実業之日本フォーラム 実業之日本フォーラム
2022.03.01 特別寄稿

プーチン大統領の思惑、今回のウクライナ騒動を理解するには
元統合幕僚長の岩崎茂氏

岩崎茂

昨年末からウクライナ国境沿いでの緊張が高まっていることが世界中で、そして我が国でも、連日、報道されている。ロシアがウクライナ国境周辺や隣国のベラルーシに十数万の大規模なロシア軍を展開し、ロシア軍単独の大規模演習やベラルーシ軍との合同演習等を行い、米国、欧州各国、NATO(北大西洋条約機構)の説得にも拘わらず、ウクライナ侵攻を開始した。プーチン大統領は、今後ウクライナをどうしようと考えていのであろうか。

最近の大規模な軍事侵攻の例を見てみよう。この様に他国との国境付近で演習等を行いつつ、機を見て軍事侵攻したケースが何例か上げられる。最も記憶に新しい事態は、「イラクのクウェート侵攻」であろう。1991年6月から7月にかけて、イラクがクウェート国境沿いに大規模な軍を展開し、大演習を行った。そして、同年8月2日、一挙にクウェートへ侵攻し、アッという間にクウェートを制圧、イラクのフセイン大統領は8月8日にクウェート併合を宣言したのである。この際、イラク軍のクウェート侵攻の兆候こそあったものの、米国を始めとする西側は、その兆候を結果的に活用することが出来ず、イラク軍の侵攻に際し、何の対応も取ることが出来なかった。それから米国等は、約半年をかけて多国籍軍を編成し、ペルシャ湾やその周辺諸国に大部隊を展開させ、闇夜である新月の夜を見計らい1992年1月17日、「砂の嵐」作戦を開始した。作戦当初、昼夜を問わない航空攻撃(戦闘機や爆撃機及び巡航ミサイル攻撃等)を行い、政治の中心は当然のことながら、イラク軍の司令部、航空基地、陸軍駐屯地、対空警戒網、対空ミサイル部隊、通信網等の殆どを破壊した。約1ヶ月後の2月23日から地上軍がクウェート国内及びイラク国内に展開し、約100時間でイラク軍をほぼ完璧に撃退し、多国籍軍は戦闘行動を停止したのが2月28日であった。これが所謂、「湾岸戦争」である。典型的な「大部隊の展開」→「演習」→「侵攻」→の「征服」のストーリーとなる。この他にも、1979年12月末、ソ連はアフガンへ大部隊を侵攻させた。この際も、ほぼ同じ手口で、アフガン国境周辺で大演習を行い、その後、機を見て侵攻したのである。残念ながら、この時も西側は無警戒であった。

一般的に、ある国へ軍事侵攻(進攻)する為には膨大な兵力が必要である。前述の様に「湾岸戦争」の際にも、米国を主体とする多国籍軍は、約半年かけて兵力をイラク周辺諸国及びペルシャ湾に展開させた。そして、当該国や地域を占拠する(統制下におく)には陸上兵力(陸軍や海兵隊等の兵力)が必要である。空軍や海軍では、物理的に首都や政治・経済の中枢、そして軍の拠点等を攻撃・破壊することができるものの、常続的に占拠することが出来難いからである。そして、この陸上兵力(陸軍や海兵隊等)の移動には、他軍種よりも遥かに長い時間(期間)が必要であり、大部隊の移動は、相手方に簡単に発見される。演習名目が常套手段である所以である。また、どんな作戦でも入念な事前訓練が必要である。一般的に、各国軍隊は基礎訓練から高度な作戦訓練まで行っているが、これは飽くまでも一般的な訓練・演習であり、概ね全ての作戦に適合するものの、ある作戦の成功を確実にするには、事前の訓練・確認が必要である。これは、特殊作戦であろうが、大部隊を動員する作戦であろうが同じである。

さて、世界の予測を裏切って、ウクライナ侵攻を開始したプーチン大統領の思惑はどこにあるのだろうかということ、彼のエンド・ステイは、について考えてみたい。そこで、プーチン大統領の今後の行動を予測するために知っておくべきことがある。一つは、第二次大戦後の欧州方面での米国・NATO vsロシア (ソ連)・WPO(ワルシャワ条約機構)の対立の経緯である。また、2014年にプーチン大統領が突如(彼とっては入念な計画どおり)、クリミア半島をロシアに併合したことも忘れてはいけない。

1.欧州での米ソ対立の経緯


米ソは、もともと考え方が根本的に異なっており、一度も心から理解しあったことがない国同士である。これは、何も第二次世界大戦後のことではない。第二次世界大戦は、ソ連が一応、連合国側として日・独・伊の枢軸国、特にドイツと戦ったものの、結果論として連合国側の一員であり、偶然にも共通の敵が出現すれば、一緒に協力し合うことがある。この類とさほど変わらない連携である。米・英の確固たる連携からすれば、連合国側のソ連との関係は、かなり緩やかな連携であった。

第二次世界大戦の半ば以降、枢軸国側が形勢不利となり、先ずイタリアが陥落し、ドイツ国内にも連合国軍が入る様になった。米・英軍は、ドイツを西側から東進し、一方のソ連軍は西進した。そして、両軍は、遂に1945年4月25日、ベルリンの西側(ドイツ中央部から若干東側)を南北に流れるエルベ川で出会うことになった。有名な「エルベ川の誓い」である。

その後、5月7日、ドイツは、ポツダム宣言(無条件降伏)受諾の文書に署名し、ヨーロッパ戦線は終結した。結果的に米ソ両軍は、ほぼそのままドイツに残留したので、エルベ川の西側に米・英軍が、東側にソ連軍が駐留することになり、実質的なドイツの分断が始まった。
アジアでは、ドイツの降伏後、単独で連合国と戦っていた日本が1945年8月15日、連合国側の提示した無条件降伏の受諾を表明した。9月2日、東京湾の戦艦ミズーリ―上で降伏文書の調印式が行われ、第二次世界大戦が終わった。

終戦直後、米・英は二度とこのような惨禍が欧州で起こらない様、1949年4月4日、米・英を中心とした12ヶ国によりNATOを設立した。一方のソ連を中心に東欧諸国8ヶ国が参加したWPO(友好協力相互援助条約)が1955年5月14日に立ち上げられ、これにより米ソの対立は、NATO vs WPOとなっていった。
また、米国は第二次世界大戦中に核能力を持ち、広島・長崎に投下した。一方のソ連は、米国に遅れはとったものの、1949年8月には核実験に成功したことを公表した。米国のトルーマン大統領は、ソ連の意外にも早い核開発成功を知り、原子爆弾(核分裂)より遥かに大きなエネルギーを放出する水素爆弾(核融合)の開発に踏み切った。しかし、原子爆弾であろうが水素爆弾であろうが、破壊力が大きすぎ、事後の放射線の影響も長く残留することから、使用し難い兵器であり、両国ともこれまでの様な混獲的な戦争を始めることが難くなった。これが所謂、「冷戦」である。この「冷戦」には明確な定義はないものの、この様な核競争、米ソ(NATO/WPO)対立、そしてドイツの分断(ベルリンの壁)等が象徴的なものとされた。

この米ソの対立は、長く続いたものの、1980年代に入り、ソ連経済が徐々に低迷し始め、1989年11月には「ベルリンの壁」が東西のベルリン市民により崩された。ソ連のゴルバチョフ書記長は、最早、米国等とこれ以上対峙することが出来ないと判断し、1989年12月2~3日、米国のブッシュ大統領と地中海のマルタ島沖に浮かぶロシアのマキシム・ゴーリキー船上で会談を行った。これが「マルタ会談」である。会談後、米ソ首脳は、米ソ首脳による初の共同記者会見に臨み「冷戦終結宣言」を行い、長い間の「冷戦」に終止符が打たれた。その後もソ連の凋落は続き、遂に1991年7月、WPOが解散され、同年12月25日、ゴルバチョフ書記長はソ連大統領やソ連共産党書記長等の役職を全て辞任することになり、ソ連は崩壊した。
一方のNATOはソ連が崩壊するまでに着々と勢力を拡大し16ヶ国になっていたが、1994年1月のNATO首脳会議で、「NATO拡大方針」を打ち出し、1999年にはポーランド、チェコ、ハンガリーの3ヶ国を、2004年にはバルト三国、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニアの7ヶ国を、更に2009年にはアルバニア、クロアチアの2ヶ国を加え、そして最近では更にモンテネグロ・北マケドニアも参加することとなり、現在では30ヶ国まで拡大してきている。
これは、ロシア側からすれば、米国やNATOの脅威が一歩、一歩モスクワに近寄ってきていることであり、安全保障上許し難い状況と感じていたことは簡単に予測される。

2.プーチン大統領は偉大?功績は?


プーチン氏がロシアの最高権力者になって既に20年以上になる。我々の感覚からすれば、かなりの長期政権である。が、ロシアの歴史からすれば、それほどでもない。2018年にロシアで興味深いネット投票が行われたことがある。「ロシアの最も偉大な君主は?」というアンケートである。これはネット調査であり、かつロシアという我々とかなり価値観が異なる国の調査である。真実を反映しているか否かは不明ではあるが、結果は、1位:スターリン書記長、2位:ピョートル大帝、3位:プーチン大統領であった。我々からすれば世界的に尊敬されノーベル平和賞を受賞したゴルバチョフ大統領は、残念ながら遥か下であった。スターリンは、我々には、史上最悪の独裁者とのイメージがあるものの、政権トップに30年以上君臨し、ロシアの工業力を強化し、国力を高め、民に富を齎し、第二次大戦ではあのドイツを倒し、核を開発してロシアを米国と同等に押し上げた偉大な指導者である。ピョートル大帝は40年以上君臨し、海軍を立ち上げ、バルト海を制し、ロシアの領土を拡大した。いづれにしても、ロシア国民は、ロシア国民を鼓舞し、祖国ロシアの権益を拡大し、領土を拡大してくれる指導者を望んでいる様な調査結果である。

プーチン大統領は、1999年12月31日、エリツイン大統領が辞任し、突然、ロシア大統領職代行となった。そして、翌年2000年5月7日、正式なロシア大統領に就任した。一度、2008年~2012年は首相(この際でも、実質的にはプーチン政権)になったものの、再び大統領に返り咲き、実質的に20年以上、政権トップと維持した。これまでのプーチン大統領の功績は何なのだろうか。この功績は、勝手に我々が考える功績でなく、ロシア国民の目から功績と言えるものでないといけない。前述のとおり、ロシア国民は、ロシア国民を鼓舞し、ロシアに富を齎してくれる指導者が好きだ。プーチン大統領は、先ずは、エリツイン大統領時代末期の混乱を収めてくれた偉大な指導者である。そして、ソ連が崩壊し、経済的にかなり低迷していたロシアを見事に復活させ、この経済力を使って、ソ連崩壊後、殆ど活動していなかった軍を活性化した指導者でもある。2007年、長年休止していた「常時警戒飛行」を再開する旨の発表を行い、実際にTu-95長距離爆撃等の飛行を再開した。英国の北海周辺、我が国周辺、そして米国のアラスカやカリフォルニア周辺にも飛行させ始めた。石油や天然ガスのパイプラインを欧州各国に敷設し始めたのもプーチン大統領である。そして、最近では、「クリミア半島」を獲得(併合)した。久々の領土拡張である。

プーチン大統領は、2013年末から翌年にかけ、ウクライナ国境周辺に大規模な軍隊を移動させ、軍事演習を行った。また、この軍事行動とともに、所謂、ハイブリッド戦と言われる手法を駆使し、ウクライナ東部やクリミア半島で様々な諜報・宣伝・サイバー攻撃・情報かく乱活動を行った。もともとウクライナ東部やクリミア半島の地域は、ロシア系住民が多い地域である。このロシア系住民の主言語はロシア語であり、文化・生活様式等は、ほほロシア人に近い。プーチン大統領は、ウクライナ東部で、このロシア系住民がウクライナ政府(軍)から不当な扱い(武力攻撃)を受けているとの宣伝を行い、リトル・グリーン・メンなる実質ロシア兵をウクライナ東部に送った。このリトル・グリーン・メンとは、実態はロシア軍隊であり、ロシア軍人であることは明白である。彼らは、ロシア軍に似た戦闘服を着用しており、ロシア製の武器を装備している。しかし、階級章や部隊章等の徽章は装着しておらず、どこかの国の正規軍でないとの生出たちである。この集団が東部ウクライナに侵入し、ロシア系住民の安全確保の為、ウクライナ政府軍と戦い続けた。

また、ロシアは、クリミア半島で様々な工作を行い、この地域の住民に、クリミア半島の帰属をめぐる住民投票を行わせた。この周辺住民も主要言語はロシア語であり、ロシア文化のもとで暮らしている人達である。かつ、ここの住民の多くは高齢者であり、年金受給者である。ロシアは、この住民に、ロシアの年金とウクライナの年金を具体的に説明したのである(ロシアの年金は、ウクライナのそれに比較し、高額である)。この選挙の結果は、予想どおりであった。結果を受けて、2014年3月18日、ロシア、クリミア自治共和国、セヴァストポリ特別区(市)の三者が、「ロシアへの併合に関する協定」に調印したのである。プーチン大統領は、銃弾を一発も使わず、クリミア半島を手中にした。ウクライナ、欧米、そして我が国も、この条約は有効でないとしているものの、既に8年もの間、ロシアによる不当な占領が続いている。この様な既成事実が長引けば、国際社会もその事実を容認せざるを得なくなる(我が国は、「北方四島」及び「竹島」は、わが国固有の領土であると70年以上、主張し続けているものの、国際社会の中で、我が国の主張を認めてくれる国は、ほぼ皆無である。同盟国の米国でさえ、この件に関してロシアや韓国に何も言ってくれない。でも、我々は諦めてはいけない。必ず取り戻さないといけない地域である)。そのようなことは避けないといけないと思いつつ8年経過した。

以上の様に、クリミア半島では、ロシアの安定した占領が続いている。一方の東部ウクライナでの戦闘(紛争)は、ロシアの権益拡大の布石であり、両方ともプーチン大統領の大きな功績である。
そして、今回の一連の動きは、ロシアのウクライナでの更なる権益拡大の始まりかもしれないのである。

3.今後の我々の対応は?


プーチン大統領は、なぜ今、この時期を選んだのだろうか。今は西側諸国の結束が必ずしも強固でない、と考えたのかもしれない。米国は昨年1月、新大統領になり、「同盟への回帰」を宣言したものの、一昨年前の大統領選での国内の分断がますます悪化し、外交に専念し難い状況が続いている。その最たるものが、アフガンからの撤退作戦であった。英国はEUからの離脱問題が依然として尾を引いており、コロナ禍でのパーティ問題もある。フランスは4月に大統領選を控えている。ドイツは、偉大なメルケル首相が去り、ショルツ首相になったばかりであり、かつ政権自体があまり盤石ではない。西側各国はいろいろな事情を抱えているのである。

この様な中、ウクライナ国境周辺での大規模演習を行いながら、プーチン大統領は、一方的に東部ウクライナのロシア系住民が住む地域を独立国家として承認した。「ドネツク人民共和国」及び「ルガンスク人民共和国」である。かなり大胆な行動である。そして、遂にロシア軍にウクライナ国内への突入を命じ、軍は即座に行動を開始した。これは、米国のバイデン大統領及びNATOがウクライナ国内へ軍を派遣しないとのメッセージを何度も表明していることとの関連はないのだろうか。プーチン大統領としては、米国やNATO及び世界の枢要国からの経済制裁があろうが、米国とNATOに軍を入れないのであれば、簡単にウクライナを手中に収めることが出来る、と考えたのではなかろうか。軍のオプションは最終手段として常に取っておくべきである。バイデン大統領に、又はNATO事務局長に軍のトップはどのようなアドバイスをしたのだろうか。私は、知る由はないが、この様な判断が、次なる悲劇を生まなければ良いがと願うのみである。

ここに至って、我々は何をすべきなのか。それはただ一つである。米国を中心に「結束」するしかない。台湾海峡問題でも示したように、我々、西側の各国が一丸となり、プーチン大統領が行おうとしている「力による現状変更」を止める必要がある。その為には、東部ウクライナの現状を、宇宙から、空から、地上から、通信系やネットワークに至るまで、常に警戒監視し、日々、その状況を公表し、彼らの主張していることが如何に操作されているのかを曝け出すことである。そして、更なる強力な経済制裁を行い断固たる態度を示すことである。この強力な経済制裁とは、単に個人とか関係者の口座凍結の様な単純で、影響の少ない制裁ではなく、より大胆にロシアとの経済取引を停止する覚悟が必要である。当然、この様な処置を行なえば、我々に跳ね返ってくることが容易に推測で来るが、今、我々にはその覚悟が必要な時である。ウクライナは地理的に、我が国から遠い国であるが、今、我々はプーチン大統領の勝手な行動を許すわけにはいかない。プーチン大統領の一挙手一投足を習近平主席が見つめている。「今日のウクライナは、明日の極東であり、台湾であり、我が国である」 我が国が果たすべき役割は、極めて大きいと考えている。(令和4.2.27)

岩崎茂(いわさき・しげる)
1953年、岩手県生まれ。防衛大学校卒業後、航空自衛隊に入隊。2010年に第31代航空幕僚長就任。2012年に第4代統合幕僚長に就任。2014年に退官後、ANAホールディングスの顧問(現職)に。

写真:AP/アフロ