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2021.06.21 対談

東シナ海・台湾・南シナ海:地政学的な台湾の重要性
『実業之日本』と地政学(7-6)船橋洋一編集顧問との対談:地経学時代の日本の針路

白井 一成 船橋 洋一

ポストコロナ時代の日本の針路

「国力・国富・国益」の構造から見た日本の生存戦略

ゲスト
船橋洋一(実業之日本フォーラム編集顧問、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長、元朝日新聞社主筆)

 

聞き手
白井一成(株式会社実業之日本社社主、社会福祉法人善光会創設者、事業家・投資家)

 

白井:すでに中国の勢力下に置かれてしまった南シナ海と、中国がまさに今、勢力下に置こうとしている東シナ海という対比はわかりやすいですね。また、2つの海の連接部にある台湾では馬祖列島の南竿島近海で中国の海砂採取船が違法に海砂を採取し、台湾に圧力をかけるような事案も発生しています。そのような状況の中で台湾や尖閣の位置づけというのはどのようなものになるのでしょうか。

船橋:さらに状況を複雑にしているのは、2つの海の連接部分に台湾が存在しているということですね。台湾(国民党)も大陸(中国共産党)と同じように、尖閣に対する領有権を主張しているわけです。特に、台湾の国民党は、中国と一緒になってこの領有権を言い立てて、それで民進党をたたくということをやっています[米内 修1] 。あるいは、中国にこびを売るために尖閣への上陸を試みようとする手合いもいるでしょう。一方、現政権の民進党も、尖閣問題で弱腰だと国民党に叩かれるリスクを負っている。

中国の方も、台湾の国民党がこの問題で強硬な主張をすると、中国のより民族主義的なグループが中国政府を突き上げることもありうる。

つまり、尖閣の問題というのは、そういう中国と台湾それぞれの内政の活断層と接合する破壊力を秘めているということなのです。

もうひとつは、尖閣諸島の海洋地政学的な立ち位置にかかわることです。日本の尖閣諸島とフィリピンのスカボロー諸島が台湾をはさんで地政学的なマグマを形成していると言ってもいいのではないでしょうか。スカボロー諸島は暗礁ですけど、フィリピンのマニラがある一番北の島であるルソン島にものすごく近いわけです。そのルソン島がフィリピンでは台湾に一番近い。ルソン島から北上すれば、そこはバシー海峡です。花蓮という台湾の東の都市と日本の与那国島も90キロぐらいしか離れていません。与那国の一番西端から夜に台湾を眺めると、自動車のフロントガラスがピカッと光るのが見えるぐらいです。自動車は見えませんが、光だけぱっと見えるときがある。かつて与那国をルポしたとき、土地の人からそういう話を聞いて、しばらく花蓮の方向を眺めていました。その時はピカッは見えませんでしたが・・・

スカボロー、台湾、尖閣は、海洋戦略的につながっているということなのですね。

台湾有事のシナリオづくりは日米豪でそれぞれ研究され、また机上演習も行われています。オーストラリアでは台湾有事の際の潜水艦の訓練も行われています。

これに関して、米国の歴史学者のマイケル・オースリンが『アジアの新たな地政学』という本で、次のような台湾有事シナリオを紹介しています。

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2025年、フィリピン政府は中国に占拠されたスカボロー暗礁を奪還するため巡視艇を派遣することを決めた。大統領選挙を勝ったものの、新大統領は、選挙中、中国のハッカーのサイバー操作で「勝たせてもらった」と非難され、苦境に立たされていた。そこで中国にタフなところを見せようとして、この挙に出たのだった。中国はその情報を掴み、急遽、スカボロー暗礁を基地にするため人工島構築の突貫工事に着手した。米大統領は、フィリピンのクラーク空軍基地にF-22を配備するよう指示した。フィリピン全土で配備反対デモが起きた。中国の情報機関が裏で仕掛けていた。マニラでの大規模抗議運動では、議会で弾劾訴追され辞任したドゥテルテ元大統領が先頭に立った。

習近平中国国家主席は、空母「遼寧」をルソン島沖に派遣した。横須賀を母港とする米空母、ジェラルド・R・フォードを南シナ海に入らせないためである。ジェラルド・R・フォードはすでに沖縄南東に接近していた。「遼寧」からJ-31と J-15が飛び立ったが、ジェラルド・R・フォード搭載のF-35戦闘機と嘉手納基地から飛来した F-22によって撃ち落とされた。インド太平洋司令部は、ジェラルド・R・フォードに台湾南部のバシー海峡に留まるよう命じた。「遼寧」をここで迎え撃つ構えである。台湾の国民党政権総統は、台湾は「中立の立場」を取るとの緊急声明を出した。

その後、「遼寧」は尖閣諸島方面へ向かい、戦線は尖閣諸島近海へと拡大した。海上自衛隊の潜水艦「しょうりゅう」が「遼寧」を発見。魚雷を発し、命中。その後、水面に浮上した「しょうりゅう」がミサイルを6発発射、そのうちの4つが命中、遼寧は動けなくなった。ジェラルド・R・フォードも尖閣諸島に向かったが、中国はそれをめがけてDF-21ミサイルを発射、壊滅的打撃を与えた。米中いずれも空母を失った。

米大統領は中国との極秘の休戦協定交渉に動いた。交渉の結果、米国は南シナ海における中国の支配権とこの海域一帯の中国の“歴史的利益“を認知した。その代り、中国は日本が中国の東シナ海における平和的軍事活動への介入を控えるのであれば、日本への侵略や攻撃は行わないことを約束した。(5年後明らかになった秘密協定では、米国は台湾への軍事とインテリジェンスの協力を終了することを約束した。台湾関係法は死文同然となった)

その後、米大統領は、在日米軍の海軍、陸軍、空軍の兵力をグアムとハワイに移転すると発表した。一部は象徴的に残したが、米軍は沖縄からは完全に撤退することになった。

しばらくして韓国が米韓同盟を解消し、中国と軍事的な「友好協商」を結ぶとの声明を発した。シンガポールもチャンギ空港への米戦闘機の離発着を禁止した。

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大筋、こんなシナリオですが、米国がユーラシア外縁のこれら島嶼群と戦略的海域をめぐる戦いで中国に負けたとき、米国は台湾と韓国を失い、インドを再び「非同盟諸国」へと追いやり、日本とオーストラリアを弱体化させる。そして、米国はインド太平洋におけるオフショア・バランサーへと引きこもっていくということです。

第19回全人代の報告書も、2049年の建国100年までに中国の「国家大復興」を成し遂げると謳っています。中国共産党指導部が、台湾の祖国統一を「国家大復興」の必要条件とみなしていることは間違いありません。習近平にとって台湾統一は中華民族の歴史的使命そのものであり、香港に次いで台湾を母国に統合することが永遠に讃えられる皇帝の偉業であるのです。これは、アヘン戦争以来の中国の民族主義的情念の最後の雄叫びととらえるべきなのです。そして、それは中国がアメリカに代わって世界の覇権国として登場するファンファーレでもあるのです。台湾を抑えれば、東シナ海と南シナ海は中国の内海となる、第一列島線は崩壊する、その時、グローバル・パワーとしてのアメリカは退場する。台湾地政学の本質はこの点にあります。「一国二制度」の正体を台湾の人々が知った以上、このフォーミュラによる台湾統一は不可能となりました。今後、中国の台湾への攻勢は無慈悲でし烈なものになると思います。ただ、当面は、習近平も台湾を武力解放しようとは考えていないと思います。8割近い台湾の人々が、その時は自衛戦争を辞さないと答えています。ヤマアラシのように攻撃に耐え、アメリカの来援を待つ、そのようなヤマアラシ作戦も選択肢の一つとなると思います。武力侵攻の場合、米国がなにもしないと考えるほど習近平は愚かではない。そもそも台湾が独立宣言をしない限り、武力による台湾統一は大義名分が立たないでしょう。そして、蔡英文政権は独立宣言をするほど愚かではない。

米国内には、2027年の中国人民解放軍(PLA)創設100周年までの6年間が一番危ないと警告を発する向きもあります。フィリップ・デイビッドソンインド太平洋軍司令官もその一人です。デイビッドソン海軍大将は、3月9日の米上院軍事委員会の公聴会で「脅威が露わになってくるのは、次の10年、実際のところ次の6年だ」と証言しています。

白井:海洋戦略的にみると、スカボローと台湾、尖閣がつながったものだという見方は新鮮です。確かに台湾を起点に南シナ海と東シナ海を眺めれば、距離的な近さだけではなく、スカボローと尖閣は似たような位置づけに見えますね。では、このような海洋戦略上の要点であるこの地域に対して、アメリカはどのような取り組みをする必要があるのでしょうか。

船橋:中国が台湾を攻めたときに、アメリカは一体どういうふうにするのかという明確なコンティンジェンシー・プランニングはこれまで米政府内ではいくつも極秘につくられていると見ていいでしょう。最近では、アメリカは中国に勝てない、という机上演習の結果が報告されています。アメリカの対中抑止力が弱まっているとの認識を踏まえて、アメリカは台湾防衛のコミットメントをより明確にするべきであるとの主張が聞かれます。アメリカのシンクタンクの最高峰である外交評議会(Council on Foreign Relations)のリチャード・ハース理事長やロバート・ゲーツ元国防長官などはそうした考えを表明しています。

従来はそれを曖昧にし、手の内を見せないことが対中抑止力になるという、「戦略的曖昧性」で臨んできました。1995年から1996年の台湾ミサイル危機の際、クリントン政権側は中国側に、中国が軍事攻撃をした時、「我々は何をするか知らない、あなた方も知らない、すべて状況次第だ」という言い方をしました。この曖昧性こそが抑止になると信じてきたのです。しかし、もはや中国になめられきってしまい、これは抑止力として機能しなくなっていると見るのです。だから、台湾が挑発しないのに中国が一方的に軍事攻撃した場合、アメリカは台湾を守るという明確な意思表示をする。「戦略的明晰性」に切り替えるべきだということです。

同協議会がこのほど発表した台湾問題に関する報告書(『米国、中国、台湾、――戦争を予防する戦略』)では、米国の台湾に関する戦略的目的は、「台湾の政治的、経済的自立性、自由社会としてのダイナミズム、そして米国との同盟関係の抑止力を維持すること――ただし、中国の台湾への軍事攻撃を引き起こさないようにしながら」であるとしています。その上で、「同盟国との協調なしに、中国の台湾に対するさまざまな攻撃への軍事的勝利を手にするのは政治的、軍事的に現実的であるとは考えない」と述べています。「そのような中国の軍事攻撃が起こった場合、中国に対する全面的経済封鎖を行うとか中国大陸への攻撃を行うという事態へのエスカレーションをすることはないだろうし、あるべきでもない。軍部がそのような非現実的なシナリオを描いたとしても、それは大統領か米議会に拒否されるだろう」 というのです。

結論として、米国は台湾の地位を変えようと試みることはしないと確認すること、そして同盟国、なかでも日本と提携して、中国の軍事攻勢に対抗し、台湾が自衛できるよう支援し、戦争拡大の責任を中国に負わせる計画を準備すること」を求めています。そして、より広範な戦争につながるようなかく乱や動員への備えを目に見える形で行うとともに、その戦争を米国、中国、日本の本土にまで拡大させないようにすることを求めています。台湾有事への備えでは、日本への期待が格段に大きくなることが予想されます。

要するに中国との戦争は何としても避ける、ただ、その一歩手前までギリギリのところまで米国は戦う意思と能力があることを明確に示す。つまり「戦略的明晰性」を追求する。その際、中国が台湾を攻撃した場合、中国をドル圏と貿易システムから追放するといった報復をする対中「地経学的抑止力(geoeconomic deterrence)」を 日本などの同盟国とともに構築するべきだと主張しています。

バイデン大統領が就任式に台北駐米経済文化代表処の粛美琴代表を招きました。米台国交断交後、初めてのことです。トランプは就任式前に蔡英文総統に電話しましたが――今回、そうした演出は台湾政府が望まなかったようです――アメリカが台湾を戦略的に重視し、台湾を防衛する意思を表明するという意味では、今回の方が内実のある対台湾外交を予感させます。

先に紹介しました「自由で開かれたインド太平洋に関する戦略」には台湾に関して次のような記述があります。

  • 中国は台湾の統一に向け、より攻撃的な行動をとることになる。
  • 台湾が中国に対する効果的な非対称能力を確保できるよう支援する。
  • 「第一列島線」内の中国の優勢を阻止し、台湾を含む「第一列島線」上の国々を防衛する、そして「第一列島線」外での米軍の優勢を確保する。

個々でのポイントは、台湾を「第一列島線上の国々」と位置付けていることです。第一列島線防衛こそが、アメリカの戦略的根拠(ラショナール)なのです。バイデン政権は台湾政策でもトランプ政権の外交戦略を踏襲する姿勢を示しています。

白井:中国に関連する最近の話題に「海警法の改正」があります。

今回改正された海警法は、中国海警局が海上における法執行権限に関する職責を統一して担うことを明らかにしたものですが、武器使用に関する規定が盛り込まれたことから、中国との間で領土問題を抱えている日本では大きな問題として報道されました。武器使用以外にも、人工島嶼を保護対象とすることや、外国の建物や構築物の強制排除権限などの問題点が指摘されています。米海軍大学をはじめとする研究機関などでも、中国と周辺国との間に緊張が生じる可能性を指摘しています。

中国の海警法の改正に対して、日本は経済的に、あるいは軍事的にどのような形で対応していくべきだとお考えでしょうか。

船橋:中国は1992年に領海法(「中国領海及び接続水域法」)を作り、その30年後、今度の海警法を作りました。92年の領海法は、1987年のファイアリークロス礁に始まる南シナ海の6つの岩礁を1年の内に占領したのを国内法で正当化するために施行したものです。それはまた、その後のミスチフリーフ、さらには21世紀に入ってからの人工島建設など南シナ海の島嶼の占領と拡大に国内法の根拠を与えました。今回もまた、この海警法を根拠に、中国が東アジアの海洋に彼らの「戦略的国境」の概念を持ち込み、それを押し付けてくる危険があります。「戦略的国境(戦略的辺彊)」とは、中国軍事専門家の平松茂雄がかつて著作の中で紹介した徐光裕が論文の中で唱えた説です。(『甦る中国海軍』)平松の著作によれば、この論文では国境を「地理的国境」と「戦略的国境」の2つの概念に区分します。「地理的国境とは領土・領海・領空の範囲の限界であり、戦略的国境とは国家の軍事力が実際に支配している国家利益と関係ある地理的空間的範囲の限界」であって、総合的な国力の変化にともなって変化する、というものです。中国が能力に応じて現状を変更しようとする修正主義国家と言われる所以でもあります。そうなると近隣諸国との間で緊張が高まるのは避けられません。

すでにこの法律が2月1日に施行されて以来、中国公船の尖閣諸島接続海域への侵入が急増しています。2月だけで14隻、14回、1月から倍増しています。米国防総省によると、2018年には中国海警は世界最大のコーストガードとなっています。1,000トンクラスの巡視艇が145隻です。(日本は同年、1,000トン型以上67隻)

海警法は、中国の主権や管轄権が海上において違法な侵害を受けたようなときに「武器の使用を含むすべての必要な措置を講じる」ことを中国海警に認めています。その際、何にとって「すべての必要な措置」かを明確にしていません。確かなことは、国家主権が侵害された事態に対処する権限、つまり防衛作戦を中央軍事委員会の命令に基づいて行う権限を与えられたということです。「武器使用」してよろしい、との条文が初めて入ったわけです。一方、日本の海上保安庁の役割は、犯罪の取り締まりであって国家の主権を守ることは任務とはなっていません。そもそも「中国の管轄する海域」を内海、領海、EEZ、大陸棚などに加えて「その他の海域を指す」と何でもありの書き方になっています。国連海洋法をはみ出してしまう書き方だと思います。中国のメディアは米国のコーストガードも戦時には海軍に編入されるのだから同じことだ、どこが悪いのか、といった論評を掲載していますが、米国の場合は、そのような海軍力への移行は、大統領か米議会が明確に指示(direction)を出すことを法律で義務付けています。中国はそこが不透明です。

中国は海警法の管轄海域の範囲を明らかにしていませんが、海警法であろうとなんの法律であろうと、法律の建付け云々の前に、日本が主権を持つ海域で中国が国内法に基づいて管轄権を行使しようということは日本の主権を侵害する行為だということです。

他国からも懸念と批判の声が聞かれます。米国務省報道官は、この法律は「現在進行中の領有権及び海洋に関する紛争をエスカレートする可能性がある」と懸念を表明しました。

ASEANからも以下のような批判の声が聞かれます。

  • これまで中国との間では南シナ海の領土問題をめぐってはDOC(「南シナ海における関係国の行動宣言」)を共通理解として話し合いで対処しようとしてきたのに、それを一方的に踏みにじるものだ。
  • 中国の海警はこれまで他国の漁船に対する発砲、ぶち当たり、沈没という非合法行動を繰り返してきたが、今回の法律はそれを合法化するものだ。
  • フィリピンが勝訴したPCAの判決を中国政府が拒絶したことを正当化するものだ。

などです。

要するに、国連海洋法で非合法とされたケースを国内法で合法化しようという企てだ、という不信感です。DOCに関していえば、これは2002年にASEANと中国との間で合意されたもので、信頼醸成措置の促進、実務的海上協力の取り組み、そして正式に拘束力を持つCOC(行動規範)協議と制定の場を設ける、などを謳ったものですが、結局、海洋紛争を解決する法的取り決めも順守監視の法的権限も機構もできずに立ち枯れ状態が続いています。従って、DOCの精神を踏みにじるといっても現実には踏みにじられてきているのですが、それでも建前上、DOCはいまなおCOC(行動規範)交渉の土台という位置づけでもあるのです。

海警法は、自衛権に準じた主権防護を海警に認めたことで、特別の手続きなく、戦争に至らない濃いグレーの段階までの活動を可能にしたと言えます。

中国海警自体が、海上法執行と国家安全保障と両方の側面を持つ機関となっているので、その色(性格・役割)が白色なのか、黒色なのか、分かりにくい。白いハルを被った狼のように見えます。本質的には海洋戦略の“軍民融合”です。その上、「瀬戸際作戦(brinkmanship)」の色彩が強い。2010年代から中国の海警は巡視艇の大型化と重武装化を進めてきています。海警の公船は、76ミリ砲を搭載する排水量1万トンを超える巡視艇まであり、法執行の規をすでに超えています。米海軍に介入させないギリギリの範囲まで、法執行を軍事化し、海軍、海警、海上民兵、漁船を統合的に用いて、現状の変更を行おうとしているのです。

ASEANの国々は、いま中国に表立って何も言えない。コロナ危機のさなか、中国のワクチン供与に依存せざるを得ないという事情もあります。中国は身勝手で居丈高だと思っていても、それに対して一緒に対抗できない無力感を感じています。シンガポールのジャ・イアン・チョンシンガポール国立大学准教授は、「各国は懸念を公に述べることはないにしても、この沈黙する怨念(silent resentment)は中国とASEANやその他の国々との間の将来の関係を緊張させることになるだろう」と言っています。それでもフィリピンの外相は次のように批判しました。「この法律に反対するすべての国に対する言葉による戦争であり、もし、抗議しない場合は降伏することになる」。

南シナ海の領有権の主張の時に持ち出した「九段線」理論もそうですが、中国は「歴史的権利」という言葉をよく使います。太古の文書を持ち出してきて、南シナ海のここの島は中国語でこう書いてありますよ、当時から中国では何々島というふうに認識されていたのですよ、人もいたんです、というようなことを一方的に言ってくるわけです。そして、12世紀の南宋の時代に我々が認識していたことを示す証拠のようなものをあなた方は持っているのですか、と相手を見下す論理を展開できるってわけです。

しかし、東シナ海はそうはいきません。ここは、中国も日本も長い歴史の中で共有してきた海洋でした。しかも、それはある意味では祝福された海だった。この海が、巨大な緩衝地帯となってくれたからです。朝鮮半島やベトナムのように中国と陸続きの国はこの緩衝地帯がありません。韓国もベトナムも中国から侵略されてきた歴史です。日本は幸いなことに、本土の奥深くに攻め込まれたことはありません。東シナ海が緩衝地帯として日中の間に適度の距離を保ってくれたおかげです。

しかし、その東シナ海にある尖閣に対して、中国が領有権を主張し、その接続海域で漁業をする日本漁船を追い払い、施政権を誇示しているのです。昨年は、1,100隻もの中国の公船が尖閣接続水域に侵入しました。侵入日数は333日に上ります。この海域は中国の施政下にあります、中国がそれを管轄しています、とメガフォンで叫んでいるに等しいですよね。そして、それをアメリカにも聞かせようとしているのです。

アメリカは「日本の施政のもとにある領域におけるいずれか一方に対する武力攻撃(Armed Attack)」を5条適用の条件としているので、中国海警艦艇が法執行作用として武器使用した場合のそれは武力攻撃ではないとして5条は適用されないという問題が生じます。グレーゾーンの脅威への対応をめぐっては日米でまだ十分なすり合わせができていない状況です。日本が中国の尖閣諸島周辺での行動は「黒」だと見ても、アメリカはまだ「白」だとみなす可能性もあります。そもそも、尖閣諸島のような「岩だけの島々(a bunch of rocks)」をなぜアメリカは守らなければならないのか米国民に理解してもらうのは大変なことです。2018年のシカゴ協議会の世論調査によると、米国民の64%が北朝鮮からの日本への攻撃には米国は日本を防衛するべきだと回答していますが、尖閣諸島をめぐる日中の紛争にアメリカは関与すべきだと答えた人は41%に止まっています。

現時点では、海上保安庁の現場も日本政府もなお「法執行の有効性を改めて評価し、それを継続する」姿勢だと思いますが、従来の法執行と軍事を分けて考える海洋法の建付けでは今後、それほど有効に対応できなくなるかもしれません。

こちらも中国と同じようにグレー度を高めて対応すべきなのか、つまり、海上保安庁のミッションや武器使用のレベルを上げるように能力を上げるか、それとも自衛隊にもっと海上警備的なミッションと役割を賦与するか、ただ、自衛隊に海上警備的任務をより明確に与えると、中国の白い海警に対して日本は灰色・黒色の自衛隊が対峙する姿が国際的に投影され、日本が先に軍事行動を開始したと非難される罠にはまる危険もあります。あるいは国際的に圧力をかけて中国のグレー度を消させるようにするのか、すなわち“法執行レジームの軍縮・軍備管理”を追求することも選択肢の一つでしょうが、それだけで中国が海警法を修正することは考えにくいでしょうね。これからはこうしたもろもろの海洋地政学の難題に取り組んでいかなくてはなりません。

(本文敬称略)

白井 一成

シークエッジグループ CEO、実業之日本社 社主、実業之日本フォーラム 論説主幹
シークエッジグループCEOとして、日本と中国を中心に自己資金投資を手がける。コンテンツビジネス、ブロックチェーン、メタバースの分野でも積極的な投資を続けている。2021年には言論研究プラットフォーム「実業之日本フォーラム」を創設。現代アートにも造詣が深く、アートウィーク東京を主催する一般社団法人「コンテンポラリーアートプラットフォーム(JCAP)」の共同代表理事に就任した。著書に『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤誉氏との共著)など。社会福祉法人善光会創設者。一般社団法人中国問題グローバル研究所理事。

船橋 洋一

ジャーナリスト、法学博士、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ 理事長、英国際戦略研究所(IISS) 評議員
1944年、北京生まれ。東京大学教養学部卒業後、朝日新聞社入社。北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、コラムニストを経て、朝日新聞社主筆。主な作品に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋)、『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』(朝日新聞社)、『地経学とは何か』(文春新書)など。