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2022.08.12 コラム

豪アボット首相と意気投合、政権返り咲きから日豪FTAへ――追悼 安倍元首相と豪州(2)
寺田貴の「豪州から世界を見る」(4)

寺田 貴

 前回、安倍第1次政権後、日豪関係は冬の時代を迎えたと記した。それは、同政権が進めた日豪FTAと安保法制化の2つの柱の設立交渉がほぼ停滞し、さらにそこから日米豪、日米豪印と共通の価値観を持つ国々との連携強化の動きも止まったからだ。

 前回紹介したように、ラッド政権(2007年~2010年)の中国傾斜は、その最初の外遊にも現れていたが、中国接近を進めた最大の要因は2008年のリーマンショックにある。その際に中国が実施した4兆元(当時のレートで約60兆円)の景気刺激費の多くは国内のインフラ整備に使われ、その結果、中国国内で資源需要が大幅に高まり、2010年度鉱物資源の豪州の輸出額は約1700億ドル(14兆円)と前年比約30%の増加し、この時点で豪州の全輸出の25%が中国向けとなった。

 ラッド政権を2010年6月に継いだギラード首相は、11年4月の来日の際、外国要人として初めて東日本大震災の被災地(南三陸町)を訪れ、日本を避ける外国要人が多い中、対日関係の重要性をアピールするとともに、ラッド前首相との違いを示した。しかし同首相はその足で訪中し、150人という過去最大数のビジネスミッションを率いて、20年で7.3兆円という大型LNG契約を成立させるなど、中国市場依存体制は継続させた。この中国頼みの経済成長路線は、中国にとって豪州を自らの経済外交を支えるパートナーへと変貌させる絶好の機会を提供することにもなった。

 例えば、豪州は2015年3月に中国が進めるアジアインフラ投資銀行(AIIB)への加盟を決定、習主席が参加した同年11月のブリスベンG20では中豪関係は「包括的戦略パートナーシップ(Comprehensive Strategic Partnership)」に引き上げられ、そして2国間FTAを同年12月に発効している。FTAには完全豪州資本による中国医療サービス市場への投資自由化など、中国としては異例のオファーを豪州に与えている。日米両国はAIIBに不参加を決定し、中国を市場経済国としての認定もせず、FTAの交渉も行わなかったため、豪州の中国傾斜がより一層浮き彫りになった。

 これらの動きはすべて、対中関係を特に重視してきたラッド・ギラード労働党政権時に加え、安倍政権と防衛・安保分野で関係を深めたアボット保守政権時でもなされたことは、中国の意図を考える上で重要である。中国からすれば、豪州が米国の同盟国としてハブ・アンド・スポーク体制の一角を占めている点にこそ、豪州に対して相互依存を利用して影響力を行使する価値を見いだす。具体的には、南シナ海問題で豪州の関与を抑えることに、豪州とのパートナーシップを進めた政治的意図があったと言えよう。

 この豪州の対中傾斜にくさびを打ち込んだのが12年12月に再登板した安倍元首相であった。まず第1次政権時に自らが交渉開始を決断しながら、それ以降の交渉が滞っていた日豪FTAの推進に取り組んだ。

 ただこれには豪州側での政権交代、つまり労働党政権からアボット保守党政権の移行が大きな意味を持つ。アボット政権は先述のように、中国との関係向上に取り組むものの、師匠格にあたるハワード政権同様、アジアでは日本との関係を最重視していた。その顕著な姿勢には、貿易面で最大のシェアを占める中国を差し置いてアボット首相が日本を「アジアにおける最良の友人(Australia’s closest friend in Asia)」と呼んだことや、安倍元首相による2013年12月の靖国神社参拝に対してはコメントを控えた点など、安倍元首相への配慮が顕著であった。14年8月、安倍元首相の訪豪に同行していた外務省幹部の言葉が印象に残る。「二人は本当に波長が合うようだ」とコメントしており、当時ビジネスライクでTPP交渉での農業問題を直接行ってくるオバマ大統領との関係とは対照的であった。

 さらにアボット政権の登場は、安倍元首相が推進したいFTA実現のためには極めて大きな意味を持つ。労働党政権は労働組合を支持母体としていることもあり、雇用維持のために豪州における米ゼネラル・モーターズ(GM)とトヨタ自動車の両現地子会社の生産を支援、輸入車に最高レベルの5%の関税を維持した上に、補助金をもつぎ込んできた。自動車輸出が多い日本とのFTAに消極的だった背景だ。

 しかし、小さい政府を志向し、政府支出を抑えるアボット保守政権は、輸入車の競争力を高める豪ドル高、高賃金を補ってきた補助金(2012年までの5年間で300億豪ドル=約2兆85000億円にのぼる)を減らす意向を明確にした。その結果、GMは2016年、トヨタも翌年にそれぞれ豪州から撤退することを発表、これにより豪州での自動車生産が終焉を迎え、もはや関税維持も不要となった。

 当時、豪州は日本にとって10番目の貿易相手国ではあるものの、自動車に関しては第2位の市場であり、豪州への全輸出の半分以上は自動車が占めていた。自動車関税の撤廃は、日本がFTA締結のために長年要求してきた条件であり、労働党政権からアボット政権への交代によって、この大きな障害が除去されたことになる。

 日豪FTAは安倍元首相の訪豪時の2014年7月8日に調印、翌年1月15日に発効している。日本にとっては最初の先進国とのFTAであり、高い自由化度が求められた。しかし最終的には豪州はほぼ100%の自由化を約束するものの、日本は93.7%と農業分野の例外品目の多さが目立つ。唯一の例外が牛肉だった。牛肉関税の38.5%が冷凍牛肉で18年かけて19.5%まで、冷蔵牛肉は15年かけて23.5%に下げられることになっている。日本が特恵的に(つまりFTAにおいて)、牛肉の関税を引き下げるのは豪州が初めてであり、さらに1年目から8%も下がったため、ロブ貿易・投資相(当時)も「思ってもみなかった成果」との発言を行っている。

 牛肉だけ、しかも関税撤廃ではなく低減という措置を豪州が受け入れた最大の理由は、両国が参加するTPP交渉妥結に他ならない。米豪は世界でも有数の農業大国であり、特に牛肉、豚肉、乳製品、砂糖などいくつかの農産品に関して激しい競合関係にあるが、日本市場においても例外ではなく、豪州はFTAにより低関税率を豪州産牛肉だけに先んじて特恵的に享受することで、日本市場において米産牛肉よりも有利な条件を得ることができた。それともに、日本に関税撤廃しか要求しなかったために停滞していたTPP交渉を、米国への圧力をかけることで前に進めることをも期待していた。

 ある日本の交渉官は「日本のオファーは豪州にとって十分ではなかったが、日豪FTAが妥結してしまったことは米国には大きなショックで、『こういう交渉の仕方は汚い』と米交渉者に感情的に言われるほど、その効果はあった」と述べる。豪州とのFTAに反対した農水省の交渉官も「TPPで米国から要求された牛肉関税撤廃を逃れるという意味では、日豪FTAは非常に大きな役割を果たした」 とその意義を強調する。

 日本市場での不利な条件を受け、米国は最終的にTPP交渉では牛肉関税撤廃をあきらめた。牛肉関税は38.5%から16年かけて9%まで下げるという日豪FTA合意を大きく上回る譲許を得るが、これはTPP全体での合意のため、豪州産牛肉にも適用され、米豪牛肉は日本市場で同じ関税率で扱われることに収まった。その後、15年10月に5年半の歳月を経てTPP全体交渉は基本合意に達する。

 しかし、2017年1月、トランプ大統領の登場により、米国はTPPから撤退することとなり、その屋台骨を失ったTPPは「消滅してもう戻らない(dead and gone)」(サンダース米民主党上院議員)とまで言われた。しかし安倍元首相は、米抜きTPPであるTPP-11での再交渉、発足を決断し、日本はこれまでにない積極的な経済外交を展開することになる(この件については文藝新書『検証安倍政権』(2022)所収の拙章を参照)。

 安倍元首相は自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的な価値観の共有を自身の外交において一貫して重視してきたが、TPPはそれを具現化する重要なツールであった。そのため、同盟国の米国が離脱しても、これら価値観に基づく共通の経済ルールを設定するTPPを簡単に諦めるわけにはいかなかった。第1次政権以来、普遍的価値観を共有する重要な国としてその連携に力を注いできた豪州に、自らが決断した米抜きTPPの推進を真っ先に相談をし、その場で大きな支持を得たのは偶然ではない。

 次回の追悼論考では、豪州が安倍元首相とともに、その価値観外交を展開する基盤として重視したQUADと自由で開かれたインド太平洋(FOIP)構想について論じてみたい。

写真:AP/アフロ

寺田 貴

同志社大学 教授
1999年オーストラリア国⽴大学院にて博士号取得。シンガポール国⽴大学人文社会科学部助教授、早稲田大学アジア研究機構准教授を経て、2008年より現職。この間、英ウォーリック大学客員教授、ウィルソンセンター研究員(ワシントンDC)などを歴任。2005 年にはジョン・クロフォード賞を受賞。

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