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2024.08.08 対談

ChatGPTで見えてきた「機械が目を持つ」時代、AIがもたらすカンブリア爆発の世紀へ
松尾豊氏との対談:地経学時代の日本の針路(5−1)

白井 一成

米中対立が激化の一途をたどる中、あらゆる分野において競争が激化している。ChatGPTの登場はAI時代の幕開けを予見させるが、今後の経済覇権は、先端技術開発を先導し、それを実装できた国が握るだろう。その推進力となるのは、優秀なトップ人材と企業を結びつける新しいエコシステムだ。日本におけるAI研究の第一人者であり、起業家としても起業家の支援者としても第一線で活躍する東京大学大学院の松尾豊教授に聞いた。
(聞き手/白井一成=実業之日本フォーラム論説主幹)

白井:およそ5億4200万年前から5億3000万年 ほど前に、突如として一斉に膨大な種類の生物が出揃う「カンブリア爆発」があったと言われています。動物学者のアンドリュー・パーカー氏は、その原因を「生物が眼を持つようになったこと」だと提唱しています。松尾教授は以前から、AIの登場をこれになぞらえていました。

松尾:ディープラーニングとは、人間の力によらずにコンピュータが自動的に大量のデータから特徴を発見する学習手法で、その技術はAIの急速な発展を支えています。AIによるディープラーニング技術は、まさに「機械が眼を持った」ということを意味します。2015年ごろから、AIにおいてカンブリア爆発と同様の進化が起きてくるはずと言ってきました。そのころからいまの生成AIに続くまでの一連のイノベーションはまさに爆発的な進化に該当するものだと思います。

白井:生成AIのサービス「ChatGPT」の登場によって、これまでAIに関心がなかった人たちも含めて、多くの人がAIのパワーを目の当たりにしました。私自身、おっしゃられているような世界の可能性を垣間見た思いがしました。日本は、このインパクトとどう向き合っていくべきでしょうか。

松尾:日本はさまざまな形で活用すべきだと思います。世界と比べて日本のAI技術はどういう優位性があるのかといったことを聞かれることが多いのですが、大前提として、情報技術全般に大きくビハインドしています。このことはわれわれが普段使っている製品やサービスを見てもよく分かると思います。普通に考えれば、負けます。ただ、新しい技術ができるたびに、競争優位 は変化します。なので、過度に悲観的になる必要もありません。

 こういう新しいテクノロジーが生まれた時に考えなければならないのは「どう使うか」です。テクノロジーを使って課題を解決したりニーズを満たしたりする新たな事業を生み出し、これがうまくいって収益を生めばまた技術に投資できる。技術の優位性というものはこの繰り返しの中で生まれていくものです。とにかくやってみることです。日本には、少子高齢化による人手不足などはっきりとした課題もあるし、機械系技術の優位性もあります。ニーズやシーズを組み合わせて、いろいろトライしてみればいいと思います。

白井:AIの核となるエンジン部分については規模の経済が働くので、ここで戦うのは日本には難しい。だからアプリケーションに専念すべきだという向きもあるようです。

松尾:それは一面では正しいと思います。ただ、何かをやらないという意思決定をする必要もない。黎明期なのでどんどんやってみればいいと思います。幸いにも、ChatGPTを支えるLLM(大規模言語モデル)と呼ばれる技術については、誰もが読めるかたちで論文が数多く公表されていますし、ソースコードも多数公開されています。これらを読み解いて使えば、自分たちで大きなLLMを作ることはできます。その中からノウハウや新しい工夫が生まれてきます。怖がらずに、自分たちで作ってみればいいんです。

 これが、例えば「今から検索エンジンを作る」と言われれば「やめておいた方がいい」と言うでしょう。もう事業化されて20年以上が経ち、巨大資本によって技術が磨かれ続けています。ここに挑んでも勝ち目はないでしょう。でも生成AIやLLMは、検索エンジンで言えば1990年代半ばくらいの状態でしょうか。普及はまだこれからですし、どんなビジネスモデルと結びついたら爆発するのかまだ誰も分かっていません。誰もが挑んでいける状態だと思います。そういった時代感を捉えることは重要と思います。

 海外も含めて、数十億〜数百億規模のパラメーター(人間の脳でいうシナプスの数)で作られているLLMが多く出されていますが、その規模でもGPT3からGPT3.5くらいの精度が出せると言われています。それであれば投資額は数億円から数十億円くらいで、まだまだ新規参入でも戦える規模と思います。

ハードとソフトのはざま

白井:日本は機械系技術に優位性があるというご指摘がありました。LLMと機械を組み合わせるなど、ソフトとハードのはざまをつなぐ取り組みなども可能性がありそうです。

松尾:例えばGoogleが行っている「SayCan」というプロジェクトがあります。ロボットが置かれている状況や、ロボットに期待する動作などを言葉で入力して、LLMに考えさせて、ロボットの制御をさせるというものです。精度が上がっていて、とても面白い取り組みだと思います。同様の取り組みは松尾研究室でも行っていますが、ハードにAIをつないでいくこうした取り組みはこれからどんどん出てくるでしょうね。

白井:工場のラインで稼働する産業用ロボットなどは日本企業の強いところですが、そうしたロボットを人間ではなくAIが制御する、人間を介さずにAIがハードを直接動かすような全自動工場の時代——映画の『ターミネーター』のような時代もやがて訪れるのでしょうか。

松尾:面白い質問ですね。まず、今後、AI技術が発展する中で、工場のさまざまな作業が自動化されていくと思っています。そして、工場全体を管理するのもAIになっていくのかもしれません。ただ、全体を管理するというのもそんなに簡単な話ではありません。

 工場では、まず作業している人がいて、それをチェックしている人がいて、そのチェックをチェックしている人がいる。作業者や監督者、マネージャーなどの役割を持った人たちがいて、上司の指示に従って部下が動き、上司は部下を管理しています。こういう人間の「組織」の動きは、従来のプログラミングと比べて、何が同じで何が違うのでしょうか。そうしたことをうまく捉えないと、AIは結局、人間の管理作業を代替できないということになってしまいますが、こうしたこともこれから明らかにされてくるのではないかと思います。そうした、AIと組織論や社会学の中間というあたりが、これからすごく面白い領域だと思っています。

 もし、そうしたブレークスルーがあってAI技術が人間の管理業務を代替できる領域に達したとしたら、白井さんはどのような事業に使いますか。

白井:それほど発展したAI技術を仮に自分だけが独占できるのであれば、上場株式や金融商品投資を行うと思います。

 株式投資では、投資対象企業の利益の変化によってその企業価値は数倍から数十倍も上下するので、リスクは高いがリターンも高い。そして上場株式であればその流動性は担保されているため、機動的な投資資金の回収も容易です。AIによってそのリスクを誰よりも正確に読み解けるならば、リスクを最小にしてリターンを最大化することが可能になると思います。

 教科書的には、市場価格にはあらゆる情報が織り込まれていて、最終的には合理的な価格に収まるとされています。しかし実際はそうではなく、あらゆる市場参加者は不完全な情報をもとに投資行動を行い、その適切でない振る舞いの集積により市場は思わぬ方向に変化していきます。しかし、発展したAIであれば、世の中に存在するすべての情報を瞬時にかき集め、それに基づく最適な投資判断を行えるはずです。また、自分自身の行動が市場価格を変化させることですら、予想することになりますので、他者の追従は許さないでしょう。

中国のAIの実力は?

白井:ディープラーニング技術にとって、学習する対象となるデータの質と量は非常に重要です。その観点から考えると、ディープラーニングの分野は、国家が膨大なデータを握っている中国が強いのではないかと言われてきました。中国はディープラーニングに関する多くの論文も出しており、質も量も非常に高いレベルにあります。AIの開発や利用における中国の脅威についてはどうお考えですか。

松尾:中国の科学技術はしっかりとした実力があり、脅威です。半導体などは、米国が対中輸出規制を強化するほど、彼らは自前で何とか作ろうとして技術水準を上げているように見えます。むしろ規制しない方がいいんじゃないかと思うほどです。ただ、最近の中国では政府による国内民間企業への規制が厳しくなり、企業への投資が活発ではなくなっています。スタートアップ企業が生まれても、規制が強化されると起業家の意欲は削がれてしまいます。これは結果的に中国におけるイノベーションにブレーキをかけることになると思っています。

白井:今回はAIの現在地と可能性について俯瞰しました。次回から松尾研究所がAI分野などにおいて、アカデミアにあって他を圧倒して生み出し、育んでいる事業化・起業のエコシステムについてお聞きしていきます。(次回に続く

白井 一成

シークエッジグループ CEO、実業之日本社 社主、実業之日本フォーラム 論説主幹
シークエッジグループCEOとして、日本と中国を中心に自己資金投資を手がける。コンテンツビジネス、ブロックチェーン、メタバースの分野でも積極的な投資を続けている。2021年には言論研究プラットフォーム「実業之日本フォーラム」を創設。現代アートにも造詣が深く、アートウィーク東京を主催する一般社団法人「コンテンポラリーアートプラットフォーム(JCAP)」の共同代表理事に就任した。著書に『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤誉氏との共著)など。社会福祉法人善光会創設者。一般社団法人中国問題グローバル研究所理事。

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