「われわれの(核)戦略部隊は常に戦闘準備態勢にある」――。ウクライナ侵攻で3年目を迎えたロシアのウラジミール・プーチン大統領は5月9日、第二次世界大戦時に旧ソ連がドイツに勝利した「戦勝記念日」の演説で、核による脅しともとれる言葉を放った。ロシアのほか、中国や北朝鮮といった核保有国に囲まれる日本は、核抑止力を日米安全保障条約に基づく「核の傘」に委ねているとはいえ、日本自身が核に対して無関心であってはならない。現在、米国で進む核戦略の見直しは日本にも大きな影響を及ぼすだけに注目する必要がある。
SPCが核戦力強化へ6原則提唱
2023年10月、戦略体制を検討していた米国連邦議会上院の「第2回戦略体制委員会(Strategic Posture Commission=SPC)」が最終報告書を提出した。09年に次いで2回目となる。22年の国防授権法で超党派の委員会として設置が規定され、1年間の検討結果として最終報告が公表されたものだ。
同報告書は2027~35年の安全保障環境を見通し、米国の戦略を導き出している。SPCの提案のポイントは、ロシアや中国という対等な核保有国に同時に対応できる能力の構築だ。今回は軍事的脅威として中国も加え、中ロとの戦争を想定して内容を大きく変更した。
具体的には、SPCが通常戦力による抑止や攻撃の撃退が不可能な場合に備えて核戦力の強化を掲げ、(1)第二撃能力(相手国の核攻撃に耐え、あるいは回避し、報復核攻撃を行う能力)の確保、(2)柔軟な対応、(3)状況に応じた抑止、(4)拡大抑止と保障、(5)米国外交政策遂行のための計算された曖昧性、(6)リスクヘッジの順守――の6つの原則を提唱。通常戦力の格差解消に加え、アジア太平洋地域における米核戦力の展開や配備を通じた中ロに対する大統領のオプション拡大を挙げている。6原則は、冷戦時代の米核戦略を踏襲し、「9.11」以降の対テロ戦争からの決別を明らかにしたと言える。SPCの提言がそのまま米国の政策に反映されるわけではないが、米議会の動向として日本も注目すべきだろう。
中国の核弾頭、400個から1500個へ
なぜいま、SPCは米国の核戦略を変更すべきだと主張しているのか――。その理由として挙げているのが次の3点。一つ目が、米ロを中心とした核戦力に対する国際的枠組みの実質的消滅だ。射程500~5500kmの中距離核弾道ミサイルや巡航ミサイルの全廃を規定していた「中距離核戦力全廃条約」は、米ロの相互不信のため2019年8月に失効している。米ロ間の新戦略兵器削減条約(新START)は26年2月まで有効期限が延長されたにもかかわらず、23年3月にロシアが一方的に履行停止を宣言。さらに、ロシアは同年11月に「包括的核実験禁止条約」の批准も撤回し、核戦力に関する従来の枠組みが次々と崩壊しつつある。
二つ目が中国の核戦力の拡大である。従来、中国は「核の先制不使用」(核兵器を非核国に対する脅しに使用せず、核兵器による攻撃の反撃手段としてのみ使用するといった原則)を標榜していた。核弾頭の保有数も米ロに比較すると10%以下で、「最小限核戦力」として米ロの核兵器管理交渉の対象外だった。しかし、中国は「核ドクトリン」の変更を明確にしないまま、核戦力を強化しつつある。
SPCの分析によると、中国の核弾頭数は2021年に400個超だったが、30年には1000個以上、35年には新STARTで米ロが合意した配備済み弾頭数1550個に近い1500個の保有を目指している。さらに、核の運搬手段である各種ミサイルの急速な進化や低出力核の開発など多様化も図っている。米国にとって実態が不透明なまま拡大しつつある中国の核戦力は、かつて交渉を繰り返し、ある程度実態をつかんでいたロシア以上に脅威に映るであろう。
三つ目が中ロの戦略的協調の進展だ。これが、SPCが欧州とアジアで同時にロシアおよび中国と対峙しなければならないと認識する最大の理由であろう。中東ではイラン、アジアでは北朝鮮も核および核兵器の開発を進めている。同盟国との共同対処を考慮しても、「通常戦力では対応しきれない場合は限定的な核の使用を考慮せざるを得ない」というのがSPCの結論である。
日米同盟、「現代化」でさらに強化
安全保障における核抑止について、日本では少なくとも国民の広範な議論とはなっていない。唯一の被爆国として核廃絶を訴えていくことと、国際情勢のリアリズムとは別に考えるべきではないだろうか。日本が中国やロシア、北朝鮮といった専制的指導者に率いられた核保有国に取り囲まれているのは厳然たる事実である。中国は台湾問題解決に軍事力を使用することを否定しておらず、2022年8月にはナンシー・ペロシ下院議長(当時)が台湾を訪問したことに反発し、台湾周辺に弾道ミサイル9発を発射。そのうち5発は日本の排他的経済水域に着弾した。ウクライナ戦争で長期戦を強いられるロシアがいつ「核のボタン」に手をかけるかも分からない。ロシアとの関係を強化しつつある北朝鮮は核・弾道ミサイル技術を急速に向上させている。
今年4月に開かれた日米首脳会談で、日米関係は「法に支配に基づく自由で開かれた国際秩序を共に維持・強化するグローバル・パートナー」と位置づけられた。2023年1月の日米安全保障協議(日米「2+2」)で合意された日米同盟の飛躍的な強化を象徴する「同盟の現代化」の目指すべき方向が示されたと言える。また、日米「2+2」では、日本の反撃能力の効果的運用に関する協力や柔軟に選択される抑止措置の深化、米国の核拡大抑止について実質的な議論を深めていくことで一致している。
透明性求められる拡大抑止協議
第2次世界大戦の教訓から、日本は「軍事力」に対して極めて強い抵抗感がある。最低限の自衛力として創設された自衛隊も軍事力としての機能を期待されつつも、憲法上の規定から軍隊ではないという不自然な解釈がなされてきた。今では、憲法上の解釈は別にして、自衛隊の必要性を否定する人はごく少数である。昨年来進められている防衛力の抜本的強化に伴う防衛費の増大についても、財源問題はあるものの、国民のマジョリティーは賛意を示している。そろそろ、日本人が長い間避けていた核の問題を考えるべきであろう。
SPCが提言する米国核戦力の見直しに日本も無関係ではない。台湾有事が勃発し、米中が本格的戦闘に入った場合、米国が限定的な核使用を決断する可能性は皆無とは言えない。日本周辺における米国の核使用について、少なくともどのような条件下で、どこにどの程度の核が使用されるか、事前に日本が把握できる枠組みを作っておかなければならない。さもなければ、日本は知らず知らずのうちに核戦争の大きな影響を受けるだけである。
日米では、「2+2」で安全保障問題について包括的に協議されるが、核使用時の事前通知といった核に関する具体的な指針は不明確である。米国による「核の傘」の信頼性を高めるには、可能な限り国民にも伝わりやすい透明性を確保した協議体とすべきではないだろうか。厳しさが増す現下の安保環境を踏まえ、最終的には核廃絶を追求しつつも、核を巡る議論をタブー視せずに議論を重ねていくことが肝要である。
写真:AP/アフロ
地経学の視点
長崎大学核兵器廃絶研究センターの「『世界の核弾頭データ』2023年版」によると、核弾頭の総数は過去5年で約13%減少し核軍縮が進んだように見えるが、総数から「退役・解体待ち」を差し引いた「現役」に絞りこむと逆に約4%増えて実質的な核軍拡が続いている。
核保有9カ国の現役核弾頭保有ランキングを見ると、ロシア4490個、米国3708個、中国410個と続くが、5年前比の増減では中国が170個増(ロシア144個増、米国92個減)とトップに立つ。米ロの陰で着々と覇権を目指す中国のしたたかさが垣間見える。
唯一の被爆国として日本が「核兵器廃絶」を訴えていくことは重要だ。しかし、冷戦後に進んだ核軍縮の流れは今や実質的に核軍拡に転じ、ウクライナや中東の紛争、台湾有事ではいずれも核保有国が絡み使用の可能性を匂わせる。
特に、台湾有事で米国が参戦すれば同盟関係の日本も敵対国として中国から狙われる可能性があり、中国の核の恫喝に対して米国の「核の傘」がどれだけ信頼性を担保できるか疑問が残る。筆者が一つの解として示した日米の拡大抑止協議の透明性向上や、タブー視されてきた核を巡る議論を重ねていくことが、日本の核抑止力向上には避けて通れない道なのかもしれない。(編集部)