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2022.09.16 安全保障

「台湾有事の可能性」を読む――構造的にはハイリスク、西側は中国の現状変更を認めるな
― JNF briefing by 末次富美雄

末次 富美雄

 「今」の状況と、その今に連なる問題の構造を分かりやすい語り口でレクチャーする「JNF Briefing」。今回は、元・海上自衛官で、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令などを歴任、2011年に海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官した実業之日本フォーラム・末次富美雄編集委員が「中国による台湾軍事侵攻の可能性」をテーマに取り上げた。過去の戦争発生プロセスから現在の台湾を巡る情勢を分析しつつ、今や「第4次台湾海峡危機」と呼ばれる中で、米中がどのような動きを見せ、どうすれば有事を回避できるかについて考察してもらった。

 台湾有事の可能性を探るに当たり、まず過去の戦争がどのような構造で起こったか振り返りたいと思います。米国の政治学者であるジョセフ・ナイは、第二次世界大戦勃発までのプロセスを概観し、「国際システム」、「国内システム」、「個人の役割」という段階を経て戦争発生に至ったと分析しました。特に国内システムについてはドイツ、個人の役割としてはヒトラーによって開戦の道が開かれたと結論付けています(図1)。

(資料)ジョセフ・ナイ『国際紛争 理論と歴史』(有斐閣、原書第10版、2017年)113~143ページより筆者作成

 ナイはまず「国際システム」として、第一次世界大戦がきちんと終結していなかったと指摘しています。従来の「勢力均衡」という安全保障システムが機能しなかったことを教訓に、第一次世界大戦後の集団的安全保障体制として国際連盟が1920年に創設されました。

 しかし、国際連盟を提唱した米国自身、孤立主義を支持する共和党の反対という国内事情から、その枠組みに参加できませんでした。かつ、国際連盟の設立を決めたベルサイユ条約によって敗戦国・ドイツは多くの領土を喪失し、多額の賠償金を課せられるなど過酷な条約が締結されたことから、国際情勢が不安定なまま推移しました。

 次に、「国内システム」においては、1929年の世界大恐慌を経て各国がブロック経済に移行しました。それに伴って共産主義やファシズムなど対立するイデオロギーが生じ、ヒトラーの登場を招き、最終的にはヒトラー個人の民族観や国家観に引きずられて1939年の戦争につながった――という整理です。第二次世界大戦は、ヒトラーの個人的な野心に基づく戦争と言われますが、決してそうではない、というのがナイの主張です。

 また、ナイは同著の中で「戦争は回避できた」と結論付けています。国際システムや国内システムそれぞれに第二次世界大戦に至る要因があり、シナリオ次第では戦争を避けることができたという主張です。例えば、ベルサイユ条約はドイツにとってあまりに過酷な内容であり、同国民に被害者意識が広がりました。条約がもう少し融和的だったなら、ドイツは国際的な枠組みにとどまったのではないか。米国の関与があれば、もう少し平和が続いた、あるいは第二次世界大戦を避け得たのではないか。ナイはこのように述べています。

NATOがロシアを警戒していればウクライナ侵攻は防げた?

 ナイの戦争発生のメカニズムを、今回のロシアによるウクライナ侵攻に当てはめたものが図2です。国際システムを「欧州」、国内システムを「ロシア」、個人を「プーチン」として整理します。

 まずは欧州のシステムです。ソ連崩壊に伴い、欧州ではEU加盟国による政治経済統合とNATO(北大西洋条約機構)の東方拡大が図られました。さらにロシア民主化の動きを受けて同国への警戒感が低下し、欧州ではロシアの天然資源の依存度が拡大しました。しかし近年の欧州は、各国で政治的・経済的な事情が異なってきたことなどから「政治経済統合」の名目とのあつれきが生じ、NATOやEUの求心力が低下しました。かたや、国内システム=ロシアは、国内経済の回復の遅れから「強い指導者」への郷愁が加わりました。

 こうして欧州とロシアは「政治的には警戒感を高めながら、経済的には相互依存が進む」といういびつな形となっていました。ここに、プーチン個人の「ウクライナとロシアは一体である」という歴史認識が加わり、ウクライナ侵攻につながったと整理できます。

 ロシア国内とプーチンの歴史観に鑑みれば、ロシアのウクライナ侵攻は避ける余地は少なかったと言えます。一方で、欧州諸国、特にNATOがロシアに対する警戒感を持ち、天然資源のロシアへの依存度を下げておけば有事は防げた可能性はあったと考えます。

ウクライナ侵攻より蓋然性が高い「台湾侵攻シナリオ」

 同じように、中国の台湾軍事侵攻の可能性を整理したものを図3に示します。ここでは国際システムを「アジア」とし、国内システムを「中国」、個人を「中国の最高指導者」とします。

 米中両国が、経済的には相互依存度を高めながら政治的には対立している構図は、ウクライナ侵攻前のNATOとロシアの関係に似ています。さらに、中国国内には「中華民族の偉大な復興」を掲げ、台湾も自国の領土とする「一つの中国」を強力に推進する習近平国家主席の存在があることもプーチン大統領の立場を彷彿させます。大きな違いは、欧州にはNATOという強力な集団安全保障体制があるのに対し、アジア太平洋にはそのような枠組みがないことです。従って、ナイの理論に当てはめる限り、中国の台湾軍事侵攻は、ロシアのウクライナ軍事侵攻よりも生起する蓋然性が高い、ということになります。

 現時点で中国の台湾侵攻の抑止力となっているのは、米国の曖昧戦略と米中相互の経済依存の深さと考えられます。米国の介入がなく、経済的損失より領土の一体性を優先すると中国が決断すれば、台湾軍事侵攻の蓋然性は高まります。従って、台湾有事を抑止するためには、①中国の軍事力使用には米国が軍事力で対抗するであろうという認識と、②台湾侵攻の経済的損失は領土の一体性確保というメンツ確保の利益を上回るという認識を中国指導部に持たせることにあるといえます。

過去の台湾海峡危機は、中国に軍備増強を促す契機に

 ここで改めて台湾周辺の情勢を整理します。現在は「第4次台湾海峡危機」と言われていますが、これまでの台湾海峡危機を簡単に振り返ってみましょう。過去3回の台湾海峡危機の概要を図4に示します。

 第1次台湾海峡危機は、中華民国国民政府率いる国民革命軍と、中国共産党率いる紅軍との間で行われた「国共内戦」の終盤における浙江省沿岸の島嶼争奪戦です。中国共産党は2島を占領しましたが、戦力が続かず、停戦しました。

 第2次台湾海峡危機は1958年です。中国が、中国本土に近い金門島および馬祖列島に砲撃を開始し、台湾は航空攻撃で反撃しました。米国が台湾支援を表明したことから、中国は「人道的配慮」を名目に休戦を宣言しましたが、中国による散発的な金門島への砲撃は1978年まで続きました。中国が米国に妥協した一番の理由は、中国が核を持っていなかったこと。この教訓から中国は核開発を加速させ、1964年10月に初めて核実験に成功しています。

 第3次台湾海峡危機は1995年から1996年にかけて起きました。当時の李登輝総統の訪米と、その後の台湾総統選挙で李登輝に投票することへの恫喝として、台湾周辺で大規模演習を実施したものです。米国は2個空母機動部隊を台湾周辺に展開し、最終的に中国は演習を中止しました。これは、中国軍近代化に強いインセンティブを与えた事件といえます。

「第4次台湾海峡危機」は、今のところ抑制的

 図5は、現在の第4次台湾海峡危機の状況です。

 中国は8月4日、その2日前にペロシ米下院議長が台湾を訪問したことの対抗措置として、指定した航行制限海域に、防衛省の発表では9発、台湾の発表では11発の弾道ミサイルを発射しました。一部のミサイルは台北の上空を通過するという極めて挑発的な行為でした。

 8月3日以降、台湾周辺では中国の艦艇が最大14隻、航空機最大49機が飛行しています。今まで中国は台湾海峡の中間線を意識し、これを超える行動は年数回に抑えていましたが、3日以降は中間線を越える飛行を常態化させています。

 一方で、飛来した機種を見ると、戦闘機(Su-30、J-11、J-16)が中心で、爆撃機が参加したのは8月7日と18日の2回のみです。爆撃機という特に威圧的な機種の飛行を制限していることは、米国と台湾への一定の配慮が感じられます。

 これに対し米国も反応します。米NSC(国家安全保障会議)のカービー戦略広報調整官は8月4日、「台湾に対する政策は変更しない」としつつ、自由で開かれたインド太平洋を守るために、国際法に準拠した西太平洋の海空域における自由な活動を停止することはないと述べました。一方で事態のエスカレーションは望まないことから、予定していたICBM(大陸間弾道ミサイル)の発射試験は延期するとも語りました。8日にはコリン・カール国防次官が、米海軍は当該海域における「航行の自由作戦」を継続すると明らかにしました。 

 実際の米軍の活動状況を見ると、8月上旬にフィリピン海を航行中だった米空母ロナルド・レーガンは米軍横須賀基地に帰投しており、RIMPAC(太平洋合同演習)に参加していた米空母リンカーンもサンディエゴ海軍基地に帰投しました。南シナ海では強襲揚陸艦トリポリが、フィリピン海では同じく強襲揚陸艦アメリカが行動中ですが、より大型で70機以上の戦闘機を搭載し、圧倒的な攻撃能力を備える空母については、8月末現在、西太平洋で活動しているものはありません。西太平洋という海域では米軍の警戒態勢は高くないと言えます。

 一方で外交面では、前述のペロシ氏を含め、米議員が8月に3回台湾を訪れています。総括すると、米国の第4次台湾海峡危機に対するスタンスは、政治的には中国との対決姿勢を示しているものの、基本的には事態の鎮静化を目指している可能性が大きいでしょう。

 ただ、そのような中で、8月27日に米海軍巡洋艦2隻が台湾海峡を通過いたしました。タイコンディロガ級のアンティータムとチャンセラーズビルで、いずれも横須賀を母港とする艦艇です。図6は、その際の台湾海峡の状況を示したものです。この2隻は8月28日の昼間に台湾海峡を通過し、その際、米海軍の電子偵察機であるEP-3も飛行していたことが確認されています。

 これに対し、中国軍も動きを見せました。台湾国防部はツイッターで、8月28日に中国軍用機が台湾海峡の中間線を超える飛行を行っていることを公表しました。注目すべきは、中国の武装攻撃ヘリコプター1機が飛んでいることです。

 米海軍第7艦隊の広報部が示した写真を見ると、米軍の巡洋艦のうち1隻が、台湾海峡通過時にヘリを飛行させたことが分かります。2隻の米軍艦艇を監視していた中国は、米軍ヘリの飛行が確認されたので、対抗して陸上基地からヘリを飛ばした可能性があります。現場の緊張感が想像できます。

 米海軍巡洋艦の台湾海峡の通峡に対し、中国の外交部も国防部も今のところ何も発言していません。わずかに中国の東部戦域軍司令部が、米海軍巡洋艦2隻が台湾海峡を通過したことと、「状況は全てアンダーコントロール(管制下)にあった」と伝えています。中国は非常に抑制的に対応したと考えます。

 米海軍は、通常1隻のところ、2隻の巡洋艦による航行を行うとともに、電子情報収集機を飛行させたので、高い警戒感をもって作戦を実施したとみられます。一方で、中国人民解放軍の飛行機の活動に関しては、8月28日は、戦闘機8機と攻撃ヘリ1機、対潜哨戒機1機の計10機の飛行にとどまりました。これまで中国軍は台湾海峡で最大50機近くを飛行させた日もあるので、比較的少ない数といえます。

 中国は今後も台湾海峡の「内海化」を図っていく可能性が高く、他方で米国は、「航行の自由作戦」の一環として艦艇等を継続的に派遣する状況が続くでしょう。両国とも抑制的に行動していると思われますが、中国の軍備拡大に伴ってそれぞれの兵力が近接する可能性が高まることから、偶発的な衝突につながる恐れは否定できません。

 ペロシ米下院議長の訪台を機に、米中両軍をつなぐホットラインが停止されていますが、不測事態が起こったときのエスカレーション防止のためには、速やかな連絡通報が不可欠であり、早期にホットラインを復活させる必要があります。

「台湾侵攻は高くつく」と中国に認識させることが重要

 議論をまとめると、まずナイの理論に基づけば、ロシアによるウクライナ侵攻と比べても、台湾有事が発生する蓋然性は高いといえます。

 その上で、台湾を巡る米中の実際の動きを見ると、米国の軍事力が圧倒的優位にあった第1次~第3次の台湾海峡危機においては、中国は妥協を強いられました。これに対して今回の第4次台湾海峡危機では、米国は抑制的な対応を取りつつも、「米国は台湾問題に関与しないのではないか」という不信感を払拭するために、台湾海峡における「航行の自由作戦」を行ったと整理できます。

 最も危惧されることは、米国の抑制的な対応を見て、中国の、特に軍部が軍事力行使に対して過大な自信を抱くことでしょう。折しも8月10日、中国は台湾統一白書を公表しました。白書の中で、台湾は中国の一部であることは正当性があり、181カ国が「一つの中国」を支持していると主張しています。香港同様、台湾についても「一国二制度」に基づく平和的統一プロセスを推進する一方で、非平和的な統一方法を否定していません。併せて、「海峡横断総合開発モデルゾーン」の創設も提案するなど、統一によって台湾に経済的利益がもたらされることも強調しています。

 これらを総括すると、10月16日に開幕する中国共産党の党大会までは、中国は強硬路線をとることはなく、軍事的にも抑制的に行動するでしょう。その後、党大会を経て習主席の3期目の体制が動き出せば、当面は、台湾統一白書にあるように、政治・経済的な攻勢を強化していくものと考えられます。併せて、台湾の状況を見ながら、軍事的圧力も強化してくるでしょう。中国の政治、経済攻勢に対する台湾住民の民意の変化が軍事的方法をとるか否かの判断基準になると思います。

 米国など西側諸国としては、軍事的には、「航行の自由作戦」をはじめとする国際法に基づく活動を継続するとともに、警戒監視を強化して、現状変更の試みを阻止する活動が重要です。「台湾有事は非常にコストが高い事態だ」ということを、中国指導部に認識させる必要があると思います。

写真:Shutterstock/アフロ

末次 富美雄

実業之日本フォーラム 編集委員
防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。護衛艦乗り組み、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令を歴任、海上自衛隊主要情報部隊勤務を経て、2011年、海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官。退官後、情報システムのソフトウェア開発を業務とする会社にて技術アドバイザーとして勤務。2021年からサンタフェ総研上級研究員。2022年から現職。

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