ウクライナ危機や米中摩擦による世界の分断が急速に進むなか、その利害が対立する国との関係修復はより困難を極めていくだろう。かつて、第二次世界大戦後の日本はいかにしてアメリカとの関係を修復していったのか?それには東京都港区に位置する「国際文化会館」が大きな役割を果たしていた。<米中が日米開戦の轍を踏まないために、開かれておくべきアートの扉>に続き、完全な民間独立でありながらも国際的役割を果たしてきた国際文化会館でいま理事長を務める近藤正晃(まさあきら)ジェームス氏に、国際社会の進むべき方向や日本が担うべき役割について聞いた。
注目集める「引き算のデザイン」
近藤:戦後盛んだった財界団体による海外での活動は、一部の発展途上国との関係構築のためには今でも無意味ではありませんが、個人が見えない財界の国際交流に心踊る時代は大概の国ではもう終わりつつあります。最新テクノロジー研究が盛んなアメリカのシリコンバレーのリーダー達が日本に来たとき、日本の政治家や大企業の経営者ではなく、日本独特な多彩な表現形態を持つ建築家やデザイナー、アーティスト、禅僧、思想家と話がしたいと言います。
例えば、彼らは日本の「引き算のデザイン」に関心があります。というのも、現在機械のデータや機能が急拡張する一方で、限られたスマートフォンの画面の大きさの中でいかに情報をそぎ落としてシンプルに多くを表現できるかに注目しているからです。このような「引き算のデザイン」には、日本の建築家、デザイナー、アーティスト、禅僧、思想家がチャレンジし続けてきました。建築のノーベル賞とも言われるプリツカー賞の受賞者は日本人が最も多いのですが、なぜ日本の建築が世界でここまで評価されているかということを私たちは深く考察する必要があります。
日本の建築やデザインのパワーは、現在のデジタル社会におけるスマートシティの設計などに大きく貢献できるものですし、その力なくして日本とシリコンバレーの交流を続けることは難しいと思います。日本企業はデジタルトランスフォーメーション(DX)のためにシリコンバレーに目が向いていますが、シリコンバレーのリーダーは日本の建築やデザインに目が向いています。
これからの時代にはこのように国境を超えてマルチセクターなものを自由に組み立てられる人の存在が重要だと感じています。
世界では「エンジニアよりデザイナー」が評価され始めている?
白井:確かに私も、シリコンバレーではデザイナーがエンジニアと同程度かそれ以上の評価を受けていると感じます。
近藤:機械のキャパシティが足りていない時点では、人々はその機能性やデータ処理速度の改善に取り組みます。しかし、全体のキャパシティが満たされてくると、次はそのキャパシティをどのように自分の幸福に直結させられるかが問われます。
例えば、洋服は寒さをしのぐために必要ですが、そこが満たされた世界ではそれ以外の別の意味も追求され始めます。時計も初めはとことん正確さを追求されて作られますが、正確さが当然となってしまえば人々は時計にそれ以外の役割も付け足そうとするのです。これは、あらゆる分野で一定のキャパシティを超えてくると起こる現象です。また、デジタルやAI技術分野も伸びていますが、そのキャパシティが満たされれば、人々はそれをどう自分の幸せにつながる形でデザインしていくかということにも関心を持ち始めます。
「問い」としての「アート」があり、「課題解決」としての「デザイン」があります。まず既存の課題解決のためにハードとソフトの両面でのデザインを通じてのイノベーションが求められています。その上で、より良い未来を創るための新たな問いのためにアートを重視していくことが大切です。
その中でも「建築」は理系でも文系でもありハード面もソフト面もある拡張性のある分野です。建築のノーベル賞とも言われるプリツカー賞受賞者は日本人が最も多く、日本は世界に強い競争力を持っています。
そしてこれからは「世界のアーキテクチャ」や「都市のアーキテクチャ」、「地域コミュニティーのアーキテクチャ」などのメッセージを全面に出した作品や考えが必要になってくるでしょう。日本がその新たな世界観を作りその中に経済をも含めることができるなら、それは世界に衝撃を持って受け止められると思います。
2016年にはMOMA(ニューヨーク近代美術館)で、プリツカー賞を受者者である建築家の伊東豊雄氏や西沢立衛氏と妹島和世氏による建築家ユニットSANAA(サナア)の作品を紹介する展覧会が開かれました。世界の人々が日本の建築作品に魅せられることで、結果的に日本に興味を持ったり作品の中に日本を感じてくれたりしたら良いと思います。
建築の「真の目的」とは何か?
近藤:建築を含む芸術やフィランソロピーの活動は本質的な意味を持っているにもかかわらず、多くの人からは趣味的なものとして捉えられがちです。
例えば、GAFAや他のシリコンバレーにある企業が自社のインテリアにこだわっていると、趣味的にお金を使っていると思われます。しかし企業は、クリエイティブな人に集まってもらい最大限のアウトプットを出してもらうための空間設計をしているのです。
現在私が理事長を務めている国際文化会館は、第二次世界大戦を阻止できなかった日米を中心とした人々が集まり、フィランソロピーをもとにした国際相互理解のための拠点となっています。この場所で戦争の反省を生かし、これからの平和や発展について話しているのです。
ここに座って庭を眺めるとなんとなく心が落ちついたり、ここを一緒に歩くと気持ちが変わったりするというように、空間は人々の思考に大きな影響を与えます。例えば、戦国時代の千利休による茶室の役割も同じだったのではないでしょうか。戦国武将たちは刀を置いてその狭い茶室に入っていたのです。
私はもともとビジネスや政治の分野でさまざまな課題に取り組んできましたが、それでも解決できない問題にはアートやデザイン、建築の力が必要だと思っています。
「触媒的な人」を呼び込む必要性
白井:アートや建築を磁力として世界のビジネスエリートなどを日本に呼び込んでいくことは日本の国力に直結するのでしょうか。
近藤:国際文化会館はこれからも「触媒的な人材」の呼び込みに力を入れていく予定です。触媒的な人の作用によって周りの人々の動きや関係が良好になります。
これまでの国際文化会館の歴史上でその役割を果たした代表例は、モダニズムを代表するドイツの建築家ヴァルター・グロピウス氏です。彼はドイツの美術学校バウハウス創設を経てハーバード大学デザイン大学院学長として活動している頃に国際文化会館に長期滞在し、モダニズムに呼応するようなシンプルな構造による日本の建築に魅せられました。
彼は日本滞在時に建築家の丹下健三と連携し、ハーバードに戻るとその後ハーバード大学デザイン大学院に留学する建築家の槇文彦とも交流します。この2人は、建築のノーベル賞と呼ばれるブリツカー賞を最初に受賞する日本人となります。バウハウスとハーバードでモダニズム建築を追求したグロピウスが、国際文化会館における長期滞在を通じて触媒となり、日本の建築の世界的な飛躍に貢献したのです。
その後、彼はアメリカのハーバード大学デザイン大学院の学長に就任し、初めて現在における建築科のカリキュラムを作り、建築学科が誕生しました。そこで初めて学んだ日本人が槇文彦です。国際文化会館による触媒的な人材の呼び込みが、結果的にはモダニズム建築の日本のプレーヤーを生み出し、それが世界的なムーブメントを起こしていきました。
国際文化会館で日本やアメリカを超えて次の新たなものが世界に波及していくきっかけとなる出会いが生まれたら良いと思います。そして、テクノロジーと建築やデザインを交流させたときに、新たな産業やプロダクト、都市のあり方が生まれてくるとも思います。アートはその土地固有のものですが、それらを日本特有の様式や手法の一つとして世界に波及させていきたいです。
断絶状態の「日本と世界のアート市場」
白井:現在のアートの世界における日本と世界の市場は断絶しているように見えます。現代美術家の杉本博司氏など少数の日本人アーティストはグローバルに活躍しているものの、それに続くインターナショナルな若手は育っていません。これは日本のアート市場が小さいために世界の人々が日本のアーティストを知ることができず、日本人も世界にそれを知らせる努力をしていないことが原因なのではないでしょうか。
私はこのような問題意識のもとで、2021年11月に「アートウィーク東京」を主催しました。お客様が東京の約50もの美術館と現代美術のギャラリーをバスで回るという企画で、今後も毎年開催を予定しています。現代アートのギャラリストの蜷川敦子さんとともに法人を設立し、世界有数のアートフェアであるアートバーゼルや日本現代美術商協会(CADAN)の協力のもとで、コンテンポラリーアートプラットフォーム(JCAP)が運営しています。今年は、海外のアートバーゼルのお客様をお招きしようと計画しています。
世界のコレクターを日本に呼び込み関心を持ってもらうことで日本のアート市場を拡大させていき、日本を中心とした国際交流の発展につながると良いと思います。
近藤:素晴らしい活動ですね。私は、ビジネス界とアート界は似ている部分があると感じます。日本の芸術界には固定的なヒエラルキーが存在しますが、そこでのヒエラルキーの上昇が必ずしも世界で活躍することにつながっているわけではありません。
現代美術家の杉本博司氏や村上隆氏など一部の人はその枠から飛び出た超人的なエネルギーを持った個人として活動していますが、それ以外の多くの日本人は国内のヒエラルキーの中で成果を出せていてもそれだけでは食べていけていません。そこには権威はあってもにぎわいはないし、イノベーションもなかなか生まれてこないのです。
ビジネス界でも、超人的なエネルギーを持つ柳井正氏のような実業家は世界で活躍していますが、国内の経済界のヒエラルキーでの評価は、そうしたグローバルな活躍につながらなくなって久しいです。こうした状況はあらゆる分野に共通する問題です。超人的な存在ではなくても世界で活躍できるような仕組みづくりが必要なのです。若い頃から海外に留学するチャンスを広げるとともに、より多くの人が関わることができるようなプラットフォームや土壌を作るためには、アートバーゼルのような世界中の人たちを呼ぶことができる場所を作り、美術家とキュレーターやバイヤーなどの人たちをつないでいくことが必要です。
写真:picture alliance/アフロ