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2024.08.16 外交・安全保障

習近平が過信するメディアの「怖さ」と「利用価値」、過剰統制は諸刃の剣

城山 英巳

 2023年6月、中国ネット有名人である張雪峰氏は、大学受験に関する相談を受け、「自分が親だったら、子供がどうしても新聞学(ジャーナリズム)を専攻したいと言ってきたら、子供をノックアウトさせる」と暴論を吐き、中国でジャーナリズムを学ぶことへの論争が起こった。メディア統制がますます強まる中、書きたいことを書けないばかりか、取材もできない現実を知り、「新聞学」とは「何もできない学問」であると認識しているからである。

 習近平政権は、なぜメディア統制を一向に緩めないのか――。権力監視機能を持つジャーナリズムが権威主義体制を揺るがしかねないと怖さを感じているだけではない。政治権力とプラットフォーム資本が一体化し、ナショナリズムを量産するソーシャルメディアの「利用価値」を最大化させようとする政治的意図のもと、そのためにメディアを戦略的に理由するという発想がある。

官と民をつなぐ「調整弁」としてのメディア

 中国共産党にとって「メディア」とは何なのか。

 「官」(政治権力)にとってメディアとは、自分たちと「民」(民間社会)をつなぎ、その伝え方次第で、政治に対する社会の求心力を高めたり、あるいは社会を管理したりする「調整弁」の役割を果たすものである。直接選挙で指導者が選ばれない中国共産党システムでは、政治権力は民間の社会大衆に対して常に「なぜ共産党でなければならないのか」という問いに答え続けなければならない。いわゆる共産党統治の「正統性」を国民に提示する必要がある。

 毛沢東時代には抗日戦争に勝利して「新中国」を建国したことが統治の正統性だったが、毛時代末期に全土を大混乱に陥れた文化大革命で「社会」の「政治」への信頼は失墜した。毛死去後に失脚から蘇った鄧小平は、改革開放政策へと舵を切り、経済成長と豊かな生活を実現。統治の正統性を維持することに成功した。続く江沢民と胡錦濤の両政権も、「鄧小平なき鄧小平路線」を続けた。

 しかし、2012年11月に総書記に就いた(翌2013年に国家主席に就任)習氏の目に映った中国社会は、幹部の腐敗が横行し、貧富の格差が拡大し続け、環境破壊が深刻な姿だった。経済成長のスピードも鈍化していた。習氏が総書記就任と同時に持ち出した「亡党亡国」(このままでは党も国家も滅びる)という言説は、心からの危機感であり、国民に向けて党の正統性を誇示するための新たな「ナラティブ(物語)」をつくるための立脚点となった。

「強国」ナラティブを浸透させる任務

 習氏が国民に提示したナラティブとは「強い中国」と「中華民族の偉大な復興」だった。

 アヘン戦争以降、西洋列強や日本に領土と主権が蝕まれた「屈辱の歴史」を意図的に取り上げ、国民のトラウマを刺激し、「強くなければ打たれ、かつてと同様に負けるんだ」と鼓舞した。これは、1989年の天安門事件後に社会主義イデオロギーが色あせる中、江沢民元国家主席が、日本などに侵略された「国恥」の集団記憶を蘇らせ、大衆のナショナリズムを煽った手法をより強化したものだ。現実に中国が経済的・軍事的に強くなる中で、「衰退する欧米日」と「台頭する中国」を対比させ、大衆の自尊心をくすぐった。「強国」は習氏にとっての正統性の柱となった。

 中国共産党にとってメディアは党の声を代弁する「喉と舌」であり、毛時代から官と民をつなぐ道具のはずだった。しかし、習氏は2016年2月、新華社通信、人民日報、中央テレビという官製メディアを視察。わざわざ、「メディアは党の姓を名乗れ(党の代弁者となれ)」「政治宣伝の陣地となれ」と厳命した。この視察以降、当局によるメディア統制は一段と強まる。習氏にとってメディアは、「報道」ではなく、自分の発したナラティブを国民に一方的に押し付ける伝統的な「宣伝」でもない。説得力と影響力を持ってナラティブを大衆に浸透させる政治と社会の「伝播(コミュニケーション)」の道具なのであった。

「混乱させる不安定要因」としてのメディア

 しかし習氏は、当時の中国メディアはその役割を果たせず、政治と社会の官民関係を混乱させる不安定要因になっていると認識した。つまり、当時のメディア環境では自分のナラティブが、国民に正確に伝わらないと不満と危機意識を強めたのだ。

 特に、総書記就任早々の2013年1月に起こった「南方週末事件」で、その危機意識は確信に変わった。調査報道を得意とする改革派の同紙が新年社説で「憲政」の実現を掲げたが、共産党宣伝当局の指示で、習氏が唱えたナラティブ中心の内容に改竄(かいざん)された。これに憤った全国の調査報道記者らが団結して立ち上がったのだ。

「政治」と「市場」という両輪

 習氏の目に「混乱させる不安定要因」と映った中国メディアの問題は、鄧小平による改革開放以降の歴史を見ないとその本質は見えてこない。

 1978年に改革開放が始まる前の毛沢東時代の中国メディアは、政治宣伝の道具だった一方、大衆は、街頭の壁新聞を通じて知りたい情報を入手した。壁新聞は多彩な情報が飛び交う言論空間となり、1978年秋に北京中心部・西単の壁新聞から発信された情報を基に、翌1979年3月まで「北京の春」と呼ばれる民主化運動が盛り上がった。

 1980年代の改革開放期に入ると、政治宣伝とは違って生活情報や社会問題を取り上げた「晩報」と呼ばれる夕刊紙が人気になり、1978年に186紙だった新聞は1998年には2053紙に増えた[1]。さらに1990年代になると、改革開放の推進に伴いメディアの市場化が加速し、新聞社も利益を追求する必要性に迫られ、編集と経営を分離した。政治宣伝を主とする党機関紙「党報」の下に、商業紙の「晩報」と「都市報」を発行し、読者獲得を目指したのだ。

 タブロイド型の都市報は、党報が報じない社会の暗部や幹部の腐敗などの調査報道を展開し、読者を引き付けた。特に1990年代以降の中国メディアは「政治宣伝」と「市場・利益」を車の両輪と位置づけ、後者のためには他紙にはない読まれる独自報道が必要となり、都市報は調査報道部門を設けた。

 2003年に南方都市報が最初に報じた「孫志剛事件」は、調査報道が政治社会を動かす契機になった。孫志剛が「ホームレス」として拘束され、収容施設で暴行死した事件は、同紙報道を通じて若手法学者や官製メディアを動かし、温家宝総理(当時)による新規定制定につながった。さらに2002~2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)流行が広東省から北京に広がり、当時の胡錦濤政権が情報公開を指示すると、調査報道が相次ぎ展開され、2003年から調査報道「黄金の10年」を迎えた。腐敗幹部の首を取り、社会的弱者を救う調査報道記者は、正義感の強い若者の憧れの職業になり、大学のジャーナリズム学院は人気を博した。

 中国ウオッチを行う欧米や日本のジャーナリズムは、南方都市報、南方週末、新京報などの調査報道に注目し、「権力vsメディア」というフレームで中国の変化を伝えた。体制と対峙するメディアや調査報道記者が、中国を自由化さらには民主化に近づかせる力になるのでは、という楽観的将来を描いた。

「ソ連解体」原因はイデオロギーの混乱

 習氏は総書記就任2カ月後の2013年1月、新たな党中央委員らを前に演説し、「ソ連はなぜ解体したのか」と問いかけた。イデオロギーの混乱がソ連崩壊の原因であり、ソ連の教訓をくみ取るべきだと訴えたのだ[2]。ちょうど同時期に前出・南方週末事件が起こり、共産党宣伝当局と調査報道記者が対決し、西側ジャーナリズムが調査報道記者を応援する論調を打ち出したことで、偶然とは言え、調査報道記者への引き締めは必然の趨勢となった。

 決定的転換点となったのは、2013年8月19日の全国思想宣伝工作会議での習氏演説だった。「イデオロギーの防衛線が破られると、その他の防衛線を守ることは非常に難しくなる。われわれは、イデオロギー工作の指導権、管理権、発言権をしっかりと手中に収めておかなければならないし、いかなる時も道を踏み外してはならない。さもなければ、取り返しのつかない歴史的誤りを犯すだろう」[3]

 習氏は、イデオロギーや言論の混乱によって社会が不安定化する事態を恐れた。さらに調査報道記者が、権力を監視する西側ジャーナリズムの影響を受けていると、強い警戒感を感じたのは間違いない。

国家の安全への危機感

 習氏はなぜメディアや言論を統制するのか。

 一つは、「カラー革命(民主化運動)」への強い危機感だ。習氏は前出「全国思想宣伝工作会議」でこう述べている。「西側諸国はいつもわれわれの体制、経済情勢、食の安全、人権、社会治安、汚職腐敗などの問題を攻撃し、デマをつくり上げ、ことにかこつけて言いたい放題言い、些細なことも大げさに取り上げ、世論を作り上げている」。

 習氏は根本的に西側敵視論者だ。西側ジャーナリズムを信奉する中国国内の調査報道記者や改革志向メディアは、民主主義や法の支配、人権擁護といった西側の価値観に毒されていると思い込んでいる。さらに中国社会の暗部や官僚の不正・腐敗などが調査報道で暴かれ、西側のメディアがそれに追随・加担し、国家の安全が損なわれると危機感を募らせている。

「社会」を「政治」に完全組み込み

 中国では以前から「上に政策あれば、下に対策あり」といわれ、「上」の官(政治権力)と、「下」の民(民間社会)は絶妙な距離感を保ってきた。つまり下は上のメンツを立て、自己規制しながら活動し、これに対して上も下を管理できる範囲内ならば、自由な活動を黙認してきた。しかし、習氏は、こうした曖昧な関係を一切許さず、管理ではなく統制を徹底させ、「社会(下)」を「政治(上)」に完全に組み込んでしまった。

 習近平時代以前には、改革を促すための政府批判は一定程度許容されたが、習政権になってそうした寛容性はほぼなくなり、建設的な意見さえも許されない「活性化なき社会」に堕してしまった。

政治と資本の結合とナショナリズム増産

 習氏がメディアを統制するもう一つの理由は、国内メディアを通じて大衆に自身のナラティブを浸透させ、「国家」と「大衆」、「政治」と「社会」の一体化をもくろんでいるためだ。

 中国の微博(ウェイボ)、微信(ウィーチャット)、抖音(ドウイン)などソーシャルメディア上で、オピニオンリーダーやネット有名人は、もはや共産党・政府の意に沿った見解しか発信できない。政治権力は、愛国化したネット有名人を通じ、習氏が掲げる「強国」や「中華民族の偉大な復興」といったナラティブを国民に宣伝し、政権の正統性を維持・拡大するという政治的利益を既に手に入れている。

 一方、国家の管理下にあるプラットフォームは、国家と共にナショナリズムを盛り上げることでユーザーを増やし、経済的利益を獲得している。さらに、プラットフォームに乗っているネット有名人もクリック数を稼げ、商業利益を得られる仕組みだ。

 いわば、政治権力とプラットフォーム資本の結合によって、SNS上のナショナリズム的言論は無限に増産される。特に「屈辱の歴史」が強調される中国では、こうしたナショナリズム生産の対立軸として、日本やアメリカなど西側民主主義国家が中傷的に語られることが多く、「反日」「反米」感情も同時に量産される。

 王海燕・マカオ大学社会科学学院コミュニケーション系准教授は、中国のデジタルメディア時代のプラットフォーム資本と政治権力の結合について研究し、「政治権力は、イデオロギーに合致するナショナリズム言説がプラットフォームメディアを通じて速くかつ広く流布されることで、正統性を維持する資源を蓄積し、政治権力を強化できるようになった」と分析している[4]

社会を不安定化させる「諸刃の剣」

 一方で、ナショナリズム生産装置としてのメディアがコントロール不能に陥り、社会を不安定化させる懸念もある。

 6月下旬、江蘇省蘇州で日本人学校のスクールバスを待っていた日本人母子らが中国人の男に襲撃され、犯行を止めようとして刺された案内係の中国人女性が死亡する悲劇が起こった。この事件直後、中国SNS大手は相次ぎ「中日対立を煽動したり、極端な民族主義感情をかき立てたりする」投稿の一斉規制に乗り出した。SNS上で野放図になっている過激な「反日」「反米」などナショナリズム言説が、大衆の排外感情を高め、ひいては社会を不安定化させると懸念した結果の異例の対応である。

 習氏は、メディアが持つ「怖さ」と「利用価値」の双方を過信している。西側の価値観に基づく言論の自由が社会を混乱させると恐れるあまり、「怖さ」の根源である調査報道などを通じた自由な言論空間を消滅させ、閉塞的な社会にしてしまった。同時に、「政治」と「資本」の結合により「利用価値」を最大化しさえすれば政権基盤が強化されると信じたが、日本人母子襲撃を巡るSNSの「暴発」はその手法の限界を示した。

 メディアの権力批判機能を封じ込め、利用価値を見出す習氏の戦略は、「諸刃の剣」である。メディアは統制され、愛国言論しか許されない現実に息苦しさを感じ、中国を離れ、日本や欧米、東南アジアなどに移住する人々も相次ぐ。こうした歪んだメディア戦略が権威主義体制を弱体化させる可能性もはらんでいる。

[1]西茹『中国の経済体制改革とメディア』集広舎,2008年,102頁。
[2]習近平「関於堅持和発展中国特色社会主義的幾個問題」『求是』2019年第7期。
[3]網伝習近平8・19講話全文:言論方面要敢抓敢管敢於亮剣」中国数字時代,2013年11月4日https://chinadigitaltimes.net/chinese/321001.html
[4]王海燕,呉琳「新冠疫情時期的「網紅」知識分子与大衆民族主義:基於今日頭条視頻号的研究」『伝播与社会学刊』2023年第65期,87頁。

写真:新華社/アフロ

地経学の視点

 日本は戦時中厳しい言論統制を実施していた。その一方で、新聞やラジオを通じて大本営発表を一方的に流し、偽りの戦果を国民に信じ込ませようとした。当時のメディアと言えば、新聞、ラジオ、雑誌などが主で、情報の発信者が限られており、現在に比べれば当局も取り締まりや統制が容易であったことも背景にはある。

 習近平氏が築いた言論統制体制は一見、盤石に見えた。しかし、SNS時代の統制の難しさは著者が記した通りだ。おまけに、自由な言論が許されない息苦しさから、移住者も相次ぐという。人間にとって、自由な言論空間というものがいかに大切なものであるかを痛感させられる動きと言える。

 日本を含む西側諸国の国民は、著しく法に触れず、非倫理的でなければ言論の自由は担保されている。SNS時代の到来で、ネット空間ではあらゆる言説が飛び交い、テレビや新聞といった旧来型メディアとSNSで論調を異にすることもある。流言飛語に惑わされる危うさも高まり、国内外からの扇動的な発信も容易になっている。世論工作などを通じた認知戦は、国家の武器だ。自由な言論空間を享受するためだけでなく、安全保障の観点からも情報リテラシーの重要性が増している。(編集部)

城山 英巳

北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院教授
93年慶應義塾大学文学部卒業、時事通信社入社、2回計10年間にわたり北京特派員。14年ボーン・上田記念国際記者賞受賞。20年早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程修了、博士(社会科学)。同年から現職。著書に第22回アジア・太平洋賞特別賞(2010年)を受賞した『中国共産党「天皇工作」秘録』(文春新書、2009年)、『マオとミカド:日中関係史の中の「天皇」』(2021年、白水社)、『天安門ファイル:極秘記録から読み解く日本外交の「失敗」』(中央公論新社、2022年)等。