを持つベラルーシ国防省は、1月下旬から2月上旬にかけて、ベラルーシ国内においてロシア軍と共同演習を行うことを明らかにした。一方のロシア国防省も、同じく1月下旬から2月にかけて、艦艇等140隻、航空機約60機、人員約1万人が参加する大規模海軍演習を行うことを明らかにした。
演習海域には地中海が含まれており、ロシア太平洋艦隊及び北洋艦隊の艦艇が黒海に入り、海からウクライナに圧力を加えることも考えられる。
また、1月13~14日には、ベラルーシ情報機関につながるハッカー機関によるウクライナ政府機関へのサイバー攻撃が行われたことをウクライナ政府が認め、米国防省は、ウクライナ国境地帯へのロシア特殊部隊の展開、ウクライナにおける親露派政権樹立の動き等を伝えており、2013年のクリミア併合時と同様の「ハイブリット戦争」が行われる可能性が高まっている。
弱腰のアメリカとNATO
ロシアの「強気」な姿勢に対し、アメリカ及びNATOの動きは弱いうえに遅い。
バイデン大統領は、1月19日、就任1年を迎えたスピーチにおいて、ロシアはウクライナに侵攻するとの見解を示した上で、「深刻で高い代償を払うことになる」との警告を発しているが、昨年12月の段階ではウクライナへの米軍の派遣は明確に否定している。それどころか、1月23日、米国務省は、ウクライナの首都キエフにある米大使館職員家族に退避命令を出したことを明らかにしている。
NATOは、1月12日の「NATO・ロシア理事会」終了後、ロシアが求めるNATO東方不拡大の法的保証を拒否したことを伝えているが、次回会合に望みをつなげること以外、具体的方針は示していない。むしろ、アメリカがウクライナへ武器供与を承認したのに対し、ドイツがウクライナからの武器供与の要請を拒否したことが伝えられており、NATO内での不協和音も認められる。
1月24日、NATOのストルテンベルグ事務総長は、NATO諸国が東欧の防衛力増強のため部隊の派遣を進めていることを発表し、米国防省も、8,500人規模の部隊に派遣に備えるように指示を出したことを明らかにした。NATO諸国がロシアの強硬姿勢に、遅ればせながら力による対応措置を講じ始めたという事ができる。
チキンゲームの観点からは、ウクライナに対するロシアの「強気」に対し、NATOの「強気」の範囲はNATO域内にとどまっている。ロシアのウクライナに対する「強気」を、アメリカを含むNATOが是認する可能性が高くなってきたと言える。
ウクライナはNATOへの加盟を希望しているものの、現時点では加盟国ではなく、NATOとしても集団防衛の義務は負ってはいない。また、バイデン大統領は8月のアフガニスタン撤退に関し、国内外から批判を浴びたことから、海外への米軍派遣には消極的と見られている。
これらのことから、ロシアのウクライナに対する軍事力行使という「強気」に対し、NATOが軍事力行使という「強気」に出て、両者が直接軍事衝突する可能性は低いと見積もられる。
一方で、ロシアが軍事侵攻し、ウクライナ全部を併合すような情勢も想像しづらい。ウクライナ西部にはロシア人が少なく、ウクライナ全土を併合した場合、反露勢力によるテロ等が頻発することになるであろう。ロシアは軍事的圧力を強めつつも、軍事侵攻に至らない程度で落としどころを探っていると考えられる。
「自由で開かれたインド太平洋」に悪影響?
米露高官会談を経て、アメリカはロシアに対する回答を書面で行うと報道されているが、その内容が及ぼす影響は、米露関係にとどまらない。ウクライナに対するロシアの主張を一方的に認めた場合、NATOとアメリカの威信は地に落ちる。
特に、台湾に対して圧力を強める中国に、軍事力でアメリカを抑え込むことができるという見方を与え、今後、自由で開かれたインド太平洋に悪影響を与えることが危惧される。
また、カブール撤退で傷ついたアメリカへの信頼度が、さらに悪化する可能性もある。
ウクライナ問題は、単に東欧における地域的紛争ではなく、中国及びロシアという権威主義的国家と、アメリカを中心とする民主主義国家のどちらが世界秩序を牽引するかという大きな問題をはらんでいる。
「強気」に対しては、「強気」で対応することも可能であるが、あえて双方が納得できる妥協点を探るという姿勢を見せなければ、相手の「強気」に押し切られてしまう。ロシアの軍事的圧力に対しては、少なくとも軍事的手段で対応するという姿勢を持つことが肝要であろう。
NATO諸国の東欧への兵力展開は、「力には力で対抗する」という姿勢の表れではある。しかしながら、同時にロシアとのはざまにあるウクライナを切り捨てるとの印象を与えかねない。これは、朝鮮半島をアメリカの防衛ラインに含めなかったことが朝鮮戦争の契機となったとされる、1950年の「アチソン・ライン」を彷彿させる。アメリカ及びNATOの真価が問われていると言えよう。(2022年1月27日記)
サンタフェ総研上席研究員 末次 富美雄
防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。護衛艦乗り組み、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令を歴任、海上自衛隊主要情報部隊勤務を経て、2011年、海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官。退官後情報システムのソフトウェア開発を業務とする会社において技術アドバイザーとして勤務。2021年から現職。
写真:ロイター/アフロ