8月23日、ロシア民間軍事会社ワグネルの創始者、プリゴジン氏が搭乗したプライベートジェット機が墜落し、ワグネル高官を含め搭乗者10名全員が死亡したと伝えられた。
ウクライナ侵攻のため、ワグネルはロシア連邦軍と共に戦っていたが、作戦の方針など巡って両者の対立が激化。プリゴジンは6月23日モスクワへ向けて進軍したが、ベラルーシのルカシェンコ大統領の説得によって一日で撤退した。その経緯から、今回の墜落事故はロシア政府による暗殺ではないかとの見方が強い。
プーチン大統領は8月24日、プリゴジン氏の死亡を認めるとともに、「才能のある人物であったが、人生で重大な間違いを犯した」と述べた。ロシア大統領府ペスコフ報道官は、本件が「プーチン大統領が承認した暗殺である」との見方を真っ向から否定している。しかしながら、「事実上の武装蜂起」を生起させたプリゴジン氏の行動を「裏切り」と批判し、「罰を受ける」と明言したプーチン大統領が何らかの形で関与していることは間違いないであろう。
増長と過信が招いた「正義の行進」
プリゴジン氏はプーチン大統領を批判する言葉は一切述べていない。モスクワへの進軍についても、ウクライナ戦争における無能なロシア国防省高官を排除するための「正義の行進」だとしていた。プリゴジン氏は「プーチンの料理人」とも呼ばれ、個人的つながりがあったほか、ワグネルはシリアやアフリカ諸国において政権が関与しづらい「汚れ仕事」を引き受けていた。そうしたことから、同氏はプーチン大統領から絶大な信頼を得ていると過信していたと思われる。「正義の行進」についても、プーチン大統領がもろ手を挙げて歓迎すると思い込み、「無能な高官」であるショイグ国防相やゲラシモフ総参謀長を排除できると考えていたのであろう。
一方、プーチン大統領にとってワグネルは、政府から資金を得ているにもかかわらず軍事力で権力を奪いに来た存在と映り、プリゴジン氏が自分よりも国民的支持を得て、将来自分にとってかわる存在になる危険性があると判断したのであろう。「裏切り」という言葉に、プーチン大統領の本音が隠されている。
危機にさらされる「ナンバー2」
独裁政権におけるナンバー2がトップの不興を買い、失脚する例は枚挙にいとまがない。中国において、1969年に毛沢東の後継者と公式に認定されていた林彪は、毛から忠誠心に疑問を持たれ、71年に毛の暗殺を試みたが失敗、ソ連に向けて逃亡中に墜落死したとされている。
北朝鮮においても、金正恩(キム・ジョンウン)の後見人的立場で、実質ナンバー2と見られていた張成沢(チャン・ソンテク)が粛清された。張は、正恩の義理の叔父であり、さらには国防委員会副委員長という要職にあったが、正恩の父である金正日(キム・ジョンイル)の死去後わずか2年の2013年に処刑された。独裁政権におけるナンバー2は、次期指導者という可能性と、現指導者から疑心を抱かれやすい危険な地位という両面を抱えている。
プリゴジン氏の「謀殺」は、単なる「裏切り者の粛清」ではない。背景には、独裁国家における宿痾(しゅくあ)とも言うべき権力闘争が垣間見える。これは、ウクライナ戦争を含むロシア国内事情に大きな影響を与えるであろう。
今後、ロシアにおいて、プーチン大統領の後継と目される人物が出てくる可能性は限りなく低い。このことは、「ロシア政治はプーチン大統領の意向次第」という傾向に拍車をかける。来年3月にはロシア大統領選挙が予定されている。プーチン大統領が出馬すれば当選確実であろう。プーチン大統領が再選されれば、少なくとも2030年まではプーチン政権が続くことになる。彼自身の信念に基づき開始されたウクライナ戦争を、彼がロシア軍撤退という形で止める可能性は低い。ウクライナ戦争の長期化は不可避と言える。
こうしたプーチンの振る舞いは、同様に独裁色を強める中国・習近平政権の将来を予見する上でも大きな示唆がある。
中国は、毛沢東死去後に実権を握った鄧小平が、個人崇拝の弊害を強く認識し、集団指導体制を選択した。鄧は事実上中国の最高指導者と目されつつも、共産党中央委員会総書記のポストに就かず、党中央軍事委員会主席に就任した。しかし1993年、中国共産党総書記および党中央軍事委員会主席の江沢民が、従来名誉職であった国家主席に就任することで、「軍」「国家権力」「党」が一人に集中する体制となり、現在に続いている。
その一方で、従来は「国家主席は2期10年まで」との憲法規定と、総書記となるための前提である共産党中央委員会常務委員は「68歳を超えて再任されない」という慣例があった。一個人が長期間権力者となることを制度上、制限していたと言える。
これらの制限を取り払ったのが習近平である。2018年には国家主席の任期を撤廃し、22年に68歳を超えていながら共産党政治局常務委員、そして総書記に就任している。習のライバルと目され、年下の李克強首相が引退したことも、習の権力基盤が盤石であることを示している。習という絶対権力者に対し、対抗し得るライバルは存在しない。27年までの今回の任期のみならず、本人が望めば、32年まで現在のポストを維持することが可能なのである。
「強権指導者急逝」のリスクに備えよ
ロシア、中国、北朝鮮という独裁的な国家には、指導者のライバルや後継と目される存在が明確に確認できない。このことはわが国を含め国際情勢に大きなリスクとなる。その一つは、「国家としての意思決定が個人に帰すること」である。神ならぬ人間の判断には曖昧性が付きまとう。何らかの誤った判断をした場合、それを是正する人間なり、勢力が存在しないことは大きなリスクである。
また、強権的な指導者の意図を忖度して行動する場合、各組織が自らの存在意義を優先して行動するため、全体最適にならず、必ずしも指導者の意図に合致したものになるとは限らない。このため、方針や行動が指導者の決断で一気に転換する可能性が常に存在する。政策が一夜にして変更されるリスクである。
より本質的な問題として、独裁者が急逝した場合、大きな混乱が生じる可能性がある。特にロシアおよび中国は国内に民族問題を、北朝鮮は南北統一問題を抱えており、国家としてのガバナンス欠如は、国家の分裂を含む大混乱につながる。3カ国とも核保有国であり、ガバナンスの欠如によって核兵器の管理がおろそかとなり、核が国際テロ組織に渡る懸念がある。旧ソ連崩壊当時、この点が最も大きな懸案事項であったが、最終的には全ての核兵器をロシアが引き継ぐことで事態の沈静化が図られた。今後、中ロが分裂、北朝鮮が崩壊した場合、同様の手順で核兵器の安全が図られるか未知数である。
プリゴジン氏の謀殺については、実行主体と目されるロシア政府が調査を担う以上、真相が明らかになることはないであろう。ただこの事件は、ロシアにおいて、プーチン大統領の後継となる人物や、対抗し得る組織を立てることの難しさを示唆している。プーチン政権の長期化は不可避であり、万が一プーチン大統領が職務執行不能に陥った場合、ロシア国内は大混乱に陥る可能性がある。そしてこのリスクは、北朝鮮、中国も同様に抱えていると認識すべきであろう。
写真:AP/アフロ
地経学の視点
目下、金正恩総書記の親族でナンバー2もしくは後継者と目される人物は、娘のジュエ氏と、妹である金与正(キム・ヨジョン)党副部長である。
金総書記は「4代世襲」の布石としてジュエ氏や与正氏の露出を増やしているとの見方があるが、極端な男性優位社会とされる北朝鮮で女性指導者が認められる可能性は高くない。また、金総書記には実は息子がおり、娘や妹は「本命」である息子の隠れ蓑だという説もある。義理の叔父が処刑されたことを思えば、親族だからといってパージされない保証はない。
独裁者にとって力を持ち過ぎたナンバー2は危険な存在でしかない。必然的に、独裁者が交替する際は権力の継承を巡って大きな混乱が起きやすい。
金正恩が党トップに就任してから11年あまり。昨年のミサイル発射数は過去最多の59回に上り、強硬姿勢を強める一方で、同氏の健康不安説も度々報じられている。もし金正恩が急逝すれば、安全保障面も含めてその混乱は国内のみならず、周辺国にも及び得る。日本は北朝鮮、中国、ロシアという独裁強権国家に囲まれている。「独裁者の急逝リスク」を改めて認識すべきだ。(編集部)