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2021.09.01 コラム

アフガニスタンという巨象:タリバンのカブール制圧、求められる外交の復権
一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)主任研究員 相良祥之

相良 祥之

1.カブール陥落

2018年、国連での仕事のため、しばらくカブールで働いた。カブール市内の道路には高さ制限のバーが並んでいた。その前年、大使館地区のど真ん中で2トンの爆薬を積んだ大型トラックによる自爆テロがあり150名以上が亡くなった。高さのある車は爆薬を搭載している可能性があり、道路に並ぶバーは、それを通さないためのものだった。治安は悪化の一途をたどっていたが、それでもアメリカを中心とした主要国政府と国連は、ガニ政権とタリバンとの間で和平交渉が進むよう努力を続けていた。

それから3年。2021年8月15日、あっという間にカブールは陥落した。アフガニスタンのほぼ全土が約20年ぶりにタリバンの支配下に置かれることになった。

近年、タリバンは南部および東部の農村部や山岳部を中心に、支配地域を着実に拡大してきた。アフガン政府は米軍とNATO軍の強力な支援を受けながら、全国34の州都をなんとか確保してきた。しかし今年4月にバイデン大統領が駐留米軍を完全撤退させると表明すると、それまで力を蓄えていたタリバンが政府軍への攻撃を本格化させた。7月初頭には米軍の主要部隊が撤収した。ここでタリバンは攻勢を強め、8月6日に南西部ニムルズ州の州都ザランジを制圧。タリバンは次々と州都を陥落させ、ザランジが落ちた9日後、ついに首都カブールを制圧した。

国連時代の同僚をはじめ、多くのアフガニスタン人がカブール陥落前から国外退避をはじめていた。カブール陥落により、その動きは一気に加速した。空港には国外退避を求める人々が殺到した。一人でも多くの自国民と、長年、協力してくれたアフガニスタン人を退避させるため、米軍を中心に各国がオペレーションを開始した。8月26日にはイスラーム国ホラーサーン州(IS-K)が米軍と空港に集まった群衆を狙って自爆テロ攻撃を仕掛け、米軍の兵士13名を含む180名以上が亡くなった。

2.アフガニスタンという「巨象」

アフガニスタンはユーラシア大陸の中心にあり「文明の十字路」と呼ばれてきた。地政学上の要衝に位置することから大英帝国やロシア帝国など列強が進出を試みたが、アフガニスタンの人々は徹底して抗った。そのため「帝国の墓場」とも呼ばれた。ソ連も撃退した。いまアフガニスタンと国境を接するのはイラン、パキスタン、中国、タジキスタン、トルクメニスタンとウズベキスタンの6か国。さらにロシア、インド、カタール、サウジアラビア、トルコなどもアフガン紛争に何らか関与したか、直接の影響を受けてきた。

今回のカブール陥落に、こうした関係国を含め、国際社会が衝撃を受けた。思い出されるのは二つの出来事だ。2001年9月11日に起きた同時多発テロ。そして2011年5月2日(米国時間1日)、9.11テロの首謀者であったアルカイダの元指導者、ウサマ・ビンラーディンの殺害。アフガニスタンと聞いて多くの人々が思い起こす二つの出来事には共通点がある。いずれもアフガニスタンの国外で起きた、ということだ。9.11が起きたのはアメリカ、ビンラーディンが殺害されたのはパキスタンだった。これは今のアフガニスタン情勢を理解する上で示唆的である。

アフガニスタンは地政学やグレートゲームの文脈で語られることが多い。しかし我々は、アフガニスタンという国を、真正面から見てきただろうか。欧米、あるいはパキスタンなど南アジアや、地政学の視点からばかり、アフガニスタンを見てはいなかったか。

9.11から20年間、いやその前から、国際社会はアフガニスタンという「巨象」の輪郭しか捉えてこなかったのではないか。アメリカのみならず国際社会はアフガニスタンという巨象に振り回され、「群盲象を評す」を続けてきたのではないか。

9.11から20年間、ためらいながらも象使いを続けてきたアメリカは、ついにこの巨象から振り落とされた。

いま振り返るべきは、1996年のタリバンによるカブール制圧だ。タリバンは1994年、アフガニスタン南部の主要都市カンダハールに、パシュトゥーン人主体のイスラム原理主義武装組織として出現した。パシュトゥーンは多民族国家アフガニスタンで最大の民族である。タリバンはカンダハールを制圧して次々に既存の軍事組織を糾合したが、カブール制圧には1年以上かかった。ついにカブールを占拠すると、ナジブラ元大統領を処刑し、その遺体を市内の交差点で吊るし、女性の就労禁止、女学校の閉鎖、ブルカ着用強制など苛烈な支配をおこなった。アフガニスタンの人々は、この25年前のタリバンの所業を覚えている。

25年前と違って、なぜ今回タリバンは驚異的なスピードでアフガニスタン全土を制圧できたのか。そして今後、国際社会はタリバンと、どう向き合うべきなのだろうか。

3.タリバン、3つの勝因

タリバンの勝因は大きく3つあった。ガニ政権の自壊、ドーハ合意と米軍撤退により生じた巨大な「力の真空」、そして、タリバンの軍事オペレーションが緻密な戦術に基づいていたことだ。

第一に、ガニ政権が自壊した。カルザイ政権から続いてきた脆弱なガバナンス、深刻な汚職のまん延はガニ政権でも解消されなかった。さらに大統領選挙の混乱から、政権内での民族・個人間の対立による権力闘争が激化した。2019年9月に実施された大統領選挙の結果は2020年2月まで確定しなかった。選挙を争ったガニとアブドゥラの両氏が組閣人事を公表し、3月9日には両氏が大統領就任式典を挙行するなど、大いに混乱した。しかも大統領選挙の投票率は二割を切り、極めて低調だった。多くの国民が政府に強い不信感を抱いていたことの表れだったと言える。その背景に政府軍の誤爆による市民への被害があったことも忘れてはならない。

政権幹部は、その多くが資質よりも部族など個人的なつながりで任命されていた。政府内にまん延する汚職は軍の上層部にも及んでいた。戦果の乏しい将校に、現場の兵士が信頼を寄せることはなかった。さらにアフガニスタンの情報機関、国家保安局は政府軍を構成する軍閥同士の争いを懸念し、部隊を率いる軍閥幹部に対し、兵士の動員や武器確保に細かく注文をつけたという。カブール陥落直前に陸軍トップが交代させられるなど、指揮統制も破綻していたと見られる。

カブールがタリバンに包囲されると、ガニ大統領は国外に逃れてしまった。ガニ政権は、自ら崩壊した

第二に、トランプ政権がタリバンと直接交渉し成立した「ドーハ合意」と米軍撤退により、巨大な「力の真空」が生じた。

米国政府はタリバンをテロ組織に指定し、直接交渉は避けてきた。一方、タリバンの政治的立場は、アメリカに率いられた多国籍軍の撤退こそが和平プロセスを開始するため不可欠であり、最初に合意されねばならいというものだった。当初はアルカイダ掃討が目的だった米軍の「テロとの戦い」は、ビンラーディン殺害後も続いた。アフガニスタンの安定化(stabilization)という、捉えがたく、かつきわめて困難な目標のため、アフガン政府に対する国家建設(nation-building)支援が活動の中心になっていった。しかしパシュトゥーンから一定の支持を受けるタリバンを軍事的に抑え込めないことがわかると、アメリカは方針を転換していった。オバマ政権は断続的にタリバンとの直接交渉に臨んだ。

トランプが大統領に就くと「永遠に続く戦争」を終わらせるべく大きく舵を切った。多くの米兵の命が失われ巨額の資金が投じられた米軍駐留の正当性を疑う者は多かった。しかし米軍の完全撤退という決断を、アメリカの大統領はためらってきた。皆が見て見ぬふりをする重要な課題、まさに「部屋の中の象(the elephant in the room)」だった。米軍撤退を迷いなく進めたトランプの大統領就任は、タリバンにとって幸運だった。

2018年9月、トランプはハリルザード氏をアフガニスタン和平担当特別代表に任命した。ハリルザード特別代表はアフガニスタン生まれで、アフガニスタンとイラクで大使を歴任し、国連常駐代表も務めた。ハリルザード特別代表はタリバンが政治事務所を構えるドーハで直接交渉を行い、さらに周辺諸国にも根回しを行った。アメリカは米中ロ3か国協議も立ち上げ、タリバンとの直接交渉に支持を取り付けた。なお、アメリカと直接対話できないイランについては、国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)代表を務める山本忠通・国連事務総長特別代表(SRSG)がテヘランを訪問し、交渉状況を説明した。

2020年2月29日、アメリカのハリルザード特別代表はタリバンのバラーダル政治事務所長との間で「ドーハ合意」に署名した。タリバンがアフガニスタンを国際テロ組織の拠点にしないことを条件として、アメリカは駐留部隊を段階的に削減し、14か月以内、2021年5月までに全面撤退するという内容だった。同日、米国政府はアフガニスタン政府とも類似の内容で共同宣言を発表した。

「ドーハ合意」には、いくつもの欠陥があった。まずは非国家の武装集団であるタリバンが自称する「アフガニスタン・イスラム首長国」が、米国政府は承認していないという但書付きとはいえ、合意の当事者になったこと。そして米国政府がタリバンとガニ政権と、別々の合意を交わすことになったこと。実効的な停戦は期待できなかった。さらにタリバンがアフガン政府と交渉を開始する条件として、ガニ政権に不平等な囚人釈放が定められていた。タリバンは最大1,000人の囚人釈放が求められたのに対し、ガニ政権には最大5,000人の囚人釈放が求められた。このため両者の直接対話が始まるまで6か月を要した。

こうした欠陥はドーハ合意に至るまでの交渉が難航したことの表れでもある。しかし、このトランプ政権とタリバンとの「手打ち」でもっとも問題だったのは、様々な欠陥がありながらも、米軍の撤退プロセスだけは明確に決まってしまったことである。これでタリバンは外交交渉で時間を稼ぎ、米軍撤退を待ち、攻勢を仕掛けるまで兵力を温存することができた。

そして、バイデン大統領が米軍駐留に終止符を打った。バイデンはオバマ政権時代から米軍派遣に消極的な立場をとってきた。2009年、オバマ政権で初めて開催された国家安全保障会議(NSC)で、マレン統合参謀本部議長はタリバンの夏季攻勢を前に3万人の増派を進言した。これに対しバイデン副大統領は大規模な増派に否定的な意見を述べた。バイデンは副大統領就任直前にカブールを訪問し、カルザイ大統領と会談していた。夕食の席でバイデンは統治体制の強化を求めたが折り合わず、逆にカルザイが、アメリカはアフガン市民の死に無関心だと述べたことから、バイデンはナプキンを放り捨て、夕食は突然打ち切られたという。「永遠に続く戦争」を終わらせるべきと考えていたのはトランプだけではなかった。

バイデン政権は2021年4月の撤退表明後、米軍の安全確保のため、迅速に撤収を進めた。これにともない米軍による航空支援(空爆)は途絶えがちになり、しかも、多くの民間請負業者もアフガニスタンを離れた。アフガニスタン政府軍がかろうじてタリバンに軍事的優勢を維持できたのは、米軍のエアパワー、海兵隊や特殊作戦軍に依存してきたところが大きい。米軍撤退によりアフガニスタンには巨大な「力の真空」が生じた。

ここでタリバンの第三の勝因が重要となる。タリバンは「力の真空」ができたタイミングを逃さず、緻密な戦術に基づいた軍事オペレーションを展開した。

タリバンといえばゲリラ戦とIED(即席爆発装置)、自爆テロで多くの民間人を含むアフガン政府軍に被害を与える攻撃手法が知られていた。しかし今回、タリバンは周到に準備していたであろう勝利の理論(theory of victory)に基づき、軍事および非軍事の戦術を統合し政府軍を急襲、一気にカブールまで進撃した。

タリバンは、まず政府軍を分断した。政府軍は全国の地理的要衝に散在するチェックポイントを確保していた。これは部隊を全国に分散させることを意味した。タリバンはこの脆弱性を突いた。地上の通信網を破壊し、チェックポイントをひとつずつ落とし、各部隊を孤立させた。食料、水、弾薬などロジスティクスが陸で分断されたため、アフガン軍は空輸で補おうとした。しかし、米軍と民間請負業者の撤収により、すでに疲弊していたアフガン空軍は、メンテナンスのため空軍力の稼働を落とさざるを得なかった。国土の大半が険しい山地であるアフガニスタンにおいて、これは致命的であった。

次に心理戦を駆使した。ガニ政権幹部や軍の高官の腐敗、そして間近に迫った米軍撤退とロジスティクスの分断により、政府軍の士気は下がっていた。アフガニスタンの人口の70%以上は携帯電話を持っている。そこでタリバンはソーシャルメディアや部族長へのテキストメッセージで、降伏して生き残るか、部族や家族もろとも殺されるか、選択を迫った。部隊が降伏すると映像を撮影し、それを別の部隊に拡散させた。政府軍の兵士は次々と戦意を失い、降伏が相次いだ。

そして、標的型テロを仕掛けた。タリバンは戦術的に重要な個人に標的をあてテロ攻撃をおこなった。市民社会のリーダーなど重要人物を暗殺し、犯行声明を出さなかった。こうしてガニ政権では治安が確保できないという人々の不安を増幅させた。さらにタリバンはパイロットの自宅を襲った。怯えたパイロットは自らの持ち場を放棄していった。米軍の空爆に苦しんできたタリバンは、貴重な地対空ミサイルを撃つことなく、政府の空軍力を削ぐことに成功した。

4.タリバンにどう向き合うべきか――今こそ外交復権のとき

念願のカブール制圧を果たしたタリバンはこれから、シャリーア(イスラム法)統治に基づく「アフガニスタン・イスラム首長国」の樹立を目指すだろう。今後、国際社会はタリバンに、どう向き合うべきか。

オバマ政権で国務副長官を務めたウィリアム・バーンズは自著『バックチャンネル』で、アフガニスタンをめぐって「外交の軍事化」が進んでいたとし、次のように述べている。

軍事的手段に頼りすぎると、政策は泥沼に陥る。…外交の軍事化(the militarization of diplomacy)は罠である。それは過剰な、あるいは早すぎる武力行使につながり、非軍事的な手段を重視しないことになる。バラク・オバマが好んで言ったように「主な道具がハンマーであれば、すべての問題が釘のように見えてくる」のである。…(国防長官を務めた)ゲイツとマティスは、軍の任務と能力の重さが、外交の視野を狭めたり、その中心的な任務を歪めたりする可能性があることを理解していた。イラクやアフガニスタンでは、外交官は軍の対反乱(counterinsurgency)戦略の脇役に甘んじ、現地社会の構築や、アメリカ人の能力では達成できないような国づくり(nation-building activities)に夢中になっていた。(アメリカの)外交官の役割は、国務省ではなく、19世紀の大英帝国植民地省の役割を再現することかと思われることもあった。イラクやアフガニスタンの人々自身が築くしかないガバナンスや経済構造を構築するための長期的な取り組みに、限られた文民のリソースを投入するよう迫られた。

米軍の重しが外れた今、求められるのは外交の復権である。

バーンズはバイデン政権で再び政府に戻り、2021年3月から中央情報局(CIA)長官を務めている。バーンズCIA長官は8月23日にカブールを極秘訪問し、ハリルザード特別代表のカウンターパートだったタリバン幹部のバラーダルと会談していたと報じられている。早速、バーンズ自らバックチャンネルを使って「外交の非軍事化」を進めているようだ。

「力の真空」を埋めようとしているのはタリバンだけではない。地政学的な要衝にあるアフガニスタンをめぐって、中国、ロシアも影響力を強めつつある。中国の王毅・国務委員兼外交部長は7月、タジキスタンで開催した上海協力機構(SCO)外相会合でガニ政権のアトマル外相と会談し、その二週間後に天津市でタリバンのバラーダルと会談していた。

タリバンとしても、アメリカやNATOという「占領軍」をようやく追い出した今、ふたたび外国の介入を許すつもりはないだろう。しかしタリバンは「イスラム首長国」樹立について国際社会の承認を必要としている。1996年のタリバン政権は、サウジアラビア、パキスタン、UAEの3か国にしか承認されなかった。硬軟織り交ぜた外交を展開してくるだろう。

米国が退場しつつある中、タリバンという難しい相手を前に、中国やロシアとて単独で支えるつもりはない。対アフガニスタン外交は多国間外交が主軸になっていくだろう。

これからの多国間外交では二つのことが大切になる。

第一に、G7と豪印を主軸とする民主主義勢力は結束し、自由で開かれた多国間主義に基づき対アフガニスタン外交を進めるべきである。

8月24日のG7首脳テレビ会議は重要な節目となった。まだ国外退避が続く中での開催だったが、アフガニスタンが二度とテロの温床になってはならないこと、そして、女性、子ども、少数民族の人権が尊重されることをタリバンに求めた。良かったのは、G7のリーダーたちが「アフガニスタンの全ての関係者に対し、女性や少数派の参加を含む包摂的で国民を代表する政府を樹立するために、誠意をもって取り組む」ことを明確に求めたことだ。さらにタリバンなど「アフガニスタンの関係者を言葉ではなく行動によって評価していく」こと、そして、「いかなる将来の政府の正統性も、安定したアフガニスタンを確保するため国際的な義務やコミットメントを遵守するためタリバンがとるアプローチにかかっている」と明確にした。

タリバンが再び国際テロの温床とならないか、また包摂的な国造りが進むか、心もとない。国際社会は、タリバン政権の正統性を認めることを最大のテコとして、タリバンの言葉ではなく行動によって見極めていく必要がある。そのためには国際社会の側が、自由で開かれた多国間主義に基づいてタリバンに向き合うことが不可欠だ。権威主義的で偏狭な多国間主義では、タリバンに約束を守るよう迫ることはできない。

自由で開かれた多国間主義を推進していくうえでは、これから深刻になる難民流出と人道危機への対処も重要である。この分野で日本が果たしてきた役割は大きい。日本政府は、緒方貞子氏を中心にアフガニスタン復興支援国際会議を主催し、平和構築と人道支援を積極的に支援してきた。中村哲氏は草の根の人々ともに、紛争で荒れた農地に水を引き、緑と希望を取り戻した。

国際社会が支援を続けた過去20年間で、アフガニスタンの人々の生活は大幅に改善した。平均寿命は55.8歳から64.8歳に、9歳も延びた。2001年当時に60万人だった就学児童は300万人にまで増えた。ほとんど就学できなかった女子も全体の4割を占めるまでになった。一人当たりの国民総所得は2倍以上になった。病院の数も格段に増えた。女性の地位と役割も格段に向上した。国会議員のうち女性が占める割合は27%であり、これは日本の14%を上回った。各省の大臣、副大臣クラスでも多くの女性が活躍した。

それでも内戦が続く中、貧困の撲滅は難しかった。国民の半数はいまだに貧困状態に陥ったままである。外国人や海外経験者も多いカブールを一歩離れると、美しい山々、そして草原に住む人々がいる。保守的な地域では、なかなか女性の虐待がなくならなかった。

タリバンが、この20年間の歩みを無にするようなことがないよう、国際社会は必要であれば圧力もかけていく必要がある。タリバンは美辞麗句の並ぶ対外発信を続けている。しかしそのタリバンは、心理戦と標的型テロによって政府軍を駆逐したことを忘れてはならない。

対アフガン外交で大切な二つ目は、タリバンが国際社会との約束を守るかどうか見極め、守られない場合は経済制裁などエコノミック・ステイトクラフトを活用することである。米軍は撤退したが、非軍事の圧力はいまだに有効である。アメリカは金融制裁を実質的に強化しつつある。アメリカは、アフガニスタンの中央銀行が保有する約95億ドルの資産を凍結し、大部分が預けられているニューヨーク連邦準備銀行等からアフガニスタン本国への送金を停止した。

タリバンという巨象がどこに向かおうとしているか、いまだ不透明である。国際社会は、まずはその姿をしっかり直視し、向き合っていくべきだ。1996年にタリバンがカブールを制圧し、女性への人権抑圧が続いても、国際社会はさして関心を払わなかった。そして5年後、9.11が起きた。90年代の教訓を踏まえ、「群盲象を評す」ことでアフガニスタンという巨象に振り回される失敗を繰り返してはならない。

写真:AP/アフロ


参考文献

川端清隆『アフガニスタン』みすず書房、2002年。

川端清隆「タリバンの「勝利」がもたらすものは~米軍撤退に揺れるアフガニスタン②」『論座』、2021年8月21日付。

登利谷正人「アフガニスタン 米タリバン和平も平和の展望見えず」『外交』Vol. 60(2020年3月)

山本忠通「アフガニスタン紛争-和平と国連および日本」『中東研究』539号(2020年度 Vol. II)

山本忠通「論理的、洗練された一面も タリバンを熟知する日本人が見るアフガニスタンのこれから」朝日新聞GLOBE+、2021年8月19日付。

Benjamin Jensen, “How the Taliban did it: Inside the ‘operational art’ of its military victory”, Atlantic Council, 15 August 2021.

Sami Sadat, “I Commanded Afghan Troops This Year. We Were Betrayed.”, New York Times, 25 August 2021.

UNDP Statement on Afghanistan (20 Aug 2021)

William J. Burns, The Back Channel, Random House, 2020.

相良 祥之

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API) 主任研究員
1983年生まれ。国連・外務省を経て現職。これまで外務省 北東アジア第二課(北朝鮮に関する外交政策)、国連事務局 政策・調停部、国際移住機関IOMスーダン、JICA本部、DeNAで勤務。2020年前半の日本のコロナ対応を検証した「コロナ民間臨調」で事務局をつとめ、報告書では国境管理(水際対策)、官邸、治療薬・ワクチンに関する章で共著者。慶應義塾大学法学部卒、東京大学公共政策大学院修了。