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2021.11.02 船橋洋一の視点

未来を実装する-政策起業家
船橋洋一編集顧問との対談:地経学時代の日本の針路

白井 一成 船橋 洋一

ゲスト
船橋洋一(実業之日本フォーラム編集顧問、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長、元朝日新聞社主筆)

聞き手
白井一成(株式会社実業之日本社社主、社会福祉法人善光会創設者、事業家・投資家)

日本に立ちはだかるレガシーの重さ

白井:これまで西側諸国が主導してきた民主主義モデルが、現状に合わなくなってきていることや、資本主義が変質しつつあるということを踏まえると、先生がおっしゃっている起業家的国家を目指す、起業家精神と政策起業家精神が必要だということが理解しやすいですね。

先日送っていただいた、馬田隆明さんの『未来を実装する』(英治出版)という本でも、社会実装を成功させるためには、長期的で広範囲に及ぶ変化であるインパクトが重要だということが述べられていました。それは、理想と現状のギャップを課題として認識し、理想に至る現実的な道筋をきちんと示し、みなの共感を得るということです。国民や、そこに関わるステークホルダーの共感を得なければイノベーションは動かない、だからこそ、そうすることによって実装できるということですね。

『未来を実装する』の中でも、地方で不便さを理解してもらうことの難しさに触れた部分があったと思いますが、この本で説明されているように、「インパクト」のある理想を説明することによって日本を危機感のある国家とし、国民全体を動機づけして動かすことができるのだろうかというところに非常に疑問を持っています。リー・クアンユーさんが1975年に述べていた、日本の高いオペレーション力、キャッチアップする能力は、現在でも相当程度保持していると感じますが、そうした能力とダイナミックにモデルを転換するようなイノベーション力はかなり違うだろうと思います。このイノベーション力をどうつくるか、そしてそれをキャッチアップ力とどのように組み合わせるのかというところについて、お教えいただきたいと思います。

船橋:そこが、本当に一番の核心中の核心のところですね。おっしゃるように、日本ではあまり不便を感じていない人が多い。日本のモデルは今まで相当丁寧につくってきたモデルなので、十分満足している人はあまり多くはないかもしれませんが、強い不満を持っている人もさほど多くはありません。日本人は、やや悲観主義的に発言する傾向があるので、そこは割り引いて見るとしても、戦後70年を経た現状に満ち足りている層が、バラストのように相当存在しています。だからこそ、日本では欧米のようなポピュリズムが起こらないのです。

欧米のポピュリズムの中心は、地方に住んでいる低学歴の男性で、50歳よりも上の人たちです。日本では、地方に住んでいる50代の男性は、欧米よりはるかに恵まれている状況にあるのではないでしょうか。最高裁が違憲状態と言うほど、都市と地方では1票の格差がありますが、それは逆に言うと地方のほうが東京などと比べるとはるかに1票が重いということになります。そういうことも含めて、国政の場での彼らの発言権は、保証されているということができます。

シルバー民主主義の観点からも、地方の政治家への影響力を考えると、はるかに彼らの声が届くことになります。これらのことを考えたとき、日本ははっきり言って便利だということです。もちろん、ATMもコンビニも便利です。なぜ無理をしてDXを推進しなければならないのか、なぜ無理して気取って、金融と技術を結合した、フィンテックなどといわなければならないのか、疑問に思っている層が日本には山ほどいるということです。

そのような状況の中で、海外のイノベーションの状況を紹介し、世界が変わったから日本も変わらなければいけないといっても、なかなか国民には伝わりません。いわゆる、センスメイキング、腑に落ちる、腹落ちするという状態にストレートには行かないということです。これは、日本が持つレガシーの強さ、レガシーの重さというものが、うずくまり、そして立ちはだかっているということだと思います。

いかにしてイノベーションを起こすか

白井:日本の社会が成熟しているからこそ、過去につくられた文化や制度がイノベーションを阻害する要因になってしまうということですね。馬田先生も指摘しているように、成熟社会にはニーズの多様化に伴う合意形成の難しさもあると思います。そうしたニーズの状況を踏まえると、技術を社会実装してイノベーションを起こすためには、どのようなことを考えなければならないでしょうか。

船橋:馬田さんが言っているように、「社会実装」という言葉は供給者サイドの言葉だと思います。そもそも、「社会実装」という言葉をつくったのは、独立行政法人科学技術振興機構(JST)です。特に日本では、研究開発された技術をどのように社会に実装していくか、という供給者側の考え方が中心になりがちですが、それでははっきり言ってイノベーションは起こらないと思います。イノベーションのためには、需要者側のニーズというものを引き出してきて、どのような技術を商業化(コマーシャライズ)することが必要かということを考えなければなりません。それをやらなければ、全部R&D部門の中だけで検討が進められ、社会のニーズではなく、技術のニーズを技術によって解決できる「発明」のみを探すことになります。それでは、技術をみんなに使ってもらう「イノベーション」は出てきません。「発明」と「イノベーション」は異なる概念なのです。要するに、日本は全て発明家としてのエジソンで終わってしまうということになります。エジソンの後に、何千、何万という起業家が生まれ、電気を文明の利器として使ったイノベーションをいま、やらなければならないのにできていないということですね。

ですから、本当のニーズを具体的に洗い出すことが最初に必要だと思います。そのためには、今回の新型コロナワクチンの開発に関してもそうですが、日本だけでは規模が小さすぎて治験もできないというのであれば、アジアと一緒に取り組むというようなグローバル戦略を立てて、日本のニーズをつまみ出してくる、洗い出してくるといった戦略論が必要になると思います。

例えば、日本の個人の金融資産が1900兆円から2000兆円もあるのに、投資先がなくて眠っているというのであれば、その資金をアジアの事業と産業を興すために投資するように流しいれることが必要です。私どものAPIが主催した2020年12月のAPIF(アジア・パシフィック・イニシアティブ・フォーラム)にお招きした、インドネシアのルフット海洋・投資担当調整大臣は、インドネシアがソブリン・ウェルス・ファンドをつくることを情熱的に話していました。本来であれば、中国から資金を調達したいが中国は危ないので、一番欲しいのは日本だということのようです。日本の政府に対して、日本をGPIFのアセットオーナーとして、そのアセットマネージャーとなることを提案したということです。

ソブリン・ウェルス・ファンドを行っている国としては、UAEなどのアラブ諸国があげられますが、インドネシアのようなアジアの国が新たに出てきているわけです。もちろん、シンガポールは今までもありますが、インドネシアに続いて、ベトナムもいずれはソブリン・ウェルス・ファンドで資産運用をやるようになっていくでしょう。東京に国際金融都市をつくるということも、これまで何度も浮上しながら今まで一切できていません。香港の民主主義がいよいよ終焉に向かっている中、日本の国際金融機能活性化にいよいよ本当に取り組まなければならないと思います。アジアを中国世界、中華経済世界だけにしてはならない。やはり日本が、アジアとインドに対しても提示できるもう一つのオプションを持つべきだと思いますし、それを含めたうえで金融資産をどのように動かすかということを考え出すのが、日本の中にあるフロンティアだと思います。その日本のフロンティアはアジアによって拓かれるのです。『地経学とは何か』でも触れましたが、これからはイノベーションとしてのアジア、「黒船としてのアジア」が求められるということです。これが一つです。

もう1つは、アダム・スミスが言ったような道徳的経済論だと思います。経済にも道徳というのがあり、社会あっての市場ですから社会と剥離してはいけないということです。これの延長として、さらにこれから明確になってくるのが、ロングテールの重要性だと思います。プラットフォームからこぼれ落ちる層、そういう裾野としてのロングテールの層に融資し、職を紹介し、チャットに誘い込み、新たな機会を作り出し、共感を得ることができる“裾野プラットフォーム”をどれだけ作れるのかということが大事だと思います。

多分ここは、欧米モデルが弱いところだと思います。個々の人間のニーズ、物語、ルポ、論考、芸術的表現に対して、オーディエンスが1,000人いればビジネスとして成り立つというメディアが生まれてくるでしょう。そういうところにこそ、日本と世界をつなぐ無数のチャンネルが出てくると思いますし、そう期待したいですね。その中では岡倉天心が言ったbeautiful foolishness of things、要するに「遊び心」も大切な要素になるのではないでしょうか。こうした日本の魅力は『ガラパゴス・クール』でも強調したところです。

最大の敗戦は「ワクチン敗戦」

白井:全てのことにおいて、ニーズを洗い出すことは最も基本的なことですが、日本が置かれた現状を踏まえて、その洗い出しのためのアジア戦略が必要だというご指摘は新鮮ですね。確かに、「ニーズの洗い出し」という行為そのものに様々なやり方がありますから、その段階から戦略的に考えることは必要だと思います。

道徳的経済論の観点からは、日本人が持つ倫理観を背景とした遊び心や鑑識眼に強みを見出し、ロングテールの層を対象に共感する経済を目指すことを指摘されたと思います。日本が持つ強みを改めて見直すことが、新たなインパクトを見出すことにつながるのではないでしょうか。

2,000兆円にせまる家計の金融資産の扱いは、社会実装を進めるうえで考えなければならないことだと思います。

ご指摘のとおり、日本としてそれを戦略的に運用しようとする動きは感じられません。国際金融都市としての東京の在り方も、全く具体的な姿が見えてきていないように思います。明確な理想に基づいた具体的な道筋による戦略的な取り組みが、最も求められている部分ではないでしょうか。

こうして考えると、日本にはまだまだ力があり、やるべきことが残っていると感じます。

船橋:日本は、ものづくりにしても、部品、コンポーネンツ、素材等の分野にしても、まだ強みを持っていることは多いと思います。そういった中で残念なのは、今回、ワクチンが間に合わなかったことですね。民間臨調の報告書でも触れましたが、厚労省の幹部はワクチン開発・生産は、「3周半遅れになってしまった」と漏らしていました。新型コロナウイルスに対する日本の国民のためのワクチン、国産のワクチンが供給できなかったということは、政府の責任です。政策の失敗です。日本の現状を「デジタル敗戦」と言う方々がいますが、私は、最大の敗戦は「ワクチン敗戦」だと思っています。

国民の健康を守るために根本的なところにあるワクチンを、国家がきちんと提供できなかったということです。「いや、買ってくればいい」、というのは無責任です。

世界のジェネリック医薬品の約20%を製造するインドでは、アストラゼネカとオックスフォード大学製の新型コロナウイルスワクチンを製造していますが、一種のOEM(Original equipment manufacturer:委託者商標による受託製造)のような形態をとっています。そこで、その枠組みを使用して日本とアメリカが資金援助でインドを支援し、製造をさらに加速化させようとQuad首脳会議で決まりました。そうした製造されたワクチンを東南アジアに提供し、中国の中国製ワクチンを地政学的テコとするワクチン外交から東南アジアを守ろうという考えです。この構想自体は、いいのですが、そもそもなぜ日本はカネを出すだけで日本の国産ワクチンが貢献できないのか、情けないと思います。

日本のワクチン敗戦は、マッツカートの「企業家国家」というものから、日本はどんどん遠のいてしまったことを象徴的に示していると感じています。彼女に、「日本は今でも起業家国家だと思うか」、と聞いたところ、彼女は、「かつてのMITIはそうだった。今は、METIになってから、何かぼやけている。MITIは非常に、ミッション・オリエンテッドで経済戦略的に明確な目標を立てていた。アジアの国々はみんなMITIを見習ったのも当然だったと思う。ただ、MITIは後に名前を変え、経済一般も担当するようになってから、どこにミッションがあるのかぼやけてしまったのではないか」と言っていました。私は、政府が大きなリスクを取り、リスク・マネーを供給しなければ起業家国家にはなれないと思います。政府が起業を促進するエコシステム(なかでもデータ・インフラ)をつくり、そこで日本の起業家たちにどんどん起業してもらうことがとても重要だと思います。起業家国家を目指す場合、重要なことは、その技術のイノベーションの先を見越せる目利きと多様な利害関係者を糾合するプロデューサーの存在です。そうした評価力です。政府と民間をつなぐ役割を果たす人たちが、もっと出てこなければなりません。政策起業家が求められる所以です。

最後のカギは人材とリーダーシップ

白井:先生のお話を聞いていて、社会問題を認識し、社会変革の担い手として社会の課題を事業によって解決しようとする社会起業家のことが頭に浮かびました。日本では、1995年の阪神・淡路大震災以降、大規模な復興事業を推進していく中で、社会問題を解決するための新しいビジネスモデルを提供する社会起業家というジャンルが定着したと思いますが、これからの日本には、そういった意識を持った政策起業家がもっともっと必要になってくるということですね。

船橋:その通りですね。個人や企業だけではなく、シンクタンクや大学も、そういう役割をもっと担っていかなければならないと思います。企業の中でも、パブリック・アフェアーズを担当する人たちが、政府の政策立案や、あるいは政治家に対して法案をつくり、一緒になって問題解決に取り組んでいくぐらいの力をつけなければ変わらないと思います。ここでも政策起業力が要るのです。現在のように、技術革新がこれだけすさまじいときには、その技術を社会実装するために法制、制度、規制とぶつかり合い、衝突することが大変多くなります。ドローン1つとってみても、それは明らかでしょう。そういうときこそ、やはり政策起業力なのですね。必要なのは。

今、大学を卒業してそのまま政府に行きたいという人は、どんどん減っています。「霞が関ブラック」という問題だけではなく、キャリアパスの硬直性もその原因の一つではないかと考えています。民間で働きグローバルな経験を積んでから政府に入り、また政府から民間に出て、将来的にもう一度政府に入ってもいいというような”出入り自由“のキャリアパスも必要ではないでしょうか。官僚組織の中のキャリアの積み方も、これから大きく変わってくると思いますし、また、変わるべきだと思います。

そういう際には、公共政策を当事者として一緒になってつくっていくという意思、志が大事になる。民間にいるときに当事者意識を持って現場で公共政策に取り組み、立案もして、政府に入ったらそれを実行していくというような政策起業家たちがますます必要になってきます。「未来の実装」の最後のカギは、人材でありリーダーシップだといえるのではないでしょうか。

(本文敬称略)

白井 一成

シークエッジグループ CEO、実業之日本社 社主、実業之日本フォーラム 論説主幹
シークエッジグループCEOとして、日本と中国を中心に自己資金投資を手がける。コンテンツビジネス、ブロックチェーン、メタバースの分野でも積極的な投資を続けている。2021年には言論研究プラットフォーム「実業之日本フォーラム」を創設。現代アートにも造詣が深く、アートウィーク東京を主催する一般社団法人「コンテンポラリーアートプラットフォーム(JCAP)」の共同代表理事に就任した。著書に『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤誉氏との共著)など。社会福祉法人善光会創設者。一般社団法人中国問題グローバル研究所理事。

船橋 洋一

ジャーナリスト、法学博士、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ 理事長、英国際戦略研究所(IISS) 評議員
1944年、北京生まれ。東京大学教養学部卒業後、朝日新聞社入社。北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、コラムニストを経て、朝日新聞社主筆。主な作品に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋)、『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』(朝日新聞社)、『地経学とは何か』(文春新書)など。

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