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2023.02.14 安全保障

なぜ米国は今回に限って中国の気球を撃墜したのか

末次 富美雄

 2月2日、米国防省ライダー報道官は、米本土上空の民間機の飛行に影響を与えない空域において、中国のものと確信する気球が飛行していることを明らかにした。さらに記者の質問に答え、撃墜を検討したが、落下した破片などによる被害が見積もられ、放置しても気球が与える影響が少ないことを考慮し、追尾にとどめていると述べた。

 同報道官は、気球にどのようなセンサーが搭載されているか不明であるが、偵察能力としては革命的とは考えられないと伝えた。「民間機の飛行に影響を及ぼさない」という発言から、当該気球は、地表から20㎞程度上空の成層圏を飛行する「成層圏プラットフォーム」の一種と推定できる。

 これに対し中国は2月3日、外交部報道官が「関連報道に留意する。調査、確認中」と述べ、少なくとも外交部は当該気球の飛行を知らされていないことを示唆した。さらに、時間を置かず「中国民生用気球が不可抗力で制御不能となり、米国に迷い込んだ。遺憾の意を表明する」とのコメントを公表している。

 同日夜、ブリンケン米国務長官と電話会談を行った王毅政治局員も「双方は予期せぬ状況に直面しても冷静を保ち、適時に意思疎通し、誤った判断をせず、意見の相違をコントロールすべきだ」と述べており、この時点では、中国として事態の不拡大、沈静化を目指していたと考えられる。

穏便な方針が撃墜で一変

 2月4日に米国が気球を撃墜して以降、事態は一変した。米オースティン国防長官は同日「大統領の命令に基づき、気球が領海内にある間に撃墜した。これは、中国による主権侵害を許さない、正当な権利の行使である」との声明を公表した。これに対し、中国の国防部報道官は「中国民生用無人空中船に対する過剰な対応である。中国は、同様の状況で同じ対応をとる権利を留保する」と激しく反発している。その後中国外交部も同様のコメントを公表しているが、本件に関しては、国防部が主体となっていることが推測できる。2月7日には、オースティン国防長官が中国の魏鳳和国防部長に電話会談を申し入れたが、中国側がこれを拒否したと伝えられている。

 こうした経緯を見る限り、中国が沈静化に努めようとしたのに対し、米国が気球を撃墜したこと、しかも今まで米国を含む各地で確認されている中国の偵察用気球を、今回に限り撃墜するという意思決定をした、という事実が浮かび上がる。2月8日の記者会見においてジャンピエール大統領報道官は、気球を中国の大規模な偵察気球計画の一部と指摘したが、なぜ撃墜したのかという質問に対しては、「大統領は国家安全保障、国家の安全を守る点で極めて深刻に捉えている」とし、具体的な理由については言及を避けている。

 なぜ米国が今回に限り気球の飛行を公表し、撃墜という意思決定をしたのかという理由について、ある種のヒントが2月6日に国防省で記者会見に応じた米北方軍兼北米航空宇宙防衛軍(NORAD=North American Aerospace Defense Command)司令官バンハーク大将の発言から確認できる。同大将の発言中、注目すべきは次の点である。(1)NORADは気球を脅威とは認識していなかった。これは「状況認識ギャップである」、(2)気球の大きさは、直径200フィート(約70m)、ペイロード(実質的な積載可能量)は小型航空機並みの数千ポンド(約1トン程度)と推定している、(3)AIM-9X(今回使用された対空ミサイル)を今回の高度(1万7000m以上)で使用したデータはなく、今回、ステルス戦闘機F-22とAIM-9Xの高高度における性能を確認できた。

脅威の再認識と中国への強い牽制

 バンハーク大将の発言を軍事的視点から見ると、極めて重大な事実を3点指摘できる。第1に、ペイロードの大きさである。約1トンというペイロードは、偵察用機器だけではなく、爆発物も搭載可能であることを意味する。例えば、米国が保有する潜水艦搭載弾道ミサイル弾頭部であるW76は、重さ約165㎏と推定されている。気球に小型核爆弾を装備し、高高度核爆発で発生する高高度電磁波(HEMP)攻撃が十分可能ということだ。

 第2に、そのような能力を持つ気球を、防空司令部であるNORADが全く追尾していなかったことである。極超音速を含む高速目標、宇宙空間を飛翔する衛星やミサイルなどの追尾に重点を置くあまり、システム自体が、低速移動目標をレーダー画面上の「ゴミ」として消去してしまっているのではないかとの危惧を抱かせる。

 そして最後の第3の点は、明るい材料として、今まで有効な攻撃手段がないとされていた成層圏プラットフォームが、戦闘機と空対空ミサイルの組み合わせで破壊可能であることを証明できたことである。米国は今まで偵察用ととらえていた気球について、攻撃兵器としての脅威を改めて認識し、これを撃墜する能力を保有していることを確認できた、というのが今回の事件の軍事的側面であろう。米国にとって本土防空能力の穴を自覚させる事件であり、これが米中関係を緊張させることも厭(いと)わない、今回の米国の意思決定につながったのであろう。

飛来した気球を日本は撃墜できるのか

 今回の事件は日本にとって、対岸の火事ではあり得ない。中国との地理的距離を考えれば、米国以上の脅威認識を持つべきである。事実、松野官房長官は2月9日の記者会見で、2020年6月、21年9月、そして22年1月に日本上空または周辺で類似の気球を確認していることを明らかにした。磯崎官房副長官は、「外国の気球であっても、許可なくわが国の領空に侵入すれば領空侵犯として、必要な場合は緊急発進等の措置をとる」と述べている。

 しかしながら、緊急発進した自衛隊航空機に何をさせるのかは明らかにしていない。自衛権の一環として武器を使用するのであれば、「わが国に対する明白な危険」「他に適当な手段がない」「必要最小限度」という3要件を満足しなければならない。気球だけではなく、最近、中国無人機の沖縄周辺における飛行が増加する傾向が認められる。自衛権の行使とは異なる枠組みで、これら無人飛行体に対する処置標準を定めておく必要がある。

 米国は撃墜した気球の残骸を回収、調査を進めることを明らかにしている。中国の「民生用気象観測用気球」という主張が正しいかどうかは、それほど時間をかけずに明らかとなるであろう。今回の事件を契機に、米国がこの種の低速移動目標への監視能力向上を図ることで、気球の「非対称兵器」としての存在意義は大幅に低下する。日本も当然、対応の要領を検討しなければならない。

 今後注目しなければならないことは、米中両国がそれぞれ振り上げた拳をどのようにして降ろすかである。中国国防省は、同様の状況では、同じ処置をする権利を留保すると述べている。米中間の対話が閉ざされている状況で、南シナ海や東シナ海において米中間の不測の衝突が生起した場合のエスカレーションが危惧される。米中対話の一刻も早い再開が望まれる。

(追記)
 カナダのトルドー首相は2月11日、カナダ北部で領空を侵犯した気球を撃墜したと公表した。さらに中国も2月12日、中国山東省沖で飛行物体を発見、撃墜する準備をしていると報じている。気球の種類、目的そして使用者に関し、情報戦が激化する兆候が確認できる。

写真:Mc1 Tyler Thompson/Us Navy/Planet Pix/ZUMA Press/アフロ

末次 富美雄

実業之日本フォーラム 編集委員
防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。護衛艦乗り組み、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令を歴任、海上自衛隊主要情報部隊勤務を経て、2011年、海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官。退官後、情報システムのソフトウェア開発を業務とする会社にて技術アドバイザーとして勤務。2021年からサンタフェ総研上級研究員。2022年から現職。

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