海外での安倍元首相の追悼記事のいくつかは、同氏を「Quadfather」(クワッドファーザー)と称し、日米豪印の枠組みの生みの親として論じている。実際に、米バイデン大統領、印モディ首相、豪アルバニージー首相の連名で出された追悼声明では、安倍元首相が自由で開かれたインド太平洋ビジョン(FOIP)と共に、QUADの形成において果たした重要な役割についても言及している。
QUADには2つの主要な枠組みがある。一つは海洋共同演習であり、他方は事務レベルから閣僚、そして首脳レベルへと発展する協力会合である。本稿ではQUADは中国をターゲットにして発展する一方、自らの対外政策に影響を与えかねないその進展を中国は食い止めるたようとしたその変遷を示したい。
この追悼論の連載の初回で記したように、安倍元首相は2006年に出された自著『美しい国へ』の中でQUADの基となる民主主義をアジアに広げるための日米豪印サミット案を提示しているが、公式には、2007年1月の首相として初の施政方針演説において、民主主義など共通の価値観を共有する国とのパートナーシップ強化の必要性を訴えており、その際、米印豪の名を特に挙げている。
翌月、チェイニー米副大統領(当時)との会談では、2006年3月に初の外相会議を開いた日米豪の枠組みにインドを加える可能性が議論され、その結果、同年5 月のASEAN地域フォーラム(ARF)の際に、4か国の外務代表からなる非公式会談として実現している。さらに米印が1992年に開始したマラバール海軍共同演習において、2007年9月、日米豪印(星も参加)が初めて揃って共同演習を行っている。この年は米印海軍で4月にすでに行っているため、2回目の実施であり、さらにアラビア海などインド西岸ではなく、初めてベンガル湾で行われるなど、異例ずくめの演習となった。
このようにQUADの進展は順調に進むかと思われたが、米国を中心にした封じ込めの動きに敏感になっていた中国は、先のARFが非公式な会合であったにもかかわらず、公式な外交ルートを通じて日豪印3か国に対して抗議を行い、その反対の意向を強めている。また9月のマラバール演習についても、より中国に近いベンガル湾で行われたことで、不快感を示している。
当時の中国は、日豪を含むアジア太平洋諸国と経済相互依存を深めており、2001年に世界貿易機関(WTO)に加盟したことを契機に拡大し始めた巨大市場を梃子に「魅惑(外交)攻勢」(charm offensive)との別称を持つ善隣外交を展開、これらの抗議はQUADの発展に楔を打ち込むのに十分な効果を持つに至る。
前回論じた日豪FTA同様、QUADも2007年9月の安倍政権、同年12月のハワード政権退陣後は、それを引き継いだ福田、ラッド両政権がその継続に関心を示さず、同構想はついえたかに見えた。その間、ラッド政権は対中経済依存を深め、さらに福田政権も1年の短命に終わったにもかかわらず、3回も胡錦濤国家主席とのトップ会談を行うなど、関係進展を背景にQUADの弱体化を試みている。
ラッド元首相は後に、「親中派」の福田首相(当時)が対中関係を改善していく過程でQUADに関心がなかった点、さらにQUADという安倍元首相が進めた「日本の新たな対中同盟に巻き込まれるのは、豪州の長期的な国益と一致しない」ことが、豪州が当時QUADに関心を示さなかった理由と述べている。
マラバール演習への参加も2007年のみとなるなど、安倍第1次政権が作った日豪の準同盟化への動きは、政権交代で一度は霧散したと言えよう。さらに、このラッド政権の一方的なQUADからの離脱は、インドの同政権への猜疑心を強めることとなり、2008年、豪州の主要な多国間海軍演習である『カカドゥ』への招待を断る事態へと発展し、その後の豪印関係に悪影響を与えることとなった。
そして日豪FTA同様、QUAD復活の狼煙は第2次安倍政権によってあげられている。2012年9月、自民党総裁選への出馬にあたり、日米豪印の連携強化を外交政策の重要課題にあげ、国際NPO団体『PROJECT SYNDICATE』自身の名で発表した英論文『Asia’s Democratic Security Diamond(アジアの民主主義安全保障ダイヤモンド)』の中において、国際法を無視した形で海洋進出を行う中国に対して厳しい認識を⽰しながら、その対処方策として、⽇⽶豪印の民主主義国家同士が、太平洋からインド洋にかけて安全保障ダイヤモンドを形成するべきだと論じた。
ただ、中国の関与政策に固執するオバマ政権下の米国、保守政権下でも全貿易量の3割から4割を中国に依存し続ける豪州、同様にその中国とは日印貿易の5倍以上の貿易取引を行うインドと、中国の4か国枠組みへの否定的な意向を考慮せざるを得ない相互依存環境は続いていた。また上述のインドの豪州への猜疑心から、両国関係の制度的結びつきは脆弱なままであり、2017年には、豪州からのマラバール参加の打診をインドは拒否している。その結果、豪ギラード政権のカー元外相など、豪州における親中政治家や学者に、QUADの非実現性を訴える機会を一時、与えることになった。
大きな変化をもたらしたのは、関与から対立と対中戦略を変化させた2017年のトランプ政権の誕生であった。さらに、香港や新疆ウイグル自治区での人権蹂躙や、国際法を無視した形で人工島や滑走路を南シナ海に建設するなどの習近平政権の強権的拡大路線により、中国市場から得る経済的利益よりも法の支配など基本的価値を重視すべきとの評価が、西側世界を中心に広がっていた。その国際環境の変化を読んだ安倍政権で新たに外相に任命された河野太郎氏が、17年8月の日米豪、9月の日米印外相会合にて日米豪印戦略対話を提案し、まず局長級協議が同年11月にマニラにて開催された。中国の王毅外相はこれに対して「(QUAD)は太平洋やインド洋の海の泡のようなもの…注目を集めるかもしれないが、すぐに消えるだろう」と述べ、10年前と同じ運命を辿るとの予想を示した。
しかし、その予想は外れることになる。局長級会合はそれから年2回開催されるようになり、河野外相の提案した初の外相会合は19年9月、ニューヨークにて実現している。2020年10月の東京での外相会合では、コロナ禍ではあったが対面で開催され、同会合の定例化が決まった。そして安倍元首相が『美しい国へ』で最初に提案したQUAD首脳会議は、バイデン政権発足直後の2021年3月、オンラインではあるが実現し、その半年後にはワシントンDCにて初の対面会合が開かれるなど、トランプ前政権が軽視した多国間制度を重視するバイデン大統領の意向が強く反映される形で進展している。
そして翌年3月の再度のオンライン会議を経て、5月には岸田文雄首相のホストの元、東京で初めて首脳会合が開催された。その際、バイデン大統領は13か国の参加を経て、インド太平洋掲示枠組み(IPEF)の立ち上げを発表、中国を排除した米国主導の地域経済圏構築へ向けた強い意欲を示している。これらの展開を受けて、さすがの王毅外相もQUADを「インド太平洋版NATO」と称すなど警戒感をあらわにし、「冷戦思考を喚起し…地政学的な対立をかき立てている」と強く非難せざるを得なくなった。
QUADをインド太平洋地域のNATOに発展させるという意思も動きも4か国内にはない。ただしQUADの発展を促したのは、安全保障と経済ルール面で現状変更を強いて米国の覇権に挑戦していることに加え、インドとの国境紛争、豪州との貿易摩擦、日本とは尖閣諸島付近で領海侵犯などを繰り返すなど、それぞれの関係が悪化する状態を作り出している中国の行動にある。
2020年4月以降、中国の一方的な関税上乗せに苦しんだ豪州のモリソン首相(当時)は、QUAD首脳会合を「(1951年調印の米豪同盟)ANZUS条約以来のビッグ・ディールだ」と述べ、日米印という大国を味方につけるQUAD首脳会議の意義を強調した。さらに、先述の米印マラバール演習については、安倍元首相のインドへの強い要請もあり、まず日本が2015年に正式に参加が認められ、また豪州の2007年以来の復帰は、2020年にインドが豪州を招聘したことで実現し、以降4か国の艦隊が一堂に揃うシーンなど、QUADの象徴的な協力案件になっている。
「クワッドファーザー」と称された安倍元首相が米豪印を繋げる意味で果たした最大の貢献は、そのアイデアと共に、米トランプ、印モディ、豪アボット、そしてターンブルといった各首脳と特別に親密な関係を構築し、それを活かしながら、日米印、日米豪という3か国の協力枠組みを形成、4か国枠組みへ向けた環境を醸成したことにある。これは他の首脳では発揮しえなかった政治指導力の賜物であり、そしてこの指導力は、次回扱う安倍元首相のもう一つの外交イニシアチブであるFOIPにも効果的に発揮されることになる。
写真:AP/アフロ