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2021.12.07 特別寄稿

経済安全保障だけでなく技術にも焦点を
元統合幕僚長の岩崎茂氏

岩崎 茂

最近、「経済安全保障」が脚光を浴びてきている。昨今の情勢からすれば当然の成り行きとは思うものの、この用語に違和感を覚えることがある。そもそも「安全保障」とは、総合的なものであり、国家やその組織の全ての力(総合力)を駆使し、国民のあるいはその組織に所属する人達の安全や利益・権限を守ることである。一昔前までは、「安全保障」と言えば、軍事的な分野に限られて使われていたが、国際交流が活発化する中で、軍事のみならず、外交力が必要とか、資源やエネルギーの確保等が議論されるようになり、「外交・安全保障」や「総合安全保障」などと言われるようになった。また時には、人権・貧困、感染症対策等も含め「人間安全保障」ということようにも使われている。そして、最近では、「経済」に着目した「経済安全保障」が議論されるようになってきた。

「安全保障」が「経済」に焦点をあてて議論されるに至った状況には、いろいろな事が考えられるが、最も大きな要因は、国際的な相互依存関係の深まりであろう。もともと資源的に恵まれない国は、資源が豊富な国に依存していた。ただ、最近では、自国で賄うことが出来ても国外で生産した方が安価な場合、又は自国よりも高い技術力を有する国での生産の方が結果的に効率的である場合についても、他国へ依存する体制へと移行してきている。一部の国ではこの状況に危機感を持ち、再度自国での生産に切り替えを模索している国もある。米国が石油の自国での採掘に再び方向転換したのは、その典型である。

また、もう一つの大きな要因が、中国の「経済力」を使った露骨な利権獲得行為が世界各地で横行するようになってきたためである。むしろ、こちらの方が問題であろう。中国による、インド洋の要衝であるスリランカのハンバントタ港の利権獲得はそのいい例である。中国は、スリランカに対して格安の融資を行い、いつの間にか債務過多にさせ、挙句の果てにスリランカ南部のハンバントタ港(インド洋の要衝)を向こう99年間貸与することを約束させた。99年はどこかで聞いたことがある期間である。また、我が国や欧米諸国が海賊対応等の為、自衛隊や各国の軍が駐留しているアフリカのジプチに莫大な投資を行い、スエズ運河から紅海を経てインド洋に出る場所に所在するジプチに中国が中国海軍専用の軍港を建設した。この軍港は空母の寄港も可能な大きな軍港であり、中国の「一帯一路(OBOR)」の拠点となる軍港である。中国が主導して2014年10月に設立されたアジアインフラ投資銀行(AIIB)への加入は当初57ヶ国だったが、最近100ヶ国・地域に達している。中国の経済力の影響が世界各地に広がっており、この力で、世界各地で利権を得ているのである。OBOR構想は、2013年に習近平国家主席が提唱した「シルクロード経済圏構想」に基づく構想である。これはシルクロードを模した「陸地版シルクロード経済圏(一帯)」と、インド洋経由の「海上版シルクロード経済圏(一路)」の構想であり、陸には鉄道や道路等のインフラを構築し、インド洋沿岸の各地には港湾整備を行う構想となる。

この様な事例は、南太平洋諸国でも枚挙に暇がないほど頻発している。我が国も中国から経済制裁的な嫌がらせを受けた経験がある。2009年9月7日、尖閣諸島付近で任務中(警戒監視や違法操業の漁船都市締まり)であった我が国の海上保安庁(海保)の巡視船に中国漁船が故意に衝突をした事案が発生した。海保はその場で中国漁船の船長以下を逮捕したが、この直後、中国で日本製品のボイコットや不買運動が起こり、携帯電話等の製造に欠かせないレア・アース(希少土)を日本へ輸出しないことを中国が宣告してきた。我が国は、中国の脅しに屈することなく、その後すぐに希少土に代わる代替製品を調達できた(この後、中国は我が国に対するレア・アースを解禁)。ただ、多くの開発途上国は、中国の資金に頼ると債務地獄に陥る可能性がある事は重々承知していても、中国の潤沢な資金や投資を自国の経済発展に不可欠と考えがちであり、ついつい深みに嵌ってしまうのである。

この様な経緯から、「経済安保」が叫ばれ、我が国が諸外国に先駆け、「経済安全保障大臣」を新設した。当然の成り行きであり、素晴らしいことである。ただ、「経済安保相」の所掌する範囲や権限等の細部が明確でなく、既存の省庁(経産省や防衛省、外務省)等との関係も明らかにされておらず、この「経済安全保障相」を置くだけで十分であろうか。私は、特に「技術」に関する分野に十分な配慮がなされるか不安を持っている。

我が国でもこれまで時々、中国の「千人計画」が報道されてきている。これは、中国が将来を制するためには「技術力」が必要との認識の下、中国人のみならず全世界の科学者や技術者等を破格の待遇で中国に迎え、莫大な研究費を与え、最先端の技術開発に取り組んでいる一大プロジェクトである。この計画は2008年頃に始まったとされ、当初は、その名のとおり、「千人」集める計画であったが、既に「一万人」を越えているとの報道もある。当初の計画では、集める科学者の資格は、「55歳以下、博士号取得者」とされていたものの、現在では、各国の企業等を定年で退職した人達も働いているようであり、制限を解除しているとの情報もある。2021年正月の読売新聞には、この計画で働いている日本人の匿名インタビューが出ていた。同紙によれば確認されているだけで44名の日本人がいるとの事。また、別の報道では200~300人の日本人が所属しているとの事である。既に開発されたもので「秘」に指定された技術や装備品について漏らすことは、法律違反であるが、再就職は自由であり、まだ開発されていない分野に挑戦し、新たな装備品を作ることは規制されていない。科学技術者や研究者の多くは、それが軍用に転用される可能性があると認識していても研究者としての探求心に勝てないことを理解できる部分もあるが、中国の巧妙な仕掛けである。この様な弛まぬ努力により、中国は、様々な分野で既に欧米や日本を抜く様な最先端技術と呼ばれる技術を持ち始めている。以前、米国等は「中国は我々の技術を盗む」と警鐘を鳴らしていたが、それは事実であったし、今後も彼らは、私達の技術やノウハウを盗み続けるものと思われる。ただ、更なる先進技術の開発にも力を入れていくものであろう。

さて、それでは、我が国は今後どうすべきであろうか。「経済安全保障」に絡む動きは既に始まっているが。私は今回、我が国が行うべき、特に「技術」に焦点を当てた項目を指摘したい。

1.「技術」分野に関する我が国の体制

(1)予算処置

「技術」は、これまでもそうであったように、我が国の生きる道である。次世代の技術を開発することによって、我が国の安全と繁栄が確保される。来年度予算の概算要求は、2021年8月に各省庁から財務省に提出されているが、防衛省の所謂、研究開発費で対前年度から1.5倍に増額されている。額としては、諸外国に比較し大きいと言い難いものの、大変素晴らしい努力の結晶であり、将来に対する危機感の表れである。また、政府は、来年にかけて「国家安全保障戦略」を見直すことを公表している。この戦略見直しは、必然的に「防衛計画の大綱(大綱)」及び「中期防衛力整備計画(中期防)」等が見直されることになろう。防衛省・自衛隊の任務は年々拡大されてきている。防衛費の伸びは前・前回の中期防に比べ、現中期防は対前年度比の伸びこそ大きいものの、物価上昇や任務拡大等を考慮すれば、従来の重要任務への資源配分を削りながらのギリギリの予算となっている。負債を抱えながらの財政であり、財務省の言い分も理解は出来るが、現状の自衛隊装備品の稼働率も年々低くなってきており、既に限界寸前である。破格な防衛費増は望めないとは思いつつ、強靭な足腰がなければ本来の自衛隊としての活動もできなくなる深刻な事態を考慮し、後方分野を再度充実させるとともに、新分野への投資を行う事を願っている。そして、是非とも研究開発費の大幅増額及び将来に対する大型投資を望む。

(2)「技術保全」体制の確立

これまでも、度々「秘密保全」について言及してきた。我が国は、これまで「秘密保全」に関して少しずつ諸外国を参考にしながら法律化・規則化してきている。しかし、国際標準と比較してまだ十分ではない。米国等が構成する「ファイブ・アイズ」がある。米国、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの五か国からなる「機密情報共有」の枠組みである。いつ立ち上げられたかは不明であるが、第二次世界大戦のあとからの様で、長い間、存在そのものも秘であったが、最近になって公開された枠組みである。これまでも何度か日本の加盟に関する議論が起こったものの、実現していない。その理由の一つに、我が国の「秘密保全」体制が十分でないとの指摘もある。私は、結論から申し上げれば、誘われたら加入すればいい程度であり、こちらから敢えてアプローチする必要はないと考えている。ただし、我が国も国際標準並みの「秘密保全」体制を早期に確立すべきである。この中には、先程から述べている技術に関する「保全」体制や個人や企業としての所謂、「セキュリテイ・クリアランス」制度の確立も含め、我が国が保有する技術・ノウハウは、我が国の安全保障に直結しているとの認識の下、早急な処置が必要である。

2.各国との連携

2021年4月に菅総理が渡米し、バイデン大統領との会談終了後の記者会見で、「我が国の防衛力強化」に言及された。また、バイデン大統領は8月にアフガンからの米軍の撤退が完了した直後の記者会見で、「アフガン人自身が戦う意志がない戦争を米国が戦うべきではない」と発言された。極めて当たりまえの事である。自国を守ろうともしない国を米国が守ることはあり得ない。我が国でも同様であろう。同盟国であれば、同盟国として応分の役割分担があろう。それに応じない同盟国を守ることはない。

「技術安全保障」を考える時に、我が国のみでは限界がある。特に米国との連携は重要である。菅総理は、訪米時に「CoRe(日米競争力・強靭性)協定」に署名した。先進技術の共同開発の為の協定である。

今年、9月、突如として米国、オーストラリア、英国が「AUKUS」を宣言した。三ヶ国による軍事同盟である。我が国では、豪に対する米英の原子力潜水艦の提供が大きく報じられている。ただ、この協定の細部を拝見すれば、軍事同盟でこそあるものの、この原子力潜水艦のみならず、自立型無人潜水艦、長距離攻撃能力、サイバー、宇宙、5G、IT、AI、量子技術等々の技術協力に関する協定となっている。我が国が入っていない事には若干、違和感があるものの、当初の原子力潜水艦の件があり、無用の議論を避ける意味では、寧ろ良かったかもしれない。我が国は、この「AUKUS」との連携も視野に入れつつ、技術開発協力及び保全を行っていくべきと考える。(令和3.11.22)

写真:AAP/アフロ

岩崎 茂

ANAホールディングス 顧問、元統合幕僚長
1953年、岩手県生まれ。防衛大学校卒業後、航空自衛隊に入隊。2010年に第31代航空幕僚長就任。2012年に第4代統合幕僚長に就任。2014年に退官後、ANAホールディングスの顧問(現職)に。※岩崎の「さき」は「崎」の異体字(「山」辺に「立」に「可」)