共同通信は9日、「防衛省が人工知能技術を使い、交流サイト(SNS)で国内世論を誘導する工作の研究に着手したことが政府関係者への取材で分かった」と報じた。「防衛省による世論誘導工作のイメージ」という図も掲載され、「防衛省に有利な発信をするようにインフルエンサーに仕向ける」や「情報操作」、「特定国への敵対心(を煽る)」、「反戦・厭戦機運の払拭」といった刺激的な言葉が並んでいる。
これに対し浜田靖一防衛大臣は13日の記者会見で、事実誤認で防衛省として国内世論を特定の方向に誘導する研究は行っていないとしたうえで、文書で厳重に抗議したことを明かした。
「認知戦」と「広報」の違いとは?
この一連の出来事を通して思うのは、「認知戦に対する正しい理解」が必要だということだ。
まず、私たちは「認知戦」と「広報」を明確に区別しなければならない。認知戦は文字通り戦いの一種で、相手国の世論形成プロセスに関与し、作戦遂行に有利になるような情勢を作り出すことを目的としている。そのため、世論操作に使用する情報にバイアス(偏見)をかけたり、フェイク(偽情報)を流したりといったことも珍しくない。
一方、防衛省が行う広報は、日本の防衛のステイクホルダー(利害関係者)である国民の自衛隊に対する理解を促進することや、日本の防衛政策を国際的に認知してもらうためのものだ。ここにバイアスやフェイクがあれば、国民の防衛に対する理解そのものが成り立たないとともに、国際的な信頼も落としかねない。国内世論に対するだけでなく、友好国に対する広報活動というものもあるだろう。
民主主義国家なら、区別できなければダメ!
ロシアや中国といった権威主義諸国では、絶対的権力者の権威を守るため、自らに都合のいいような情報を一方的に配布する行為が多く確認されている。
たとえば、ロシアではウクライナ戦争に関するロシア政府に不都合な報道は一切されていない。また、新型コロナ対策に関する各地で発生したデモに危機感を募らせた中国政府は、新型コロナそのものの性質は一切変化していないにもかかわらず、その評価を「脅威」から「共存できるもの」に変えた。
このように、事実は政権の都合でいかようにも変更できる。両国が民主主義をいくら標榜しようとも、主権者である国民に正確な情報を提供しない限り、民主主義国家とは言えない。つまり、国内世論に対する認知戦はあってはならず、バイアスのかかった情報を活用し国内世論を誘導することは、民主主義国家として唾棄(だき)すべき方法なのだ。
AIによる国内世論の分析は必要
認知戦を正しく理解するにあたって、私たちはSNS情報の取り扱いにも十分留意する必要がある。
SNSは本来個人の交流サイトであり、その利点は、個人と個人、あるいは個人と団体が双方向の情報交換ができることだ。その利便性と影響力の大きさから、最近では政府機関を始めとした多くの公的機関も情報発信ツールとして活用している。たとえば、ウクライナのゼレンスキー大統領を始めとしたウクライナ政府関係者によるウクライナ戦争についてのSNSでの情報発信は、外交や政治のツールとしてNATO(北大西洋条約機構)を含む国際社会からの支援獲得に大きな役割を果たした。ウクライナ国民が提供するSNS情報に基づいてロシア軍の活動状況を把握するなど、戦闘支援ツールとしての利用も散見される。
しかし、SNS情報は玉石混交で、発信される情報がすべて正しいとは限らない。最近では、ロシアのミリタリーブロガーと称する人間がウクライナ戦争でのロシアの苦境を伝える情報を発信しており、その情報の真意も不明だ。
浜田防衛相は前述の記者会見で、いわゆる「偽情報の見破りや分析」が情報戦への対応として重要だとの認識を示している。AI(人工知能)による国内世論の分析は、膨大なSNS情報をファクトチェックするために必要不可欠なのだ。そして、これは国外世論に対する認知戦と区別して考える必要がある。
流れた偽情報をいかに阻止するか
いったん流布された事実誤認やバイアスのかかった情報の拡散をいかに阻止するかも重要だ。
今回の共同通信の報道を後追いする形で、一部の報道各社はその内容を報じるだけではなく社説などで「思想良心の侵害」や「憲法違反」という論を展開している。防衛相だけでなく岸田文雄首相も報道を事実誤認と断言しているものの、防衛費増額の議論が激しく行われるなかで出たこの報道が、「実は防衛省はやっているんだろうな」という印象を国民の多くに植え付けた可能性は否定できない。国外から認知戦が仕掛けられた結果、報道が出た可能性もある。
報道の自由を侵害することはできない。しかし、日本を弱体化させかねない主張の拡散を防ぐためには、防衛省や政治に対する信頼を日頃から維持しておく必要がある。このような観点からも、広報の必要性は極めて重要と言えるのだ。
人の認知領域は、戦闘空間に
<中国はもう仕掛けている?世論を武器化する新たな脅威「認知戦」を知る>では、NATOと中国の認知戦に対する取り組みを紹介した。防衛省も遅ればせながら令和4年度防衛白書で中国の台湾に対する認知戦に言及し、令和5年度予算概算要求でようやく「認知領域を含む情報戦」に対応できるよう情報機能を抜本的に強化することがうたわれた。今回の報道が真実だとしたら、それはまさにこの一環で開始されたものだろう。
人の認知領域はサイバー空間に次ぐ新たな戦闘空間と認識されつつあり、各国で研究・手順の開発が進む。日本周辺の安全保障環境が厳しさを増すなか、各国の認知戦能力は向上しており、すでにその一部は行使されている可能性がある。とすると認知戦に対する理解を深めることは焦眉の急だ。
写真:當舎慎悟/アフロ