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2023.03.07 経済金融

他力本願だったYCCと、政府が日銀に負わせた「トリレンマ」
異次元緩和と共に進んだ「失われた30年」(1)

鈴木 英介

 2013年4月に就任した日本銀行の黒田東彦総裁は、今年4月に任期満了を迎える。「持続的・安定的な2%インフレ」を目指し、日銀は国債やETF(上場投資信託)を大量購入して資金供給の「量」と「質」を拡充。短期金利を操作するマイナス金利政策だけでなく、長期金利も低位に抑え込むイールドカーブ・コントロールも導入し、「異次元緩和」と呼ばれる金融政策の総動員体制を敷いた。だが目標には届かず、「デフレではない状況」を作り出すにとどまっている。他方、政府が担うべき経済成長も乏しく、ここ10年は「失われた30年」と呼ばれる。次期総裁誕生を控えるなか、異次元緩和と「失われた30年」について2回にわたって考える。

 政府は2月14日、衆参両院の議員運営委員会理事会で、4月で任期が切れる日本銀行の黒田東彦総裁の後任として、元日銀審議員で経済学者(共立女子大学教授、東京大学名誉教授)の植田和男氏を起用する人事案を提示した。副総裁には、前金融庁長官の氷見野良三氏と、現日銀理事の内田真一氏を充てる案も示した。衆参両院の議決を経て総裁は4月9日、副総裁は3月20日に就任する運びだ。

 これまで総裁ポストは、一部の例外を除き、大蔵省(現・財務省)と日銀出身者が交互に就く慣例が続いてきたが、学者出身の総裁は戦後初となる。植田氏は、1992年に始まったリフレ派と反リフレ派による「岩田(規久男)・翁(邦雄)論争」の仲裁役として知られるほか、日銀審議員時代は速水優総裁(当時)のゼロ金利解除について当初反対票を投じ、のちに賛成に回るなどバランス感覚に優れるとされる。

 植田氏は2月24日の所信聴取で「現状の金融緩和政策は適切」と述べた一方、イールドカーブ・コントロール(YCC)について「さまざまな副作用がある」と認めた。デフレ脱却と2%の安定的な物価上昇を目指し、10年にわたって続いてきた黒田日銀の異次元緩和はほころびが目立ち始めており、次期総裁は金融政策の「正常化」に向けたかじ取りが求められる。

円安誘導策としても機能したYCC

 YCCとは、伝統的な操作対象である短期金利に加え、長期金利(10年物国債)をコントロールすることで、各償還期間の債券の利回りを結んだ曲線(イールドカーブ)を適切な水準に維持しようとする金融政策だ。

 YCCは2016年9月に導入された。同年1月に導入されたマイナス金利政策は、金融機関が日銀に預ける当座預金の一部にマイナス0.1%の金利をかけ、金融機関に貸し出しを促すことで、景気刺激を図るものだ。しかし、マイナス金利導入を決定して間もなく、狙っていた短期金利だけでなく、長期金利の代表である10年物国債も一時マイナスに沈み、年金基金や保険会社などが運用する超長期の国債まで金利が大きく低下してしまった。

 通常、イールドカーブは右肩上がりの曲線を描くが、マイナス金利の導入後、過度にカーブが平坦化する「副作用」を生んでしまったのだ。長期で運用する機関投資家への弊害も強まり、年金や保険の支払いに対する不安で個人消費にも悪影響が及びかねないことから、10年国債利回りがゼロ%程度で推移するよう長期国債を買い入れて長期金利を操作する、国際的にも異例の枠組みを導入した。日銀は、YCC導入に先立つ2016年7月にはETF(上場投資信託)の購入額を増額し、株高を演出することで日本経済の需要押し上げも図った。

 YCCには別の側面もある。東京女子大学の長谷川克之教授は「日本のYCCの実態は米国の利上げを見込んだ他力本願的な円安誘導政策だ」と話す。

 2012年12月に成立した第2次安倍晋三内閣の経済政策「アベノミクス」は、デフレの背景にある円高を金融政策で変えようとした。黒田日銀の下で金融緩和が始まった2013年度(平成25年度)の内閣府年次財政報告は、「デフレと円高が相互作用的に進み、(中略)日本製品の価格競争力の低下に伴う輸出減少などを招き、輸出関連企業の収益環境は厳しい状況に陥る」と記している。

 リーマンショック以降、事実上のゼロ金利政策をとっていた FRB(米連邦準備制度理事会)は、 2015年から段階的に政策金利の引き上げを進めていた。米国が徐々に利上げを進めるなか、日銀が長期金利を低位に維持すれば日米の金利差が拡大し、手持ち資金をドルに換える動きが強まって円安が進む。そうすれば日本は競争力を取り戻し、賃金上昇と物価上昇の好循環が生まれる――YCCには、そんな思惑も透ける。

「トリレンマ」に陥った日銀

 半面この戦略は、当然米国の政策に左右される。コロナショックを受けて再び米国はゼロ金利に突入、日米金利差が縮小してドル安・円高が進んでしまった。

 そして、コロナ対応の大規模緩和を受けて米国の消費者物価や労働コストが上昇すると、FRBは2022年3月にゼロ金利政策を解除、利上げを開始した。加速するインフレに対応するため米国は利上げを続け、そのペースは鈍化しているものの、今年2月までの利上げ幅は合計4.5%に達した。内外金利差が拡大して円安は進んだが、十分な賃金上昇が伴わないまま、ウクライナ戦争に伴うエネルギーや原材料など輸入物価の上昇が日本の家計や中小企業を苦しめている。需要の強さではなく、コストプッシュ型の物価上昇が続くなか、皮肉にも「悪い円安」と呼ばれる状況に陥ってしまった。

 そして、YCCの「副作用」が目立ち始める。世界的な金利上昇の影響を受けて日本の国債利回りも上昇圧力がかかるが、日銀はYCCで10年国債を大量に購入して利回りを抑え込んでいる。そのため、他の年限に比して10年国債近辺の金利が異常にへこむ「イールドカーブのゆがみ」が生じた。

 日銀が国債買い入れを通じて長期金利をコントロールする以上、市場機能の低下は避けられない。日銀が保有する国債(国庫短期証券を除く)の割合は、昨年9月末時点で50・26%となり、初めて5割を超えた。とりわけ10年国債の流動性は低下し、企業が社債を発行する際などの基準としての機能が損なわれている。

 また、いずれ日銀は利上げせざるを得ないと踏んだヘッジファンドが、その後の安値での買い戻しを狙って10年国債に空売りを仕掛け、金利上昇圧力は増している。こうした事態の対処のため、日銀は昨年12月、10年国債金利の変動幅を、従来の「プラスマイナス0.25%程度」から「同0.5%程度」に拡大したが、ゆがみの解消には至っていない。

 東京女子大学の長谷川教授は、「日銀には『トリレンマ』がある」と指摘する。政府は日銀に、①景気悪化を防ぐため金利を上げるな、②過度な円安も円高も避けよ、③市場機能を改善させよ--という同時達成できない三つの役割を負わせているという見方だ。つまり、市場機能改善のためイールドカーブのゆがみを解消するには利上げするしかなく、利上げすれば日米金利差が縮まって円高が進み、国債を発行する国の利払い費も上がる。「為替と金利の安定の両方を満たす方程式はない」と長谷川教授は話す。

 黒田総裁は1月30日の衆院予算委員会で、「物価が持続的に下落するという意味での 『デフレではない状況』を実現した」と強調した。確かに、今年1月の消費者物価指数(生鮮食品を除く総合)は、前年同月比4.2%と41年4カ月ぶりの上昇率に達し、「2%」の目標は達成されたように見える。その一方で黒田総裁は、足元の物価上昇は資源価格の高騰と急激な円安が背景にあるとし、その影響が弱まる「2023年度半ばにかけては2%を下回る」との見通しを述べ、緩和を続ける方針を示した。黒田総裁は「持続的・安定的な2%」は達成できず、「残念に思う」と述べた。「トリレンマ」に縛られるなか、黒田日銀は目標未達で終わりそうだ。

 ただ、トリレンマに陥ったのは日銀だけの責任ではない。その背景として、政府が担うべき成長へのコミットが不十分だった点を指摘する必要がある。

(第2回に続く)

写真:ロイター/アフロ

鈴木 英介

実業之日本フォーラム 副編集長
2001年株式会社きんざい入社。通信教育教材の編集、地方銀行の顧客向け雑誌の受託編集業務などを経て、2014年4月一般社団法人金融財政事情研究会転籍。2017年4月「月刊登記情報」編集長、2020年4月「週刊金融財政事情」副編集長。2022年8月に実業之日本社に転じて同年10月から現職。