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2021.10.26 対談

危機の時代―安全神話
船橋洋一編集顧問との対談:地経学時代の日本の針路

白井 一成 船橋 洋一

ゲスト
船橋洋一(実業之日本フォーラム編集顧問、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長、元朝日新聞社主筆)

 

聞き手
白井一成(株式会社実業之日本社社主、社会福祉法人善光会創設者、事業家・投資家)

 

「小さな安心」を優先させて「大きな安全」を犠牲に

白井:第2次世界大戦後、日本にも様々な国家的危機が訪れたと思います。1970年代の石油危機では、それまでの好景気を一変させるとともに、エネルギーの安定供給の重要性が再認識されましたし、1995年の阪神・淡路大震災は、大規模な震災復興を必要としました。2008年のリーマン・ショックの際には、金融面への影響が大きかったと思います。しかし、もっとも大きな国家的危機は、2011年の東日本大震災に伴う福島第一原発の事故ではないでしょうか。10年以上たった今でも廃炉作業は停滞し、帰還困難区域は広範囲に残ったままです。

また、2019年末から継続している新型コロナウイルスの感染拡大も、国家的危機といえるのではないでしょうか。非常事態宣言の解除後、感染者が増加し、再び緊急事態宣言を出すという事態を繰り返し、崩壊の危機を乗り切ったはずの医療体制にも厳しい状況が続きました。まさしく、この10年は「危機の時代」といっても過言ではないほど、何度も日本は危機に直面しています。

船橋:おっしゃる通りです。私も、戦後日本の最も大きな国家的危機というのは、福島第一原発事故と、まだ終わっていませんが、今回のコロナだと思っています。この10年ほどの間に、それが2回来てしまったということです。

そこで、この2つの国家的危機に共通する日本の課題は何だろうと考えました。特に、コロナへの取り組みという世界共通の課題を比較した場合、それはどういうことになるのかということです。私は、「安心ポピュリズム」という言葉をつくってみました。安全と安心、それぞれ人間社会にとって重要なことですが、政府がやらなければいけない仕事は、個々人の安心よりも、政府として、国家として、社会として、全体の、できるだけ多くの「最大多数の最大安全」だと思います。安全保障にしても、健康ということにしても、政府の責務は一人一人に安心感を持たせることよりも、全体の安全を確保することだと思います。

にもかかわらず、日本では、殊さらに個々の人々の心の安心までが政府の仕事の対象になっています。そのため、政府には、「住民が不必要な誤解と不安を持つ」ことを懸念して、「最悪のシナリオ」やコンティンジェンシー・プランニングには踏み込まないでおこうとします。このような対応が日本ではますます顕著になっていると思います。国家・社会を安全保障に十分備えることができる「国の形」にする、そうした「国家安全保障国家」(national security state)は米国で冷戦の始まりと共に構想され、制度化されましたが、日本の場合、軍事的な備えだけでなく非軍事の危機への備えに対しても「国の形」ができていません。有事のようないざという状況が発生したとき、その危機を乗り切るために政府と国民との間でどのような契約、約束事を結んでおく必要があるのかということです。危機を乗り切る有事の際の法制度が求められているのに、今までちゃんと議論されてこなかったことが問題だと思います。

原発事故の後、民間事故調(福島原発事故独立検証委員会)をつくり、検証報告書を出版しましたが、そこでのキーワードの一つが「絶対安全神話」という言葉でした。津波によって、全電源喪失というSBO(Station Blackout)が発生しました。交流電源が途絶え、スイッチボードをはじめとするすべての機器が津波の浸水によって動かなくなり、そのことで直流電源も使用不能になってしまいました。最後は、IC(Isolation Condenser)という応急的な原子炉冷却設備が動くことになっていたし、実際に動かしたのですが、そのうちそれが動いているのか、動いていないのか、そのコミュニケーションにも問題が生じ、現場が混乱し、操作を中断してしまった。それが1号機の水素爆発を生み出してしまった。結局、1号機、2号機、3号機全てがメルトダウンしてしまいました。2号機の場合、鋼鉄製の圧力容器を溶かし貫通するメルトスルーによって、冷却材喪失事故時に放出される炉蒸気を凝縮するためのプール水を保持していたサプレッション・チェンバーがクラックしてしまった。

日本は、このStation Blackoutを、緊急対応策で想定していなかったということが検証によって明らかになりました。そんな恐ろしい事態を緊急対応策に入れたら、その発生について住民が「不必要な誤解と不安」を抱き、人々の安心を傷つけるので問題があると事業者(電力会社)も政府も判断していたのです。事故が起こったら大変だから、それに備えようではなく、そんな人々を不安に陥れる事故は想定する要件として組み入れないでおこうという、極めて倒錯した論理なのです。民間事故調は、それを「小さな安心」を優先させて「大きな安全」を犠牲にした、と分析しました。

福島第一原発の「失敗の本質」

白井:原子力発電に対する国民の理解が深まらない理由の1つに、第2次世界大戦で原子爆弾を投下された事実が、国民の脳裏から決して消えないということがあげられると思います。広島と長崎の原爆による死者は、1945年だけで20万人を超えていて、被爆によってなくなった方は現在までに50万人を超えているという統計もあります。

数字だけではなく、写真や映像で残された惨劇は言葉を失うものですが、このような体験が我々日本人の根底に原子力に対する嫌悪感のようなものを残したのではないでしょうか。それが、原子力発電におけるコンティンジェンシー・プランの合理性を阻害したということが考えられるのではないでしょうか。

船橋:おっしゃるように、倒錯した論理の背景に広島・長崎の経験がトラウマとして影響しているということは間違いないでしょう。

日本が原子力発電を推し進めたきっかけは、1970年代の石油危機でした。石油危機に際して、日本はこれほどまでに弱い国だという痛切な認識もあり、やはり原子力が必要だという判断から1970年代に原子力発電所の整備が加速化しました。

にもかかわらず、国民はやはりものすごく不安を感じ、その国民の不安を少しでも和らげるために、「そんな最悪のシナリオは起こりません、ありえません」、という説明で最悪のシナリオを「想定外」として捨象してしまったのです。

これを、リスク・ディナイアルと言います。あまりにも厳しいリスク評価をせざるを得ない場合に、経営的、政治的なリスク管理に非常にストレスがかかってしまい、リスクを管理できない。従って、リスク評価を変えてしまう、さらにはそういう事態を「想定外」として削除してしまう。それが、福島第一原発の「失敗の本質」です。

では、10年たった現在ではどうなのかということです。確かに、原子力規制委員会ができ、原子力規制庁もできました。彼らは、かつての原子力規制機構(主に原子力安全・保安院と原子力安全委員会)に比べると、独立し、手続きも透明になり、世界で最も厳しい原発安全規制を課しているとしています。私たちはとても厳しい「宿題」を事業者に課しました、100点満点取らなければ稼働は認めません、もうリスクはありませんから、ご安心くださいと国民に説明しているように見えます。ある意味では、福島原発事故前とそれほど違わないリスク観だといえるでしょう。つまり、確率論的なリスク観になっていない。どんなに対応策を重ねても、なおリスクはあるという前提で、そのリスクをさらに引き下げていくというリスク観を行政も社会も確立できない。「え? リスクがあるのですか。それでは動かさないでください」、と言われてしまうと動かせなくなってしまう。

ですから、現在においても「絶対安全神話」はまだ生き続けていると私は思います。こう言うと、原子力規制委員会の方とか規制庁の方は、心外に思われるかもしれません。個々の担当者の方々で本当に真剣にやっていらっしゃる行政官を私も存じ上げています。

しかし、日本の政府には、国民にリスクを正確に伝え、それでもある政策なり規制なりを実施しなければならないときがあります。その上で、国民も一緒になって備えていこうという説明をする責任があると思います。

危機が問う「国の形」

白井:「絶対安全神話」に頼ることから脱却し、現実的な認識を政府と国民が共有することがその第一歩ではないでしょうか。重要な問題から目をそらさずに、事実を冷静に見つめながら日本が向かっていくべき方向へのコンセンサスを国民から得ていくことが、日本政府には求められているということだと理解しました。その際に、リスクに対する正確な理解と確率論的な評価が不可欠であることを、福島第一原発の事故は我々に教えてくれたということですね。

では、現在進行形の新型コロナウイルスによる危機にも、そうした問題が共通して存在しているというわけですね。具体的にはどの部分が共通しているとお考えでしょうか。

船橋:政府は、2021年2月に感染症3法と特措法も含めて改正しましたが、その中で初めて、休業要請、休業補償、個人の行動規制などが可能になりました。重症患者の受け入れに関しても、民間の病院はなかなか重症患者を受け取れませんから、病床数の多い82ある大学の公立病院にプロラタ(比例配分)でより多く引き取ってもらうというようなメリ張りのきいたことをできるような体制整備に着手しました。重症患者の受け入れは、医療崩壊につながる可能性もあって調整が難しく、法的権限もないためできずにいたのです。

それでもコロナ禍を通じて、日本の政府はいざというときに頼りにならないという感じを日本の国民は持ったのではないでしょうか。都知事に東京23区の保健所に対する指示権限がないことが問題として表面化しました。ここでは、政府も直接指令できません。政府は知事に「要請」するだけ、知事は医師会に「お願いする」だけ。PCR等検査もワクチン接種もとりわけ当初、遅々として進まなかった。福島の事故の時も、東京都のハイパーレスキュー隊を福島に派遣したのは石原慎太郎都知事でした。プロの消防隊員が放水で活躍してくれましたが、政府は直接出動命令を出すことはできず、人を介して裏から都知事に懇願したのが実態です。数え上げればきりがありませんが、今度出版した『フクシマ戦記』では、福島原発事故の備えと対応の失敗の本質であるリスク、ガバナンス、リーダーシップの課題に光を当てました。福島第一原発事故では、日本の「国の形」、「戦後の形」が根底から問われたのだと思っています。日本は、有事に備える国の形を作る必要があります。そのような国民の自由と人権の一時的制約要請に対して、国民は不安を感じるかもしれませんが、その一時的制約が結局は国民の「最大多数の最大安全」を保証する。そのことを政府は国民に率直に伝え、国民とともに危機を克服することが重要だということです。つまり、国民と一体となった備えを平時からつくっておくということです。国民にも権利と義務の両方があり、いざというときは権利と義務の双方を厳格に行使することが求められることになる。それを中途半端にあいまいにしてはならない。法律で明確に権利と義務を規定することが必要だと思います。

これは、安全保障も同じです。日本は戦後、国民と一体となった形での安全保障の議論をしてこなかった。2015年の安保法制も、安倍政権の支持率が10%以上下がったほどの不人気政策でした。この時の安保法制では法律を10本通しましたが、激しい賛否両論を引き起こしました。安倍政権のやり方や姿勢に問題があったことは否めません。しかし、国民に安全保障を真正面から考えてもらい、一緒になって備えていくという方向性は間違っていない。特に尖閣諸島をめぐる問題や日米同盟の今後を考えたとき、日本が自ら責任をもって国と国民を守るために、よりよく備えていくのに必要な第一歩だったと私は思っています。

21世紀は、軍事安全保障に加えて、原発、パンデミック、気候変動、AIやバイオ、テロなど大きな国家的危機につながるような非軍事的脅威が多発すると思います。国民と一体となって国民を守る「国民安全保障国家」(national security state)という新しい国家像をつくっていくときだと思います。

(本文敬称略)

白井 一成

シークエッジグループ CEO、実業之日本社 社主、実業之日本フォーラム 論説主幹
シークエッジグループCEOとして、日本と中国を中心に自己資金投資を手がける。コンテンツビジネス、ブロックチェーン、メタバースの分野でも積極的な投資を続けている。2021年には言論研究プラットフォーム「実業之日本フォーラム」を創設。現代アートにも造詣が深く、アートウィーク東京を主催する一般社団法人「コンテンポラリーアートプラットフォーム(JCAP)」の共同代表理事に就任した。著書に『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤誉氏との共著)など。社会福祉法人善光会創設者。一般社団法人中国問題グローバル研究所理事。

船橋 洋一

ジャーナリスト、法学博士、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ 理事長、英国際戦略研究所(IISS) 評議員
1944年、北京生まれ。東京大学教養学部卒業後、朝日新聞社入社。北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、コラムニストを経て、朝日新聞社主筆。主な作品に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋)、『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』(朝日新聞社)、『地経学とは何か』(文春新書)など。

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