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2021.09.28 対談

「自由で開かれた国際秩序」(LIO)とポピュリズム“大分断”(2):ポピュリズム
船橋洋一編集顧問との対談:地経学時代の日本の針路

白井 一成 船橋 洋一

ゲスト
船橋洋一(実業之日本フォーラム編集顧問、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長、元朝日新聞社主筆)

 

聞き手
白井一成(株式会社実業之日本社社主、社会福祉法人善光会創設者、事業家・投資家)

 

「大きな政府」がポピュリストを抑制した日本

白井:「大分断」に続いては、ポピュリズムについて議論させていただきたいと思います。先生は著書の中で、安倍政権が日本におけるポピュリストの台頭を抑制してきたと述べられていますが、アメリカとの対比では日本をどのように評価されるのでしょうか。

船橋:2017年2月の「ニューヨーク・タイムズ」のオプエドに「なぜ日本では、欧米、特に英米のようなポピュリズムが起こらないのか」について書きました。

反応も一番大きく手応えがありましたので、海外からもそういう視点で日本を見始めていることを実感しました。ポピュリズムを抑え込む政治ができる国は安定感があります。2015~16年頃から世界の安倍政権を見る目が変わってきたと感じていました。安定力(stabilizer)への期待です。そのような期待が日本に寄せられたことは長い間、ありませんでした。自由で開かれた国際秩序が、習近平体制の強権的対外攻勢とトランプ政権の「アメリカ・ファースト」一国主義で急速に軋みはじめ、その中で日本のプロアクティブな安定力とルール・シェイパーとしての役割が、ルールに基づく多角的な国際秩序を維持、強化する上で重要になってきたのです。

日本は日米同盟を維持することで安定力を発揮するだけでなく、日本が民主主義国として法の支配を尊重し、アジア太平洋における海洋安全保障で積極的な役割を果たし、また、TPPのような多角的な市場開放とルール形成を引っ張っていく役割が求められている、と考えました。日本はアメリカのようなルール・メーカーとなるほどの規模も力もない。しかし、ルールをつくる環境づくりを促進するルール・シェイパーにはなれるし、なるべきである。ジョン・アイケンベリー教授と共編で2020年2月にブルッキングスから出したThe Crisis of Liberal Internationalism Japan and the World(東洋経済新報社『自由主義の危機:日本と世界秩序』、2020年8月)は、そうした問題意識を基にした日米の研究者による共同研究の成果です。

話が先走りしましたが、ポピュリズムに戻りますと、アメリカでは、民主党は大きな政府を、共和党は小さい政府を志向する傾向があります。共和党はレーガン・ドクトリンからギングリッチ革命を経て、小さな政府を目指すことでは一貫しており、特にリーマンショック後のティー・パーティーの台頭によって共和党はその傾向が強くなっています。

そして、「小さな政府」対「大きな政府」の最大の論点の一つが医療と健康の格差です。アメリカは国民皆保険がない。だからアメリカでは、病気になったときに医者にちゃんと診てもらえないという恐怖感が国民、なかでも低所得層の間にあります。低所得層の平均寿命が短いのも、国民皆保険がないことと関係していると思います。医療サービスを受けられるかどうかをめぐる格差の問題はアメリカの政治のマグマです。今回の新型コロナウイルスのワクチンは、医療従事者、高齢者の順に接種することになっています。しかし、病院の医療従事者の中に病院の理事、理事の家族、病院が雇っているPR会社、病院が運用している投資会社のトップなどが含まれている。これに対して、非常に強い批判が巻き起こっています。

一方、日本はどうか。河野太郎衆議院議員は外国人相手のセミナーなどでは「日本には大きな政府のための政党があり、もっと大きな政府のための政党がある」と言って笑わせていますが、この言葉には一面以上の真理があります。1990年以降、日本の社会福祉の予算はずっと伸びています。令和2年度の社会保障関係費は約36兆円と一般会計予算の約35%に達しています。内訳では、年金給付費と医療給付費の割合が高く、それぞれ社会保障関係費の約35%、約34%を占めています。令和2年度の一般会計予算の歳入となる新規国債は約33兆円です。本来であれば、もっとポピュリズムあるいはポピュリスト化したかもしれない層を、国債を発行し、財政赤字を膨らませながら“懐柔”しているといったら言い過ぎでしょうか。「大きな政府」路線がポピュリスト的傾斜を抑制してきたということだと思います。

日本では国民皆保険により、国民への医療サービスが保証されていることになっています。コロナ危機の過程では医療崩壊を起こさせないため、さらに言えば開業医たちと医師会が抵抗したことも影響してPCR等検査をあえて絞り込み、国民はなかなか検査させてもらえない事態を招き、国民皆保険でも医療への皆アクセスではない実態が露わになりましたが、それでもアメリカに比べると、日本では医療サービスに関しては国民の間に一定の信頼感があります。

右派政治家の存在がポピュリズムを抑制?

白井:国民皆保険制度を維持している日本では、国民が医療に関してある程度の安心感を持っていることは理解できます。誰もが平等に質の高い医療を受けることができるように政府が財政で支えてきたこの体制が、高齢化社会の到来とともに財政面から政府を圧迫する。財政を拡大して大きな政府となり、これまでと同じ体制を維持してきた日本ではポピュリズムが抑制される一方、国民皆保険がないアメリカではポピュリズムが抑制されにくいということでしょう。

実際にポピュリストとなる人たちに関しては、各国で何か違いがあるのでしょうか。

船橋:イギリスとアメリカにおける顕著な傾向は、もっともポピュリズムが強いのが農村部とラストベルト的な地域の中高年で低学歴の男性であるということです。彼らが都市の高学歴のグローバル志向の人々に対して持つ強いリゼントメントがポピュリズムの温床となっています。somewhere(どこか=農村部)とanywhere(どこへも=都市部)の分断ですね。

日本では、最高裁に「違憲状態」と叱られている「1票の格差」問題があります。農村部の有権者の1票は都市部の有権者の1票より価値が相当程度高い状態を放置したままなのですが、それはつまり農村部の発言力が優遇されていることを意味します。

たしかに「地方消滅」も言われていますが、地方ではさまざまな物価も安いし、都市に比べると地方のほうがはるかに公共行政サービスの内容も充実しています。農村部のほうが都市部よりも恵まれていることが多々あるという状況が、アメリカとは異なって、日本でポピュリズムが抑制されているもう一つの理由です。

白井:日本とアメリカの違いとして、移民の問題もよく指摘されます。アメリカには建国当初から移民を受け入れてきた土壌がありますが、日本はこれまで積極的に移民を受け入れてこなかった。人口に対する移民の割合は、アメリカが15%であるのに対して日本は2%にとどまります。これも日本のポピュリズムの抑制に影響したのではないでしょうか。

船橋:確かに、移民が少ないことが日本でポピュリズムが抑制されている最も根本的な理由だと指摘する人もいます。イギリスでもアメリカでも、移民や季節労働者などが多い国では、彼らが割り込んできて自分たち一般市民が本来得るべき行政サービスを盗むと主張する人々が多い。割り込みリゼントメントとでも言えるものです。

アメリカの社会学者がティー・パーティーの発祥の地であるニューオリンズに5年間住んで、なぜティー・パーティーが生まれたのかという大変な労作を書きました。彼女がたどり着いた結論が、移民あるいは不法に入国している人々がポピュリズムの原因というものでした。移民の申請をする人々は一般市民とは別レーンで手続きが進められるため、さまざまな手続きを行う際に長い列をつくって待つ自分たちより優遇されていると感じる人々が一般市民の中にはいる。自分たちの税金はなぜ移民のところに行くのか。移民はなぜ途中で“横から割り込んでくる”のか、と。ここはイギリスも似たような状況にあります。

一方、大陸ヨーロッパでは右も左も移民排斥のポピュリズムが広がっています。その中には福祉国家として高度に成熟した国々も入ります。例えばデンマークの付加価値税は25%で、世界で2番目に高い税率になっています。EUの平均が21.5%ですから、デンマーク市民はEUの中でもかなり高い税金を払っていることになりますが、そうであるがゆえに税金が移民、なかでもイスラム系に注ぎ込まれることに対する不満は強い。デンマークの政治体制は立憲君主制で、フレデリクセン首相が率いる社民党が左派ブロック内の合意を得て少数単独政権を成立させています。フレデリクセン内閣は、クオータ難民の受け入れを再開する方針ではありますが、永住権取得条件の制限など、それまでの厳格な難民・移民政策を維持することを明確にしています。

日本でも日本で働く外国人労働者への違和感と労働市場開放への反対がポピュリズムの形で表れてくる可能性もあります。ネット上の言説を見ても、右のポピュリズムはすでにそうした情念を帯びつつあります。平成24年度(2012年度)に約203万人だった在留外国人は、令和元年度(2019年度)には293万人に増加しました。8年間で約44%増加したことになります。令和2年度(2020年度)は新型コロナウイルスの影響もあって、減少に転じましたが、在留外国人の数は右肩上がりに増加してきています。その中でも永住者の数は80万人を超えています。

おそらくここでは、安倍首相が右の政治家だったことがポピュリズム、とくに右のポピュリズムを抑え込む上で役立ったという面もあるかもしれません。

2015年12月の韓国との慰安婦合意は、安倍政権だからできたという側面が間違いなくあります。右をかろうじて押さえ込むことができる政権でなければ、あの合意はできませんでした。当時は、元慰安婦への支援を目的とした財団に10億円を拠出することなどに対して、右から「安倍に裏切られた」という声も出たほどです。しかし、その人たちは「文在寅政権は、あれだけ日本が譲歩して成立させた慰安婦合意を一方的に破棄してけしからん、ちゃんと守れ」と言いたいのではないでしょうか。

(本文敬称略)

白井 一成

シークエッジグループ CEO、実業之日本社 社主、実業之日本フォーラム 論説主幹
シークエッジグループCEOとして、日本と中国を中心に自己資金投資を手がける。コンテンツビジネス、ブロックチェーン、メタバースの分野でも積極的な投資を続けている。2021年には言論研究プラットフォーム「実業之日本フォーラム」を創設。現代アートにも造詣が深く、アートウィーク東京を主催する一般社団法人「コンテンポラリーアートプラットフォーム(JCAP)」の共同代表理事に就任した。著書に『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤誉氏との共著)など。社会福祉法人善光会創設者。一般社団法人中国問題グローバル研究所理事。

船橋 洋一

ジャーナリスト、法学博士、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ 理事長、英国際戦略研究所(IISS) 評議員
1944年、北京生まれ。東京大学教養学部卒業後、朝日新聞社入社。北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、コラムニストを経て、朝日新聞社主筆。主な作品に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋)、『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』(朝日新聞社)、『地経学とは何か』(文春新書)など。