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2024.06.07 経済金融

過剰生産によるデフレ輸出、中国をも巻き込んだ国際的ルール作りの必要性

伊藤信悟

 2024年3月の全国人民代表大会(全人代)では、恒例の首相内外記者会見の中止が話題を集めた。定期的に公表されていた経済統計の発表停止や中国の経済・財政・金融の要である不動産市況の悪化なども重なり、中国の経済改革の方向性や経済そのものの先行きに対する不透明感が強まっている。実際、「民営企業や外資系企業に対して中国政府が投資を奨励しているのか、規制を強めているのか、方向性が見えにくい」との声が聞かれる。

新エネ車を不動産に代わる成長の原動力に

 第3期習近平政権の経済運営の主軸が見えにくいのは、中国が現実と理想の狭間で苦しんでいるからだ。中国政府は2049年までに「社会主義現代化強国の全面的完成」、「中国式現代化」による「中華民族の偉大なる復興」を実現するという目標を掲げている。しかし、まだ中国は「強国」への「新征程(新たな遠征)」の途上にある。その障害を取り除くための「持久戦」が必要だと習主席は指摘している。

 中国は「持久戦」に打ち勝ち、「強国」になるという目標を実現するため、「質の高い発展」を急ぎ、最悪の事態に備えて「高水準の安全」も確保するという方針も掲げており、その方針に則して短期的な景気下支え策にも工夫を凝らそうともしている。

 「質の高い発展」を目指すべき分野は、「戦略性新興産業」(次世代IT、バイオ、新エネ、電気自動車などの新エネルギー車、環境保護、航空宇宙など)と、ヒト型ロボット、量子コンピューター、新型ディスプレーといった「未来産業」である。この中でも注目されるのが乗用車の買い替え促進策を通じた新エネ車の普及である。

 今年は、一定の排出基準を満たしていないエンジン車あるいは2018年4月30日以前に登記された新エネ車を廃車にし、政府が選定したリスト所載の新エネ車に買い替えた場合には1万元の補助金が、排気量2000cc以下の基準を満たしたエンジン車に買い替えた場合には7000元が給付されることになっている。

 IMF(国際通貨基金)は、不動産投資の調整は2026年ごろまで続くとの見通しを発表しており、中国経済には下押し圧力がかかりやすい状態が続く。それだけに、自動車産業、すでに中国が強い競争力を持つ新エネ車産業をさらに強化し、不動産業に代わる新たな成長の原動力にできるだけ早く育てたいとの意向を中国政府は持っている。

高まるデフレ輸出への懸念

 ただし、BEV(電気自動車)に代表される新エネ車は、中国で供給過剰の状態にあるとみられる。中国国家統計局によると、自動車製造業の稼働率は2024年1〜3月期現在64.9%にまで低下している。統計が発表された16年10〜12月期以来、過去2番目に低い水準である(過去最低は新型コロナ感染拡大初期の20年1〜3月期で56.9%)。自動車メーカーの稼働率に関するブルームバーグによる調査によると、理想、BYD、テスラの23年の稼働率は9割を超えたものの、吉利(Geely)、小鵬(Xpeng)、蔚来(NIO)はそれぞれ43.8%、43.8%、35.6%にまで落ち込んでいると報じられている。

 供給過剰下で、自動車メーカー間で苛烈な競争が起こっており、中国自動車メーカーによる低価格新エネ車の投入や値下げの動きが相次いでいる。BYDは廉価版のプラグイン・ハイブリッド車(PHEV)やBEVの投入を図ると共に、最大6.5万元の買い替え補助を始めた。また、小米(シャオミー)がテスラよりも割安なBEVセダンを市場に投入したことが大きな話題を呼んでいる。テスラも競争激化を受けて値下げに踏み切っている。

 中国国内が供給過剰に陥っているため、中国メーカーは輸出に力を入れるようになっている。2023年、中国は491万台の自動車を輸出し、日本を抜いて世界一となった。うち、120万台が新エネ車であった。タイでは、BEVに対する購入補助金支給を背景に、24年1月の新車販売台数のうち中国車が18.8%を占めるに至っている。3月は新エネ車への補助金削減の影響を受けて新エネ車に強い中国車のシェアは9.5%に落ちたものの、値下げ競争が続く中国メーカーによる新エネ車のデフレ輸出を懸念する声が高まっている。

貿易摩擦は一段と激化か

 世界新エネ車市場における中国のシェア拡大を受けて、欧米諸国は危機感を強めている。米国のバイデン大統領は5月14日、中国製EVに対し現在の4倍となる100%の関税をかけるよう米通商代表部(USTR)に指示。同時に、半導体や太陽光パネルなどの関税も引き上げよう求めている。

 トランプ前大統領も、次期大統領選で勝った暁には中国の自動車メーカーがメキシコで生産した車に「100%の関税を課す」と表明している。メキシコは米国と自由貿易協定を結んでいるため、メキシコから米国への自動車輸出は無関税である。トランプ前大統領の発言の背景には、それを中国企業が利用し、米国の自動車市場を開拓するのではないかとの懸念がある。

 EU(欧州連合)の危機感も強い。2024年3月に欧州委員会は中国製BEVには「不当な補助金の十分な証拠あり」との報告書を発表し、中国製BEVへの追加関税の検討を進めている。また、同委員会は24年4月に発表した「中国経済における国家による歪みに関する報告書」で新エネ車を取り上げ、「中央・地方政府の介入により中国の新エネ車およびバッテリー産業において市場の歪みが引き起こされる可能性がある」と指摘している。これは、アンチダンピング税を中国製の新エネ車やバッテリーに課す可能性を示唆するものだ。フォンデアライエン欧州委員長は、習主席との面談時に「構造的な過剰生産」の是正を求めてもいる。

 対する中国政府は、中国の生産能力過剰を問題視する米国などの発言に強く反発している。

 中国外交部報道官は4月23日、米国による中国の過剰生産発言には「競争上より有利な地位と市場での優位性を得るために中国の産業発展を制限・抑制しようとする悪意が含まれている」、「露骨な経済的強制でありいじめだ」と大きく反発。習主席は、フォンデアライエン欧州委員長、マクロン仏大統領との会談で「いわゆる『中国の生産能力過剰問題』は存在しない」と否定している。

 中国政府自身も、前述の戦略性新興産業や未来産業といった「新しい質の生産力」の発展を加速させる上で、「生産能力の余剰と企業乱立によるコモディディー化(付加価値の低下)の防止」が必要だと認識している。習主席も「地域に合った形で新たな質の生産力を発展させよ」、「バブル化は防げ」と過剰生産には慎重な発言をしているが、新エネ車を巡っては具体的な防止策がまだ見えていない状況にある。

 一方で中国政府は、足元の景気を下支えし、同時に、不動産業に代わる新たな発展の動力を創り出すためにも、新エネ車に対する政策的支援を強める構えをみせている。東南アジアなど海外での販売網構築や工場設立を中国自動車メーカーが加速していく可能性が高く、中国政府もそうした動きを支援する方針を掲げている。

 それだけに、今後、欧米諸国と中国との貿易摩擦が一段と激しさを増していく恐れは排除し得ない。中国政府は「インフレ抑制法」により米国がBEVなどの公正な競争を阻害しているとしてWTO(世界貿易機関)に提訴しており、欧米の動きによっては、レアアースの輸出規制を一段と強化する恐れも出てくる。

中国を巻き込んだ国際的な制度作り

 新エネ車に限らず、半導体などでも補助金競争が世界的に展開されている状態にある。さらに、鉄鋼やアルミ、医薬品、太陽光パネル、風力発電なども経済安全保障上、重要な産業として位置づけられるようになっており、多くの国々がサプライチェーンの強靭化を目指して政策的支援を強化したり、保護主義的な動きを強めたりしている。各国がサプライチェーンの強靭化のために生産能力の拡大を追求するため、世界的にみて、生産能力過剰問題が起こりやすくなる。そこで、デフレの輸出が横行すれば、劣勢に置かれた国は、経済安全保障の確保、雇用維持のために、一段と保護主義を強めることになるだろう。

 こうした競争の中で相対的に優位に立ちやすいのは、大きな市場と財政・金融的資源を持つ大国である。人口減少と低成長で内需拡大の勢いを欠き、財政的余力も乏しい日本にとっては、国際ルールによって自由で開放された市場と公正な競争を守る努力が死活的に重要だが、新たなWTOルールの制定や改正には全加盟国のコンセンサスが必要であり、道は険しい。

 こうした中、日本政府は、欧米諸国などと補助金の在り方を巡ってコンセンサスをつくるべく、協議を始めている。

 これを皮切りに、他のOECD諸国、さらには中国も巻き込んだ、新たなルールの輪を広げていくことが重要であろう。新興産業の市場開拓に際しては、国際標準の形成とその普及がカギとなる。例えば、データガバナンス、AI、新エネルギー、スマートシティー関連の標準などだ。国際標準の形成・普及の基盤となるのが広範な国際研究交流である。日本も官民挙げて、科学者・技術者の国際交流ネットワーク構築により多くの資源を投入していかなければならない。中国は「一帯一路」の下、沿線国との科学者・技術者の交流をさらに活発化させようとしている。

 日本にとって中国は重要な市場、生産の場であることに変わりはない。中国との産業協力も互いの利益が一致する分野を手始めに再起動していく必要がある。また、自由かつ公正で開かれたインド太平洋の秩序は中国なしでは完成しない。他国とともに、中国に働きかけを続けることが何よりも大事だろう。

*本稿は筆者の個人的見解であり、いかなる組織の公式見解を示すものではありません。

写真:アフロ

地経学の視点

 1930年代、日本は昭和恐慌、世界恐慌と相次ぐ大不況にあえぎ、主力輸出品の綿織物などを廉価で世界に輸出。結果として、いち早く恐慌を脱出したものの、同様に不況に苦しむ諸外国から「ソ—シャル・ダンピング」と非難を浴びた。世界恐慌をきっかけに、世界のブロック経済化は進み、その後の展開はご承知の通りだ。

 この状況をそっくりそのまま現状に当てはめるのは乱暴だ。しかし、世界の大国が内向きとなり、自国ないしは、所属する経済圏をこれまで以上に重視しつつある傾向は重なる部分があるようにも見える。世界大戦を誘発するかは別として、グローバル化が進んだ現代において、経済的なネガティブインパクトは避けられそうにはない。

 著者が提唱する、デフレ輸出に絡む世界的枠組み作りは、こうした懸念の払拭に向けた第一歩になりうるように思う。中国も、何も世界をデフレ輸出の悪循環に引きずり込もうなどとは考えてはいないだろう。世界がどう共存繁栄していくべきか。歴史を踏まえ、世界の経済大国たちは立ちどまり、議論すべき時ではないか。(編集部)

伊藤信悟

株式会社国際経済研究所 主席研究員
1993年東京大学法学部卒。富士総合研究所、財団法人台湾経済研究院副研究員、みずほ総合研究所中国室長等を経て2018年より現職。熊本県立大学客員教授等を兼任。専門は中国、台湾経済。