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2024.10.07 外交・安全保障

中国軍艦の相次ぐトカラ海峡進入、米国を頼れぬ日本の対抗策は

木村 康張

 防衛省は8月31日、中国海軍シュパン級測量艦1隻が同日午前6時、鹿児島県の屋久島南西にあるトカラ海峡の口永良部島の領海に進入したと公表した。同測量艦は、海上自衛隊の掃海艇と哨戒機が監視に当たる中、午前7時53分頃に領海から出た。中国軍艦による日本領海のトカラ海峡への進入は今回で12回目となる。なぜ中国は日本領海への進入を繰り返すのか。そして、なぜ日本は有効な手立てを打てないのか。背景には、法解釈を巡る日中の対立と、トカラ海峡の戦略的重要性がある。

 日中の主張は、2016年6月15日に初めてトカラ海峡の日本領海内に中国海軍情報収集艦が進入した時から今回の事案に至るまで平行線をたどっている。

 中国軍艦によるトカラ海峡進入を巡り、日本政府は、近傍に国際航路を確保している大隅海峡(図1)があること[1]から「トカラ海峡は国際的な航路ではない」と主張。後述する「無害通航」であるとは言い切れないとし、中国側に「強い懸念」を伝えている。

【図1】トカラ海峡と大隅海峡

 これに対し中国政府は、一貫して「トカラ海峡は国際航行に用いられる海峡であり、『通過通航権』を行使している」と主張している。その主張が最も明確に示されたのは、2016年6月15日の初のトカラ海峡領海進入の時であった。中国外交部の華春瑩報道官は、「国際航行に用いられる通過通航権と、無害通航権を同列に論じることはできない」と指摘し、「(日本側は)国際法をよく勉強すべきだ」と非難した。

「無害通航」と「通過通航」で対立

 通過通航権と無害通航権は、いずれも国連海洋法条約で定められている。その違いを端的に言えば、「通航する海域が国際通航で用いられるものか否か」、「(船舶だけでなく)航空機の上空通過や潜水艦の潜没航行が認められるか否か」である(図2、3)。

【図2】「無害通航権」とは

【図3】「通過通航権」とは

 前述のとおり、日本はトカラ海峡を国際航行に用いられる海峡とは認めていないため、中国軍用機がトカラ海峡上空を通過した場合、航空自衛隊は対領空侵犯措置をとる。また、潜水艦が潜没状態で同海域を通過しているのを発見した場合、海上警備行動が発令され、海上自衛隊は領海侵犯として浮上要求の後、退去要求を行うこととなる。

 初のトカラ海峡侵入から8年が経過したが、日中の主張は対立したままだ。中国軍艦艇はトカラ海峡の領海内進入を繰り返し、既成事実を積み上げている。

チョークポイントとしてのトカラ海峡

 そもそも中国海軍は、なぜトカラ海峡で領海侵入を繰り返すのか。それは、中国海軍が太平洋に進出するに当たり、同海峡が戦略的重要性を帯びているからだ。

 中国海軍の東海艦隊(東シナ海管轄)は、象山などの潜水艦基地にKILO級、KILO改級、宋(ソン)級攻撃型潜水艦を18隻配備している。

 これらの潜水艦が基地から太平洋へ進出するには、国際海峡である大隅海峡は水深が100〜250mと浅く、潜水艦の行動を妨げる。一方、公海となる沖縄・宮古間の海峡は水深500〜1000mと深く潜水艦の行動を制約しないものの、海峡幅が200km以上あるため、海峡内に監視の護衛艦を配備されたり、哨戒機で探知・追尾されたりするリスクがある。

 また、トカラ列島や奄美群島における島嶼(とうしょ)間の水深は60〜320mと浅いため、潜水艦の潜没航行には適さない。

 この点、トカラ海峡のみが水深500〜800mと潜水艦の行動に制約を与えない。加えて、東シナ海を北上する黒潮本流はトカラ海峡を流速4ノット(時速約7.4㎞)で太平洋へと流れ込むため、東航する潜水艦は黒潮に乗れば同海峡をエンジン低出力の静粛状態にでき、音響センサーによる探知を避けながら通峡できる(図4)。

【図4】大隅海峡・トカラ海峡・宮古海峡の水深と流速

 中国と日米間で緊張が高まった場合、海上自衛隊や米海軍は大隅海峡と沖縄・宮古間の海峡の対潜警戒を強化することになる。中国は、トカラ海峡を「国際航行に用いる海峡」として既成事実化させておけば、中国海軍が潜水艦を潜没状態で太平洋へ展開させることが容易となる。そして、海自の護衛艦や哨戒機に探知された場合でも「通過通航権の行使」として正当性を主張できる。こうしたことが中国海軍の度重なるトカラ海峡侵入の背景にある。

米国からの支援は期待できず

 中国軍がトカラ海峡を自由に航行して太平洋に進出すれば米国の安全保障にも関わるが、米国側の反応は薄い。

 2016年6月の中国海軍情報収集艦のトカラ海峡の領海進入に対し、米国防総省のクック報道官は「領海は尊重されなければならないが、(中国情報収集艦が航行した時の)すべての状況を把握しているわけではない」とし、具体的な論評を避けた。

 実は米国は、国連海洋法条約の理念は順守する立場を示すものの、同条約には加盟していない。

 米国は当初、国連海洋法会議において海洋法策定の議論に関与していたが、ロナルド・レーガン大統領は1982年7月、国連海洋法条約の規定が沿岸国の権利を過大に重視していることを問題視し、国連海洋法条約に署名しないことを決定した。

 海洋において高い機動力を持つ米国にとって、沿岸国の権利を守る海洋法は、自国の自由な航行という国益を妨げる側面もあるのだ。

 米国のその「本音」を示すのが、沿岸国が公海の利用を過剰に制限する海域に、米海軍が艦艇や航空機を投入して示威行動を行う「航行の自由作戦」だ。米国防総省が今年5月8日に公表した「2023年度航行の自由に関する報告書」によると、米海軍は17カ国・地域において、米国が過剰な海洋権益の主張と判断する29の海域を航行している。

 同盟国である日本も米国にとって例外ではない。米軍は、日本が対馬海峡付近に設定した領海を「過剰制限」とし、「航行の自由作戦」を実施している。

 トカラ海峡を巡っても、中国が主張する通過通航権は、米海軍にとっても機動性を向上させる上で有益だ。従ってこの事案で米国政府の支援は期待できず、日本政府のみで中国政府の主張に反論するしかない。

政治工作で正当化を進める習政権

 こうした中で、中国はしたたかに正当化の度合いを高めている。

 中国人民解放軍には、「三戦」という任務がある。「三戦」とは、(1)中国の軍事行動に対する国際社会の支持を築き、敵が中国の利益に反する政策を追求することを阻止するよう世論に影響を及ぼす「世論戦」、(2)敵の軍人や文民の心理に働きかけ士気を低下させ、敵の作戦遂行能力を低下させる「心理戦」、(3)国際法および国内法を利用して国際的な支持を獲得するとともに、中国の軍事行動に対する予想される反発に対処する「法律戦」——の3つを指す。

 トカラ海峡を巡っては、中国は三戦のうち法律戦と世論戦を仕掛けているとみられる。

 中国の習近平政権は、外交部と国防部、報道機関により「法律戦」を展開させ、中国軍艦の行動を国際法的に正当化させることを目指している。事案を繰り返すことにより、「国際航行に用いられる海峡」としての「実態」を積み重ねている。そして、領海進入を常態化させることで、日本政府や国内世論の「関心」を低下させ、「黙認」状態を醸成させていく「世論戦」を展開させていると思われる。事実、領海進入を重ねるにつれ日本の報道ぶりも淡泊となり、国民の関心は薄れつつあるように思える。

日本はデータで反論せよ

 中国は、領海侵入と政治工作というソフト・ハード両面で既成事実化を図っている。これに日本が反論するには、客観的データの積み上げがカギとなる。

 初めて中国軍艦の日本領海進入があった翌日の2016年6月16日、北京日本大使館の公使は中国外交部担当者に「トカラ海峡は国際的な船舶の航行はほとんどなく、国連海洋法条約で定める『国際航行に用いられる海峡』には該当しない」と主張した。だが、日本政府が中国政府に対してトカラ海峡における船舶の通過量など具体的なデータを示し、中国側の主張を否定したという報道は見当たらない。

 しかし、データがないわけではない。海上保安庁「海洋状況表示システム」で船舶の航行量を確認すると、船舶の航行は国際海峡である大隅海峡に集中し、トカラ海峡を東西に通峡する船舶は極めて少ない(図5)。また、トカラ海峡を東西に通峡する船舶をAIS(船舶自動識別装置)で確認すると、ほとんどが内航航路を航行する日本船舶であることが確認できる。

【図5】大隅海峡とトカラ海峡の航行船舶量

(出所)船舶通航量の統計資料(海上保安庁「海洋状況表示システム」)

 このような具体的な資料を中国政府に提示し、「トカラ海峡は『国際航行に用いられる海峡』ではない」ことを証明し、中国の主張を否定するとともに、国際社会に対しても「トカラ海峡は日本の領海で構成される海峡」であることを発信していく必要がある。

写真:AP/アフロ

[1]日本政府は、1977年5月2日に成立した「領海及び接続水域に関する法律」において、大隅海峡、宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡東水道、対馬海峡西水道の5つを「特定水域」と定め、領海幅を3海里(約5.5㎞)に制限した。通常の領海は12海里(約22㎞)だが、これら5海峡は国際航行に用いられることから、海峡中央部に公海を残し、外国船も自由に航行できる海域を確保した。

地経学の視点

 このところ、中国軍による日本周辺の軍事活動が活発化している。本文にあるトカラ海峡侵入事案の数日前、8月26日には中国軍のY-9情報収集機が長崎県男女群島沖で領空を侵犯した。領空侵犯については中国軍機による初の事案ということもあって大きく報道されたが、トカラ海峡の事案はそこまで注目されなかった。

 それこそが中国の狙いと言える。12回にもわたるトカラ海峡侵入にもかかわらず、日本の対応は「強い懸念」の表明にとどまる。日中の主張は対立しながらも、中国は既成事実を積み上げ、日本国民の関心は低下している。

 トカラ海峡を巡っては、「航行の自由」を掲げる米国は静観の構えだ。同海峡は中国が太平洋進出を目指す上で重要な水路であり、日米の安全保障に関わる事項だが、米国を頼ることができないという筆者の指摘は重い。私たち一般市民が通過通航権と無害通航権の違いを意識することは少ないが、国民レベルで自国の領海と安全保障への関心やリテラシーを持つことが中国の認知戦への対抗策となる。(編集部)

木村 康張

実業之日本フォーラム 編集委員
第29期航空学生として海上自衛隊に入隊。航空隊勤務、P-3C固定翼哨戒機機長、米国派遣訓練指揮官、派遣海賊対処行動航空隊司令(ジブチ共和国)、教育航空隊司令を歴任、2015年、第2航空隊(青森県八戸)司令で退官。退官後、IT関連システム開発を業務とする会社の安全保障研究所主席研究員として勤務。2022年から現職。

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