2015年の「イラン核合意」の目的は、「イランに対し、ウランの濃縮率を3.67%に抑え、高濃縮ウランと兵器級プルトニウムを15年間生産させない。ウラン濃縮に必要な遠心分離機を削減させ、国際原子力機関(IAEA)の査察下に置く」というものであった。2018年5月トランプ政権は、この合意が(1)期限付きでしかイランの核開発を制限しないこと、(2)イランが引き続き、テロ組織を支援していること、(3)弾道ミサイル開発の制限がないことから、欠陥だらけであると非難し、新たな枠組みを提唱した。しかしこれが加盟国から否決されたことにより「核合意」を脱退し、米国独自の経済制裁を課している。BBCは、「トランプ政権は『殺人を好む政権が平和的な核エネルギー事業しか望んでいないという壮大なフィクション』だと、イランを強烈に批判した」と報じている。
一方、バイデン政権は、イランの「核合意」への復帰を選挙公約に掲げていた。バイデン政権は、ブリンケン国務長官、シャーマン国務副長官、サリバン国家安全保障担当補佐官などオバマ政権で中東政策を担当した専門家を就任させている。バイデン大統領は2020年2月に放映されたCBSのインタビューで「イランを交渉の場に戻すために、アメリカから先に制裁を解除することがあるかという質問に、その意志は全くない」と明言した。これに対し、イランのロウハニ政権は「アメリカが一方的に合意を脱退し制裁を課したのだから、アメリカが先に制裁を解除すべきだ。アメリカが核合意に復帰するならば、1月に引き上げたウラン濃縮度20%を引き下げる用意がある」とイラン国内で演説し、両者の「核合意復帰」への主張は平行線を辿っていた。
2021年4月13日、ニューヨークタイムズは、「イラン中部ナタンズの地下ウラン濃縮施設で停電が発生し、ウラン濃縮用の遠心分離機が停止した」と報じた。イスラエルの主要メディアは「イスラエルの対外諜報機関モサドがナタンズのウラン濃縮施設へのサイバー攻撃により、濃縮作業を数カ月遅らせた」と報じている。これに対し、イランのモハマド・ジャヴァ―ド・ザリーフ外相は、「今回の異常事態は、イスラエルによる攻撃であり、報復措置を取る」とイラン国営テレビに語っている。翌4月14日、イスラエル紙「ハーレツ」は、複数の防衛当局者の話として、「4月13日、アラブ首長国連邦(UAE)沖で、イスラエル関係船舶が攻撃を受け、軽微な被害を受けたが自力航行によりUAEのフジャイラに入港した」と報じた。攻撃の細部は不明であるが、イランによる報復であると確信しているとのイスラエル国防筋の発言も併せて報じている。
2021年4月14日、イランは、核施設に対する「攻撃」への対抗措置およびアメリカへの圧力として「ウランの濃縮度を現在の20%から60%まで引き上げる」とIAEAに通告した。2021年4月6日からイラン核合意を巡る当事国の対面協議がウィーンで始まり、英、仏、独が仲介役を務める形で、核合意への復帰を目指す米国とイランの間接協議が行われていた矢先の出来事であった。4月14日、ベルリンのメディアは、「イランが核合意で認められていない濃縮度60%製造は、核合意再建を目指した各当事国の建設的な精神や誠意に反するとともに、核兵器生産への第一歩となるため事態は深刻であり、イランに自制を促すという共同声明を発表した」と報じた。
アメリカ主導の制裁により経済的に疲弊しているイランであるが、強気な外交姿勢の背景に「核合意」後の中露との関係深化が挙げられる。軍事面ではロシアのS-300防空システムの導入やロシア軍と協同してシリア等への軍事支援を行っている。また、2021年3月27日には、中国と「今後25年間にわたる経済や安全保障分野での連携に関する包括協定」を締結している。具体的には、中国がエネルギー分野、鉄道、高速通信(5G)などの整備に4千億ドル(約44兆円)の融資を行い、その見返りにイランの原油やガスの中国を優先的に供給することや中国軍の駐留、合同軍事演習の実施などが盛り込まれ、中国の一帯一路構想の重要拠点として活用する意向を示している。
また、国内的には、核合意を維持したい国際協調派のロウハニ大統領が、今年の夏で任期満了を迎える。制裁に苦しむ国民の不満を背景に保守強硬派が6月の大統領選挙において政権奪取をうかがっている。強硬派は、去年、議会で多数派を占め、核開発の拡大を義務付ける法律、「制裁解除に向けた戦略的措置法」を制定している。さらに、ソレイマニ革命防衛隊司令官やイランで最も著名な核科学者モフセン・ファクリザデ氏の暗殺などへの報復の機運も高まっている状況だ。
わが国の原油輸入量の9割を依存する中東地域において、地域の平和と安定を確保することは非常に重要である。日本関係船舶の航行安全確保のため、我が国は、自衛隊の艦艇、航空機を派遣している。「調査研究」の名目で情報収集を行い、不測事態発生時には海上警備行動に切替える構想だという。イランとイスラエルの対立がエスカレートし、報復攻撃等が激化すると日本関係船舶に被害が及ぶ可能性がある。派遣されている自衛艦等は、攻撃の兆候を発見した場合に、どの様に行動すればいいのか、大きなジレンマを抱える可能性が大きい。イランの核合意の行方は今、不透明・不確実さを増し、世界が固唾をのんで注目しているが、我が国に大きな影響を及ぼすことを念頭にその行方をしっかり注視していかなければならないだろう。
サンタフェ総研上席研究員 將司 覚
防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。P-3C操縦士、飛行隊長、航空隊司令歴任、国連PKO訓練参加、カンボジアPKO参加、ソマリア沖・アデン湾における海賊対処行動教訓収集参加。米国海軍勲功章受賞。2011年退官後、大手自動車メーカー海外危機管理支援業務従事。2020年から現職。
写真:AP/アフロ