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2022.11.03 対談

近藤正晃ジェームス氏との対談を終えて
近藤正晃ジェームス氏との対談:地経学時代の日本の針路(編集後記)

白井 一成

近藤正晃ジェームス氏との対談:
第1回:米露の関係修復もありうる?戦争が続く世界にこそ「いつでも話せる場」が求められる
第2回:米中が日米開戦の轍を踏まないために、開かれておくべきアートの扉
第3回:求められる日本の「引き算のデザイン」、GAFAがインテリアに凝る理由
第4回:「一族のもの」との反対を押し切ってプロに運営をゆだねたロックフェラー財団だからできたこと
第5回:「新しい資本主義」以前に、そもそも資本主義を徹底していない日本

 近藤さんは、さまざまな分野への深い知見と幅広いコネクションを持つ、日本を代表するグローバルトップエリートのひとりです。

 マッキンゼーアンドカンパニーでは多くの企業への戦略コンサルティングを行い、マッキンゼーグローバルインスティチュートでは各国政府の経済政策の助言をされました。その後、ツイッターの副社長兼日本法人の会長をつとめ、シリコンバレーに幅広い人脈を築かれます。現在は、公益財団法人国際文化会館理事長をはじめ、世界経済フォーラム第四次産業革命センター代表理事、アジアソサエティーの日本代表などの要職にあります。

 対談でも触れられているように、今年(2022年)の7月1日に、弊社「実業之日本フォーラム」の編集顧問である船橋洋一氏が理事長をつとめられていた一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブと、近藤さんが運営されていた国際文化会館が合併しました。

 国際文化会館は、第二次世界大戦後の日米文化交流において、ソフト・ハードの両面できわめて重要な役割を果たしてきました。かつてジョン・D・ロックフェラー3世は、日米関係は「政治・経済・文化の3つの領域」からなり、日米関係が長期にわたって持続するかどうかの決め手は「3つの領域を合わせた全体的な(トータルな)関係」がバランスよく機能するかどうかにかかっていると考え、こうした理念を受けた松本重治らの尽力で国際文化会館が誕生した背景があります。

 世界トップクラスのお二人がタッグを組まれる新生・国際文化会館は、わが国の国際的地位の向上に大きく貢献すると思われます。また、日本の建築やアートを呼び水とした国際交流を通じ、世界の安定化への寄与と日本経済の活性化を標榜されており、これはわが国の文化外交を、新たなステージに押し上げることになるでしょう。

 今回のこの編集後記では、近藤さんとの議論を踏まえて、日本のアート業界のグローバル化への考察を行いつつ、文化外交の積極化への示唆を得ることで、次回の対談のテーマである「現代アートと日本の国力」へのスムーズな橋渡しをしたいと思っております。

日本のアート業界のポテンシャル

 現在の日本のアート業界は、例に漏れず「ガラパゴス化」しています。グローバルなアート業界との交流が活発ではなく、日本独自の価値観でドメスティックな市場を形成しているため、海外からは理解しづらいと映るようです。また、グローバルなアート業界で活躍する日本人は多くなく、プレゼンスを発揮しつつある中国や韓国に比べて、国力に見合う存在感をあまり示せていません。

 しかし、それでも日本は大きなポテンシャルを秘めていると私は思っています。わが国は、多くのアジアの国々からさまざまな文化を受け入れつつも、悠久の歴史のなかで、独自の文化を築き上げてきました。そうした豊かな文化的背景に加え、アート業界における、多くのアーティスト、コレクター、批評家、美術館などの成熟したコミュニティは、日本の大きな強みです。

 対談の中でもご紹介しましたが、その日本の強みを大きくストレッチさせるために、世界最大のアートフェアである「アートバーゼル」と提携して、現代アートを中心とした「ART WEEK TOKYOアートウィーク東京」が有志によって企画され、私が共同代表をつとめさせていただいております。

 現代アートとは、20世紀以降、もしくは第二次世界大戦以降に生まれたアートを指し、作家の多くは存命しており、未来の美術史を担っている存在です。現代アートのプライマリーギャラリー(アーティストの新しい作品が最初に発表され、売買される第一次的なマーケットを形成するギャラリーのこと)は作家のサポートを担っている一方、美術館は作品の所蔵や展覧会を行うだけでなく、学術面の研究拠点としての役割も担っています。

 アートウィーク東京では、プライマリーギャラリーと都内の美術館をバスでつなぎます。これは、両者の有機的な交流を進めつつ、国内外の方々にその一体化された世界観を感じていただくことを企図しています。また、グローバルに活躍される現代アート業界の方々を東京にお招きして、日本のアート業界との接続の機会を提供します。

 しかし、現代アートの作品には、近代のそれとは大きく違い、一見すると模倣が容易なものや、ゴミを集めたようなもの、工業製品との区別がつかないものが多くあります。そもそもそれはアートなのか、価値はあるのかなど、大部分の人にとってはどう評価してよいかも分からず、馴染みにくい存在になっているのもまた事実でしょう。

 いったい、現代アートの評価というのは、どのようなものなのでしょうか。

現代アートに至る歴史を振り返る

 いまここに存在する「もの」が、現代アート作品であるのか、否か。

 あるいは、作品であるとされた場合、その解釈や位置づけなどは、特定のコミュニティの共通認識として、時間をかけて形づくられます。

 この特定のコミュニティというのは、主に西欧社会に根ざしており、一定以上の権威を持つ美術評論家、キュレーター、ギャラリスト、アーティスト、コレクターなどによって緩やかに形成されています。これらのコミュニティに加え、そこで作られる言説(ディスコース)や社会制度などを含めた「場」のようなものを総称して、哲学者であるアーサー・ダントーは「アートワールド」と呼んでいます。その「アートワールド」は、アート作品の美術史的価値や経済的価値の基準を生み出し、それを規定している社会制度であり、これがまさにグローバルなアート業界そのものなのです。

 ガラパゴス化してきた日本のアート業界をグローバル化させ、日本の文化外交力を高めるには、「アートワールド」との連動性を高めつつ、そのなかで重要な地位を占めていくことが必要です。

 そこでまず、近現代アート史を紐解きながら、「アートワールド」の歴史をみていきましょう。

 17世紀初頭の王政国家フランスは、ルーブル美術館もなく、縁故関係によって芸術家が組織されているために芸術家のレベルが上がらず、芸術においては後進国でした。このため、フランスの芸術振興と威光を高めることを目的として、ルネッサンスによって当時の文化先進国となっていたイタリアを手本に、中央集権的な王立絵画彫刻アカデミーという公的機関を設立。芸術家の教育や展覧会を行うことで、芸術大国としての礎を築きました。また、芸術作家は、知識人として強いエリート意識が芽生えることとなり、工芸品の職人とは区別されました。

 しかし、18世紀から19世紀の欧州における一連の市民革命や産業革命を境に、フランスを中心とした欧州社会に、民主的なアートコミュニティが生まれてきます。

 市民革命は、従来の王侯貴族や地主などの支配階級を一掃し、私有財産権や民主主義の骨格を形成しました。また、産業革命によって、自然エネルギーに頼った農業文明社会が、化石燃料を中心とした工業文明社会へと大きく転換し、多くのブルジョア階級(資本家や有産階級)を生み出し、市場経済が生まれます。

 ブルジョア階級は、貴族などの支配階級に取って代わってアートの収集を始めます。彼らは19世紀後半に登場したクロード・モネなどの印象派に大きく傾倒していきますが、これは印象派の画家のほとんどがブルジョア出身であったことも一因です。また、彼らは「文化を知らない労働者階級による卑俗な大衆文化」の蔓延を危惧し、アートの高貴で高い芸術水準を維持することを考えるあまり、ブルジョア階級は貴族に代わる新たなエリート層に収まることになったのです。

 印象派は、当時の常識では未完成作品と映る荒々しい筆遣いが特徴であり、視覚が捉えた光や自然の瞬時性の美しさを表現していました。アカデミーの絶対的な様式美と保守性の象徴である均整のとれた構図と彫像的な人物とはかけ離れており、それへの否定と挑戦と映りました。また、作家によるグループ展の開催と批評家による評価、さらにはコレクターを吸引することで民主的で開かれた市場を創り出し、アート業界を非中央集権のコミュニティ型システムへと転換させました。このシステムは、保守的な欧州とは違う、新しいものに寛容で美術の歴史が浅いアメリカで大きく支持されることとなり、アート業界におけるアメリカのプレゼンスが高まっていきました。

 このようにして、アートは中央集権で「貴族的」なエリートの社会から、コミュニティ型ではあるものの「ブルジョア的」なエリートの社会に大きく転換し、それが後の「アートワールド」に発展していくことになるのです。

 19世紀後半から20世紀初頭にかけては、しばらく「ブルジョア的」なアートコミュニティが続きましたが、このような安定は、業界そのものを硬直化させることとなり、新しい美を創り出す独創性が失われ始めました。

 これに対する挑戦が、1917年に発表されたマルセル・デュシャンの「泉」です。「泉」は、卑俗であり工業製品である便器を、アート作品として展示することで、「美しいアート」である近代アートを嘲笑し、それとは違う新しいコンセプトと思考を提唱したのです。これはアートの本質について大きな議論を巻き起こして、結果的には、アートの定義に大転換を迫り、第二次世界大戦後の現代アートの発展に大きな影響を与えました。

アートの概念と本質

 近代アートにおいては、外面の美の完璧さと、それを知覚する者の快楽という「美的価値」が必要条件とされていました。「泉」の登場は、アートにおける「美しさ」や、アートの定義そのものを根底から変えたわけですが、そのことについて、さらに「贋作」の例を用いて説明してみましょう。

 鑑賞者を完全に騙すことができた贋作は、オリジナルの作品と同様の表面的な美しさを備えていますが、贋作と分かった途端に無価値になるはずです。これは、アート作品の必要条件が、美的価値ではなく、その独創性や美術史における重要性という芸術史的価値であると示しています。つまり、アートの鑑賞の順番としては、アート作品の背景や作品の意図を理解したうえで、作品の美しさについて知覚するべきなのです。

 マルセル・デュシャンは、どこにでもある既製品の便器をアート作品と宣言することで、アートにおける美的価値を極限まで排除し、アートの本質に迫りました。また、作家がアート作品の意図を語らないことで、鑑賞者側で多種多様な解釈や概念が創り出される、そのさまこそがアート作品だと主張し、最終的には「アートワールド」に受け入れられたのです。

 つまり、「泉」の外見は、他の便器と全く同じであるものの、アートとして定義されれば、「泉」は芸術史的価値を持つことになり、便器が美的な知覚と鑑賞の対象になる、ということを示したのです。

 このような新しい思考とコンセプトのアートは、1964年に発表されたアメリカ人アーティストのアンディー・ウォーホルの作品である「さまざまな箱」に継承されます。これは、合板で作られているものの、「キャンベルトマトソース」や「ハインツトマトケチャップ」、「プリロソープパッド」などの段ボールを模しており、それを雑然と積み上げて展示されたものでした。

 この作品の背景には、第二次世界大戦後の大量消費社会が到来したことにより、知識や教育格差に関係なく、全ての階層の人々が、商業的な広告と商品を消費し、快適な日常生活に満足していたことが挙げられます。ウォーホルは、このような大衆文化を卑俗であり表層的であるとしながらも、それを嘲笑し否定するのではなく、事実として受け入れ、転写と反復する作品を通じて、ユーモアをもって鑑賞できるようにしました。これは、いままでの「高貴で高級な文化」としてのアートと、「卑俗で低級な大衆文化」である広告などとの区別を曖昧にしたものなのです。

 ウォーホルもデュシャンと同様に、従来の規範ではアートと考えられなかったものを、自らアートであると宣言して、「アートワールド」がそれを受け入れ、アートであると同意したゆえに、「様々な箱」がアートとして同定されたのです。

 こんにちでは、ウォーホルのようなポップアートにとどまらず、観念や構造に焦点を絞ったコンセプチュアルアートや廃棄物を集めたジャンクアート、作品の枠に収まらないパフォーマンスアートなど、現代アートは大きな広がりを見せていますが、これらもすべて「アートワールド」が受け入れているからこそ、存在していると言えるのです。

 このように、アート業界とは、そのときどきの権威や過去を否定しつつ、革新によって新しい時代を指し示し、それを「アートワールド」が受け入れて、次世代の仕組みを内発的に形づくる有機的な存在なのです。

日本も「アートワールド」の一員になるべき

 では、その「アートワールド」を成り立たせている心理とは、いったいどんなものでしょうか。作家や作品の芸術史的価値が作られていくプロセスを題材にして、考察してみたいと思います。

 その起点は、作家による作品コンセプトの説明です。これによって、作品の「文脈効果」が生まれます。「文脈効果」とは、あるものを理解するとき、その前後の状況や背景など、そのための知識を補強しながら理解することを言います。アートへの理解に置き換えると、作品の美醜などの感性による優劣の判断が難しい場合に、作品の背景などの「文脈」を知ることによって、より良い評価をしてしまうようなケースのことを指します。

 次に、この作品に対して、高名な批評家が高い評価をつけた場合、「権威効果」が働きます。これは、権威のある人の意見を、周りの人々が信じ込み、高く歪んで評価することを指します。加えて、「内集団バイアス」と「同調バイアス」も作用することになります。「内集団バイアス」とは、仲間を好意的に受け入れるが、仲間ではない外集団には侮蔑的な態度をとることであり、「同調バイアス」とは、他人の行動や考え方と同じようにふるまうことです。このため、多くのアート業界の人々は、権威がある人の批評を高く評価し、好意的にそれを受け入れ、同じような見解を示すことになります。

 このような集団による見解が再び作品の「文脈効果」を作り、それが、また「権威効果」や「内集団バイアス」、「同調バイアス」を作用させるという往還が、美術史を形作ってきたのではないだろうかと私は考えています。

 また、ブルジョア階級が近代アートを支えたように、アート業界の発展には資本流入が不可欠ですが、第二次世界大戦後のアメリカを中心としたグローバル資本主義の発展が、多くの資本家を生み出したことによって、アート業界の拡大を推進したといっても過言ではありません。

 近藤さんとの対談の中で、フィランソロピーについて議論させて頂きましたが、欧米の世界では、寄付は「実験的な資金」と位置づけられており、ソーシャルイノベーションの原動力になっている、という指摘がありました。

 アート業界においても、多くの欧米の富裕なコレクターは、自分のためのコレクションを行うだけでなく、美術館への寄付や作品の寄贈などにも熱心であり、美術館のコレクションの方向性などにも関与している場合も少なくありません。これは、未来の美術史づくりの一端を担っているとも言え、まさに「アートワールド」の一員になれるのです。

 それだけでなく、都市にある美術館やギャラリーの魅力を高めることは、観光客の誘引といった経済的効果だけでなく、都市や国家のソフトパワー向上に直結します。

 ロンドンのテートモダン、ニューヨーク近代美術館など、世界の先進国の都市には、名だたる美術館が存在し、素晴らしいコレクションが収蔵されています。それが「アートワールド」における一つの重心となり、自国文化の世界への窓口となることで、都市や国家の大きな影響力へ転換されるのです。

 マイケル・ポーターのクラスター理論に従えば、都市に「アートワールド」につながるアートのクラスターを形成すべきなのです。

 アートフェアもそのクラスターの一つです。アジアを見渡せば、香港においては、税制などの法制度や西欧文化に適した社会インフラが整備されているだけでなく、「アートバーゼル香港」が毎年開催されており、世界中の有力ギャラリーが支店を構え、アート業界の人々が集積し、有機的なネットワークを形成しています。香港は、名実ともに、アートにおけるアジアの中心都市のポジションを築き、グローバルな「アートワールド」の重心の一つを占めているのです。

 また、サムスン文化財団のコレクション展示を行うリウム美術館を擁する韓国も、今年からアートバーゼルに匹敵するアートフェアであるフリーズを誘致し、アジアのアート中心都市の基盤固めを始めております。

 日本は、経済力の低下と軌を一にして、ソフトパワーの減少も危惧されています。 

 アート分野は、ソフトパワーの主戦場の一つだと思います。日本は、グローバルな「アートワールド」の主要なプレイヤーとして加わり、存在感を高めでいく必要があるのではないでしょうか。

写真:Martin Parr/Magnum Photos/アフロ

文:白井一成

白井 一成

シークエッジグループ CEO、実業之日本社 社主、実業之日本フォーラム 論説主幹
シークエッジグループCEOとして、日本と中国を中心に自己資金投資を手がける。コンテンツビジネス、ブロックチェーン、メタバースの分野でも積極的な投資を続けている。2021年には言論研究プラットフォーム「実業之日本フォーラム」を創設。現代アートにも造詣が深く、アートウィーク東京を主催する一般社団法人「コンテンポラリーアートプラットフォーム(JCAP)」の共同代表理事に就任した。著書に『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤誉氏との共著)など。社会福祉法人善光会創設者。一般社団法人中国問題グローバル研究所理事。