「国際金融センター」というと、かつての日本の経済・金融の栄光と挫折の歴史を彷彿させるものかもしれない。平成バブル期にはジャパン・マネーが世界を席捲(せっけん)し、東京がニューヨークやロンドンと並び、「世界都市」の頂点の地位すら見えた。しかし、バブル崩壊と日本の経済・金融の長期低迷の中で、一時的な盛り上がりの機運はあったものの、国際金融センターはほぼ死語と化していった。
日本が政府の成長戦略の一環として、「国際金融センターとしての地位確立」を掲げたのは10年前となる2014年のことである。安倍晋三政権の下で、20年東京五輪も展望し日本経済・金融の再興を果たしたいという志もあった。官民挙げて取り組みを進め、日本の地位が回復することが期待されたものの、近年ではむしろ低下しているのが実情だ。英シンクタンクZ/Yenグループが半年ごとに発表する国際金融センター指数(GFCI:Global Financial Centres Index)では、東京は第19位(2024年3月時点)と、半年前から順位を一つ上げたが振るわない。アジアではシンガポールや香港はおろか、ソウルの後塵を拝している(図1)。
【図1】国際金融センター指数のランキング(Z/Yen、2024年3月)
ランキング低迷の真因
Z/Yenランキングにおける低迷には、冷静に考えれば過剰に反応しない方が良い側面と、看過できない側面の両面がある。
まず、必要以上に懸念するには及ばない理由として、ランキング自体の中立性に対する疑問が拭えないことがある。Z/Yenは2016年7月、中国政府系シンクタンクの中国開発研究所(CDI)と金融センター調査に係る戦略的提携を結び、同年9月以降はランキングをCDIと共同で発表している。Z/Yenはランキングの作成に加えて、ランキング向上に向けたコンサルティングも提供している。Z/Yenの「プラチナスポンサー」にはCDIや、韓国のソウル・釜山などが名前を連ねており、中国や韓国の主要都市はZ/Yenのコンサルを受けることができる。スポーツに例えれば、Z/Yenは判定を下す審判と特定のチームを応援するコーチを兼ねているような存在なのだ。
かと言って、このランキングを軽視できないのも事実である。ランキングは世界の9000人前後の金融関係者による定性的な評価と、合計130以上に及ぶ膨大な各種公表データに基づく定量的な評価を組み合わせて作成されており、作成過程における透明性は相応に高い。2007年から継続して作成されていることから注目度も高い。
ちなみに日本では、2023年11月に大手デベロッパーの森ビル系の森記念財団が「世界の都市総合力ランキング−金融センター」を発表、東京はニューヨーク、ロンドンに次ぐ世界第3位となった。もっとも、同ランキングでの東京の高評価は金融仲介機能の強みによるものであり、銀行、保険、年金の資産規模の大きさに起因するところが大きい。極論すれば、「図体の大きさ」が評価されているに過ぎない。
加えて、Z/Yenにおける日本のランキング低下は、金融セクターの競争力というよりはむしろ、日本経済と企業の競争力低下を反映していることも看過できない。ランキングと相関の高い定量指標を見ると、上位にはイノベーション、ロジスティックス、平均賃金、国際競争力、人材競争力などに関する指標が入っている。
とりわけ、日本の評価が低いのは人材競争力である。スイスのビジネススクールIMDが作成する64カ国・地域を対象とした世界人材ランキングでは、日本は2023年に過去最低の第43位となっている。世界人材ランキングは生活の質など人材への「訴求力」、「教育や人材への投資」、そして「対応力」から作成されているが、日本の弱みは「対応力」にある。「対応力」の詳細を見てみると、「国際経験」では最下位の第64位、「シニアマネジメントの能力」は第62位、「言語能力」では第60位といずれも目を覆いたくなる評価だ(図2)。国際金融センターを支える人材が欠如していると見なされても不思議ではない。
【図2】世界人材ランキングでの日本の地位(IMD)
この点に敷衍すれば、知識やスキルで日本の金融人材が海外に劣っているということでは必ずしもないはずだ。しかし、「グローバルビジネスの共通言語である英語を使って、他人の意見を尊重しながら自己主張を行う」、そして「迅速な意思決定に基づいて、社内外の組織を動かす」という、海外であれば当然視される能力を兼ね備えているかと問われれば心もとなくなる。日本の文化やスタイルの面によるところも大きいが、意識改革が必要となろう。
影を落とす歴史的円安
歴史的な円安がZ/Yenのランキング低下の一因になっていることも見逃せない。ランキングは平均賃金にも連動する。円安も手伝って、日本の賃金水準はOECD(経済協力開発機構)で第25位と世界でも見劣りする。海外の金融人材からすれば円ベースでの給料は低すぎ、日本で働くインセンティブは失せてしまうことになる。
通貨価値は本来、その国の経済力を表象するものであり、通貨の安定・向上は海外資本を惹きつけ、金融センターとして発展する上でも重要な要素である。ドル円相場がおよそ38年ぶりの円安水準にあるだけでなく、円の通貨としての総合的な価値を示す「実質実効為替レート」は1973年の変動為替相場移行後の最低水準にある。為替相場には循環的な側面もあるので短期的には円高方向への揺り戻しもあろうが、日本は構造的な円安圧力に見舞われているように見える。
日本が輸入する資源価格の高止まりが続けば、貿易収支の赤字が常態化する恐れが大きい。サービス収支では、インバウンド観光客の回復に伴う旅行収支の黒字を海外ビッグテック企業のサービス利用拡大に伴うデジタル赤字が帳消しにしている。デジタル活用によって生産性を高めなければ、海外ビッグテックからのデジタルサービス導入は日本経済の基礎体力を弱めることになりかねない。経常収支は表面的には相応の黒字水準を維持しているが、ひとえに第1次所得収支、すなわち、直接投資や証券投資に係る収益によるところが大きい。そして直接投資収益の約半分は日本企業の海外現地法人で留保される再投資収益であり、実際には国内に還流しているわけではない。日本の経常黒字は見かけほど安泰ではない(図3)。
【図3】日本の経常収支
経済の成長力の低さに加え、日本はGDPの2倍を優に超える、世界で最大規模の政府債務を抱える。インフレに対応した利上げは国債の利払い負担増を通じて財政の悪化要因にもなる。円売りを仕掛ける海外投資家に日本の弱さを見透かされているだけでなく、国内の企業や個人にもそっぽを向かれている。伸び代が相対的に大きい海外の市場に、日本の企業はM&A(買収&合併)で、個人はNISA(少額投資非課税制度)で投資を振り向けている。
もちろん、国際収支の黒字・赤字、一時的な通貨の上昇・下落が国際金融センターの地位に決定的な影響を与えるかと言えば、そうではない。上位にランキングされている米国、英国、フランスの経常収支は赤字である。お世辞にも英ポンドは強い通貨とは言えないだろう。重要なのは本質的な経済力・総合的な国力である。
金融ビジネスの魅力も当然必要だ。国際金融センターとしての魅力を高めるためには外資に対する税制優遇の拡充が必要との意見も根強い。しかし、日本は少なくとも米国や英国と比べて大きく見劣りしているわけでは必ずしもない。
一方、香港やシンガポールのように、「法人実効税率10%台」「相続税・利子配当課税・キャピタルゲイン課税も非課税」といった低税率で勝負することは難しい。日本としてはシンガポールや香港にはない、グローバル展開する日本の企業集積、潤沢な家計金融資産などで勝負するのが王道だろう。企業経営や資産運用が守りから攻めに転じ、マネーが動き出せば日本に勝機はあるはずだ。求められるのは日本の経済・企業の体力増強につながる産業の新陳代謝促進策や規制緩和策である。
今こそ国際金融センターを目指すべし
次の10年、2030年代半ばまでを展望すれば、日本にとって国際金融センターとしての機能はこれまで以上に重要となってくる。日本経済を取り巻く地政学的環境と国内環境の大きな変化に見舞われる可能性が高いからだ。
まず地政学的観点で言えば、2030年代半ばには米中の覇権争いが一段と厳しくなっている可能性が高い。中国の成長戦略「中国製造2025」は、35年は中国が世界の「製造強国」において中程度の地位を確立する年と位置付けている。また、「中国標準2035」では中国の経済システムや技術を世界標準にする年となっている。人口減少などにより中国の成長率が現状の5%程度から減速に向かうことは避けられないが、2%程度の米国より上回っている限り、米中の経済規模は着実に縮小していく。経済規模が逆転するかどうかは議論が分かれているが、30年代前半に中国が米国を追い抜くと見方もある。
覇権主義的な動きを強める中国は、ドル一極集中の国際金融システムにくさびを打ち込むことを狙っている。人民元の国際化を推進し、国際金融センターとしての地位を確立することは中国にとっての悲願であり、だからこそ戦略的にZ/Yenのパートナーとなり入念な準備を進めているとも読める。世界の基軸通貨としての米ドルの優位性が容易に崩れるとは考えづらいが、国際金融システムは前人未到の領域に向かうものと思われる。
歴史を振り返れば、国際金融センターは覇権国と覇権国を中心とした国際秩序を金融面から支えてきた。18世紀以降、世界の覇権がオランダから、英国、そして米国に移る中で、国際金融センターと国際金融における基軸通貨は「ロンドンと英ポンド」、「ニューヨークと米ドル」へと変化してきた。
国際金融センターが戦争の中で発展を遂げてきたのも事実である。ロンドン・シティの象徴であるイングランド銀行(中央銀行)は、17世紀の末に対仏戦争の戦費調達を目的として設立された。米国では、18世紀後半の独立戦争時に証券市場が誕生し、19世紀後半の南北戦争時に発展していった。
国際秩序の行方は極めて不透明感が強いが、地政学的な環境変化が国際金融センターに与える影響には注視したい。グローバルな金融機関や投資家が、上海や香港といった国際金融センターへの投下資本や経営資源の再配置を求められる場合には、日本の国際金融センターが有力な受け皿候補となることも考えられる。
こうした「漁夫の利」が短期的には日本の追い風となる可能性もあるが、それ以上に、変貌する国際秩序の中で、日本は国際金融センター機能の強化を怠るべきではない。
OECDの長期予想によれば、日本の2024〜35年までの年平均の実質GDP成長率は1%にも満たない。労働力人口は74歳までの就労を前提としても約720万人、年率平均で0.6%も減少し、成長を下押しすることになる。経済規模比で見た場合に世界で最大・最悪規模となっている日本の政府債務は、さらに約680兆円も増加すると見込まれている。
透けて見えるのは常態化する低成長、経常収支の縮減、国債ファイナンスの必要性という厳しい現実だ。国際収支の発展段階説から見れば、貿易収支が赤字でも大幅な所得収支によって経常黒字を維持する「成熟した債権国」から、経常収支も赤字となる「債権取り崩し国」への移行が視野に入ってくる可能性がある。日本としてはいかに債権を積み上げるかだけでなく、海外から資本を調達することがこれまで以上に求められる。国際的競争力向上という従来の目的だけでなく、日本のサバイバル戦略として国際金融センターを目指すべきである。
写真:つのだよしお/アフロ
地経学の視点
Z/Yenによる最新の国際金融都市ランキングは、東京19位に対し、香港は「一国二制度」の形骸化で外資撤退が続く中でも4位と高位を保っている。中国が、Z/Yenとの「戦略的提携」を通じてライバルの台頭を抑え込もうとしているのではないか、といぶかりたくもなる。
もっとも、森記念財団のランキングでの「東京3位」「香港6位」も、必ずしも客観的評価とは言えない。調査主体が当事国(当事国寄り)である以上、中立性に疑問符が付くのは避けられず、国際金融都市の座を巡って日中が認知戦を繰り広げているという見方もできそうだ。
しかし、筆者が説く「国際金融都市ニッポン」の意義は、金融の覇権という文脈というより、日本という国家の生き残り戦略にある。
日経平均株価は今年に入って史上最高値を付けた一方、「弱い円」や低成長率など日本経済の構造問題を指摘する声が目立つ。海外資本の調達は、そうした課題解決の一助となり得る。自らの弱みを直視した上で、海外マネーを呼び込もうとする創意こそが日本を持続可能にする。強い意志で「国際金融都市ニッポン」への道を目指すべきだ。(編集部)