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2024.06.20 外交・安全保障

本格始動するセキュリティー・クリアランス制度、越えるべき3つのハードル

末次 富美雄

 今国会で「重要経済安全保護・活用法」が成立した。同法の主眼は、機密情報にアクセスできる人物について政府が信頼性を評価(適性評価)する「セキュリティー・クリアランス」制度を導入することだ。今後1年以内に、基幹インフラや半導体などに関する情報のうち、流出すると安全保障上のリスクがあるものを「重要経済安全情報」として指定するほか、適性評価に係る運用基準などが策定され、閣議決定後に施行される。

 セキュリティー・クリアランス制度で規定されている適性調査は、2013年に成立した「特定秘密保護法」と同様である。同法における特定秘密は(1)防衛、(2)外交、(3)特定有害活動(スパイ等)、(4)テロリズムの防止に係る情報だ。重要経済安全保護・活用法の成立により、経済安全保障分野にも適用が拡大されることになった。

 背景には、米中対立をはじめ、国際情勢が厳しさを増している現状がある。わが国も安全保障に関連する装備の共同研究や開発、サイバー空間を含む重要インフラ防護のための国際協力は必須となってきている。セキュリティー・クリアランス制度の設立は、次期戦闘機の日英伊3カ国共同開発を進める上で必要なステップでもある。機微にわたる情報を共有するためには、国際基準に合致した資格を国家として認定することが不可欠だからだ。

実効性確保のための3つのハードル

 運用基準などの策定や規則の実効性確保のためには、依然として大きなハードルがある。以下、3点を指摘したい。

 一つ目は、対象となる重要経済安全情報をどのように規定するかである。

 防衛装備移転三原則の運用指針を例に考えてみよう。同指針においては5類型(救難、輸送、警戒、監視および掃海)に限り、武器の輸出を可能としている。2022年に改訂された国家安全保障戦略では「防衛装備移転の推進」がうたわれ、同指針の見直しを検討するとされていた。実際には5類型は維持され、わずかにライセンス生産完成品のライセンス元国への輸出や、米国以外の円滑化協定締結国に対する役務の提供などが可能とされた。例外的に、日英伊共同開発の次期戦闘機に限っては第三国移転を容認するものとされた。

 このことから読み取れるのは、一度明確化された基準や指針を改正するのは極めて難しいということである。重要経済安全情報には(1)サイバー関連情報、(2)規制制度関連情報、(3)調査・分析・研究開発関連情報、(4)国際協力関連情報などが想定されている。漏洩した場合の罰則規定が設けられており、何が該当するのか具体的に示すことが法の執行上求められる。

 しかしながら、今後の情勢変化に伴い、一定程度の柔軟性を確保することも重要である。重要経済安全情報の具体化に当たっては、例えば、ネガティブリスト方式(制限・禁止する対象をリスト化し、それ以外は許可する方式)を採るなど、柔軟性を持った規定とすべきであろう。

 二番目のポイントは、適性評価に係る手続きの問題である。

 適性評価は、本人の同意を得た上で、実施される。スパイ活動(特定有害活動)やテロとの関係はもちろんのこと、犯罪歴、薬物乱用、精神疾患、飲酒癖、経済状況(借金の状況など)の7項目を調査するとしている。

 項目によっては、本人のみならず家族や同居人にまで調査の範囲が拡大する。適性評価の対象人員について、有識者会議の最終報告書によると、他国の例で言えば米国で約400万人、その他の国でも数十万人とされている。日本の特定秘密保護法における適性調査の対象者が約13万人であることを考慮すると、調査対象者はこの数倍にも上り、家族などを含めるとさらに膨らむと推定できる。

 調査を一元的に実施する行政機関は明らかにされていないが、担当機関が膨大な作業を負うことが想定される。また、評価の実施に同意しない人物や、セキュリティー・クリアランスが得られなかった人物の取り扱いに職務上不利益を生じないよう配慮も必要だ。

 重要経済安全情報を取り扱うが故に希望する職務に就けないことや、調査や評価実施中のため、人員配置に支障を来すことも想定される。対象人物の不利益だけでなく、評価の遅延により、重要経済安全情報を取り扱う事業自体に支障が生じる可能性もある。制度設計に当たっては、適性評価実施の優先順位を定めるなど事業へのインパクトを最小限に抑える配慮が必要である。

 三点目は、事業者に対する適合性評価である。

 前述の最終報告書において、民間事業者が重要経済安全情報を取り扱う際、施設などの保全体制に加え、事業者の株主構成や役員構成といった組織的要件を確認する必要性にも言及している。民間企業にとって、保全要件を整えるための投資は、直接利益を生むものではない。組織的要件に何らかの制限が加えられることにも抵抗があるであろう。

 重要経済安全情報を保護することが国家の安全保障のみならず、企業の継続性の点からも重要であるとして、国全体で理解を広める努力が求められる。

企業に経済的利益をもたらす仕組みも必要

 2013年に特定秘密保護法案が国会に提出された際、国民主権に関わるなどとして、当時の民主党をはじめとした野党が猛反対し、国会は紛糾。国会議事堂周辺では連日、反対デモ集会が開かれるなど国民的議論を呼んだ。

 一方、今回の重要経済安全情報保護・活用法は、適性評価の範囲を特定秘密保護法以上に拡大するものであったにもかかわらず、立憲民主党が賛成に回るなど、野党の反対もそれほど先鋭化しなかった。世論もかつてほど、沸騰しなかったように見える。

 その背景には、特定秘密保護法施行に反対していた人々が主張していたような言論統制や報道規制などによる「暗黒の時代」が到来しなかったことに加え、はるかに厳しさを増した安全保障環境に国民の理解が高まったことが挙げられる。

 一方で、セキュリティー・クリアランスを含む情報保全に関わる各種施策は、業務の効率化や簡素化とは反対方向にある。その実効性を高めるためには、理解を求めるだけではなく、経済的インセンティブも必要だ。例えば、セキュリティー・クリアランスを持つ従業員の作業単価を上げるといった施策が民間企業にもたらされるような仕組みも必要であろう。

写真:つのだよしお/アフロ

地経学の視点

 本文にもあるように、セキュリティー・クリアランス制度を巡っては、立憲民主党などの野党も関連法案に賛成に回った。経済安全保障上のリスク対応が急務であるとの危機意識が、国政を担う政治家たちにも浸透してきたように見える。

 今回、著者は今後を見据えた越えるべきハードルを指摘している。いずれも細やかに見えて、欠かすことのできない項目ばかりだ。特に、理解を求めるだけでなく経済的インセンティブをもたらすべきだという主張は、より早く制度を定着させるためにも検討されるべきであろう。

 一方で、報道では適性評価に伴う人権侵害の可能性に関する論点が中心になっていたようにも見える。プライバシーの保護や情報管理の徹底は言わずもがなだが、それ以上に、なぜ今、セキュリティー・クライアンス制度なのか――。立ち止まって人々が考え、経済安全保障、すなわち地経学の重要性を知る良い機会にしていくべきではないだろうか。(編集部)

末次 富美雄

実業之日本フォーラム 編集委員
防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。護衛艦乗り組み、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令を歴任、海上自衛隊主要情報部隊勤務を経て、2011年、海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官。退官後、情報システムのソフトウェア開発を業務とする会社にて技術アドバイザーとして勤務。2021年からサンタフェ総研上級研究員。2022年から現職。

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