『実業之日本』と地政学(1):100年後の音韻

2021.03.16

『実業之日本』と地政学(1):100年後の音韻

ポストコロナ時代の日本の針路

「国力・国富・国益」の構造から見た日本の生存戦略

ゲスト
船橋洋一(実業之日本フォーラム編集顧問、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長、元朝日新聞社主筆)

聞き手
白井一成(株式会社実業之日本社社主、社会福祉法人善光会創設者、事業家・投資家)

白井:実業之日本社は、雑誌『実業之日本』を創刊した1897(明治30)年6月10日を、創業の日と定めています。東京専門学校(現在の早稲田大学)出身の光岡威一郎が、親友で読売新聞記者だった増田義一と創刊したのですが、ほどなく光岡が病に倒れたため、増田が雑誌を引き継ぎ、出版社として大きく発展させます。
『実業之日本』は経済誌として知られ、1895(明治28)年創刊の『東洋経済新報』と同じく長い歴史を持つものでしたが、諸事情から2001年に休刊しました。今年(2021年)で休刊から20年が経ちますが、実業之日本社では、その節目の年に新しいメディア「実業之日本社フォーラム」を立ち上げるべく準備を進めています。
その一環として、わが国を代表するジャーナリストであり、深い見識とご経験の持ち主である船橋洋一先生と「地政学の軛、地経学の罠――日本の生存戦略は何か」というテーマで対談させていただく機会を頂戴し、光栄に思っております。
まずは、過去の『実業之日本』を振り返ることにより、改めて我々の立ち位置を再確認するところから始めたいと思います。

船橋:わたくしも、白井さんと『実業之日本』についてお話しできることを大変楽しみにしておりました。どうぞよろしくお願いいたします。

白井:実業之日本社が雑誌業界の頂点に立ったのは、大正年間の1913~1922年ですが、それには創業10周年を記念して編集顧問に迎えた新渡戸稲造の存在が大きかったようです。1908~1912年の新渡戸の編集顧問期には、『実業之日本』だけでなく、当社で刊行していた少年誌、少女誌、婦人誌などさまざまなメディアで、非エリート読者に向けて平易な言葉で「修養」を説き、一大ブームとなりました。単行本もベストセラーとなっています。

東京帝国大学講師で、第一高等学校校長でもあった新渡戸が『実業之日本』という「通俗雑誌」に執筆することについては、門下生も含めて各方面から強い批判の声が起こったそうです。それに対して新渡戸は「余は何故実業之日本社の編集顧問になりたるか」(1909年1月1日号)で反論しました。第一に、『実業之日本』を通じて学問のない人に学問を与え、煩悶している人に慰安を与えたい。第二に、『実業之日本』は「高尚なことを誰にでも解りやすく説き」、「皆が知らねばならないことを説いている」ことに共感した。第三に、『実業之日本』の読者は真面目である。熱烈な読者とは師友以上の関係である。第四に、『実業之日本』は、実業家の修養を説いて、国富の増進につとめている。第五に、『実業之日本』社長の増田義一は、自社ではなく読者の利益を最優先に考えている。第六に、キリスト教の信仰に基づき、若い読者の煩悶を和らげたい、と論じています。

船橋:いかにも教育者の新渡戸らしい応援歌ですね。結果的に、新渡戸稲造による執筆は、編集顧問を退任してから20年以上にわたって続いたことをこの間、送っていただいた資料で知りました。のちに新渡戸が国際連盟の事務次長となり、退任して日本に戻った際も、東京駅で盛大に出迎えたのは実業之日本社社長の増田義一だったそうですね。増田という人は、渋沢栄一にも可愛がられたようです。

白井:主張面では、創刊期から「実業」の重視を打ち出しました。「実業」という言葉が日本人のあいだに定着したのは、本誌の存在が大きかったようです。論調としては、「実業振興のための軍備拡張」を主張し、増税にはあくまで反対でした。
たとえば1904~1907年の日露戦争期には、対外発展はすべきだが、軍事ではなく商工業の発展に主眼を置くべきとして、軍拡の批判と実業重視財政を提言しています。渋沢栄一「今後の財政経済論」(1906年1月15日号)では、終戦後も予算が戦時編成という点を痛烈に批判し、産業振興に予算を振り向けないのは国益に反すると主張しています。
武力ではなく、実業の力で国力を充実させ、国富を増進する道だけが一等国としての永続性を保証するという「実業の帝国」の建設も主張しました。「貿易は国旗に従う」という武断的な帝国主義は害が大きく、あくまで「国旗は貿易に従う」方針であるべきで、道徳的、実業的、通称的帝国主義をとって、実業的大帝国の建設につとめるべきとしました。「商業には国境がない」として、海外への移民と商業的発展を読者に強く勧めています。

船橋:国が栄えていく過程で「実業」を重視した点が注目されます。軍事力は必要だけれど、より重要なのは実業であり、経済である。中産階級、個々の国民が豊かになって安定した社会を形成していく。実業と個々人をエンパワーし、いいところを引き出していく。そのためのメディアの役割がある、という開放的かつ進取の気性に富んだ実務的な実業の思想を感じます。
1927~28年の田中義一内閣の山東出兵の際にも、反対の論陣を張っていますね。殊更に大陸に雄飛するのではなく、まず日本の国の中で豊かにしていくことが重要。出兵はあくまでも居留民の安全を守るためであり、必要がなくなれば直ちに撤兵すべし、また、経済的進出こそがむしろ急務であり、武力の行使よりも実業の拡張を重視すべきと主張しています。
増税をして軍事費に使うのは困る。国民を豊かにして発展させる。そのことが国富、国力になるという考え方です。「先ず功利主義者たれ」と喝破し、新産業革命と新陳代謝の重要性を訴えた石橋湛山との思想とも近い。経済自由主義的な気風と気概を感じます。

白井:第一次世界大戦(1914~1918)の戦中に発表した創業者である増田義一の「我国力増進の新研究」(1916年1月1日号)では、「国力増進論」を提唱しています。具体的には、(1)国力の増進には武力と富力の双方あるが、目下の急務は富力の増進である、(2)20世紀は化学工業の時代。理化学研究所の創設を、(3)製鉄事業は国家の根幹、(4)東洋・南洋を日本の市場とすべき、(5)殖民政策を確立すべき、(6)農村経済の発展を図るべき、といった内容です。
また、第一次大戦におけるドイツ領南洋諸島の獲得を契機に、「南進論」も展開されました。地理的に近く、排日の風潮がないため日本人に有利と言及しています。「日本人のルーツは南洋にあり親和性がある」という新渡戸の文明論的な観点も示されています。

船橋:『実業之日本』が関心を持った南進ですが、第一次世界大戦後、ドイツの信託統治の下にあった赤道以北のミクロネシア諸島が日本の信託統治となりました。日本はそこを「南洋諸島」と名付けました。太平洋を巡るアメリカの軍事的な葛藤だけではなく、太平洋を日本の勢力圏として植民を含めてどのような形で開発するのかが新たな課題になりました。
1915~16年(大正4~5年)に日本が南洋、今の東南アジアに出ていった際に、大隈重信は、外に出張って行って人を説教するような、日本のやり方だけが正しいというようなやり方ではなく、謙虚さが必要と主張しました。それを『実業之日本』の紙面を通じて読者に伝えようとしています。明治から大正にかけての国づくりにおいて、『実業之日本』が大きな、重要な方向性を示した一例でしょう。

白井:創刊以来、図案化した地図を表紙にしていたというのも、地政学的な視点を読者に提供するためだったのでしょう。読者の視野を世界に広げるという役割を果たしたようです。

船橋:1894~95年の日清戦争で、台湾と(台湾島の西方に位置する)澎湖島を領有したことが、日本にとっての南洋の発見でした。その時代に産声を上げたのが『実業之日本』です。当時の『実業之日本』は、目配りの効いた地経学的なパースペクティブを提供していたと思います。100年経った今、改めて振り返って見ても、地政学的にどこが軛なのかーー言い換えればチョークポイントですねーー、地経学的にどこが罠なのか、そして戦略的にどこがヴァイタル(核心)なのかという点は、それほど大きくは変わっていません。
1898年の米西戦争で勝ったアメリカは20世紀初頭、グアムとフィリピンを領有し、太平洋国家になりました。一方、日露戦争に勝った日本も太平洋国家として伸ばしていく。そのような中で、1907年の帝国国防方針で日本はアメリカを仮想敵国としました。これに対してアメリカは、1907~1909年にグレート・ホワイト・フリート15隻で世界一周航海を行い、1908年には日本に来航しました。これはアメリカの海軍力増強というデモンストレーション効果を意識したものであり、この頃から太平洋をめぐる日米覇権競争が意識されるようになります。
日露戦争に勝った日本は、朝鮮の保護国化と遼東半島の租借権を手にし、大陸への足掛かりをつかみました。さらに1910年には朝鮮を併合します。そうなると満州を守らないといけない。次に熱河を守る、それから華北を守る、さらには華南を守る、前方展開の怖さですよね、日本はどんどんユーラシアに引き込まれていった。知らないうちに大陸国家になっていた。日本は太平洋とユーラシアという両面で、アメリカと中国に対して、どのように平和を維持するのか、安全保障を保つのか、両方の解を同時に得なければならない地政学上の大挑戦を抱えこみました。
それから一世紀を経たいま、アジア太平洋はまさにマーク・トウェインが言ったように「歴史は繰り返さないが、しばしば韻を踏む」状況にあります。『実業之日本』が当時、格闘した地政学の課題は、実業之日本社フォーラムを立ち上げようとするいま、まさに米中対立をはじめとする新たな地政学、地経学の挑戦と響きあっていると思います。
地政学と地経学がどれだけ大きな意味を持っているのかということを、的確に、また、タイムリーに国民と企業の皆様に伝えられるようなメディアが日本でも必要になっています。実業之日本社フォーラムでそういったことを伝えて頂ければ、と期待しております。

参考文献:馬静著『実業之日本社の研究』
本文敬称略


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