2000年代後半に、イラク戦争での正当性喪失やリーマンショックによる経済の停滞などによって米国の国力衰退が指摘されるようになった。ちょうど時期を同じくして中国、次いでインドといった新興国の台頭が顕著になり、今では近い将来米国にとって代わり新たな世界秩序を構築すると予測する主張も少なくない。
中国の経済的な発展は目覚ましく、今後GDPで米国を抜き去る時期も明確に提示されるようになった。インドは世界最大の人口を擁し、その中でも若年層の人口比率が高いことや、技術的優位性が顕著に表れるIT関連産業の爆発的発展などによって高い経済成長率を維持している。
米国の国力衰退と、時を同じくして台頭する中印。確かに、米国が衰退した「から」国際秩序の再構築が進んでいるようにも見える。だが本当に、いま起きている国際秩序の地殻変動は、米国の覇権システムが揺らいだことを原因としているのだろうか。
この問いを考えるために、まず、そもそも米国の覇権がなぜ国際秩序として認められてきたのかについて整理していこう。大きく分けて4つの理由がある。
1つは、第2次世界大戦後、欧州に起源をもつウェストファリア体制が国際社会全体に広く受け入れられたことだ。それまで植民地政策で激しく争ってきた列強が植民地主義から転換して、すべての国家に同等の主権が存在するという原則のもと、国家が国際秩序を構築する主要なアクターとなったのである。そして、そのような国際環境の中で多くの国家が、秩序構築のコストを負担するよりも提供される秩序の中で発展を目指すことを選んだということだ。
2つ目は、第二次世界大戦後、欧米型の自由市場が最も効率的に経済発展を可能にするシステムだと認識されてきたことだろう。経済産業省が発表している『通商白書2020』によれば、1820年頃の産業革命以降、技術の飛躍的な進歩と貿易の拡大によって世界経済は大きく発展してきた。特に、世界全体のGDPの対前年比伸率は1969年に2桁となり、1960年に約1.4兆ドルに過ぎなかった世界全体のGDPは、1989年の時点で約85.9兆ドルと約61倍にまでなっている。1960年から1990年にかけての経済成長率を見てみると、ドイツを除くG7の平均値が26.8%であるのに対して、その他の国々は13.4%と半分に過ぎない。この間に著しい経済発展を遂げた主要国がすべて自由市場に依拠していた事実は、世界各国にこのシステムを理想的なものとして認識させるのに十分であっただろう。
3つ目にあげられるのは、自由市場を機能させる際に米国が独占していた基軸通貨ドルによる支配である。1944年に当時の同志国との間で形成されたブレトン=ウッズ体制は、国際金融市場の安定、貿易の振興、戦争で疲弊した国家の復興や発展途上国の開発などに大きく寄与したが、その一方で世界経済の動静に対する米国の影響力を著しく増大させた。1971年のニクソン・ショックによってブレトン=ウッズ体制は終了したが、ドルが果たしていた基軸通貨としての役割は現在までも継続し、貿易の決済手段としては80%以上がドル建て決済であり、国際通貨基金(IMF)のデータでは、各国が保有する外貨準備高の約60%がドル建て資産だとされている。人民元の国際化の進展も指摘されているが、既存のネットワーク効果による影響を消滅させることは極めて困難だと考えられる。
そして、米国にはこれらに加えて巨大な軍事力が備わっていた。第二次世界大戦直後は、核兵器の独占によって確実に世界最強の軍事力を持っていた。冷戦がはじまった以降も、核兵器と通常戦力を合わせた総合的な軍事力の観点では、対抗するソ連との間では均衡が保たれていたが、その他の国家の軍事力との間には著しい開きがあり、世界最大の軍事力を維持していた。冷戦終結後は、名実ともに唯一の超大国として絶対的な軍事力を保有し続け、今日においても世界中に軍事力を展開し得る戦力投射能力を持つ唯一の国として、世界中の国々が米国の軍事力の優越を認めている。これらの要因から、本質的に影響範囲が限定されるはずだった米国の民主的覇権秩序がグローバルな国際秩序だと認識されてきたのである。
こうした視点に立つと、米国の民主的覇権の条件には大きな変化が生じていないように見える。現在の国際社会において、それぞれの主権国家が同等の立場に立つというウェストファリア体制のコンセプトにゆらぎがあるとは感じられない。中国がその典型例としてあげられる国家主導型の経済発展モデルには一定の有効性が認められる一方で、これまでの欧米型の自由市場と民主主義による経済発展モデルが限界に達したということも確認されてはいない。人民元の国際化が少しずつ進んでいることは事実だとしても、10年単位の時間軸の中で米国のドルが基軸通貨の地位を失うと予測することは無理があるだろう。Global Firepowerの軍事力ランキングで過去10年以上米国に次いで2位だったロシアが、ウクライナ侵攻によって著しく軍事力を低下させたこともあり、軍事力の増強を急ピッチで進めるランキング3位の中国も含めて、米国の軍事的優位性にはまだゆとりがあると考えられる。中国の経済的な追い上げは確かに米国の優位性を脅かす要因ではあるが、米国の衰退を指摘するにはまだ早いように感じる。
つまり、国際秩序を揺らがせるほどに米国の覇権システムは衰退していない。2018年にアメリカン大学のアミタフ・アチャリア教授が指摘したように、米国の衰退と米国の民主的覇権秩序の衰退は同じ文脈で議論されがちだが、本質的に異なる問題ととらえるべきなのだ。教授が主張するように、「米国が衰退するしないにかかわらず『アメリカ世界秩序』は終焉に向かっている」と見るのが正しいように思われる。
第二次世界大戦以降、国際社会に支配的な影響を与えてきた米国の民主的覇権は、日本や西欧の同盟国や同志国(like-minded states)がそれを受け入れ承認した秩序システムであり、その影響範囲は本来限定的であったにもかかわらず、グローバルな国際秩序だと考えられてきた。実際、中核的な価値観においては対立的な姿勢を崩すことがなかった中国やロシアでさえも、そのシステムを受け入れその中で経済的発展を遂げてきている。その他の国々も、国際的な公共財としての秩序システムの中でその恩恵を受けてきたのである。
しかしながら、これまで中国やインドは自国の発展をより効率的に促すために、米国の民主的覇権秩序を一定の条件付きで受け入れてきたにすぎない。それがある程度達成されつつある現在においては、それぞれに都合が良い国際秩序の構築に向かったとしても不思議はないだろう。そしてそれらが、アチャリア教授が指摘する地域的な秩序にとどまるような場合には、これまでの米国の民主的覇権秩序と併存することになるので、それに対して外部から影響を及ぼす外圧の形をとるかもしれない。いずれにしても、これまで国際政治において議論されてきた国際システムの極構造や、覇権国の交代による新たな秩序の出現という文脈では、これから始まる国際秩序の構造変化をとらえきれなくなってしまう可能性は認識する必要があるだろう。
アミタフ・アチャリア教授の言うように、米国が衰退するしないにかかわらず米国の覇権による世界秩序が終焉に向かうとするなら、私たちが考えなければならないのは、これから出現する国際秩序がいったいいかなるものになるのか、ということだろう。
写真:AP/アフロ