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2021.06.23 船橋洋一の視点

「絶対安全神話」の軛に囚われた日本
『危機の時代と日米中の軛』(6の1)船橋洋一編集顧問との対談:地経学時代の日本の針路

白井 一成 船橋 洋一

 

ゲスト
船橋洋一(実業之日本フォーラム編集顧問、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長、元朝日新聞社主筆)

聞き手
白井一成(株式会社実業之日本社社主、社会福祉法人善光会創設者、事業家・投資家)

国民安全保障国家――「国の形」を確立せよ

白井:第2次世界大戦後、日本にも様々な国家的危機が訪れたと思います。1970年代の石油危機では、それまでの好景気を一変させるとともに、エネルギーの安定供給の重要性が再認識されましたし、1995年の阪神・淡路大震災は、大規模な震災復興を必要としました。2008年のリーマン・ショックの際には、金融面への影響が大きかったと思います。しかし、もっとも大きな国家的危機は、2011年の東日本大震災に伴う福島第一原発の事故ではないでしょうか。10年以上たった今でも廃炉作業は停滞し、帰還困難区域は広範囲に残ったままです。

また、2019年末から継続している新型コロナウイルスの感染拡大も、国家的危機といえるのではないでしょうか。非常事態宣言の解除後も、下げ止まりしないことに加えて、崩壊の危機を乗り切ったはずの医療体制にも厳しい状況が続いています。まさしく、この10年は「危機の時代」といっても過言ではないほど、何度も日本は危機に直面しています。

船橋:おっしゃる通りです。私も、戦後日本の最も大きな国家的危機は、福島第一原発事故と、まだ終わっていませんが、今回のコロナだと思っています。この10年ほどの間に、それが2回来てしまったということです。

そこで、この2つの国家的危機に共通する日本の課題は何だろうと考えました。特に、コロナへの取り組みという世界共通の課題に対する日本の取り組みを考えた場合、「安心ポピュリズム」という社会心理が日本には根強いという風に思います。安全と安心、それぞれ人間社会にとって重要なことですが、政府がやらなければいけない仕事は、個々人の安心よりも、社会全体の安全、つまり、「最大多数の最大安全」だと思うのです。安全保障も健康も、政府の責務は一人一人に安心感を持たせることよりも、国民全体の安全を具体的に確保することだと思います。

にもかかわらず、日本では、殊さらに個々の人々の心の安心までが政府の直接の仕事の対象になっている感じがしますし、国民もそれを政府に求めている感じがします。政府は、住民に「不必要な不安と誤解と不安」を抱かせてはならないというので、“物騒な発言”は避けよう、「最悪のシナリオ」やコンティンジェンシー・プランニングなどには触れないでおこうとする傾向があると感じます。その根底には、日本が――政府も国民も――国家安全保障の問題を他人事のようにとらえて、正面から取り組んでこなかったことが背景にあるのではないでしょうか。

とりわけ大規模災害やパンデミックなどのような軍事でない脅威をも含めた脅威に備えるためには、それらの課題を安全保障の課題として捉える必要があると思います。福島原発事故やコロナ危機のような有事状況が発生したときのことを考えて、平時の段階で有事の際の政府と国民との間の権利と義務に関する契約を結んでおくべきです。何よりも肝心なことは明確な「法の支配」の下で対策を執行しなければならない。有事になったときの法制度はこれでいいのか、すべての法律と法制度を洗い直し、修正する必要がある。一言で言うと、national security stateを確立する必要がある。「国家安全保障国家」というより「国民安全保障国家」と呼ぶべき国家像、つまり「国の形」を確立するときに来ていると思います。

原発事故が露呈した「倒錯した論理」

船橋:原発事故のとき、私どものシンクタンクは民間事故調(福島原発事故独立検証委員会)を設立し、事故の原因と背景を調査・検証しましたが、その報告書では「絶対安全神話」という言葉でもって原子力規制の罠を分析しました。「小さな安心」を優先させて、「大きな安全」を犠牲にしてしまった、そのような「安心」と「安全」の緊張関係についても考察しました。津波によって、全電源喪失というSBO(Station Blackout)が発生しました。スイッチボードをはじめとするすべての機器が津波の浸水によって動かなくなり、そのことで直流電源も使用不能になってしまいました。最後は、IC(Isolation Condenser)という緊急時の冷却装置を働かせることになっていましたが、その操作で躓いてしまった。結局、1号機と3号機がメルトダウンしてしまった。2号機の場合、鋼鉄製の圧力容器を溶かし貫通するメルトスルーによって、冷却材喪失事故時に放出される炉蒸気を凝縮するためのプール水を保持していたサプレッション・チェンバーがクラックしてしまった。

原子力規制当局も電力会社もこの重大なSBOを、緊急対応策で想定していなかったのです。そんな恐ろしい事態を緊急対応策に入れたら、その発生について住民に「不必要な誤解と不安」を抱かせるという判断です。こうなると丸腰で臨むのが一番の安全策ということになりますよね。実に倒錯した論理なのですが、それをずっと通してきたわけです。

白井:原子力発電に対する国民の理解が深まらない理由の一つに、第2次世界大戦で原子爆弾を投下された事実が、国民の脳裏から決して消えないということがあげられると思います。広島と長崎の原爆による死者は、1945年だけで20万人を超えていて、被爆によってなくなった方は現在までに50万人を超えているという統計もあります。

数字だけではなく、写真や映像で残された惨劇は言葉を失うものですが、このような体験が我々日本人の根底に原子力に対する嫌悪感のようなものを残したのではないでしょうか。それが、原子力発電におけるコンティンジェンシー・プランの合理性を阻害したということが考えられるのではないでしょうか。

船橋:おっしゃるように、倒錯した論理の背景に広島・長崎の経験がトラウマとして影響しているということはあると思います。核だけはイヤだ、原子力もダメだ、という恐怖感と忌避感は戦後、一貫して強かった。

たとえば1956年6月にアメリカ広報文化交流局が行ったアンケートによると、日本では原子力が恩恵をもたらすとする人の割合は13%にしか過ぎず、災いをもたらすとした人は71%にも上っています。その後、日本原子力文化財団が毎年行っている世論調査では、3.11以前に原子力を必要だとする人の割合は3割を超える程度でしたが、2020年の調査では23%に減少し、危険だとする人は61%にも上ります。

ただ、日本のもう一つの恐怖感はエネルギーの圧倒的な海外依存度の高さです。とりわけ石油封鎖でした。日本の原子力発電の背を推したのは、1970年代の石油危機でした。石油危機に際して、日本はこれほどまでに弱い国だという痛切な認識もあり、やはり原子力が必要だという判断から1970年代に原子力発電所の整備が加速化したのです。経済産業省資源エネルギー庁の資料によると、1970年の原子力発電所の基数は3基にしか過ぎませんでしたが、10年後の1980年には21基と急増して、2010年には54基と倍増しています。

にもかかわらず、国民は不安を感じ続けていた、その国民の不安を少しでも和らげるために、「そんな最悪のシナリオは起こりません、それは想定外です」、という説明で切り抜けようとしてきた歴史だったのではないでしょうか。

これを、リスク・ディナイアルと言います。あまりにも厳しいリスク評価をせざるを得ない場合に、経営的、政治的なリスク管理に非常にストレスがかかってしまい、それができなくなってしまうことがあります。そのとき、リスク・ディナイアルの傾向が強く出てしまうと、リスク評価のほうを変えてしまったり、あるいはそういう事態を削除してしまったりすることがあるのです。それが、福島第一原発の緊急対応策の検討に際して起こってしまったのです。

では、10年たった現在ではどうなのかということです。確かに、原子力規制委員会ができ、原子力規制庁もできました。彼らは、かつての原子力規制機構に比べると、はるかに独立し、はるかに透明になり、世界で最も厳しい原発安全規制を課している存在という触れ込みでデビューしました。もうリスクはありませんから、ご安心くださいと国民を安心させようということです。これは、下手すると、かつての「絶対安全神話」と似通ったリスク観につながる要素を秘めているといえるでしょう。確率論的なリスク観になりきれていない。リスクはあるという前提で、そのリスクを10万分の1にし、いや、100万分の1にし、さらに引き下げていくのが我々の仕事だと言うことができない。「え? リスクがあるのですか。それは困りますよ」、と国民に言われてしまうのを嫌って、リスクを確率論的に説明できずにいるわけです。ですから、現在においても「絶対安全神話」は、基本的にまだ変わっていないと私は見ています。こう言うと、原子力規制委員会の方とか規制庁の方は、非常に心外に思われるとは思います。実際、本当に真剣にやっていらっしゃる方々を私も存じ上げています。

しかしやはり、日本の政府は、国民に一番きついこと、リスクをしっかりと伝えたうえで、一緒に国民も備えていこうという説明を十分にしてきていない。国民にも権利と義務の両方があり、いざというときは義務もあるので国民はそれを果たしてください、ということを政府がしっかり言うべきだということです。それはつまり、日本全体で有事の体制をつくるということだと思います。

コロナ危機が問いかけるもの

白井:「絶対安全神話」に頼ることから脱却し、現実的な認識を政府と国民が共有することがその第一歩ではないでしょうか。重要な問題から目をそらさずに、事実を冷静に見つめながら日本が向かっていくべき方向へのコンセンサスを国民から得ていくことが、日本政府には求められているということだと理解しました。その際に、リスクに対する正確な理解と確率論的な評価が不可欠であることを、福島第一原発の事故は我々に教えてくれたということですね。

では、現在進行形の新型コロナウイルスによる危機にも、そうした問題が共通して存在しているというわけですね。具体的にはどの部分が共通しているとお考えでしょうか。

船橋:政府は、2021年2月に感染症3法と特措法も含めて改正しましたが、その中で初めて、休業要請、休業補償、個人の行動規制などが可能になりました。重症患者の受け入れに関しても、民間の病院はなかなか重症患者を受け取れませんから、病床数の多い82ある大学の公立病院にプロラタ(比例配分)でより多く引き取ってもらうことができるような体制整備に着手しました。重症患者の受け入れは、医療崩壊につながる可能性もあって調整が難しく、法的権限もないためできずにいたのです。ただ、実際のところ、メリ張りのきいたオペレーションは実現できていないようですが……。

福島第一原発事故においても、新型コロナにおいても、国民は一時的に不安を感じるかもしれませんが、国民の「最大多数の最大安全」を目指すゲームプランをしっかりと国民に伝えて、国民とともに備えることが重要だということです。つまり、有事のときの備えを平時から国民の理解を得てつくっておかなければ、危機には対処できないということです。

これは、安全保障も同じです。日本は戦後一貫して、国民と一体となった形での安全保障の議論をほとんどしていません。2015年の安保法制も、安倍政権の支持率が10%以上下がったほどの不人気政策でした。この時の安保法制では法律を10個通しましたが、賛否両論激しくぶつかり合う中での政治決断でした。そのやり方には問題があったかもしれませんが、北東アジアの安全保障環境が激変する中で、とりわけ尖閣諸島や台湾海峡をめぐる安全保障状況を考えたときに、よりよく備え、対処力と抑止力を高める上で必要な法整備の第一歩だったと思っています。

伝統的な安全保障に加え、原発、サイバー、宇宙、パンデミック、気候変動などさまざまな形での国家的危機につながるような脅威が生まれつつあるだけに、国民とともにそれらの脅威に対処し、克服するための「国民安全保障国家」という新しい国家像をつくっていかなければいけないと思います。

今回の新型コロナウイルス対策では、都知事に東京23区の保健所に対する指示権限がないことが問題として表面化しました。政府も直接指令できませんので、23区の保健所が指示系統の隘路になってしまった。福島の事故の時も、東京都のハイパーレスキュー隊を福島に派遣したのは総務省の消防庁ではなく石原慎太郎都知事でした。首相は直接出動命令を出すことはできず、人を介して裏から都知事に意のあるところを伝え、出してもらったのです。

日本の危機対応ガバナンスの課題は、『フクシマ戦記』でもいくつか紹介したところです。福島第一原発事故も今回のコロナ危機も、日本の「この国の形」と「戦後の形」が、正面から問われたし、今なお問われていると思います。

(本文敬称略)

白井 一成

シークエッジグループ CEO、実業之日本社 社主、実業之日本フォーラム 論説主幹
シークエッジグループCEOとして、日本と中国を中心に自己資金投資を手がける。コンテンツビジネス、ブロックチェーン、メタバースの分野でも積極的な投資を続けている。2021年には言論研究プラットフォーム「実業之日本フォーラム」を創設。現代アートにも造詣が深く、アートウィーク東京を主催する一般社団法人「コンテンポラリーアートプラットフォーム(JCAP)」の共同代表理事に就任した。著書に『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤誉氏との共著)など。社会福祉法人善光会創設者。一般社団法人中国問題グローバル研究所理事。

船橋 洋一

ジャーナリスト、法学博士、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ 理事長、英国際戦略研究所(IISS) 評議員
1944年、北京生まれ。東京大学教養学部卒業後、朝日新聞社入社。北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、コラムニストを経て、朝日新聞社主筆。主な作品に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋)、『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』(朝日新聞社)、『地経学とは何か』(文春新書)など。

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