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2023.08.23 経済金融

「アメとムチ」で脱炭素を促す政府の制度設計、死角はないか
GXを国益につなげるために(2)

鈴木 英介

 GX(グリーン・トランスフォーメーション)と呼ばれる日本のグリーン戦略を、どのように国益につなげていけばいいのかを考える本連載。前回は、「トランジション(移行)」というキーワードを中心に見てきた。「グリーンかブラウンか」という二元論的な欧州の戦略とは異なり、グリーンに至るまでの段階的移行を支援するビジネスモデルを日本は選んだ。成功のカギは、企業が脱炭素に向けてどれだけ行動変容を起こせるかだ。そのため政府は20兆円規模の国債、「GX経済移行債」を発行し、企業の先行投資を支援する。財源としてカーボンプライシングという負担金を「時間差」で設け、アメとムチで脱炭素化を促す狙いだ。だが、その制度設計をつぶさに見ると疑問点も浮かんでくる。

第1回:曖昧な「トランジション」で日本の脱炭素戦略は成功するのか
第2回:「アメとムチ」で脱炭素を促す政府の制度設計、死角はないか(今回)
第3回:日本ファーストの戦略ではない 「トランジション」は世界の現実解

 日本政府は、今後10年で官民合わせて150兆円超の投資を呼び込むとうたい、その呼び水として、企業の脱炭素化に向けた先行的な取り組みに対し20兆円を支援する。今回は、GXを達成するための国の制度設計を見ていこう。

 国が支援する20兆円は、「GX経済移行債」という国債を発行することで調達する。一気に20兆円分を発行するのではなく、2023年度から10年間、年度ごとに国会の議決を経て発行額を決めることとなっており、初年度となる23年度は1.6兆円だ。償還期限は、GHG(温室効果ガス)の排出量と吸収量の差し引きで実質ゼロとする「カーボンニュートラル」の達成期限である50年となっている。

 GX経済移行債は通常の赤字国債ではなく、将来世代にツケを回さないよう、法律で償還財源が担保されている。もっともその財源は今あるわけではなく、「将来見込まれる特定の歳入」で賄われる。つまり、GX経済移行債は、東日本大震災の復興のために発行された復興債などと同様、償還財源を確保するための資金繰りをつなぐ「つなぎ国債」であり、20兆の支出が先行する設計となっている。

「アメとムチ」で脱炭素を促す

 では、「将来見込まれる特定の歳入」とは何か。これが「カーボンプライシング」と呼ばれる炭素排出に応じて企業などに課せられる負担金だ。GX戦略におけるカーボンプライシングは(1)炭素に対する賦課金(化石燃料賦課金)と、(2)排出量取引制度(ETS)——の2本柱からなる。賦課金は2028年度から、ETSは33年度から導入される予定になっている。

 (1)の賦課金は炭素税に似た仕組みで、電力・ガス会社や石油元売り、商社などの輸入企業に対して、輸入する化石燃料由来の二酸化炭素(CO2)の量に応じた負担を求めるものだ。化石燃料の輸入事業者は70社ほどで、課税対象の管理は容易だ。そこを「上流」として、化石燃料を使う「下流」の事業者や家計に転嫁していく。

 (2)のETSとは、国が発電事業者に対してCO2の排出枠を有償もしくは無償で割り当てる制度で、要は国が排出枠を売って財源とする仕組みだ。具体的な有償の排出枠の割り当てや単価は、入札方式(有償オークション)で決定する。

 ETSについては、経済産業省を中心とした官民協働の取り組みが先行している。それが、企業が自主的に排出枠の目標を設定して脱炭素を目指す「GXリーグ」で、今年度から本格スタートした。GXリーグには現在、日本のGHG排出量の4割以上を占める企業679社(2023年2月14日時点)が賛同を表明。自ら設定した排出枠より実際の排出が高くなった企業が、少なくできた(超過削減枠を創出できた)企業から超過分の排出枠を買い取る仕組み(GX-ETS)の稼働を目指している。GXリーグ非参加企業も含めて取引を行えるよう、東京証券取引所は今年10月をメドに「カーボンクレジット市場」を開設する。

 ETSはEUが2005年に世界に先駆けて導入したほか、アジアでは韓国が15年からいち早く導入しており、GXリーグは日本発のETSのルールメイクも企図した取り組みだ。同時に、取引の実績を積み重ね、自主的取り組みから規律強化への道筋をつけながら、33年度の発電部門向けETSの制度設計にも生かしていくものとみられる。

 経済産業省の梶川文博前・環境経済室長(現・GX金融推進室長)は、GXを「20兆円で支援しつつ、将来カーボンプライシングがかかるということを事業者にあらかじめ見せることによって、脱炭素への行動変容を促す戦略」と説明する。「アメとムチ」の組み合わせによってGXを達成しようというわけだ。

行動変容と財源確保は両立するのか

 一方で、「アメとムチ」は矛盾をはらんでいるようにも見える。賦課金もETSもカーボンニュートラルに向けた行動変容を促すための仕組みである以上、徐々に負担のハードルを引き上げることになる。つまり、課税される税率や割り当てる排出枠を、期待される一定のトランジション度合いに応じて厳しくするのが筋だ。

 しかし、その度合い以上に排出削減に積極的に取り組む事業者が増えれば、カーボンプライシングの対象から外れる事業者が増え、20兆円の償還時期が遠のく。逆に、償還のスケジュールを優先して実情を無視した厳しいハードルを設定すれば、産業全体のトランジションを果たせなくなる懸念がある。カーボンニュートラルの期限とGX経済移行債の償還期限は同じ2050年だが、トランジションに応じた負担の引き上げと償還までのタイミングが一致するとは限らない。

 GX経済移行債は32年度までにすべて発行される。賦課金は28年度と先行するが、ETSは33年度から導入されるので、20兆円の効果をある程度評価した上で「ムチ」のハードルが設定されることになるだろう。政府には、産業界のトランジションの進捗を慎重に見極めながら、「行動変容か、財源確保か」という二者択一にならないよう、精緻な制度設計が求められる。

写真:西村尚己/アフロ

GX経済移行債の中身はこれから

 もう一つ、GX経済移行債の商品性をいかに高めるかという課題がある。国がトランジションボンドを発行すれば世界初だ。

 海外では、脱炭素の資金使途がトランジションより明確な「グリーン国債」の発行例は見られ、その際、「グリーニアム」と呼ばれる通常の債券より低い金利で発行されることがある。脱炭素という社会貢献に取り組む発行体や、またそれを応援する姿勢をPRできるメリットを投資家が評価して、需要が供給を上回った結果、割高なグリーン国債でも引き受けが成立するわけだ。グリーンの債券にプレミアム(価値)が上乗せされるため「グリーニアム」という。

 ただ、これまで見てきたようにトランジションはグリーンより幅広な概念で、資金使途を特定しにくく、脱炭素に到達しないリスクも高い。7月に日本銀行が長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)の運用を柔軟化したことで、長期金利に上昇圧力はかかっているものの、いまだ大規模金融緩和が続き低金利な日本国債より、さらに金利が低い(投資家にとっては割高な)グリーニアムがつくかどうかは投資家の需要次第だ。

 もしGX経済移行債でグリーニアムでの発行が実現すれば、通常の国債よりも財政負担が減ることになる。グリーニアムがつかなくとも通常の国債の金利で消化できれば問題ないが、逆に金利を高くするくらいなら、新しく国債を発行する意味がない。

 海外投資家のグリーンに対する目線は厳しくなりつつある。米国で目立つ「反ESG」の流れはその表れだ。今年5月には共和党が強い南部フロリダ州で「反ESG法」が成立、同州政府や年金基金の行う投資にESG要因の考慮が禁じられた。投資は経済的利益を追求すべきだとの考えが背景にあり、「グリーン」を理由に運用資産を高いリスクにさらすことは許されない、という考えだ。

 前述のとおり、2023年度のGX経済移行債の発行は1.6兆円規模を予定する。仮に海外の引き受け手がいなければ国内で消化することになる。年金資金などを運用する資産運用会社、明治安田アセットマネジメントの杉山修司チーフストラテジストは、「当社では超低金利環境の自衛策として、国債よりも金利の高い社債での運用を重視している。仮にグリーミアムで移行債を引き受ければ国民の将来の年金をGXの犠牲にしかねない」と警戒する。

 政府はGX経済移行債の制度設計を詰めている。従来の国債と統合して発行する「統合発行」の選択肢も残しているものの、格付機関などから国際認証を得て新たな国債として発行することを目指しており、認証取得支援のアドバイザーとして大和証券を選定した。6月からは内閣官房で「GX経済移行債の発行に関する関係府省連絡会議」が開かれている。今年度の発行に向け、移行債の商品性をいかに高められるが勝負となる。

 次回は、GXを担う民間のプレーヤー、金融機関や事業者の取り組みと課題を整理する。

写真:西村尚己/アフロ

(第3回に続く)

鈴木 英介

実業之日本フォーラム 副編集長
2001年株式会社きんざい入社。通信教育教材の編集、地方銀行の顧客向け雑誌の受託編集業務などを経て、2014年4月一般社団法人金融財政事情研究会転籍。2017年4月「月刊登記情報」編集長、2020年4月「週刊金融財政事情」副編集長。2022年8月に実業之日本社に転じて同年10月から現職。

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