実業之日本フォーラム 実業之日本フォーラム
2024.09.04 対談

松尾豊教授が米国で突き付けられた「何者でもない自分」、エコシステム創出の原点
松尾豊氏との対談:地経学時代の日本の針路(5−2)

白井 一成

米中対立が激化の一途をたどる中、あらゆる分野において競争が激化している。ChatGPTの登場はAI時代の幕開けを予見させるが、今後の経済覇権は、先端技術開発を先導し、それを実装できた国が握るだろう。その推進力となるのは、優秀なトップ人材と企業を結びつける新しいエコシステムだ。前回に続き、日本におけるAI研究の第一人者であり、起業家としても起業家の支援者としても第一線で活躍する東京大学大学院の松尾豊教授に聞いた。
(聞き手/白井一成=実業之日本フォーラム論説主幹)

白井:シリコンバレーには、優秀な学生を集めた大学からベンチャー企業が生まれ、そこに先輩起業家や企業、テクノロジーに理解のあるファンドなどが資金やノウハウを提供して企業の成長を手助けするというサイクルが存在します。例えば、PayPalの創業者であるピーター・ティール氏は、メンター的な役割でFacebook(現Meta)の成長に貢献しました。これらは一般的にシリコンバレーのエコシステムと呼ばれています。

 松尾教授は東京大学の研究室で日本らしい起業エコシステムの構築に尽力され、松尾研究室の学生が起業した一部の会社は株式上場という成果を上げました。松尾研究室から先進的な企業が生まれるモデルは、まさに日本版シリコンバレーエコシステムと言えると思いますが、どこから着想を得たのでしょうか。

松尾:2005年から2007年にかけてスタンフォード大学に客員研究員として在籍したことが大きな刺激となりました。当時の私は日本でいくつもの論文業績を出しており、AI分野で目立つ若手の一人としてスタンフォード大学へ行きました。しかし、そこには初期人工知能研究の第一人者として知られる故ジョン・マッカーシー氏などA Iの生みの親のような大御所がたくさんいて、自らの専門をAIだと言うこと自体が恥ずかしかったのを覚えています。

 大学が位置するシリコンバレーには、たくさんのベンチャー企業や技術系グローバル企業が集まっています。そこは一見、みんなが明るくコミュニケーションしながら仕事をしているように見えますが、実際はとても孤独な場所でした。日本のように新しい人が参加したら歓迎会をするような雰囲気では全くありません。良い意味での実力主義で成り立っていて、自分の業績がなければ誰にも相手にしてもらえないような空気がありました。私はその時初めて、「自分はまだ何者でもない」ということを突きつけられたのです。

 それからの2年間、私は日本では考えられないほど多くの論文を書きました。すると周囲から「君はすごい」、「ライジングスターだ」などと言われるようになり、認めてもらえたと感じて嬉しかった。しかし同時に、学問の世界で出来ることの限界も感じ始めていました。

 というのも当時はGoogleやFacebook(現Meta)が急成長している時期で、学会で会う人たちが、毎年、大学などの研究機関からそういった企業に移っていきました。そして、企業の中で大規模な計算力やデータを使って旺盛に研究を進め始めたのを目の当たりにしたからです。こうした企業内での研究の重要な部分は学会で公表されないことも多いのです。

 そのような状況を見て、アカデミアがアカデミアだけで成り立つ世界は終わり、これからは産業と融合していかなければ学問としての発展はないと痛感したのです。そして私は日本に帰国し、日本にもシリコンバレーのようなエコシステムを作らなければならないという思いから、さまざまな活動を始めました。

 それに刺激を受けた松尾研究室の学生たちも起業し始め、その中からニュース配信サービスを手掛けるGunosyやAIシステムに強いPKSHA Technologyなどの会社が生まれるきっかけになりました。

白井:アカデミアから実業界へ入ることができるルートが確立されていて、将来のキャリアパスを明確に描けるからこそ、米国の大学には優秀な人材が集まるということですね。

松尾:そうですね。大学は、研究や教育の場であることには変わりありません。私がスタンフォード大学に在籍していた当時、「検索エンジンの作り方」という講義の講師をYahoo!Research(Yahooの研究所)のトップが務めていました。また、初代iPhoneが2007年に発表されると、大学ではすぐさま「iPhoneアプリの作り方」という講座が始まりましたし、「コンピュテーショナル・アドバタイズメント」というネット上の広告についての講義などもありました。

 このようにして、現場の第一線にいる人たちが企業の先端で使われている最新技術やその課題を学生に直接教え、その講義を受けて大きな武器を手に入れた学生たちがGoogleやYahoo!に就職して即戦力となり、その一部が起業していきます。

 そもそも大学が企業から資金を得ているということは少なくありませんし、企業の人材が大学に行ったり大学の人材が企業に行ったりする「回転ドア」も盛んで、攻守交代が起こりやすく、人材の流動性が高いと思います。そして、そうした交流を通じて互いの文化をよく知っているから、互いの立場に立つこともでき、意義のある密な連携が可能になっているのです。

白井:「シリコンバレーに行った当初、何者でもない扱いをされた」とのことでしたが、アカデミアの世界が閉鎖的だったという事でしょうか。それとも、VC(べンチャーキャピタル)を始めとしたシリコンバレーのエコシステム自体が閉鎖的だったということでしょうか。

松尾:閉鎖的というよりも実力主義ということだと思います。米国人は明るくて社交的というイメージがありますが、基本的には自分が認める人しか相手にしないというような非常にドライな側面があります。日本のように、その人の能力に関係なく自分達の部署に来てくれれば歓迎会を開いて仲間だとみなすような感覚はありません。

 実際、私が在籍したスタンフォード大学の研究室の人々は、「個人で研究し、論文を書き、教授にアポイントを取る」という完全な個人主義が徹底していて、2年間の中で会食があったのは2回だけでした。

白井:シリコンバレーの起業家やスタンフォード大学などのアカデミア、エンジェル投資家、VCなどは有機的に繋がっていて、その重層的で巨大な連関が米国の大きな経済を生み出しているように見えます。しかし、本当は認め合った者同士だけがイノベーションを起こしており、その個々の点がつながって巨大に見えているということかもしれませんね。

松尾:そうですね。もちろん、外から加わった人でもチャレンジャーは常に歓迎されます。米国の大学の講義では、学生は教授に難しい質問をして、チャレンジします。教授はそれを見事に跳ね返すことが常に求められています。そのような環境のもとで、お互いが切磋琢磨し、実力のある者同士によってものごとがどんどん進められていくと感じました。

白井:日本に戻ったあと、米国に戻りたいという気持ちにはならなかったのでしょうか。

松尾:日本に帰国後もまたすぐに海外に行きたいと思い、スタンフォード大学には3か月に1回ほどのペースで通っていました。また、2012年には海外に拠点を移そうと考え、そのような活動を増やしていっていました。

 ところが、2013年、14年くらいから第3次のAIブームが到来しました。AI研究者として、このタイミングで、社会に対して責任ある行動をせねばという思いに駆られました。また同時に、日本にとって大きなチャンスが到来したという思いもありました。それらの思いに突き動かされるように、その後の数年間、一生懸命活動をしてきました。そのまま今に至るという感じです。

白井:東京大学の中でも松尾教授が在籍している工学部が際立ってベンチャー起業を輩出し、新しい技術を社会に還元する取組みを生み出しているように見えます。なぜでしょうか。

松尾:東京大学全体で、スタートアップを育成していこうという機運が高まっています。またスタートアップに限らず、「社会に対しきちんと役割を果たしていこう」という意識も高まっているように感じます。

 私が所属するのは工学部ですが、工学部というのは、「工」と言う文字からもわかるように、本来は産業に寄与することが求められる場です。ところが、アカデミアの世界は、長らく、産業界に影響されずに研究することが重要という意識が強く、それは工学部も例外ではありませんでした。

 ほんの10年前までは、研究室からスタートアップ企業を生みだしても、特に注目もされませんでした。できるだけ民間との共同研究や民間から寄付金を募るかたちで研究や教育の活動費用を賄ってきましたが、そうした姿勢に対して、国から研究費を取るべきだと言われることのほうが多かったと思います。それが、最近は大きく変わってきました。

白井:松尾教授が10年前ほどから始めた大学からのベンチャー企業の輩出や、それを育てるエコシステムの創出のための活動は、当初は逆風の中にあったのですね。その状況にどう立ち向ったのでしょうか。

 松尾:私は、以前から、その組織にとっての普通ではないような人が、逆に組織にとって最も付加価値を出しやすいと思っています。ですから、私自身も、できるだけ組織にとっての普通を気にせずに自分が思うところを実現しようと思ってやってきました。

 大学の中で何をするかというよりは、産業を見てさまざまな企業活動にいかに貢献できるかを突き詰めたいと思い、学術と産業を融合させて戦う方法を考えてきました。大企業との共同研究やスタートアップを生み出す仕組みは、今までの大学の枠内には収まり切らない面もあり、やりにくい部分も多かったのですが、最近は評価されることが増えて、とてもありがたいと思っています。

白井:松尾教授は起業家を育てる新しいシステムとして「起業クエスト」というものを打ち出しています。

松尾:はい、起業クエストは研究室で行っている人材育成の新しいプログラムのひとつです。起業をさらに多く生み出し、そして成功確率をもっと上げることを目的としています。基礎的なAI技術を学び、共同研究を通じて実際の世の中の課題を解く経験を重ね、プロジェクトを回せるようになったら、仲間を集めて起業する——。この流れをゲームのように段階的に組み立てて達成しようという趣旨で、2021年夏から始まりました。

 大きな野望ですが、最終的にはこうしたプログラムを発展させることで、年間100社のスタートアップ企業を生み出したいと思っています。松尾研究所のAI講義の受講者は年間約5000人以上になっていますので、不可能な数字ではないと思っています。

白井:「新しいことを始める時のやりにくさ」は米国にもあるのでしょうか。

松尾:日本に比べると米国の大学の方が新しいことをやりやすい点は2つあると考えています。

 一つは、産業界と大学との間で攻守交代が頻繁にあるためです。大学内における権力構造というものはどこの国にもありますが、米国は人材の交流が頻繁にあり、産業界と大学の関係が近い。産業界が大学に対して、今の時代にあった新しい人材育成をすることを求めています。

 二つ目は、VC(ベンチャー・キャピタル)が、若者に積極的に投資することです。10代、20代の若者にときに数千万、数億ドルという巨額の資金提供をします。大学側も学生や若い研究員が大きな価値を生み出すことをよく理解しています。VCが若者の立場を底上げし、新しいことへの挑戦を後押ししていると思います。

白井 一成

シークエッジグループ CEO、実業之日本社 社主、実業之日本フォーラム 論説主幹
シークエッジグループCEOとして、日本と中国を中心に自己資金投資を手がける。コンテンツビジネス、ブロックチェーン、メタバースの分野でも積極的な投資を続けている。2021年には言論研究プラットフォーム「実業之日本フォーラム」を創設。現代アートにも造詣が深く、アートウィーク東京を主催する一般社団法人「コンテンポラリーアートプラットフォーム(JCAP)」の共同代表理事に就任した。著書に『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤誉氏との共著)など。社会福祉法人善光会創設者。一般社団法人中国問題グローバル研究所理事。

著者の記事