実業之日本フォーラム 実業之日本フォーラム
2023.05.24 経済金融

IPO延期から事業6分割へ ジャック・マーとアリババはどこへ向かうのか
「アリババ帝国」の盛衰と再興(2)

加藤 嘉一

 前回は、アリババ創業者ジャック・マーの成功と挫折について、アリババと中国政府の関係、同社金融子会社アント・フィナンシャルのIPO(新規株式公開)延期を軸に考えた。今回は、アントIPO延期について当局の意図を探りつつ、アリババの事業6分割に至る背景を読み解いていきたい。

 「自身と会社の安全を守りたいのなら、馬雲(ジャック・マー)は公の場には出ず、われわれの指導の下、静かに企業再建に集中すべきだ」

 2020年11月上旬のアリババ傘下の金融会社「アント・フィナンシャル」のIPO(新規株式公開)延期から間もないころ、中国政府関係者が筆者にこう語った。実際、マーとアリババはそれ以降、中国人民銀行(中央銀行)や証券管理監督委員会などと密に話をしながら、アリババ・グループの組織とビジネスモデルのあり方について修正作業を進めていく。筆者が把握する限り、マーもそれに全面的に協力し、北京にある当局から呼ばれれば、最優先で自らが保有するプライベートジェットで北京へ飛んでいた。

 IPOにつまずいたアントの再建はどうなされたのか。同年12月26日、4つの金融当局が再びアント幹部を呼び、面談を行った。当局はアントの問題を次のように指摘した。

当局がアントに突き付けた要求

 「アントは設立以来、フィンテック、金融サービスの効率と普及面でイノベーションをもたらしてきた。フィンテックとプラットフォーム経済の分野で重大な影響力を誇る企業だからこそ、アントは国家の法律とルールを自覚的に順守し、自らの企業を国家の発展という大局に適応させ、企業の社会的責任を請け負わなければならない」

 当局から見て、IPO延期の原因ともなったアントの経営上の主な問題点は以下の6点であった。

(1)コーポレートガバナンスのメカニズムが不健全
(2)順法意識に乏しい
(3)ルールに基づいた監督管理を蔑視(べっし)している
(4)監視管理に違反する形で収益を高めようとする行為が見られる
(5)市場における優位性を利用して、同業者を排斥している
(6)消費者の合法的な権益に損害を与え、消費者からの告発などを引き起こしている

 当局が最も懸念するのが(6)、すなわち、一民間企業に過ぎないアントの金融サービスが引き金となり、市場の秩序が乱れ、広範な消費者の利益が損なわれ、結果的に、マーケットがパニック状態に陥る事態である。面談を経て、当局はアントに以下の5つの要求を伝えた。

(1)支払手段としてのアリペイ(電子決済サービス)という本業に回帰し、取引の透明性を向上させ、不正当な競争を厳しく禁止すること
(2)法・ルールに基づいて営業許可証を持ち、個人の信用情報を収集、管理すること、ユーザーのプライバシーを守ること
(3)法に基づいて金融持ち株会社を設立し、監督管理の要求を実践し、自己資本の充実とルールに沿った関連取引を確保すること
(4)コーポレートガバナンスを改善し、慎重な監督管理要求に基づいて、ルールに背いた信用、保険、理財(資産運用)などの金融取引を厳格に改めること
(5)法とルールに基づいて証券ファンド業務を展開し、証券に関するコーポレートガバナンスを強化し、合法的に資産証券化業務を展開すること

 ネット企業としてフィンテックを手がけるアントが、銀行、証券、保険、資産運用を含めたリスクの高い信用取引に従事するのは、「経営システム自体が混乱しているという意味で問題」(証券監督管理委員会幹部)であり、アントが金融イノベーションを通じて、銀行が有してきた「特権」(同幹部)を享受することは、未整備の法律の隙間をくぐり抜ける行為であったと言っているのである。ちなみに2020年9月、中国人民銀行は「金融持ち株会社監督管理試行弁法」を公布し、非金融系企業が金融業務を行う場合には、金融持ち株会社として事業に従事することを求め、関連当局にも相当する監督や管理を命じている。

 その上で金融当局は、上記の5点が修正されれば、アントの「再上場」を支持していくという立場も伝えた。

マーの帰国とアリババの事業6分割

 マーは相変わらず公の場にはほとんど姿を見せなかったが、日本に比較的長期に滞在し、香港でビジネス面談を行い、スペインにゴルフに行ったりタイに家族旅行に行ったりという動向は時折確認された。マーは中国当局とケンカ別れし、永遠に中国本土に戻ることはないのではないか――といった憶測も流れた。

 そんななか、2023年3月27日、マーは生まれ故郷の浙江省杭州市に姿を見せ、アリババが出資する杭州雲谷学校を訪問。同校の教師や生徒らと触れ合った。

 特筆すべきは、その翌日(28日)、アリババの現CEOダニエル・チャン(張勇)が「自己変革を通じてのみ、未来を切り開くことができる:アリババ・グループの組織、ガバナンス変革に関する決定」と題した手紙を全社員向けに送り、アリババ本体を6つの事業主体に分割する旨を発表したことである(図)。

【図】アリババ・グループの事業「6分割」
1クラウド・インテリジェンス(クラウドと人工知能)事業
2天猫(Tモール)などの電子商取引事業
3物流サービスのツァイニャオ・スマート・ロジスティクス事業
4料理宅配などのローカルサービス事業
5映画や動画配信サービスなどのデジタルメディア&エンターテインメント事業
6アリエクスプレスなど国際イーコマースのグローバル・デジタル・コマース事業
(出所)筆者作成

 これまで各事業グループのCEOはアリババ本社が指名していたが、新体制の下、図に掲げた各部門に取締役会が設置され、そこで選出されたCEOが各事業の業績に責任を負う仕組みとなる。事業グループごとに、外部資本を含めた資金調達を行い、IPOを視野に動いていく見込みである。6分割と並行して、アリババ本体は122億元の資本金を1億元に減資し、持ち株会社となる。グループ会長兼CEOは引き続きチャンが務め、クラウド・インテリジェンス事業のCEOも兼務する。ニューヨーク証券取引所(NYSE)と香港証券取引所での上場は維持する。天猫などのEC事業はアリババ本体の完全子会社として存続させる。

 チャンは社員向けの手紙で、「今日この日、われわれはアリババ創業24年以来最も重要な組織変革を迎える」と断言。今回の組織改革は、フロント部門(営業部門)を支えるミドル部門(経営企画や広報、マーケティング、リスク管理など)とバック部門(決済事務)のスリム化につながると述べ、今回の改革の出発点と根本的な目的は、「組織を一段と機敏にし、意思決定を迅速化し、素早く対応できるようにすること」だとした。

 アリババが、「ジャック・マー電撃帰国」のタイミングで発表した6分割は、アントIPO延期後、中国人民銀行や証券監督管理委員会などの指導を受けながら、2年以上の時間をかけて取り組んできた一つの結末だと筆者はみている。中国政府の意向に沿う形で行われたのは言うまでもないが、同時に、昨今激化している米中対立という側面にも配慮がなされているように見受けられる。

 経済安全保障の文脈で見ると、6分割の事業は基本的に米国と対立しない、あるいは米国政府からの制裁措置の対象になりにくい分野に映る。強いて言えばクラウド事業がデータ安全保障の面から米国との競争領域になり得るが、だからこそチャンがグリップする体制になっているのだろう。米中対立に巻き込まれやすい敏感な領域は、グループ本体、すなわちチャンが握り、機微性の低い他の分野に関しては、各部門のIPOも視野に入れて成長の柔軟性を図るものとみられる。

 マーは、2017年1月の大統領当選後のドナルド・トランプとニューヨークで会談するなど、実際の行動で米中関係にも関与してきた。その彼が「6分割」という組織改革の一部始終に関わっているのは言うまでもなく、全てのプロセスを知った上で、あのタイミングで帰国したのである。

 ――自分の身の安全は確保されている。新生アリババは心機一転、前を向いて走り出した。

 これが、ジャック・マーが2023年3月末の帰国を通じて発信したかった核心的メッセージだろう。

マーとアリババに再び期待する政府

 ジャック・マーという男は決して止まらない、休まない、あきらめない。

 筆者は、そんな思いで昨今のマーを巡る動向を観察している。アリババが「6分割」を発表した4日後、マーは香港大学ビジネススクール名誉教授に就任。2026年3月までの3年間、金融、農業、企業イノベーションといった分野の研究に従事する。さらに5月1日、今度は東京大学「東京カレッジ」客員教授に就任。期間は10月31日までの半年間で、「持続可能な農業と食料生産」を研究しつつ、同大研究者や学生と、起業、企業経営、イノベーションなどの経験や先駆的知見を共有していくという。

 「マー教授」は、自身がかねて関心を示してきた教育、そして政治的に安全な非営利団体などを通じて、環境保護をはじめとした「持続可能な開発目標」(SDGs)の分野にコミットしていく見込みである。これらは中国政府にとっても重要な領域で、マーが東大や香港大を含め、海外で発信、行動することは、「国益」に資すると考えているだろう。筆者が知る限り、3月に首相に就任した李強氏も、中国経済の持続可能な発展という観点から、同郷のマーに期待しているようである。

 6分割後の新生アリババについて、習近平政権は、事の成り行きを見守るスタンスであろう。当局の指導の下に組織改革を進めてきたアリババが、中国の法律を守り、市場を独占せずに、急激な事業拡大や無秩序な資本拡張をしないのであれば、中国経済社会、国民生活にエコシステムと基幹インフラを提供してきたアリババをつぶす理由はどこにもない。

 むしろ、アリババを大いに利用する形で、中国国民の国内外における消費の拡大や人生の充実を促していくであろう。それが、中国共産党の正統性確保という最重要課題につながるからだ。この点において、経済統括の李強は政治統括の習近平をサポートするとみる。

 日本の政府、企業、投資家は、そんな中国当局の意図を的確に理解する必要がある。中国には、マルクス主義に基づいた「経済基礎が上部構造を決める」という概念がある。要するに、経済が成長して、政治は初めて安定するという論理だ。ただし、ジャック・マーが習近平以上の権力と人気を持つこと、アリババが共産党以上の影響力と浸透力を持つことは断じて許されない。それを回避するための政策はなんでも打ち出す。他方、当局はアリババを牽制しつつも、その力を利用しようとしている。中国を代表するイノベーション企業であるアリババも、中国の未来を担う次世代にとっての憧れであるジャック・マーも、中国共産党にとっては必要不可欠な存在なのである。

 アリババやマーが荒稼ぎした時代は過ぎた。ただ、アリババは中国企業として、マーは中国人として、新しい道を歩み続ける。中国経済は民間企業を必要とし、民間に依存しながら成長する以外に道はない。ジャック・マーが経験した栄光と挫折、アリババが開く新しい境地は、中国と中国人をどこへ導くだろうか。日本の企業や国民も、広い視野で忍耐強く見守りながら、中国経済が奏でるダイナミクスに積極的に関与していきたいものである。

写真:アフロ

加藤 嘉一

楽天証券経済研究所 客員研究員
1984年静岡県生まれ。北京大学国際関係学院学士、修士。米ニューヨークタイムズ中国語版コラムニスト、香港大学アジアグローバル研究所兼任准教授などを歴任。トランス・パシフィック・グループ株式会社取締役兼研究所長。日本語での書籍に『中国民主化研究:紅い皇帝・習近平が2021年に描く夢』(ダイヤモンド社)など。

著者の記事