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2021.04.30 対談

日本に求められる「技術革新」と「リーダーシップ」
『実業之日本』と地政学(7-2)船橋洋一編集顧問との対談:地経学時代の日本の針路

白井 一成 船橋 洋一

ポストコロナ時代の日本の針路

「国力・国富・国益」の構造から見た日本の生存戦略

ゲスト
船橋洋一(実業之日本フォーラム編集顧問、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長、元朝日新聞社主筆)

 

聞き手
白井一成(株式会社実業之日本社社主、社会福祉法人善光会創設者、事業家・投資家)

 

白井:当時の『実業之日本』の論考からは、日本が如何に遅れている国なのか、如何に小さい国なのか、如何に弱く、か細く、脆い国なのかという、ひりつくばかりの心細さに同情を禁じ得ません。日本はもっと産業を興して、経済を豊かにして、規模を大きくして、輸出して、外貨を稼ぐ国にする必要がある。それがなければ、いくら軍事費や国防などと言っても長続きしないという問題意識なのでしょう。
日露戦争当時、またそれ以降、第二次大戦が終わるまでは軍事予算が財政を圧迫していく時代でした。そして現在の日本の公的債務はGDP比240%と世界でも突出しています。財政面に大きな問題が露呈しているように感じます。このあたりも当時との類似性が指摘できそうです。
100年後のいまは貯蓄があり、経常収支も黒字ですので、国内でファイナンスは完結しています。中国に国債を買ってもらわないといけないほど落ちぶれているわけではありませんが、いつまでもつのでしょうか。実業といった経済面でも、外貨を稼げなくなってきています。まだ瀬戸際には来ていないのでしょうが、このままでは瀬戸際に入ってしまいかねません。

船橋:日本は100年前に比べると遥かに大国ではあります。アメリカという同盟国のおかげもあり、当時ほどの脆弱さはないでしょう。ただ、拙著『地経学とは何か』でも触れたところですが、日本はこれから小国的な生きる知恵を身につけなければなりません。小国的な生きる知恵とは、インテリジェンス、語学力、マネー・パワー、国際機関の上手な使い方、世界中枢とのネットワーキング、グローバル高等教育機関、メディア戦略、などで秀で、競争力を持つことです。一言で言うと、個々人の国際競争力を高めることです。そもそも実際問題として、日本は相対的に小さくなっていきます。中国は14億、インドは13億、インドネシアは2~3億の人口を抱えています。フィリピンやベトナムといった国も1億人国家になっていきます。2050年にカナダが5,000万人国家に、オーストラリアが4,000万人国家になると見込まれます。一方、日本はこのままでは21世紀が終わる頃には7,000万を維持できるかどうかという感じになっていきます。ミドルパワーと言われる日本ですが、ミドルパワーからずり落ちていく危険もあるのです。

日本にとっては、1,900兆円の家計金融資産をどのように運用し、外交戦略として、どこまで日本が金融資産をパワーに転化できるかというのが一大ストラテジーなのです。しかし、率直に言えば、金融資産を国家戦略としてどのように活用するか、それを外交的にどう使うかのストラテジーがないのです。香港国家安全維持法が制定されたことで、国際金融都市としての香港はピークアウトしていくことが考えられます。そこで東京を国際金融都市にしたいとの声が有力政治家はじめ各方面から出ていますが、その後、日本政府がこれを国家戦略として追求することを決めたという話は聞きません。財務省、金融庁、東京証券取引所はこの点、どのような構想を追求しているのか。税制をどうするのか、ビザ政策はどうなのか、ここでの取引やドキュメンテーションや作業言語は英語公用語にするのか、それらの方向性もほとんど見えてきません。

地政学の根本的なドライバーには、地理、歴史、民族、宗教、人種、人口のように変えられないものや、超長期でしか変わらないものがあります。しかし、地政学も歴史も、決定論ではありません。いつの時代も、どこも、技術革新とリーダーシップによって人間社会も国家も大きく変化します。技術革新とリーダーシップが歴史を大きく変えてきたのです。
技術革新を多くのユーザーが使い、それをビジネスに育て、そこにまた新たな投資が沸き起こるのがイノベーションです。技術革新がそのままイノベーションなのではありません。それを商業化させ、普遍化させてこそ大きなイノベーションが起こるのです。蒸気汽船も電気も、電信・電話も、鉄鋼産業も、石油産業も、自動車も、航空機も、コンピューターも、インターネットも、スマホも、イノベーションによって国富と国力を飛躍的に増大させたのです。

日本のこれからを考えたときに、技術革新とイノベーションが改めて鍵となると思います。ただ、デジタル化が始まってからの過去25年を振り返ると、強い危機感を覚えます。仮想通貨も、暗号資産も、フィンテックも、自動運転も、規制をがんじがらめに作ってしまう。先例がないからという理由で新しいものを排除してしまう。官僚機構が新しい挑戦に対して、リスクを取ることを忌避する。今回のコロナ危機でも、日本は結局、国産ワクチンを国民に供給できなかった。厚労省がワクチン開発のリスクを取るのを嫌がってきたことが一つの背景にあります。フランシス・フクヤマが書いていますが、先進民主主義国はどこも拒否権体制(vetocracy)になってしまった。何か新しいプロジェクト– 例えば、ラガーディア空港の建て替え — を試みようとしても、その瞬間から拒否権(veto)を持った集団が次から次へと弁護士を伴って現れ、結局、立ち上がらない。危機管理論の世界的権威であるオランダのポールト・ハートがいうリスク・インフレ社会になってしまった。どこもかしこもリスクを負うことを嫌う集団と組織ばかりになってしまった。とりわけ、日本にその傾向が強いと思います。30年近い低成長時代を経て、行動しないリスクより行動するリスクを選択する行動様式が常態化したということかもしれません。そういう社会ではイノベーションが起こりにくい。規制当局は、原子力規制委員会にしても金融庁にしても反イノベーション・バイアスに陥っている、イノベーションはリスクを取らなければならない。しかし、政府はそれを取りたがらない。訴訟リスクばかりを恐れる。第四次産業革命の時代、民間が取り切れないリスクを政府が取る、そういう「起業家国家(entrepreneurial state)の国が勝ち組になるでしょう。

アメリカでは、そして、中国でも、新たなイノベーションが起こると、それが国民の生活を一変させるほど大きくなるまでは、それを駆動する企業にいろいろと実験させます。アメリカでは、個人のプライバシーの問題や、選挙の際のフェイクニュースなど、取り締まらないと困る場合には規制がかけられました。中国でも、社会の安定を乱したり、国営の銀行の既得権益を脅かすアリババに少しお灸を据える必要が生じたりといった場合には、締め付けが行われました。ただいずれも相当大きくなるまではやらせるわけです。「やってみなはれ」の試行錯誤がなければ技術革新は起こりませんし、イノベーションは進みません。イノベーションは社会実装なのです。私どものシンクタンクでは第四次産業革命の技術革新をいかに社会実装するかをテーマとしたプロジェクトに取り組み、その成果物である『未来を実装する』(馬田隆明著)、を刊行したばかりですが、社会実装を成功させるには何よりも「社会の変え方のイノベーション」が必要であるとこの本は指摘してます。テクノロジーの社会実装プロジェクトの成功者たちは、よりよい未来をつくることを目的として、社会の仕組みに目を向け、人々とともにプロジェクトを進めていた。言い換えれば、彼らはテクノロジーを社会に実装しようとしていたというより、テクノロジーが生み出す新しい社会、つまり「未来を実装」しようと努めていたのです。「社会の変え方のイノベーション」を行わないと、国力が落ちてくる。すでにその下降曲線に入っています。私は、日本の未来を考えたとき、人口よりも、財政よりも、技術革新とイノベーションの活力の衰えの方を心配しています。

もう一つがリーダーシップです。どういう企業のリーダーなのか、どういう政治の指導者なのかが、決定的に必要です。なかでも危機の時代には、リーダーの若返りが重要です。先進民主主義国はどこもシルバー民主主義に覆われています。高齢者の人口は多いし、投票率は高いし、既得権益をもっているし、選挙も政治も分配も関心も高齢者中心に動いていきます。彼らの多くは拒否権体制(vetocracy)を支えています。若い人にもっとチャンスを与え、もっと他流試合をさせて、その中で一番いい人を抜擢する人材、中でもリーダーの新陳代謝を加速させる必要があります

ただ、いまは、リーダーを育てるのが非常に難しい社会環境にあると思います。SNSの時代、プライバシーが暴かれ、性格暗殺がはびこり、集団モブ現象とリンチが広まり、ランキングと美人コンテストが幅を利かし、同じ思想信条の人々に認められ、そこで喝采を受けることが社会的認知となるような社会で、国家的危機の時に国家を率いる政治リーダーはなかなか育ちにくいのではないか、と危惧しています。

白井:かつての『実業之日本』では、国力増進論などの経済重視姿勢が展開されましたが、結果的には、第二次世界大戦に負け、アメリカの庇護のもとに経済中心の世界に変わることになりました。何とも皮肉な結果のように思います。日本はこれから自らのビジョンを立てて未来を実装していくことができるのでしょうか。それとも敗戦のような外圧を待つしかないのでしょうか。

船橋:いつの時代も外圧は必要です。「ガイアツ」という言葉がない時代から、それは憧れであり、必要でもあり、切羽詰まったコンティンジェンシー(緊急事態対応)でもありました。外のすぐれたものをどう吸引、吸収するかによって、文明も発展します。日本は古代から世界の文物を摂取し、自らの文明・文化を耕してきた。「ガイアツ」をうまく使ってきた国だと思います。

「ガイアツ」をうまく使うコツは、自分たちのために良いことは取り入れ、駄目なものは排除する取捨選択とメリハリだと思います。日本は中国から多くの文物を学んできましたが、宦官の制度や纏足の習慣は排除しました。我々の祖先は、正しい取捨選択をしてきたのです。世界に生まれる先端的事物や取り組みへの強い関心とそこから学ぼうとする意志がなければ、どの国も発展はないし、世界に後れを取ってしまう。

明治以後は、日本はヨーロッパとアメリカから多くを学んできました。戦争に負けてからは、アメリカモデルに大きく依拠して、出直しを図りました。ガットの加盟国になってからは、ケネディラウンド、東京ラウンド、ウルグアイラウンドなどの多角的貿易自由化交渉に参画し、日本の市場やルールの改革と開放を進め、構造改革に取り組んできました。毎回、農業や製造業から猛烈な政治的圧力を受けましたが、「ガイアツ」を使い、国内の改革と開放を求める「ナイアツ(内圧)」とうまくつなぎ合わせて、業界の新陳代謝を進め、生産性を向上させてきました。「ガイアツ」はその意味で日本の“リープフログ(蛙飛び)”戦略でもあったのです。

しかし、1994年にウルグアイラウンドが終わり、その後のドーハラウンドが不発に終わり、20年以上にわたり、日本は多角的な貿易自由化を迫られることがありませんでした。ようやく2015年になって、TPPを締結することができた。市場開放、ルール形成ともにグレードの高い多角的貿易自由化の枠組みです。ただ、トランプ政権になって、肝心のアメリカが撤退してしまったというわけです。
これまでのように欧米先進国からの「ガイアツ」を使って、構造改革を進めるやり方だけではうまくいかない状況になっています。そもそも、欧米とも、とくにアメリカはトランプ・ポピュリズムと社会の大分断によって世界のモデルとしての役割を自ら放棄してしまったも同然です。議会占拠事件に象徴的に示されるように民主主義の機能も痛んでいます。米国の威信、影響力、信頼性のすべてに疑問符が付き始めています。アメリカから学ぶものはまだまだ多いと思いますが、これまでのような直輸入的学習は難しくなるでしょう。

これからは、アジアから学ぶことも多くなるでしょう。デジタル・トランスフォーメーションの面では、中国、インド、シンガポールなどが先進化しているところもあります。新型コロナ危機を乗り切る上でも、東アジアの国々の経験から学ぶところもあるはずです。シンガポール国立大学やオーストラリア国立大学など高等教育の面でも、イノベーションや多様性やグローバルに活躍できる人材の養成など、学ぶところがあると思います。

参考文献:船橋洋一著『地経学とは何か』、
『検証 日本の「失われた20年」』、
馬田隆明著『未来を実装する』
本文敬称略

白井 一成

シークエッジグループ CEO、実業之日本社 社主、実業之日本フォーラム 論説主幹
シークエッジグループCEOとして、日本と中国を中心に自己資金投資を手がける。コンテンツビジネス、ブロックチェーン、メタバースの分野でも積極的な投資を続けている。2021年には言論研究プラットフォーム「実業之日本フォーラム」を創設。現代アートにも造詣が深く、アートウィーク東京を主催する一般社団法人「コンテンポラリーアートプラットフォーム(JCAP)」の共同代表理事に就任した。著書に『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤誉氏との共著)など。社会福祉法人善光会創設者。一般社団法人中国問題グローバル研究所理事。

船橋 洋一

ジャーナリスト、法学博士、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ 理事長、英国際戦略研究所(IISS) 評議員
1944年、北京生まれ。東京大学教養学部卒業後、朝日新聞社入社。北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、コラムニストを経て、朝日新聞社主筆。主な作品に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋)、『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』(朝日新聞社)、『地経学とは何か』(文春新書)など。

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