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2021.09.21 対談

地政学の軛:地政学とは(1)
船橋洋一編集顧問との対談:地経学時代の日本の針路

白井 一成 船橋 洋一

ゲスト
船橋洋一(実業之日本フォーラム編集顧問、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長、元朝日新聞社主筆)

 

聞き手
白井一成(株式会社実業之日本社社主、社会福祉法人善光会創設者、事業家・投資家)

 

北極圏が新たな地政学の場に

白井:さて、この実業之日本フォーラムの主要な関心領域である地政学に話題を転じたいと思いますが、リムランドを巡るランドパワーとシーパワーの戦いは、現在の米中対立の背景を上手く説明していると思います。地政学というと、地図のような固定したエリアでの陣取り合戦というイメージを受けるのですが、そもそも地政学の場というのは固定的なものでしょうか。

船橋:地政学は地理などのように変えられないものを対象にしていると考えられがちです。しかし、地政学の場は決して固定的なものではありません。例えば、気候変動です。地球温暖化に伴い、北極海の氷が溶け、新たな航路として、更には豊富な海底資源開発地域として脚光を浴びつつあります。これは、21世紀の「ゲームチェンジャー」になるかもしれません。

(国立極地研究所 2020.9.23)

北極圏国8か国(カナダ、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、ロシア、スウェーデン及びアメリカ)は「北極評議会」を創設しています。その目的は、北極における持続可能な開発、環境保護といった共通の課題について協力等を促進することです。気候温暖化が進んでくると、ロシアやカナダで今まで人が住んでいなかった地域にも移住が進むかもしれません。北極海そのものに天然ガスなどの資源が豊富にありますから、戦略的に開発するという点でこれらの国々は極めて有利な立場に立ちます。

シベリアのヤマル半島にはロシア最大と言われる天然ガス田があります。大部分が永久凍土で覆われており、伝統的に大規模なトナカイの遊牧が行われているところです。2017年から天然ガスの採掘がおこなわれており、ロシアのノバテク社、フランスのトタル社、それに中国のペトロチャイナ社が資金を出資しています。日本の「石油天然ガス・金属鉱物資源機構」(JOGMEG)の調査報告書(2018年)は、ロシアが2035年までに、世界の天然ガス市場の15%を占めることを目指していると分析しています。ヤマル半島は、天然ガスの積出港としてだけではなく、北極海航路の中継港としても戦略的に重要な位置になるでしょう。

石油天然ガス・金属鉱物資源機構」(JOGMEG)の調査報告書(2018年)

もっとも、北極海航路は、気象・海象予報の精度がよくないことや、緊急対応体制が不十分であることに加え、砕氷船による航行支援コストが不透明といった課題があります。ロシアが北極海航路通行時にロシア砕氷船の使用を義務付けるという動きがあると伝えられています。さらには、北極海が米ロ戦略原潜の有力な展開地域であることから、米ロ間の対立が激化する可能性もあります。いろいろ課題の多い北極海ですが、今後、経済的に、軍事的に戦略地図を大きく変える可能性があることは間違いありません。

中国は「北極海近辺国家」と勝手に名乗っていますが、地理的に北極海に面していないという事実は変えようがありません。中国は日本と同様に北極評議会のオブザーバー国にしかすぎません。北極海に対する発言力は当然限定的です。中国は、一帯一路の海のシルクロードとして、南シナ海、インド洋を抑えようとしていますが、ユーラシアのリムランド支配という観点からは、北極海も何らかの形で個々に組み込むことが必要になってくるでしょう。従って、北極海航路への関与を深めてくると考えます。ヤマル半島の天然ガス開発に中国の石油会社が出資しているのはそのことの現われだと思います。スパイクマンの言ったリムランド論は、北極海を含めて理解する必要が出てくると思います。気候変動は、従来の地政学のダイナミックスを大きく変える可能性を秘めています。

白井:中国が北極海航路に関心を示しているというご指摘はそのとおりだと思います。少し古い話になりますが、2015年9月に、ロシアのウラジオストックにおいて実施された中ロ海上演習を終了した中国艦艇5隻が、宗谷海峡からオホーツク海を経由してベーリング海にまで進出したことがありました。これは、中国艦艇が初めてベーリング海に進出したということと、その際にアリュ-シャン列島の米国領海内を通過したことが話題となりました。更に中国は、砕氷船「雪竜」を数次にわたり北極海に派遣しており、北極海北東航路を通過しました。中国は、まさになりふり構わず、北極海への関与を強めようとしています。北極海が新たな地政学の場になっていることを改めて認識しました。

歴史戦をどう見るか

白井:少し話が変わりますが、最近の日韓関係は戦後最悪と言われる状況にあります。中韓と日本は歴史問題を抱えていますが、中韓両国は、世界の場で、自らの立場を強化するために歴史問題を利用しているように思います。歴史問題も地政学の手段として使われているという認識を持っているのですが、いかがでしょうか。

船橋:歴史は起こってしまったら、変えようがない。その意味では国々の関係を律する変わらない要素の一つと言えます。同時に、歴史は後世の人間がその歴史を再検証し、再解釈し、彼らの時代の「あらまほしき過去像」を投影する、そうした上塗りするプロセスでもあります。国によっては、歴史、というより「使える歴史」を国内政治や外交に使用する場合があります。相手国に対して自らの道具、あるいはパワーバランスによる優位を求めるために歴史を使うのが、いわゆる歴史戦です。

歴史戦の観点から見た場合、戦後70年間にわたって、日本とドイツはグローバル・リーダーシップを担えないという国際的パーセプションがありました。両国は1930年代から1940年代にかけてファシズムに走り、他国を侵略し、他国の国民に大きな犠牲を強いた。それは否定しようがない事実です。日本とドイツはその歴史を歴史戦の形で政治・外交的に使われるとつねに弱い立場に立たされますし、実際、立たされて来ました。

ただ、多くの日本人、とくに若い日本人からすれば、戦後70年以上も経つのになぜ、この問題が蒸し返され、日本は何時まで謝り続けなければならないのか、という割り切れない気持ちを持っていることも確かです。今の日本では戦後生まれの人間が8割を占めています。その人達に直接、自らが手を下したわけでもない事柄に責任を感じろというのは酷な話です。自分が犯した過ちでない過去の出来事に、後の世代の人々が個人として罪を問われ、責任を負うことはありえません。しかし、同時に、日本が過去に犯した過ちの意味合い(implications)から逃れることはできないこともまた事実なのです。

2015年12月の日韓慰安婦合意は、この問題に対する「最終的かつ不可逆的」な解決としたことで日韓の不幸な歴史に区切りをつけようとした試みだったと思います。この合意は、後世の個々人に過去の不幸な出来事の責任を負わせ続けることはしないという未来志向の精神を踏まえていたと思います。私はその点を評価しています。

「最終的かつ不可逆的」で合意したことで日韓の歴史問題が完全に終わった、ということではないでしょう。過去の克服に向けての和解のプロセスは長い道のりを必要とします。当時の朴槿恵韓国大統領は2013年3月1日の3・1事件94周年の演説で、「加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらない」と言いました。理屈の上では、というより情念の渦ではそうかもしれませんが、それでも、よりよき未来をともにつくっていく意思と希望がないと、加害者と被害者の関係は「復讐のサイクル」に陥ってしまう危険があります。「復讐のサイクル」は地政学における最も恐ろしい破壊的衝動の一つです。その未来をともにつくる意思と希望を育てるのが政治指導力の最大の任務だと信じています。

良き勝者、良き敗者

白井:確かに、日本の文化には「水に流す」という言葉があり、一旦決着すれば過去は問わないという風潮があります。死んでしまえば誰もが「神様、仏様」という日本の文化と、死してなお、墓が暴かれる中国、韓国とは、折り合えない文化の違いがあるように思います。

第二次世界大戦で日本はアメリカに負けましたが、アメリカに対し、日本が恨みを持つことはありませんでした。広島の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。ここを訪れる外国人観光客は「過ちを犯したのはだれか」との疑問を持つと聞きます。「繰り返させません」であれば、これは原爆を落としたアメリカを批判するものと理解できます。「繰り返さない」ということは、自らが悪かったと言っていることになります。外国人観光客は「原爆を落とされたのは日本が戦争を始めたから仕方がないと日本人は考えている」と解釈するでしょう。「過ちとは一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した戦争や核兵器の使用を指しており、二度と繰り返さない、平和実現を求める人類の誓いである」との広島市の公式見解を理解する外国人は少ないでしょう。これも日本の水に流す文化が影響しているのかもしれません。

船橋:単純に「水に流す」文化の表れという話ではないと思います。広島と長崎の犠牲者とその家族、そして日本の国民からすれば言いたいことはたくさんあるでしょう。しかし、アメリカの国民にしても言いたいことはたくさんあるのです。中国や韓国の国民にもそれはあるでしょう。広島への原爆投下は何の帰結だったのか、何がそれをさせたのか、それは日本を降伏させる上で不可欠な選択だったのか、投下決定には他の判断要素があったのか、をめぐっても決定的な定説はありません。それでも、「過ちは繰り返しませぬから」の言葉は私の心を打ちます。特にこの語尾の「から」ですね。私たちが犠牲となった方々の霊に向けて「安らかに眠ってください」と語りかけるとき、私たちは「過ちを繰り返さない」覚悟を今一度心に誓ってから語りかけることになります。その覚悟がこの「から」なのではないでしょうか。それは永遠のプロセスでもあるとの覚悟です。そして、まさにその持続する志を明確にしたところにこの碑文の意義もあるのだと私は思っています。

ただ、ここには第二次世界大戦での負けっぷりの良さ、という時代精神を見ることもできるかもしれません。宮澤喜一元首相の表現を借りれば「コテンパンにやられまくって、ぐうの音も出ないくらいやられて、かえって良かった」ということです。生半可な負け方だと復讐心が生まれたかもしれない、というのですね。あそこまで完膚なきまでに負けてしまうと、出直し以外ないと腹をくくることができた。それがよかったというのが宮澤さんの考えでした。たしかに、そのような面はあったと思います。

アメリカのほうも、完膚なきまでにやっつけた相手ではあるものの、相手を嘲笑したわけではありません。とりわけ軍人の間では堂々と戦った相手として日本に対する一定の敬意がありました。日米が太平洋で戦った戦争は空母同士が正面から戦った最初の大海戦であり、最初で最後のものとなっています。吉田茂が日本はgood loserであれ、と説いたことはよく知られています。戦争では負けたが、矜持を持って平和国家として出直そうという再出発宣言です。未来に立ち向かう楽観主義を感じます。

他方、アメリカも、good winnerを発揮したと言えます。マッカーサーの日本占領統治は影の部分も多々ありましたが、基本的に寛大な支配だった。6年8か月にわたり日本占領が続きましたが、この間、対進駐軍に対するテロは1回もありませんでした。戦前、あれだけ多くのテロが起こった国です。原敬も犬養毅も高橋是清もテロで命を落としています。しかし、占領時代、支配者に対するテロは一つも起きなかった。good loserとgood winnerの掛け合いが機能したのです。その後、ソ連との間の冷戦が始まり、日本を共産主義の防波堤とするためにも日本の復興を必要としたというアメリカの戦略的必要性もそこにはあったでしょうね。

歴史問題の噴出は地政学の時代の特徴

9・11テロのあとの2003年、アメリカはイラクを占領しました。当時のポール・ウォルフォウィッツ国防副長官は、アメリカの日本占領政策は、日本を民主主義国家とすることにより、日本に対し反感を持っているアジアの多くの国に自由市場経済と、民主主義の必要性を認識させた。イラクを民主主義国家にすることで中東に平和を築く、と言っていました。私はThe Asia-Pacific Journalに、日本とイラクの占領政策を安易に比較するのは危ないとの思いから、「米国イラク占領政策の崩壊」という論文を投稿しました。太平洋戦争とその後のアメリカの日本占領の「成功」はあの時の特殊な二国間、さらには国際政治の条件の下で可能だったという認識を持たないと大きな間違いを犯すと思ったのです。アメリカのイラク占領政策は結局、イラク国内にイスラム過激派ISILの影響力拡大を招き、その後長期間にわたりISILとの戦いに直面せざるを得なかったし、イラク国内にイランの影響力を浸透させる結果となりました。その論考が香港のサウス・チャイナ・モーニング・ポストに転載され、香港在住の米国の老婦人から「趣旨に大賛成」という熱烈な手紙を頂戴しました。米国のアフガニスタンからの「名誉なき撤退」を見るとき、アフガニスタンの戦後計画もまた完全に失敗したのだという思いを強くします。アメリカは他民族の歴史と文化と伝統と言語を学ばずに、進駐して、失敗した。イラクについてもアフガニスタンについてもアメリカは一冊の『菊と刀』を著すことはなかったのです。

アレクシス・ジョンソンという、アメリカの国務次官の回想に興味深い記述があります。日本占領中、あまりにも多くのアメリカの兵隊と日本人女性が結婚するので、1948年12月にいったんこれを禁止するという通達が出たのですが、その最終日に、結婚を認めてもらおうと朝の2時頃まで横浜の総領事館に長蛇の列ができたと言うのです。あの荒廃した国土の中、占領軍兵士と被占領国民の間にこのような人間的な絆が生まれた。勝者、敗者を超えた人間としての愛情が生まれ、生涯の契りをした。翻って、イラク占領時にアメリカ兵がイラクで国際結婚をしたというケースは極めて少数です。

白井:韓国の慰安婦問題を考えると、歴史が現在に至るまで大きな影響を与えていることは理解できます。日本は、安全保障上の必要性や韓国併合の歴史から、韓国の要求に幾度も妥協的態度をとってきました。1993年8月の「河野談話」は、韓国側が主張する「慰安婦の強制連行に日本軍が関与していた」ことを認め、「心からのお詫びと反省の気持ち」を明らかにしています。これは、日本が強制連行を認めれば、以後慰安婦問題は持ち出さないとの韓国との合意に基づくものであったと言われています。

しかしながら、韓国は逆に「河野談話」を証拠として世界各地で慰安婦問題を国際化しました。1996年には国連人権委員会は通称「クマラスワミ報告」において、慰安婦問題について、日本政府に法的責任を取ることを求めるという内容に留意するとの決議が行われています。慰安婦問題が日本の責任であることが国際的に認知されてしまいました。さらに、韓国との慰安婦合意は2015年12月に、最終的、不可逆な合意を結びながら、政権が変わるとあっさり破棄してしまった。これまでも、韓国との交渉は、いわゆる「ムービング・ゴールポスト」とでもいうべき状態になっています。先生は韓国との慰安婦問題をどのように捉えられているでしょうか。

船橋:歴史問題は、当事者が健在であるときよりも、当事者が生物的にいなくなってからのほうが先鋭化する傾向があります。のちの時代の価値観や国際関係によって虚実取り混ぜて新たな歴史認識が生まれるからです。日韓の慰安婦問題もそうした側面が多分にあります。韓国のアクティビストからすると、これは少女像でなければならないのです。なぜならいたいけな少女が強制連行され、性奴隷にされたことが彼らのナラティブでは教義化されているからです。

歴史問題は北東アジアだけの問題ではありません。人間社会がある以上、歴史問題は消えることはありません。キッシンジャーは処女作で「歴史は国々の記憶の物語だ」と書いています。この史観によれば、歴史の主人公はあくまで国々です。国がどういう記憶を大事なものとして残していくかが「国々の歴史」です。それぞれの国がそれぞれの神話を持ち、それぞれ「想像の共同体」をつくる。その物語が他国の物語と抵触し、衝突する。

国と国との間の歴史問題が消えることはありません。冷戦後のグローバル化は、一方でそうした「国々の歴史」を国単位でなく共通の歴史として描こうとする歴史記述のボーダレス化を促しましたが、その一方で、「国々の歴史」を人種や民族や宗教により特化した形で再構成する動きを強め、ナショナリスティックな情念に彩られた歴史観を刺激することにもなりました。そして、さらに、それぞれの国の中の人種、民族、宗教でモザイク化されたアイデンティティの歴史観をもたらすことになりました。歴史問題の噴出は、地政学の時代の大きな特徴です。

(本文敬称略)

白井 一成

シークエッジグループ CEO、実業之日本社 社主、実業之日本フォーラム 論説主幹
シークエッジグループCEOとして、日本と中国を中心に自己資金投資を手がける。コンテンツビジネス、ブロックチェーン、メタバースの分野でも積極的な投資を続けている。2021年には言論研究プラットフォーム「実業之日本フォーラム」を創設。現代アートにも造詣が深く、アートウィーク東京を主催する一般社団法人「コンテンポラリーアートプラットフォーム(JCAP)」の共同代表理事に就任した。著書に『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤誉氏との共著)など。社会福祉法人善光会創設者。一般社団法人中国問題グローバル研究所理事。

船橋 洋一

ジャーナリスト、法学博士、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ 理事長、英国際戦略研究所(IISS) 評議員
1944年、北京生まれ。東京大学教養学部卒業後、朝日新聞社入社。北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、コラムニストを経て、朝日新聞社主筆。主な作品に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋)、『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』(朝日新聞社)、『地経学とは何か』(文春新書)など。

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