ドイツ統計局の発表によれば、2019年に最も多く取引した貿易相手国は中国で、その貿易額は2,059億ユーロに上り、2016年から4年続けて1位となっている。一方、米国との貿易額は1,900億ユーロで、オランダに次いで3位となった。メルケル首相の経済面での中国寄りの姿勢は有名である。昨年9月に首相として12回目の訪中を行った際にはドイツ企業幹部を多数同行させ、中国との経済協力の強化を図っている。
しかし、ドイツと中国との関係は決して良好だとは言えないだろう。2016年6月に中国の家電メーカー・グループ美的集団が、ドイツ産業の重要部門でもある産業用ロボットメーカーのクーカーを買収してから、中国企業のドイツにおけるM&Aは急増した。2020年1月9日付のJETROのレポート「中国からの直接投資とドイツのジレンマ」によれば、中国企業がドイツで行ったM&A額は、2015年の5億3,000万ドルから、2016年の125億6,000万ドルへと、金額で約24倍に跳ね上がり、2017年には136億8,400万ドルまで増加した。これらは、2016年に中国企業が欧州全体で行ったM&Aの約15%、2017年では24%にも上る(金額ベース)。
クーカーの買収阻止には失敗したドイツだったが、中国の投資会社である福建芯片投資基金がドイツの半導体装置メーカー、アイクストロンの買収を図ったときは、すでに発行していた認可を取り消し、再審査することでこれを阻止した。さらに、2017年7月には、対外経済法施行令を改正して、国内企業を買収する外国企業への規制を強化した。軍事産業やセキュリティーなどの特定産業では審査期間を1か月から3か月に延長したほか、それ以外の重要インフラ産業については、連邦経済・エネルギー省への通知義務を付加することで、ドイツ企業が保護されるようになった。その影響もあってか、2018年のM&Aは106億8,100万ドルへ減少し、2019年上半期では5億500万ドルと急減した。
その一方で、ドイツ企業は中国に対する直接投資を拡大してきた。中国国際投資振興局が発表した、“German Investment in China: Changing Opportunities and Trends 2019”によれば、2018年に中国が受け入れたFDI(海外からの直接投資)総額は1,360億ドルに上る。その約71%にあたる960億ドルを拠出しているのは香港だが、ドイツは日本に次いで7番目に多い36.8億ドルを投資している。FDI総額の2.6%のシェアではあるが、対前年比では139%増という急激な伸びを見せている。
2013年から2018年の5年間では、ドイツから中国に対して517件の新規設備投資があり、その総額は550億ドルに達し、124,000人の新規雇用が創出された。2013年以降減少傾向だった資本的支出は、2016年から増加に転じ、2018年は2013年の2倍以上となる220億ドル超となった。内容的には、同一事業地へ形態の異なる事業を配置する設備投資が、2013年の4件から2018年には48件と大きく増加し、移転を含めると新規よりも件数が多くなっている。ドイツが中国で行っているM&Aの形態でも、2018年の買収が9件であるのに対して、合弁事業は19件と2倍以上になっており、中国経済との融合傾向がみえる。
中国から受ける経済的な脅威と、巨大な中国市場からもたらされる利益との間で、ドイツは揺れているのだろう。ノア・バーキン氏がCarnegie Endowment for International Peaceで発表した、“Germany’s Strategic Gray Zone with China”では、ドイツ経済の利益を守りつつ、トランプ米大統領の予測不可能性にヘッジするという2つの目標があるがゆえに、メルケル首相は政策立案に苦心しているとされる。新型コロナウイルス感染拡大の影響から、9月14日にライプツィヒで予定されていた欧州連合(EU)と中国の首脳会議は延期されることが決まった。メルケル首相の後任と噂されている政治家には対中強硬派も多く、ライプツィヒ・サミットで結ぶはずだった中国との投資協定も先行きは不透明である。
7月8日に行われた欧州議会において、メルケル首相は、今年いっぱい務める欧州理事会議長国として重要事項を説明する演説を行った。「欧州の復興のためにともに(Together for Europe’s recovery)」をモットーとして、基本的人権と欧州の結束を強く訴えたメルケル首相は、演説の中で控えめに中国に言及している。彼女は、緊密な貿易関係を持ちながら、社会政策、特に人権尊重と法の支配へのアプローチが全く異なる「中国との戦略的な関係に取り組む」ことを明確にし、ライプツィヒ・サミットが延期されても「中国とのオープンな対話を続けていきたい」と語った。香港国家安全維持法によって、香港における「一国二制度」が有名無実化し、人権侵害が懸念される状況においても、中国との協力関係を維持しなければならないメルケルの苦悩が、首相としての任期の間に解消される可能性は低いだろう。
サンタフェ総研上席研究員 米内 修
防衛大学校卒業後、陸上自衛官として勤務。在職間、防衛大学校総合安全保障研究科後期課程を卒業し、独立行政法人大学評価・学位授与機構から博士号(安全保障学)を取得。2020年から現職。主な関心は、国際政治学、国際関係論、国際制度論。