変容する同盟―日米同盟(1)

日米同盟は、我が国自身の防衛努力、安全保障協力と並んで我が国の防衛三本柱の一つである。本同盟は、旧日米安全保障条約が締結された1951年から、時代の試練を受け続け、次第に変容している。その変容を概観した上で、今後のインド太平洋における日米協力について述べる。

今年は旧日米安保条約が締結されて70年となるが、日米共同要領を概観すると5つの時期に分類できる。

第一の時期は、旧安保締結後から1960年の現在の安保条約締結までである。旧安保では、日本政府は米国に軍隊の駐留を依頼し、これを米国が受諾する形となっている。駐留する米国軍隊は、日本が外部から攻撃を受けた時にこれを撃退するだけではなく、日本国内の治安維持をも任務としている。旧ソ連による赤化工作による騒乱を視野に入れた内容であり、独立国としてはあり得ない規定であろうが、当時の日米政府の危機感が垣間見える。
日本の安全を米国に丸投げした時代である。戦後復興が進むにつれ、日本の条約改定の機運が盛り上がり、これに米国が同意する形で1960年に、激しい反対運動の中、新たな安保条約が締結された。

第二の時期は、1960年から冷戦終了後の1990年代までである。小規模限定的な侵略には独力で対処するが、それ以上の脅威には米国に期待するという防衛構想の時代である。旧ソ連という軍事大国の脅威をまともに受けていた日本が、核戦力を含め単独で対処するのは非現実的であったことは理解できる。しかしながら、日本の経済規模が拡大するにつれ、経済優先、軽武装という戦後日本復興の基本方針で会った「吉田ドクトリン」の限界が見え始めた。1990年代は、米国における対日観が極めて悪化し、日本に対して「安保ただ乗り(フリーライダー)」との批判が増大した。米国の次の戦争の相手は日本だという論評も出始めた時期であった。

同盟の危機を受け、1996年、冷戦後のアジア太平洋地域の情勢を踏まえ、「日米安全保障共同宣言」が出された。この際、日本の周辺事態における対応と協力が示され、自衛隊の活動範囲が拡大された。自衛隊の初めての海外任務として、海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣したのもこの時期である。ちなみに、「周辺」とはどこまでを指すのかについて、論争がおこり、政府答弁では「地理的範囲ではなく、事態の性格により判断される」と説明されている。

第三の時期は1990年代後半から2005年頃までである。国連のPKOや国際緊急援助活動といった形で自衛隊の活動が我が国の範囲を超え、海外における日米協力も深化した。しかしながら、この状況を大きく変化させたのが2001年9月の米国同時多発テロである。イランやアフガニスタンにおける米国の実力行使を、どう支えるのかということが大きな課題となった。更には、科学技術発達に伴い「軍事革命(RMA)」が進展し、在日米軍の戦力構成を再検討する必要性も生じた。これらを背景として、2005年に「日米ロードマップ」が策定された。この検討を通じて、日米安保は「世界とアジアのための日米同盟」と再定義された。

第四の時期は、2005年頃から2015年頃までである。インド洋における補給支援活動やソマリア沖における海賊対処活動等、自衛隊の活動はグローバル化した。更には、周辺国の軍の近代化や軍事活動の活発化、科学技術の発展に伴い、宇宙やサイバーといった新たな戦闘エリア出現に対応するためには日米安保における自衛隊の役割を更に拡大する必要が生じた。そのためには、現行憲法下で行使できる限定された集団的自衛権を法制化しなければならなかった。

2015年に成立した一連の「安全保障法制」は、この必要性にこたえたものであり、この法制をもとに2015年に新たな「日米防衛協力の指針(新指針)」が策定された。新指針の規定に基づき、各段階における政策調整や同盟調整メカニズムを通じて、各種作戦構想が策定され、情報の共有や各司令部への連絡幹部の派遣等、日米共同作戦の実効性が格段に向上した。特に、自衛隊の部隊と連携して我が国の防衛にする活動に従事している米軍等の部隊を防護するための武器使用が規定されたことは、「片務性」が指摘されてきた日米安保体制にとって大きな進展と言える。

現在日米安保は第5の段階にあるといえるであろう。日本防衛のための日米協力は格段に進展しただけではなく、その実効性も担保された。昨年12月に示された第5次アーミテージ・ナイ報告書は、日本を「必要不可欠で対等な同盟国」と位置付け、「自由で開かれたインド太平洋コンセプト」における日本のイニシアティブを評価している。さらには、QUADやASEAN地域フォーラム等の場での活動の強化や軍事機密情報共有ネットワーク(ファイブアイズ)への加入も提言している。2015年に制定された「安全保障法制」は現行憲法下でぎりぎりの解釈により限定的集団的自衛権行使を可能としたものと言われている。

コロナ禍の日本国内において、憲法改正へのインセンティブが低い状況下で、日米はいかに対等な同盟国と成り得るだろうか。「変容する同盟―日米同盟(2)」では、日米同盟の限界を見据えたうえでの方向性について分析する。

サンタフェ総研上席研究員 末次 富美雄
防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。護衛艦乗り組み、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令を歴任、海上自衛隊主要情報部隊勤務を経て、2011年、海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官。退官後情報システムのソフトウェア開発を業務とする会社において技術アドバイザーとして勤務。2021年から現職。


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