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2022.09.01 安全保障

座談会:中国が台湾に仕掛ける「認知戦」、戦わずして屈服させるための戦術とは
JNF Symposium ウクライナ戦争と台湾有事(2)

実業之日本フォーラム編集部

実業之日本フォーラムでは、テーマに基づいて各界の専門家や有識者と議論を交わしながら問題意識を深掘りしていくと同時に、そのプロセスを「JNF Symposium」と題して公開していきます。今回は「台湾有事」をテーマに、日本と台湾の防衛分野の専門家で座談会を行いました。ウクライナ情勢を分析した初回に続き、第2回に当たる今回は、戦わずして敵を屈服させる「認知戦」の意味や手法を中心に議論いただきます。中国はどのような認知戦を台湾に仕掛けているのでしょうか。(ファシリテーターは実業之日本フォーラム編集委員の末次富美雄、話者のプロフィールは記事末尾)

末次:今回は、台湾有事におけるグレーゾーン事態について議論したいと思います。紛争を引き起こない範囲で自らの戦略目標を達成することを「グレーゾーン」と呼びますが、台湾では、グレーゾーン事態はすでに始まっていると考えています。下の図は、台湾周辺における中国の軍事活動を示したものです。特に飛行機の活動は極めて活発ですし、フェイクニュースの拡散も行われているでしょう。

 

 近年、台湾と中国の結び付きは強まっています。台湾人で、中国本土で働いているビジネスパーソンは約150万人と推定されているほか、中台間の結婚も増えています。半面、ウクライナ戦争を契機に、台湾は中国に対する警戒を強めてもいます。グレーゾーン事態が進行する中で、座談会の第1回で渡部さんが指摘された「認知領域における戦い」、つまり中国による台湾への認知戦が一つのポイントだと思います。

 一方で、認知戦というのは、相手が認知戦を仕掛けていると分かれば、その効果は薄れてきます。台湾に対する中国の認知戦について、渡部さんはどのように考えておられますか。

台湾の士気を奪う「認知戦」の脅威

渡部悦和(渡部安全保障研究所長):下の図は、中華民国の国防報告書に記載されているものです。

 

 台湾の人たちは、「戦時でもなく、平和でもない」グレーゾーン事態を極めて重視しています。具体的には、中国が仕掛ける認知戦やサイバー戦、そして平時における戦闘機や艦艇のデモンストレーションへの警戒です。中国は、いわゆる「サラミ・スライス戦術」で漸進的に脅威を高めています。政軍(政治と軍隊)の力を用いて有利な情勢を形成し、台湾の戦力を消耗させ、士気を動揺させる。そして「不戦奪臺」、戦わずして台湾を奪取していくことを中国は目標としています。その方法の一つとして、サイバー戦や認知戦があるわけです。

 相手の認知領域をコントロールして、戦わずして敵を屈服させる「認知戦」という概念は、私も含めて日本人にはなじみが薄いと思いますが、中国人民解放軍は認知戦を最も重要な戦いだと認識しています。

 認知戦には3つのカテゴリーがあります。まず、「認知の抑制」。これは、自分の意図や行動を隠蔽することで、相手に感知させないことです。次に、「認知の形成」。偽情報を敵に与えることで、思いどおりに敵に意思決定させたり行動させたりします。最後が「認知コントロール」で、敵の意思決定メカニズムを変えたり、決定内容を改ざんしたりします。

 従って、認知戦とは情報戦の一部です。偽情報を与えて、相手に影響を与えるインフルエンス・オペレーション(影響工作)とも密接に関係する作戦であることを認識する必要があります。台湾への軍事進攻の前に、中国は、平時において、ありとあらゆる手段を使って認知戦を仕掛けるでしょう。

 例えば、何十機もの中国人民解放軍の戦闘機がデモンストレーションし、あたかも台湾に攻撃するかのような訓練を何回も行う。これも認知戦です。その狙いは、台湾の人たちに、「空軍の戦力においては中国人民解放軍にかなわない」という気持ちにさせてしまうことです。

 そのほか、SNSやサイバー空間を使って、中国本土に有利な情報やナラティブ(物語)をどんどん提供していく。あるいは、中国共産党中央委員会直属の「中国共産党中央統一戦線工作部」が、政治、経済、アカデミア、法曹界、軍、警察、あらゆる分野で浸透工作を実施します。私は、この統一戦線工作が認知戦の機能の一つを果たすと考えています。台湾の政治家や経済界、軍も認知戦で洗脳させるということです。

中国軍機の圧力に台湾は屈したのか?

 末次:昨年、台湾国防部が、度重なる中国軍機の侵入に対して「もうこれ以上、緊急発進(スクランブル)では対応しない、対空ミサイルやレーダーによる追跡で対応する」と言っています。私はこの状況を見て、台湾は認知戦に負けたのではないかと思ったのですが、小野田さんはどのようにお考えでしょうか。

 小野田治(日本安全保障戦略研究所上席研究員):中国航空機による台湾防空識別圏(ADIZ)侵入回数が増えているのはご指摘のとおりです。しかし、実際にはADIZの一番外縁部をかすめて飛ぶ回数が多い。しかも1日に何回も断続的に来ますから、いちいちスクランブルを実施しても、台湾の戦闘機が現場に着いたころには中国機はもういないわけです。

 そもそもスクランブルは、識別不明機がADIZに近づく際、その機体の特定や、どのような意図を持っているのかを確認するために行います。しかし、ADIZの端をかすめるようなルートで飛んでくる場合、いくら迅速にスクランブルを行っても確認できないということが度々起こる。だからスクランブルでは対応しないという判断になったんだろうと思います。

 一方で台湾国防部は、3年ぐらい前から、ADIZに入ってきた中国機の情報は必ず公表しています。実際に戦闘機を空に上げて目視確認をしていないのに、J-16だとか、J-10だとか、戦闘機の機種まで識別しているわけです。これは、中国機が発信している電波を受けて識別する方法や、その他の方法を駆使しているんだろうと思います。

 従って、基本的に台湾空軍はスクランブル態勢をきちんととっていますし、3分から5分でスクランブル発進する能力も維持している。しかし、実際、目視識別をしようにも、ADIZをかすめるようなフライトが多い状況でスクランブルをしても無意味なので、機種を識別する手段を確保しながら、発進回数を減らしているのだと思います。

 また、Y-8のような情報収集機や、潜水艦に対応するための対潜機といった機種が飛んできた場合、飛行速度が遅いので戦闘機を発進させれば確認できますが、速力の早い戦闘機に対しては確認できない、というケースもあると思います。H-6爆撃機が西側から入ってきて、東側に抜けて、また戻っていくというようなケースがありますが、この場合は確実に戦闘機で確認しているでしょう。いずれにしても状況に応じてスクランブル態勢をコントロールしているということであって、台湾軍が認知戦のわなに陥っているという心配はないと思います。

末次:ありがとうございます。そのように心配いらない状況だということを公表しないと、「台湾は認知戦に負けている」という解釈が出てくるとも思いましたので、質問した次第でした。

小野田:おっしゃるとおりですね。そのため台湾国防部は、数年前から中国軍機の活動状況を国民に広く伝達するようにしました。これは、日本の統合幕僚監部(統幕)もはるか前からやっていたことです。統幕のやり方を台湾国防部が学んだということでしょう。

台湾への経済的圧力と、じわり広がる「親中派」

末次:以前、私はディフェンスリサーチセンターというシンクタンクに在籍していて、台湾国防部の高官に情勢ブリーフィングを実施したことがあります。その際、統幕が公表した写真を使用したら、高官から「この写真はどこで手に入れたのか」と質問されたので、「統幕でいつも出しているものです」と答えたら感心していたので、日本から学んだという点は間違いないと思います。

 邱さんにお伺いします。以前、台湾空軍の上将、国防部のナンバー3に相当する将軍にスパイ事件の嫌疑がかかっているという報道がありました。先ほど申し上げたように、ビジネスや結婚などさまざまな面で中国との結び付きが強くなっている中で、こうした事件が多くなってきているように感じます。上将の事件は、台湾でどのような扱いをされているのでしょうか。

邱伯浩(日本安全保障戦略研究所研究員):台湾の空軍上将の件は、先週(6月24日)、最高裁判院が無罪判決を下しました。事実ではないということです。

 台湾と中国人の交流は、2015年ぐらい、中国国民党(国民党)政権のときに最も活発だったと思います。中国人と台湾人の結婚、入籍数は2015年時点で28万人に及びました。また永住権をもらって台湾に住む中国人も同じく2015年時点で16万人に上ります。現在はもっと多いと思います。

 1980年代から中国と台湾との経済活動が活発化し、人の交流や結婚が増加し、それに伴い中国への情報漏洩もあったと思います。今、大きな問題になっているのは、結婚した世代の2代目、3代目が台湾の軍隊に入っていることです。彼らは「自分は台湾人だ」というアイデンティティーを持っていると思いますが、他方で親戚づきあいから中国への親近感が強い側面もあります。

 中国の台湾に対するグレーゾーン作戦は、渡部さんが指摘されたとおりです。台湾周辺における軍事演習を拡大し、台湾に心理的な恐怖を与えています。同時に、貿易上の圧力も加えています。中国は昨年3月以降、台湾のパイナップルの輸入を停止し、6月には台湾産の高級魚、ハタの禁輸を決めました。台湾の経済を混乱させ、「中国なしでは生きられないだろう」と圧力をかけているのです。外交上の圧力もあります。蔡英文政権となった6年間で台湾と正式に外交関係を持っている国は、蔡政権発足時の23カ国から14カ国にまで減っています。

 台湾と日本は民主主義の国です。米国と日本の民主主義にとって、台湾では中国と一定の距離を持つ民主進歩党(民進党)政権が続くのが好ましいでしょう。しかし現在、中国は政治、経済、文化あらゆる方法を使って台湾国内における親中派を育てようとしています。これが台湾の現状です。

香港の「名ばかり一国二制度」を見て、反発強める台湾

末次:台湾に対する中国の影響力が次第に拡大する中で、民進党は政権を維持できるのか、国民党が政権を取る可能性はないか、という点はどうでしょうか。

邱:台湾の人たちがどのようなアイデンティティーを持つのかによるでしょう。蔡政権は、6年前に政権を取り、2年前の2期目も勝利しました。2年前の選挙では蔡総統が58%の票数をとりました。800万票くらいです。一方、親中派も500万票程度獲得しています。

 中国は、香港と同じく「一国二制度」を台湾に適用し、平和的な統一を果たそうとしています。しかし、香港の情勢を見れば、一国二制度の実態は名ばかりだと分かります。香港が一国二制度を受け入れたことは大きな失敗だったと思います。台湾の人々も、今の香港の状況を見て中国の一部となろうという雰囲気は次第に薄くなっています。

 香港では言論が制限され、自由な選挙ができない。さらには経済的にも自由が利かなくなるという状況です。今の香港を見れば、台湾が一国二制度を納得して受け入れることはありません。台湾親中派には強い逆風が吹いており、蔡政権は安定的な政権となっていると思います。次の選挙でも同じような政権になると思います。

 末次:香港における一国二制度に対する批判が、台湾の世論に非常に大きな影響を与えていることがよく分かりました。

 ここまで、ロシアのウクライナ侵攻に係る教訓と、現在の台湾情勢について意見を伺いました。中国は台湾への軍事侵攻というオプションは放棄しないまでも、台湾および米国を含む周辺諸国に認知戦を仕掛けてきている実態がよく理解できました。

 次回は、中国の台湾への軍事侵攻や、それに伴う日本の安全保障の在り方について意見交換し、今年末に改定を予定している日本の安全保障三文書(国家安全保障戦略・防衛計画の大綱・中期防衛力整備計画)へのインプリケーションにつなげたいと考えています。

(次回に続く)


渡部 悦和(わたなべ よしかず)
渡部安全保障研究所長、元富士通システム統合研究所安全保障研究所長、元ハーバード大学アジアセンター・シニアフェロー、元陸上自衛隊東部方面総監。
1978(昭和53)年、東京大学卒業後、陸上自衛隊入隊。その後、外務省安全保障課出向、ドイツ連邦軍指揮幕僚大学留学、第28普通科連隊長(函館)、防衛研究所副所長、陸上幕僚監部装備部長、第二師団長、陸上幕僚副長を経て2011年に東部方面総監。2013年退職。著書に『米中戦争 そのとき日本は』(講談社現代新書)、『中国人民解放軍の全貌』『自衛隊は中国人民解放軍に敗北する!?』(扶桑社新書)、『日本の有事』(ワニブックスPLUS新書)、『日本はすでに戦時下にある』(ワニ・プラス)。共著に『言ってはいけない!?国家論』(扶桑社)、『台湾有事と日本の安全保障』『現代戦争論-超「超限戦」』『ロシア・ウクライナ戦争と日本の防衛』(ともにワニブックスPLUS新書)、『経済と安全保障』(育鵬社)


小野田 治(おのだ おさむ)
1977年防衛大学校(21期、航空工学)を卒業後、航空自衛隊に入隊。警戒監視レーダー及びネットワークの保守整備を担当の後、米国で早期警戒機E-2Cに関する教育を受け、青森県三沢基地において警戒航空隊の部隊建設に従事。
1989~2000年、航空幕僚監部において、指揮システム、警戒管制システム、次期輸送機、空中給油機、警戒管制機などのプログラムを担当した後、2001年に航空自衛隊の防衛計画や予算を統括する防衛部防衛課長に就任。
2002年、第3補給処長(空将補)、2004年、第7航空団司令兼百里基地司令(空将補)、2006年、航空幕僚監部人事教育部長(空将補)、2008年、西部航空方面隊司令官(空将)の後、2010年、航空教育集団司令官(空将)を歴任し2012年に勧奨退職。
2012年10月、株式会社東芝社会インフラシステム社(現:東芝インフラシステムズ株式会社)に入社。
2013~15年、ハーバード大学上席研究員として同大学において米国、中国及び日本の安全保障戦略について研究。
現在、(一社)日本安全保障戦略研究所上席研究員、(一財)平和安全保障研究所理事、(一社)日米台関係研究所客員研究員、日米エアフォース友好協会顧問
著書に「習近平の「三戦」を暴く」(海竜社、2017年)(共著)「日本防衛変革のための75の提案」(月間「世界と日本」、2018年)(共著)、「台湾有事と日本の安全保障」(ワニブックスPLUS新書、2020年)(共著)、「台湾有事どうする日本」(方丈社、2021年)(共著)、「台湾を守る『日米台連携メカニズム』の構築」(国書刊行会、2021年)(共著)などがある。


邱 伯浩(キュウ ボオハオ)
中央警察大学警政研究所(大学院) 中国政治修士課程、国防大学政治研究所(大学院)中国政治博士課程,、政治学博士。1989年~1997年、(台湾)憲兵部隊教官、連長。1998年~2005年、国防部後勤次長室(軍備局)参謀。2005年~2006年、国防大学教官。2006年~2009年、国防大学戦略研究所専任助教授(退官時の階級は「上校」)。2013年~2019年、DRC国際研究委員。2019年7月~、日本安全保障戦略研究所研究員。専門は国際政治学、特に軍事戦略、中国軍事政治、中国人民武裝警察、日台関係、中台関係安全保障論を研究。

写真:ZUMA Press/アフロ

実業之日本フォーラム編集部

実業之日本フォーラムは地政学、安全保障、戦略策定を主たるテーマとして2022年5月に本格オープンしたメディアサイトです。実業之日本社が運営し、編集顧問を船橋洋一、編集長を池田信太朗が務めます。

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