パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム武装組織ハマスは10月7日、突如イスラエルに大規模攻撃を行った。約1000人の戦闘員が参加したとされ、イスラエルにとって1973年の第四次中東戦争以来の規模の攻撃を受けることとなった。イスラエルは空爆で反撃、ハマスもロケット攻撃を継続しており、19日時点でイスラエルとパレスチナ側合わせて5100人を超える死者が出ている。イスラエルはガザへの地上侵攻を辞さない構えだ。
10月18日、イスラエルを訪問したバイデン大統領はハマスによる攻撃を非難し、「ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を傍観するつもりはない」と述べた。これに先立つ17日、ドイツのショルツ首相がイスラエルを訪問、「ドイツの歴史、(ナチス・ドイツによる)ホロコーストから生じた私たちの責任は、イスラエル国家の存立と安全のために立ち上がることを義務としている」と語った。13日には、ドイツ人であるEUフォン・デア・ライエン委員長もイスラエルを訪れ、共同記者会見で「ホロコースト以来の蛮行だ」とハマスを非難している。
一連の首脳発言から見えてくるのは、西側、特に欧州において、ユダヤ人が大量に犠牲になる事件は「ホロコースト」を連想させ、「絶対悪」とされるということである。一方、パレスチナを擁護する諸国にもそれぞれの理屈や思いがある。イスラエルとパレスチナの問題について正否・善悪を判断するのは非常に難しい。
ただ、人々に刷り込まれた思いが国家の政策に色濃く反映されることは否定できない。そして、そうした刷り込みや思考に大きな影響を与えるのが「情報」である。中東情勢は非常に流動的であるが、今回の事案に関して、本稿では「情報」をキーワードに現状を把握したい(なお、本稿は10月20日に執筆したものである)。
「情報」を読み解く三つの視点
「情報」について考えるに当たり、三つの視点を提示したい。一つが、敵対国に囲まれ、アラブ国家との間で四回もの戦争を行ってきたことから、情報収集能力が極めて高いと評価されていたイスラエルと、世界最大の情報組織を持つ米国が、なぜ今回のハマス襲撃を察知できなかったのかという点である。二点目は、もし事前に察知していた場合、イスラエルは襲撃を阻止できたか。最後に、これから過激化すると予想される情報戦の視点である。
第一の視点について、オースティン米国防長官は10月13日の記者会見で、「もし同盟国に対する差し迫った攻撃を知っていたら、われわれは明確に伝えていた」と述べている。米情報組織がハマスの意図を見抜けなかっただけではなく、イスラエルの情報機関からもそのような情報が得られていなかったことを示唆したものだ。イスラエル軍参謀本部諜報局ハリバ局長も17日、「情報活動の失敗」を認めた。
一般的に情報のサイクルは、「要求」、「収集」、「分析処理」、「評価」そして「配布」とされる。イスラエルの存在を認めないイスラム武装組織「ハマス」について、イスラエル情報当局が情報要求を怠っていたとは考えられない。
つまり、今回の不手際は、「要求」以降のプロセスに原因がある。収集手段に不足、偏りがなかったか、分析処理において情報の量および質に配慮がなされたのか、評価において思い込みや油断がなかったか、適時・適切に情報の配布されたのかがポイントとなるであろう。もっとも、イスラエル軍は当面の作戦遂行を優先する構えで、情報活動の失敗原因の追及は戦争後となるであろう。
二点目は、もし事前に情報が得られていたら、「公開による抑止(deterrence by disclosure)」が効果的であったかどうかだ。むろん仮定の話ではあるが、米国が最近重視している情報の活用法であり、検証する意義はある。
筆者は、7月に米ワシントンで開催された情報関係のサミットに参加した。同サミットでジョン・フィナー米大統領府安全保障担当首席副補佐官は、「ウクライナ戦争における米国の情報開示は、ウクライナの戦争準備およびNATO諸国のウクライナ支援取り付けに効果的だった」と評価し、「中国のロシアへの軍事支援やイランのロシアへのドローン提供への圧力となっている」とも述べた。
「公開による抑止」の失敗で世界に亀裂
ウクライナ戦争において、ロシア侵攻前から米国はプーチン大統領が侵攻を決断したとの情報を公表していた。しかし、ロシアが侵攻をあきらめることはなかった。また、イランはロシアへのドローン輸出を隠そうともしていない。つまり、「公開による抑止」は、抑止そのものよりも、公開情報に基づいて、関係国が所要の措置をとることに重要性があると考えられる。
その観点からすれば、イスラエルが事前に情報を得て、その内容を公開しても、プーチンと同様、ハマスが攻撃を取りやめることはなかったであろう。しかしながら、イスラエルのハマス拠点への事前攻撃や、国内防御の堅牢化といった手段を講じることで、犠牲者ははるかに少なくできたはずだ。そうなれば、イスラエルがハマス殲滅(せんめつ)のため、ガザへの侵攻を目指すような軍事作戦にはならなかったであろう。
「公開による抑止」で、イスラエルのガザへの大規模侵攻という地政学的リスク発生を阻止できた可能性は高い。イスラエルや米国情報機関の誤りは、ハマスの攻撃を阻止できなかっただけでなく、イスラエルとサウジアラビアの国交回復を仲立ちしようとする米国の中東戦略の挫折につながる。そして、情勢の鎮静化に力を割かれる結果、ウクライナ支援にも影を投げかける大きな失態と言える。
三点目として、ガザ侵攻に伴う情報戦が過激化しつつあるが、その内容には精査が必要である。情報戦の対象は、自国民、相手国民そして国際社会である。いずれに対しても、その目的は自らの行動や主張を正当化し、相手を否定することだ。どこの国の人間であれ、人は聞きたい情報を「真実」と判断し、聞きたくない情報を「偽」と判断する。事実かどうかは二の次となりかねない。いまだ首謀者が判明しない10月17日のガザの病院爆破が一例だ。
イスラエルの空爆に伴うガザ市民の犠牲者拡大に加え、病院爆破はイスラエル批判のデモが拡散する契機となった。中東だけでなく、米国や英国など西側諸国でも「パレスチナ支援、イスラエル非難」のデモが生起している。
国際社会は「対テロ」で一致せよ
世界のイスラム教徒の数は2019年現在約18億8千万人であり、世界人口に占める割合は24.3%、人口増加率は前年比2.44%となっている。現在デモが生起しているのは中東や北アフリカが主であるが、アジア・太平洋地域には中東・北アフリカの3倍のイスラム教徒が存在する。
特にインドネシアは2億人を超えるイスラム教徒を保有する世界最大のイスラム国家である。ASEAN(東南アジア諸国連合)中、インドネシア、マレーシア、ブルネイの3カ国はイスラエルを国家として承認していない。「反イスラエル、パレスチナ支援」の動きが東南アジアに広がってくると、米中対立に加え、世界の分断がさらに複雑化する。情報戦の激化は、中東のみならず世界中に緊張が広がる可能性があると認識すべきであろう。
米国防省ライダー報道官は10月19日、同日早朝、紅海を行動中の米海軍駆逐艦が、イエメンの反米・反イスラエルの武装組織フーシ派が発射したとみられる対地巡航ミサイル3発と複数のドローンを撃墜したと伝えた。今後、「パレスチナ支援」を旗印に、世界各地のイスラム武装組織のテロ行為が頻発する可能性がある。
国際社会は、今回のハマスによるイスラエル攻撃をテロと認定した上で、パレスチナ問題とは切り離す努力が必要であり、そのためには、ガザ地区における民間人死傷者をいかに少なくするかが重要だ。
最近、ガザ地区における民間人被害のニュースが急増している。ニュースの中には偏ったものだけではなく、意図的に改ざんし、事態を悪化させることを目的としたものもある。各国情報機関には、正確な情報を提供するとともに、改ざんされたニュースやSNSで流される流言飛語に適時的確に対応していく役割が求められる。これも新たな形の戦争の形態であろう。
写真:AP/アフロ
地経学の視点
国家同士の争いであれば、「戦わずして勝つ」ことが望ましく、物理的な戦闘に至る前に情報戦によって形勢を有利に運ぶことが重要となる。しかし、テロリストにとっては戦うこと、暴力こそが自らの存在を示す手段だ。従って、テロに狙われる国家にとって情報活動は死活問題だが、イスラエルや米国は初動で致命的な遅れをとった。
バイデン大統領は日本時間の10月20日、ホワイトハウスの執務室で国民向けの演説を行った。その中でハマスを「テロリスト」、プーチン大統領を「独裁者」と批判し、両者を米国や世界の脅威だと訴えた。だが、米国内でも反イスラエルのデモが起こり、共和党支持者を中心に「ウクライナ疲れ」の声も目立つ。イスラエルと「アラブの盟主」サウジアラビアとの正常化も遠のいた。バイデン大統領は、国内と世界の双方で分断に苦しむ事態に陥っている。
筆者が指摘したとおり、イスラエル・米国当局の「情報」の失策は、中東のみならず、国際情勢の不安定化を招きかねない。イスラエルによるガザへの地上侵攻が近いとされる。世界を引き裂く悲劇をこれ以上広げないためにも、国際社会が一致してテロと戦うための「情報戦」が望まれる。(編集部)