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2023.06.02 安全保障

G7の「勝者」はスナク英首相 光った戦略的コミュニケーション

末次 富美雄

 5月19日から3日間にわたって行われたG7サミット(主要7カ国首脳会議)が終了した。ウクライナを攻めあぐねるロシアが核の脅しを繰り返すなか、人類史上初の被爆地である広島において、G7首脳は原爆資料館を視察し、死没者慰霊碑前で記念撮影を行った。その姿が世界に与える影響は極めて大きい。さらに、戦争さなかの首脳であるウクライナのゼレンスキー大統領が参加し、G7首脳と直接顔を合わせ、会談する姿も国際的な注目を集めた。

 法の支配とウクライナへの連帯を示したG7サミットだが、各首脳の動向に着目すると、スナク英首相の行動と発言は、いわゆる「戦略的コミュニケーション」の観点から示唆に富むものであった。

 スナク首相は、昨年10月にインド系として初めて英国首相に就任した。英国においてはマイノリティーに属するが、実家が大富豪であるほか、大手証券会社での勤務経験などから、セレブリティーの印象が強い。

 しかし同首相は、サミットでは徹底的に庶民派を演じた。訪日初日に渋谷で焼き鳥を楽しみ、岸田文雄首相に広島カープのロゴ入り靴下を見せ、20日にはお好み焼き作りを体験して親日ぶりをアピールした。さらには、ゼレンスキー大統領との面談では、上着なしの姿で現れ、身を乗り出すような仕草で会談を行い、両国の緊密さを映像として世界に配信した。これら一連の行動および報道は、世間が英国に抱く「頑固で融通がきかない」という印象を払拭するために計算し尽くされていたのであろう。

情報戦略には「矛」と「盾」が不可欠

 今年1月、日本政府が内閣官房に「戦略的コミュニケーション室(仮称)」を新設する方向で検討に入ったことが明らかとなった。来年4月の発足を目指す本組織は、中国やロシアが仕掛ける情報戦、認知戦に対抗することが目的とされている。昨年末に制定された国家安全保障戦略においても、サイバー攻撃と並んで「偽情報の拡散等を通じた情報戦等」への対応の必要性がうたわれている。

 報道では、本組織の役割を「欧米の関係機関と協力し、SNSなどで他国から発信される偽情報を収集し分析、それを打ち消す情報を速やかに発信する」としている。しかし、本来の「戦略的コミュニケーション」は、もっと幅広い概念だ。

 東京大学公共政策大学院の青井千由紀教授は、戦略的コミュニケーションを「戦略的な情報発信・行動を伴う関与を通じて同志国を増やし、国益に沿うような世界秩序をつくること」と位置づけ、「国益と他者も共感できる価値観をもとに、共通の世界観を創出する外交と親和性が高い」と説明している。

 青井教授が示しているのは、偽情報を打ち消すだけではない、戦略的情報発信の必要性である。偽情報等の流布防止が「楯」だとすれば、戦略的情報発信は「矛」の役割を果たすものと整理できる。

 戦略的情報発信の主体として、国家首脳が果たす役割は大きい。今回のG7サミットでは、広島平和記念資料館をG7首脳が見学したことが話題の一つとなっている。「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」は、岸田首相が合意にこだわった最重要課題であったことは間違いない。他方で、同資料館を見学する首脳の姿や発言はほとんど報道されていない。ロシアによる核の脅しにさらされる国際環境において、「核廃絶」の理念には賛同できても、「核抑止」というリアリズムに背を向けるわけにはいかないというG7各国の事情から、あえて発言を避けたのが実情であろう。これは「守りの戦略的コミュニケーション」であろう。

際立つスナク首相の発信巧者ぶり

 こうしたなか、スナク首相の行動は他の首脳と異なる側面を見せた。それは、サミット開催直前の5月18日に、横須賀に停泊中の海上自衛隊護衛艦「いずも」の視察を行ったことである。視察終了後、スナク首相は「英日両国の協力は地域の安全と安定を守ることにつながる」と、インド太平洋方面の安全保障に対する英国の関与意思を明確に示している。また同日、スナク首相は洋上風力発電などクリーンエネルギーを中心に180億ポンド(約3兆円)の新たな対英投資を日本企業が行う計画も明らかにした。

 さらに、G7首脳二国間会議において、「強化された日英のグローバルな戦略的パートナーシップに関する広島アコード」を締結している。同アコードは、安全保障分野、経済分野およびグローバルな課題における両国の協力指針を示すものだ。「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序」というG7広島首脳コミュニケ(共同声明)で示された原則と共通の価値観を踏襲するとともに、日英関係の今後の方向性として「欧州大西洋とインド洋の安全保障と繁栄は不可分」との認識の下、共通の安全保障上の能力の強化をうたっている。

 スナク首相は、サミット期間中、庶民的な話題を提供して日本国民に親近感と共通の価値観を醸成しつつ、護衛艦視察や「広島アコード」の締結を通じ、英国のインド太平洋へのコミットメント維持と存在感を示すことに成功した。極めて巧みな「戦略的コミュニケーション」と言える。

 当サイトでは、「認知戦」を主要テーマの一つとし、さまざまな角度から論じてきた。昨年12月には、「防衛省が世論工作研究? 世界で繰り広げられる『認知戦』について理解しよう」という記事において、「認知戦」と「広報」を区別するように主張した。その趣旨は、「認知戦」は戦いであり、相手を欺瞞(ぎまん)することや偽情報を配布することは手段として是認されるが、広報は、自らの国民に向けたものであり、そこに偽りがあってはならないという点であった。

 その意味で、今回のスナク首相の行動には「嘘」「偽り」はない。ただ、そのターゲット・オーディエンスは英国民というより、日本を含む国際社会であり、それらの認識に働きかけることを目的とした行動であったことは間違いない。「認知戦」と「広報」の狭間にある手段と言える。今後設置が予定されている「戦略的コミュニケーション室(仮称)」の任務として、わが国も大いに参考とすべきであろう。

末次 富美雄

実業之日本フォーラム 編集委員
防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。護衛艦乗り組み、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令を歴任、海上自衛隊主要情報部隊勤務を経て、2011年、海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官。退官後、情報システムのソフトウェア開発を業務とする会社にて技術アドバイザーとして勤務。2021年からサンタフェ総研上級研究員。2022年から現職。

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