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2021.06.29 船橋洋一の視点

習近平体制の対米戦略:勢力圏と戦狼外交
『危機の時代と日米中の軛』(6の5)船橋洋一編集顧問との対談:地経学時代の日本の針路

白井 一成 船橋 洋一

ゲスト
船橋洋一(実業之日本フォーラム編集顧問、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長、元朝日新聞社主筆)

聞き手
白井一成(株式会社実業之日本社社主、社会福祉法人善光会創設者、事業家・投資家)

「中国の夢」と「一帯一路」

白井:2021年2月11日、バイデン大統領は、初めて習近平主席と電話会談を行ったと伝えられています。報道によれば、バイデン大統領は「自由で開かれたインド太平洋」を守るとしたうえで、中国の人権侵害や台湾を含む地域における独断的な行動に懸念を示しました。

これに対して、習近平主席は、中米関係は世界で最も重要な関係であり、協力以外に選択肢は無いとした上で、両国関係の改善を強調しました。ようやく始まった米中外交ですが、習近平主席はどの様な対米戦略を思い描いているとお考えでしょうか。

船橋:おそらく中国の戦略家たちは400年ぶりの機会に恵まれたと考えているのではないでしょうか。1600年頃の大航海時代には、スペインやポルトガルといった西洋の国々の大型帆船が東洋を歴訪し、貿易で、あるいは武力を使用し、東洋の富を西洋に持ち帰りました。それまでは、東洋のGDPは西洋をはるかに凌駕していました。大航海時代に、西洋と東洋の大逆転が始まったのです。今度は、これを再逆転する。その歴史的使命を負っているのは中国である、と。これが「中国の夢」なのでしょう。

この「中国の夢」を最も象徴的に表しているのが、習近平中国国家主席が掲げた「一帯一路」構想です。陸と海の二つのシルクロードですが、長期的に見れば、海のシルクロードのほうが、戦略的意味が大きいと思います。

アメリカの政治学者ニコラス・スパイクマンは、1945~6年に出したリムランド戦略構想で「リムランドを支配するものは、ユーラシアを支配し、ユーラシアを支配するものは世界の運命を支配する」というリムランド論を展開しました。これは、マッキンダーの「ハートランド」戦略構想に対抗する考え方です。

リムランドとはユーラシア大陸を囲む大洋の沿岸部の島嶼国家群のことです。そこを確保し、重要なシーレーンと戦略的な海峡などのチョークポイントを抑えることで広大な勢力圏を確保する戦略です。シーパワーはリムランドを取ろうとする、ランドパワーはそれをとらせまいとする、そういうことでリムランドを巡る地政学的闘争は世界規模で起こりやすい。

アリュ-シャン列島、日本列島、南西諸島、台湾、フィリピン、ボルネオとつながる第一列島線と、小笠原諸島、グアム、インドネシア、パプアニューギニアとつながる第二列島線を防護するというのが中国の海軍戦略です。これは、中国人民解放軍海軍司令員だった劉華清が、中国人民解放軍近代化計画のなかで示した概念ですが、第一列島線はユーラシアのリムランドそのものです。

中国の「海のシルクロード」の本質は、このリムランドにおけるアメリカの海洋パワーを中和し、衰弱させ、最後は消却することだと思います。

2012年に、中国はパキスタン、バングラデシュの最大の貿易相手国となります。2016年には債務の罠で有名になった、スリランカのハンバントタという港の99年間にわたる管理権を手に入れます。中国は、パキスタンのグワダル港とミャンマーのチャウピュ港でも権益を拡大し、2016年には海軍(PLAN)として初めての国外基地をジブチに設けました。現在、2万5000人の海軍軍人が駐屯しています。これは、ジブチからケニア、そして東アフリカへと伸びていきます。この「海のシルクロード」は、更に2,000キロの紅海を上り、スエズ運河を経由して、ギリシャのピレウス港、そしてフランスのマルセイユ港にまで伸びているのです。中国が確保した港湾施設などへのアクセスポイントを地図上に表示しますと、“真珠の首飾り”のように見えます。

もう一つ、中国の「海のシルクロード」を支えることが期待されているのが深海を這う中国の海底ケーブル網の建設です。ここでは例えば、PEACEという海底ケーブル戦略が展開されています。Pはパキスタン、EAは東アフリカ、Cはコネクティング、Eはヨーロッパを表しています。パキスタンからインド洋、東アフリカ、紅海を抜けてマルセイユまで海底ケーブルを敷くという構想です。海底ケーブルは、インターネット時代のデータのシーレーンです。PEACEは2021年には完成する予定です。

さらに中国は最近の地球温暖化の影響を受け、北極海航路への野心も示しております。東シナ海から、日本海、オホーツク海、ベーリング海、そして北極海に繋がるシーレーンです。これは「氷のシルクロード」と言われています。北極海航路は、スエズ運河経由のルートに比較すると約30%航路が短縮されるとともに、バブエル・マンディブ海峡やマラッカ海峡というゲリラや海賊などの脅威が少ないという利点があります。同航路は、氷の状況に左右され安定した航路とは言い難い点や、荒天に見舞われることが多いといったリスク要因も多々あり、克服すべき点もありますが、ここもまたユーラシアの戦略的リムランドであることを忘れてはなりません。今後の米中の戦略的競争を考えるとき、中国のユーラシア戦略、なかでもユーラシア・リムランド戦略とどう対峙し、競争していくべきか、を念頭に置いておくことが必要です。

中国の『無制限戦争』論

白井:先日、「南洋と『インド太平洋』」について対談させていただいた際にも、陸の一帯一路の中間決算は、中国にとって赤字と見込まれるのに対して、海の一帯一路の中間決算は黒字と見込まれるということについて、お話しいただきました。

発展途上国が、より豊かな中国を貿易相手国とすることで、貿易黒字を稼げば、国民の所得は上昇し、一気に経済成長する。更なる産業の発展のために、中国からの投資を受け入れ、好循環が生み出される。中国が豊かで高成長を続けている限り、このモデルは永続します。これは、第二次世界大戦後に荒廃したヨーロッパ諸国にアメリカが行ったマーシャルプランに近いものですが、中国のケースでは、コロナショックの影響はあるにせよ、その投資のパフォーマンスが悪く、発展途上国が中国への借入を返済できなくなるケースが後を絶たないようです。

しかし、これは中国にとって意図した結果なのかもしれません。返済が難しくなった融資を背景とした支配関係の構築は「債務の罠」と呼ばれ、すでに国際問題化しています。本来、採算性の高い投資を積み上げて全体の経済効率を高めることが正しい姿なのでしょうが、支配を目的とした投資であって経済効率は二の次にしてよいのであれば、プロジェクトのみならずそれを包含する経済全体の持続可能性は低くなってしまいます。

対米政策という意味では、中国は強大なアメリカに対してまともに立ち向かっては勝ち目がないでしょう。非対称な方法でアメリカへの対応を考えているのではないかと認識しているのですが、具体的にはどのような形なのでしょうか。

船橋:中国の対米戦略の中心軸は、1999年に人民解放軍の将校2名が著した『無制限戦争』にあると思います。これは、軍事的挑戦、軍事的支配はあくまでも最終手段とした上で、軍事から非軍事、フィジカルからデジタル、有事から平時という曖昧な部分を含む全てのエリアでの戦争において、相手の戦略を打ち負かすことを最大の目的と位置付けています。まさにこれは孫氏の兵法にほかなりません。『無制限戦争』では、軍事のような対称の分野で競争するには差が大き過ぎる、大量の資金と時間が必要である、そのような分野では直接対決は避け、軍事以外の分野における戦争が有効であるとしていると主張しています。2001年9月11日、アメリカにおいて同時多発テロが発生しました。『無制限戦争』の著者は、自らの主張が現実のものとなったとし、強大な米国に対抗するためには、非対称の方法が有効であることが証明されたと自賛しています。

今後20年、中国の経済はますます大きくなっていく。だから、まずは経済で戦っていく必要がある。しかし、その他の分野も、グレーゾーンも含めて曖昧なところが特に重要であり、それを含めての戦争という考え方です。海、空、宇宙、サイバーといったドメインそれぞれでアメリカに挑戦していくことと同時に、そうした軍事的ドメインにとどまらず5G、デジタル通貨、EV、バッテリー、水素、量子コンピューティング、バイオなどの経済技術、そしてそれらすべてを包含したパワーとレバレッジの枠組み、つまりアメリカの戦略の芯そのものを打ち砕いて、中和化させてしまうことこそが勝利であり、それを目指すべきだという考え方です。

こうした考え方を明確に示したものとして、2020年4月に開催された中国共産党中央委員会の経済委員会第7回会議での習近平講話があります。習近平国家主席はここで二つのことを主張しました。その一つは、内と外の大循環、相互循環です。中国が海外市場に積極的に出ていくと同時に、中国市場に海外資本を引き込むという相互の循環が重要だとの認識です。国を閉ざすということはしない。なぜなら、中国のパワーは広大な市場と市場力にあり、それが生み出す引力にあるという考え方です。中国ではその場を「引力場」と呼んでいます。

二つ目は、他国の製品、部品、素材、サービスを中国起点のグローバル・サプライチェーンに引き込み、組み込み、離れられなくするというパワーです。これを中国語で「拉緊」と言います。この「引力場」と「拉緊」は経済相互依存の武器化そのものであり、どちらも極めて地経学的な考え方です。

白井:拉緊ですが、経営学でも「システム・ロックイン」という考え方があります。システム・ロックイン戦略とは、生態系全体の経済性に焦点をあてるもので、サプライヤー、パートナー、補完事業者、場合によっては顧客を含むビジネスモデルに関係する全ての利害関係者から構成されるシステム全体の経済性に焦点を当てています。

補完事業者のロックインとは、ターゲット顧客と補完事業者を結びつけるプラットフォームやネットワークを構築するもので、ネットワーク外部性を狙ったものです。競合他社のロックアウトとは、競合他社が顧客を獲得することを困難にする障壁を築くことであり、流通チャネルを支配したり、補完事業者と共同で付加価値のあるオファーを提供したりすることで、顧客のスイッチングコストを高めます。業界スタンダードとは、自社プロダクトと協働するために設計されたサードパーティの広範囲にわたる補完事業者ネットワークによって築くものです。拉緊という言葉は、この「システム・ロックイン」をイメージさせます。

中国にも弱点はある

白井:最近、中国の姿勢が高圧さを増しているという指摘があります。世界第2位の経済、近代化を進める軍など、中国の強さが目立ちますが、中国には弱点は無いのでしょうか。

船橋:中国は強面で、決して自分の弱みを見せない国ですが、今後20~30年を考えた時には、中国の弱みも見ておかなければならないと考えています。私は、3つあると考えています。その一つは、腐敗問題です。習近平の反腐敗運動は権力闘争の側面が極めて強いのですが、一面でそれをやらざるを得ない構造的腐敗を中国共産党が抱えているということだと思います。中国の国民が共産党支配に最も強い不信感を持つのは腐敗です。腐敗の構造は政党間に競争原理がなく、共産党の一党独裁そのものに根差していますから、一党独裁が続く限り、この問題を解決することはできません。党の党員に対するコントロールとしては、<批判―自己批判>をつうじた思想統制があり、その全党的取り組みが「運動」です。ただ、習近平の「反腐敗対策」はこの「運動」にまでは及んでいない感じがします。権力闘争と権力の基盤固めが本質だからだと思います。習近平体制は最後まで反腐敗闘争を続けていくことになるでしょう。大物の腐敗を暴き、国民に留飲を下げさせることは一時的には可能でしょうが、根っこは変わりませんから、国民の不信感としらけは籠っていくだけです。

二つ目は、少数民族、特に新疆ウイグルのムスリムへのジェノサイドの問題です。これを「ジェノサイド」(民族虐殺)と言う言葉を使って弾劾することが適切かどうか……もう少し慎重に取り扱うほうが得策なのではないかと思いますが、ムスリム民族に対する文化的かつアイデンティティ抹殺に近い人権迫害であることは間違いないでしょう。今のところ、「一帯一路」の沿線国のムスリム国の政府はこの問題に対して声を大きく上げていません。ユーラシアにおけるイスラム国家のリーダー格のトルコでさえ、市民はともかく政府も最近は沈黙している状況です。国連も中国は“多数派”を握っており、中国の人権問題については効果的な取り組みはできていません。

三つ目は権力継承です。党規約改正により、二期までという制限が撤廃され、習近平が三期目を務める可能性が高くなってきました。一党独裁政権で、個人独裁が進んだ場合、権力の継承は難しくなります。長くやればやるほど難しくなります。中国ではおそらく世襲はできません。北朝鮮とは違います。建国百年である2049年に習近平は97歳になります。そこまで続けるという人もいますが、それは考えにくい。中国共産党にとって、権力継承が最大の試練となるかもしれませんね。厄介なのは権力継承問題と台湾海峡問題が微妙に絡み始めたことです。「二期まで」というそれまでの決まりを習近平が一方的に取っ払ったことへの党支配層の不満は根強いものがあります。しかし、“台湾解放“を成し遂げればそんな批判も不満も消し飛ばすことができます。中国は2027年までに台湾侵攻を行うのではないか、との「台湾海峡2027年危機説」は習近平体制第三期目の仕上がりというサスペンスフルな状況をも念頭に置いているのだと思います。

今は躍進する中国ばかりが目に映りますが、過去60~70年のスパンで見ると、国民に多くの犠牲者が発生したことが何度もありました。非公式な推計は様々ありますが、多くの研究者が1959年から3年間の飢饉の際に一人の独裁者の下で約1,500万人から5,500万人が犠牲になったと推定しています。十年続いた文化大革命でも多くの死者が発生しました。中国共産党の公式統計はありませんが、死者数は40万人から2,000万人以上と諸説あります。比較的新しい研究でも、110万人から160万人が死亡し、2,200万人から3,000万人が迫害の犠牲になったとされていて、多くの犠牲者が発生したことは間違いありません。毛沢東の晩節、四人組と言われる毛沢東の後妻である江青を中心とした四人の文化大革命首謀者が権力を振るい、中国政治を大混乱に陥らせた時期がありました。

中国が内政の危機になった時が本当の危機です。半端ではない危機です。権力継承というのはそのような恐ろしい危険性を孕んでいると思います。

以上、中国の体制の脆弱性を3つ挙げましたが、あえて後2つ挙げるとすれば、人口と水ではないかと思います。

今後急速に進む人口減少が社会と財政の重圧となるでしょう。資源配分をめぐる“銃とバター”の間の、地域間の、そして世代間の闘争が激化してくるでしょう。中国は2021年に高齢化社会に突入します。新疆ウイグルでは漢族の人口増を図るためさまざまな措置を取る反面、ムスリム系の人口増を抑制するため半強制的な措置を取っている、とニューヨーク・タイムズ紙は報道しています。(2021年5月12日付)

もう一つ、中国の水不足は深刻です。黄河の水資源はいま、1940年代の10分の1に縮んでいます。黄河流域地域では、過去50年間にそれが半減したと報告されています。国連は、国民一人当たり1年間の水資源量は、1700㎥、1000㎥、500㎥の3つのレベルでそれぞれ「水ストレス」「水不足」「絶対的水不足」と分類していますが、中国北部の8省は「絶対的水不足」、11省は「水不足」です。今世紀のユーラシアの地政学的大闘争は、ヒンズークシ・ヒマラヤの水資源をめぐる戦いになる可能性があります。ここは、揚子江も黄河も、インダスもガンジスも、メコンも、アジアの大河川が水源とする世界の屋根です。南極、北極に次ぐ大氷原です。中国、インド、パキスタン、ネパール、ブータンのヒマラヤ諸国に加えて下流のバングラデシュ、ミャンマー、タイ、ベトナムなどを巻き込んだ水資源の争奪とダムの建設競争がし烈になると見られています。

「空に2つの太陽はない」

白井:2020年10月6日、ドイツ国連大使は、国連総会第三委員会の一般討論会において、39カ国を代表して「中国新疆ウイグル自治区の人権状況と最近の香港情勢を深く憂慮する」との共同声明を発表しました。これに対して、キューバ代表は45ヵ国を代表して、パキスタン代表は54ヵ国を代表して、中国を擁護する共同声明を読み上げており、中国の人権問題を巡っては、批判派と擁護派の鍔迫り合いが続いています。

船橋:ただ、最近のBBC報道では、中国が過去数年間に100万人以上のウイグル人を「再教育キャンプ」に拘束し、強制労働に従事させているということです。このように、ムスリム少数民族への非人道的な措置がクローズアップされれば、将来、中国とイスラム社会の間の緊張要因となる可能性とともにイスラム国におけるムスリム系と中国系の間の反目をもたらす危険もあります。インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイなど、ムスリムと中華系が共存している東南アジア諸国では、この問題を単に中国の国内問題として済ますことができない側面が出てくる可能性があるでしょう。中国が東南アジアに影響力を行使する際のある種の限界となるかもしれません。中国の「海のシルクロード」戦略にとって、東南アジアの国々は極めて重要な位置にありますが、中国の新疆ウイグルでのムスリム少数民族に対する文化・アイデンティティ抹殺問題は10年、20年の単位で見たとき「海のシルクロード」を決壊させる可能性もあると思います。

白井:先生のお話を伺い、1998年のインドネシア、ジャカルタ暴動を思い出しました。アジア通貨危機の影響を受けて、社会不安が広がったインドネシアで、「人口の3%に過ぎない華人が富の7割を握っている」との批判が集まりました。華人の商店や邸宅が焼き討ちにあい、インドネシア全土で1,000人以上の華人が死亡したと見られています。東南アジアでは、いつでもこのような事件が起こる可能性があるということを再確認しました。

その中国の国際秩序観はどのようなものでしょうか。中国はかつて「華夷秩序」という秩序感を持っていました。これは、中国の天子の徳によって政治が行われ、その徳が及んでいる地域が「中華」であり、及んでいない場所が「夷狄」、野蛮な地であるという解釈です。中国の「一帯一路」は、この様な中華思想が背景にあるのでしょうか。

船橋:ジョージ・ケナンや、アメリカの中国学者の最高峰だったジョン・K・フェアバンクも指摘したところですが、中国の国際秩序観には、平等という概念が全くありません。国内の秩序観を、そのまま世界に投影、当てはめるというものです。マイク・ペンス副大統領も、ハドソン研究所で2018年10月4日に行ったあの有名な演説でその点に触れていたと思います。

2010年のASEAN地域フォーラムで、当時の中国の外務大臣であった楊潔篪は、ASEAN10ヵ国の外務大臣を見ながら、「中国は大国だ、君たちは小国だ、それは事実だ」と言った。これは、南シナ海の問題をめぐって、中国のやり方に批判を表明した東南アジアの国々に対する楊潔篪の“にらみ“ですが、中国の国際秩序観は、この“楊潔篪・ドクトリン”に最も端的に表れています。

最近、「戦狼外交官」という言葉をよく聞きます。これは2017年に中国で大ヒットした、中国軍特殊部隊の隊員が、内戦下のアフリカで同胞を救うため活躍する映画「戦狼」にちなんだ表現です。新型コロナウイルス感染拡大を受け、これを「武漢ウイルス」と呼ぶトランプ政権に強く反発し、反撃する中国の外交官を、中国の報道で「戦狼」外交官としてもてはやしたことから始まっています。中国の『環球時報』は、「中国が従順であった時代は終わった」と言い切っています。中国の戦狼外交官は、中国が貧しかった時代や、文化大革命で混乱した時期のことは忘れています。中国が、更に経済的、軍事的に強大となってきたことから、その存在感に大きな自信を持ち、強硬な発言をすることに何のためらいも感じていないということだと思います。中国では「空に2つの太陽はない」と言いますが、その国内の皇帝の思想を世界にも投影しているところに、中国が世界に公共財を提供できない根本原因があると思います。アラブ世界に登場したイスラム国のような原理主義・過激主義潮流とロシアのクリミア併合や中国の南シナ海の違法占拠のような国連海洋法違反と言った地政学的勢力圏拡大の潮流が、戦後70年築いてきた「自由で、開かれた国際協調秩序」を根底から崩しつつあるということができるでしょう。

アメリカとイギリスのような世界を支配したアングロサクソンの国々はこと国際秩序形成では多分に「偽善的」です。どの覇権国も自分の国に一番都合の良い国際秩序を作りますが、それを世界のために一番いいシステムだとして掲げます。E.H.カーは古典的名著『危機の20年 1919-1939』の中で、「英語人は彼らの自己中心の利益を公共の利益の装いにくるませて隠す芸にかけては達人であり、この種の偽善はアングロサクソン特有の特別なそして特徴的な特異性である」と述べています。ただ、彼らが内実自分本位の国際秩序をユーザー・フレンドリーにしたことは事実です。だからこそ長い平和をつくることもできた。

しかし、米国や欧米が今後、このようなユーザー・フレンドリーな国際秩序を再構築できるか、となると国内のポピュリズムがその足かせになるのではないかと思います。2016年のブレグジット国民投票やトランプ大統領候補の勝利はポピュリズムの時代の到来を示すものとみなされています。トランプ後も米国内の大分断は続きそうです。

一方、中国主導の国際秩序も国内の社会監視、密告制度、司法の独立と言論の自由の不在、要するに恐怖政治の延長でその原則が規定されていく可能性が強い。市場力(引力場)とグローバルサプライチェーン(拉緊)だけでは尊敬と親近感は生まれません。中国発のユーザー・フレンドリーな国際秩序は、しばらくはムリだと思います。

(本文敬称略)

白井 一成

シークエッジグループ CEO、実業之日本社 社主、実業之日本フォーラム 論説主幹
シークエッジグループCEOとして、日本と中国を中心に自己資金投資を手がける。コンテンツビジネス、ブロックチェーン、メタバースの分野でも積極的な投資を続けている。2021年には言論研究プラットフォーム「実業之日本フォーラム」を創設。現代アートにも造詣が深く、アートウィーク東京を主催する一般社団法人「コンテンポラリーアートプラットフォーム(JCAP)」の共同代表理事に就任した。著書に『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤誉氏との共著)など。社会福祉法人善光会創設者。一般社団法人中国問題グローバル研究所理事。

船橋 洋一

ジャーナリスト、法学博士、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ 理事長、英国際戦略研究所(IISS) 評議員
1944年、北京生まれ。東京大学教養学部卒業後、朝日新聞社入社。北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、コラムニストを経て、朝日新聞社主筆。主な作品に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋)、『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』(朝日新聞社)、『地経学とは何か』(文春新書)など。

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